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第四十七話  逃亡者!  はめられた少女とその叔母の逃避行!

 一方、カシンがある事ない事吹聴していた頃、王都を脱出したアスプリクとアスティコスは、郊外にあった森の中に逃げ込んでいた。

 すでに朝日は登り切っており、通行人に姿を見られているため長居はできないが、それでも叔母の治療を優先するために、《飛行フライ》の術式を解除して降下した。

 アスプリクは着地と同時にアスティコスを木にもたれかけさせ、狼狽しながらも顔色の悪い叔母を見た。


「叔母上、大丈夫かい!?」


「ええ、大丈夫よ。治癒系統の術式はそれほど得意じゃないから、腕を動かせるようになるのはちょっと時間がかかりそうだけどね」


 カシンの放った矢は右肩を貫いていたため、右腕が思うように動かなくなっていた。

 《治癒ヒール》で傷口は塞いだが、関節部分の損傷を回復させるのには至っておらず、肘や指の動きが鈍かった。


「正直なところ、毒矢でなかっただけ良かったわ」


「そうか……。命に別条がなかったなら良かった」


 そう言うと、アスプリクはアスティコスに抱き付いた。

 少々力ががこもり過ぎていたため、アスティコスは表情をしかめたが、そこは相手が何よりも愛おしい姪っ子である。動く左手でその頭を撫でてあげた。

 アスプリクは泣いていた。ガタガタと全身を震わせ、姿相応のか弱い少女の姿を見せていた。

 なにしろ、この一晩で色々とあり過ぎたのだ。

 ようやく和解が成った兄ジェイクを不作為ながら殺してしまい、追われる身となって逃げ回った。

 何より、カシンから告げられた“魔王”についての事。

 そして、生まれて初めての“殺人”。

 そのすべてをこの小さな体で受け止めたのだ。いくら数多の戦場を駆けてきた大神官とは言え、本来は僅かに十四歳の少女である。

 それはあまりにも過酷であった。


「大丈夫、大丈夫だからね。ここまで来れば大丈夫だから。ほら、折角の可愛らしい姿が台無しになるから、早く泣き止みなさい」


 アスティコスがアスプリクと行動を共にするようになって、おおよそ半年ほどが経過しているが、その間は非常に平穏であった。

 畑に出ては術式を用いた新農法を試したり、あるいは工房に出掛けて工芸品の加工や仕上げをやったりと、実にのどかに暮らしてきた。

 エルフの里は時が止まったかのような場所であったため、アスティコスにとってはまるで百年の時を刻んだかのように感じたが、それもこれも闊達な姪と暮らすことができたからだ。

 ヒサコのせいで里と同胞を失ったが、この新たな出会いには素直に感謝していた。

 姉の忘れ形見であり、どうしようもなく可愛いのがアスプリクなのだ。

 守らねば、そう思いつつも、この体たらくなのは情けない限りであった。


(まあ、実力的には、この子の方が上なんだけどね~。こっちも森の中でのみの生活だったし、人生経験が豊富ってわけでもない。男に関しちゃ、からっきしだし。でも、あのカシンとかいう奴の言っていた魔王に関する件、あれだけは見過ごせない。絶対にこの子を一人にしちゃダメ)


 以前の話を聞いている分には、アスプリクに存在したのは、完全なる孤立無援であった。誰からも煙たがられ、あるいは恐れられ、利用されるだけの日々を過ごしてきた。

 孤独だけが、アスプリクの友であり、自分の殻に閉じこもって来た。

 それを変えたのがヒーサであり、その点では救いであった。


(でも、ヒーサ・ヒサコの行動原理は、徹底的なまでの自己利益の追求。やりたいようにやるだけ。富と権力を求めているだけ。果たして、頼ってよいものか?)


 シガラ公爵領での生活は、言ってしまえば持ちつ持たれつの関係であった。

 王国全体を見れば宗教改革は不十分であり、術士が堂々と暮らせる場所は限られていた。教団に飼われるか、教団に喧嘩を売っても保護してくれる公爵領に移住するか、この二つだ。

 ゆえに、隠遁していた術士や、あるいはアスプリクのような教団からの脱落者は、保護を求めて公爵領に移住した。

 ヒーサにしても、術士の確保とその利用を考えていたため、教団に所属していた時とは比べ物にならないほどの好待遇を与え、それを利用した。

 この共生関係こそ、シガラ公爵家の躍進の原動力であり、富が集まる要因となった。


(でも、問題なのは教団の圧力を抑えていた、宰相のジェイクが死んだこと。後ろ盾を失った新法王も危うい立場になるだろうし、圧力が増してくると思う。下手すりゃ、このまま内戦一直線よね、これ)


