第三十五話 後詰不在!? 戦争計画はどうなっているのか!?
和やかなる内に二人の和解は相成った。
アスプリク、ジェイク、共に笑顔を見せ、ようやく互いに歩み寄れたことを実感できた。
ただ、これはスタートラインに立てたに過ぎない。なにしろ、アスプリクにとっての本題は、“シガラ公爵家の親善大使”であり、宰相との関係をどうするかということであるからだ。
(現国王が余命幾ばくもないこの状況。つまりもうすぐジェイク兄が、国王になるということ。シガラ公爵家の親善大使として、より良い関係を構築しておかないと)
そうすればヒーサも喜んでもらえる。期待に応える意味においても、しっかりと仕事をこなさねばと気を引き締め直すアスプリクであった。
「時にジェイク兄、確認しておきたい事があるんだけど」
「何についてだ?」
「帝国について。今後の戦争計画って、ちゃんと立ててる?」
アスプリクの最大の懸念事項はそれであった。
現在、ジルゴ帝国は王国への侵攻を企てており、即位した皇帝の旗の下に戦力を結集しつつあった。
だが、機先を制する形でヒサコが逆侵攻をかけ、帝国軍に痛撃を与えることに成功した。
それはいいにしても、“後詰”についての反応が無さ過ぎて、大丈夫なのかと言うのがアスプリクの不安であった。
「ヒサコの指揮の下、アーソに展開していた部隊の奮戦で、帝国軍に打撃を与えた。でも、皇帝がまだ陣頭に立っていない。現れてからがむしろ本番だけど、増援の手筈はどうなってるの?」
「芳しくない。はっきり言って、出し惜しみしている連中が多い」
「カァ~! バッカじゃないの!? アーソの戦線抜かれたら、王国領に招かれざる客がなだれ込んでくるんだよ!? 食い散らかされるに決まっているじゃん」
「だが、アスプリクほど理解のある連中ばかりではないということだ」
ジェイク自身、憮然として不満を吐き出していた。
今は王国の存亡をかけて、帝国軍を撃退するために戦力を集中させる必要があるというのに、派閥次元の発想を抜け出せない者が意外と多いのが現状であった。
「特にセティ公爵が露骨だな。『アーソでの動乱の折、被害が思いの外に大きくて、立て直し中につき増援は難しい』の一点張りだ。祭りで王都に来ていたから、昨日は直接話を捻じ込みに行ったが、言葉を右へ左へ動かしてはっきりとした返事がもらえなかった」
「もっと押しなよ、ジェイク兄。尻を蹴っ飛ばしてもいいからさぁ!」
「どうにも、シガラ公爵家が活躍するのが面白くないのだそうだ。千や二千の兵はすぐに出せるだろうが、それではヒサコの“添え物”扱いだろうからな」
「ヒサコの活躍で発破かけて、他の連中も熱を上げさせようとしたのが、却って裏目が出たのか」
「ヒサコに負けるな、ではなく、ヒサコにこれ以上活躍させるな、という考えの連中が多いということだ。情けない事にな」
ヒサコの活躍は国中に轟いており、知らぬ者はいないと言われるほどに確固たる武名を確立していた。
また、ヒーサも数々の改革を成して、飛躍的に生産力を向上させており、その手法をまねようとする者も多い。
今やシガラ公爵の兄妹は国中の注目の的であり、その一挙手一投足に人々の視線が注がれていた。
同時に、それは妬みや反発を生み出し、反シガラ公爵の流れを生み出す結果にもなっていた。
なにしろ、この兄妹にしてやられた者も多く、隙あらば足を引っ張ってやろうと考える者もかなりの数が存在していた。
「普段ならまあ、勢力争いなんて貴族の生業みたいなもんだからいいにしても、今は戦時下だって理解してないんじゃないの!?」
「視野が狭い上に、頭もないのだろう。なまじ前線が奮戦していて、国内が平和な分な。私もあちこち動いてはいるが、どうにも反応が鈍すぎる」
ジェイクは祭りで王都に訪れている貴族を、片っ端から連絡を取ったり、場合によっては訪問もしているのだが、戦争に関しては乗り気でない者が多すぎた。
兵や物資を出す様に催促しても、のらりくらりとかわされる始末で、まるで負けを望んでいるかのような反応ばかりであった。
「シガラが負けるのは、アーソの戦線が突破される事を意味し、国土が蹂躙される。こんな単純な事が分からないのかい!?」
「残念だがな。あの兄妹に泥をぶちまける事しか、頭にない様にすら思えるぞ」
「尻に火をつけてやろうかな!? 文字通りの意味で!」
「それはやめろ。アスプリクの火は尻を焦がすどころか、下手すると消し炭になりかねん」
怒りのあまり魔力を高め始めたアスプリクに、さしものジェイクも冷や汗をかいた。妹の火遊びは、本当にただでは済まない被害を及ぼすことを、過去の経験から知っていた。