 政治に疎いアスティコスですら、容易に想像できる危うい未来予想図であった。

 このまま二人で潜んでいるか、それともどこかに身を寄せるか、考えどころなのだ。


(カシンって奴もよく考えたわよね。王国の結束力の源であるジェイクを廃して、その罪をアスプリクに着せて、ついでにヒーサの名声にも泥を塗る。これで現在の王国の秩序が失われ、様々な勢力が入り乱れるバラバラの状態になる。そこを帝国軍が侵攻をかけ、一気に戦線を突破。よく練られているわ)


 状況は極めて深刻。それに拍車をかけているのが、アスプリクの存在であった。

 カシンの言を信じるのであれば、アスプリクは魔王の苗床なのだ。いずれは芽吹き、魔王へと覚醒するのだとすれば、その存在は危険極まる。

 この情報が拡散されれば、覚醒前に消してしまおう、と考える者も現れることだろう。


(でも、その情報自体が“嘘”だった場合は?)


 これがアスティコスの懸念であった。

 ヒーサやテアもアスプリクを魔王と見ているようでもあるので、情報の精度は高いだろうが、それでも万一と言う事もある。

 もし、アスプリクを粛正するなどと動いたとして、それが誤情報であった場合、王国側は最強の術士を失うこととなる。


(あるいは、その人々の恐怖や怨嗟をアスプリクに集約して、それを栄養分に魔王を覚醒させる気かもね。陰湿な根暗野郎が考えそうなことだわ)


 とにかく、優先すべきことはアスプリクの安全と、その精神状態の安定化であった。

 隙を晒せば、それこそ付け入られる元である。それだけは避けねばと、アスティコスも頭を働かせた。


「……ねえ、アスプリク、ヒーサのところに行こっか?」


 結局、それがアスティコスの出した結論であった。

 ヒーサとヒサコは同一人物。ゆえに、その中身が捻じ切れた性格の策士だということは、身に染みて理解していた。

 それだけに、その知恵を借りねばならなかった。


(情けない事に、もうこの可愛らしい姪を救えるのは、あの性悪しかいない!)


 ようやく泣き止んで、アスティコスを見上げるアスプリクの瞳は戸惑いで満ち溢れていた。

 今の自分が駆け込んで、相手に迷惑が掛からないか、と。


「大丈夫よ。むしろ、たっぷり迷惑かけてやりなさい」


「いいの……?」


「いいのよ。たっぷり迷惑かけて、あいつを火炙りにしちゃっていいくらいよ。そうすれば、自分が焼かれないように、必死で消火するから」


「叔母上、性格悪い」


「これから頼る奴よりかは、マシだって自覚しているわよ」


 なにしろ、エルフの里を丸焼きにし、最強のエルフであった父を涼しい顔で暗殺した一種の化物である。

 敵対していなければ、怖くはあるが頼りにはなる。


(まして、魔王に関することだもの。あちらも巻き込んでしまえば、動かざるを得ない!)


 欲深いからこそ、折角手に入れた王国の実権を手放すとは思えないのだ。

 そこにアスティコスは賭けた。


「さあ、行きましょう。肩の傷は大分マシになったし、一気に飛んでいきましょう」


「姿が見られちゃうよ?」


「見られていいのよ。ヒーサが重罪人を匿っている。それだけで巻き込めるんだから」


「叔母上、やっぱり性格悪い」


「可愛い姪っ子のためだもの。いくらでも性悪になってやるわ」


 そう言って、アスティコスはまだしがみ付いているアスプリクの頭を撫でた。

 このか細く小さな体に、世の災厄が詰め込まれようとしているのを、黙って見過ごすつもりなど毛頭なかった。

 邪魔者は排除するし、害をなそうとする者は打ち倒す。姉の忘れ形見を守るため、アスティコスは今一度決意を新たにするのであった。

 そして、立ち上がった二人は《飛行フライ》の術式を発動し、あえて人目に晒しながら、ヒーサのいる方向へと飛んだ。

 ヒーサは王都での会合のために街道を進んでいる最中であり、街道沿いを飛んでいれば、必ずどこかで鉢合わせするはずであった。

 そこで合流すると言う寸法であるのだが、ヒーサは王都で起こった大事件をまだ知らないはずであり、それさえ黙っていればすんなり受け入れてくれると予想した。


(んで、あとは適当な場面で状況説明をして、晴れて“共犯者”ってことにする。もしかしたら、あいつの悩ましい苦笑い、拝めるかもね~)


 などと考えつつ、アスティコスはついつい笑みがこぼれてしまった。

 いつぞやの意趣返しに、これで目にもの見せてやると意気込む性格の悪いエルフ女は、ヒーサの姿を逃すまいと注意を払い、空を飛ぶのであった。



           ~ 第四十八話に続く ~

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