物理的に尻に火がついてしまっては、余計に話がこじれてしまうと言うものだ。
「後詰部隊の集結状況が悪いのは理解したよ。それで、このままシガラにだけ負担を押し付ける気ではないだろうね?」
アスプリクの語気も、いよいよ熱と荒々しさを帯びて来ていた。
いくらヒーサ・ヒサコが奮戦しようと、後詰がいなくては相手に決定打を与えることはできない。守っているだけでは決して勝てないのだ。
(敵の数は圧倒的。ただし、装備の質の差である程度は拮抗できるけど、問題は皇帝。耳にする噂をそのまんま信じるなら、控えめに言っても化物だ)
一対一の勝負なら絶対に勝てない、というのがアスプリクの予想であった。
であるからこそ、相手にするには複数で当たる必要がある。自分は元より、アスティコス、マーク、ライタン、ルルなど、シガラ公爵家が抱える腕利きの術士を総動員せねばならないと感じていた。
「シガラにかかっている負担は軽減したいが、共倒れが理想なんだろうな、日和っている連中からすれば」
「シガラの部隊だけじゃ、火力が足りないって気付けっての! 事が片付いたら、全部まとめて締め上げてやるわよ」
「おいおい、内乱を誘発するような真似だけはやめろよ」
「ジェイク兄だって分かっているでしょ!? そのままじゃ前線にいる部隊がすり潰されて終わるって。もっと戦力を掻き集めて、帝国に決定的な一撃を浴びせないと、この戦争終わらないよ」
無論、決定的な一撃とは、皇帝を戦場で討ち取ることである。
帝国は力ある皇帝が束ねる国であり、逆に言えば皇帝さえいなくなれば勝手に空中分解するだけなのだ。
現に、皇帝不在時の帝国は、諸部族が覇を競うだけのまとまりのない国であったからだ。
しかし、その皇帝が化物じみた強さを持ち、万夫不当の豪傑なのだ。
(だからこそ、力こそすべてのジルゴ帝国の象徴足り得るわけなんだよ。前線に出てきたらば、火力を集中して一気に討ち取りたいけど、周りがな~)
非協力的な貴族のなんと多い事かと、アスプリクはその苛立ちを隠そうともせず、不機嫌な面構えをジェイクに向けていた。
ようやく和解できたというのに、なんで妹とこんな話をせねばならんのかと、ジェイクもまた不機嫌を隠さなかった。
「アスプリクよ、その点はこちらも分かっている。法王にも要請を出してはいるが、どうにも渋っている。というより、ロドリゲスを始め、すでに反法王派が形成されつつあり、法王の無力化を図っているようなのだ。ヨハネスも身動きが取りづらく、難儀しているそうだ」
「選挙の得票、ギリギリだったからな~。情勢一つで、ひっくり返される危険もあるね、こりゃあ」
「負けるよりはマシとは言え、ギリギリの勝利もそれはそれで面倒だな」
「何か決定的な一打がいるね」
強いて言えば戦場での勝利なのだが、ここのところ帝国の動きは鈍い。
ヒサコが帰国して以降は、小競り合いすら発生していない完全な小康状態であった。
(これじゃあまるで、国内の勢力同士が潰し合って、自滅を待っているかのような……)
実際、それは上手い策だとアスプリクは思い至った。
戦場でヒサコに勝てないのなら、国内の不穏分子、ジェイクやヒーサに反発する勢力に暴れてもらえば、前線の防衛力が落ちるのは明白であった。
足元をグラつかせ、それから戦線を突破する。作戦としては、実に有効であると言わざるを得なかった。
「まあ、ヒーサがライタン連れて話し合いの場を設ける手筈になっているし、具体的にはそれからってことになるかな」
「教団の分裂解消は、どのみち必須案件だ。手早く片付けて、戦力の糾合を図らねばな。結局は、またしてもヒーサ頼りか」
「実際、頼りになるからね、ヒーサは」
頼りになる。それ以上に愛おしい。アスプリクはこの苦しい状況も、ヒーサならば良き思案を出してくれるだろうと信じて疑わなかった。
「あ、そうだ。ヒーサから受け取っていた物があったんだ」
危うく忘れかけていたが、ヒーサが置いていった葡萄酒のことを思い出し、アスプリクは鞄から酒瓶を取り出した。
「お、シガラの名酒『フクロウ』か。気が利くな。いい酒なのだが、なかなか手に入らないのだよな、こいつは」
ジェイクは喜んで受け取り、ラベルに描かれていた梟の挿絵を指で撫でた。
「うむ、辛気臭い話はここまでにして、こいつを盛大に空けてしまおう」
「あ、僕、お酒は苦手だよ」
「なら、水で割ろう」
「水で薄めるって、そりゃ大昔の飲み方じゃないか」
遥かな昔、酒の醸造技術が未発達であった頃、葡萄酒は今とは比べ物にならないくらいに甘かった。ブドウの糖分が酒精に変化せず、甘みとして酒の中に残っていたからだ。
おまけに、素焼きの壺で保存していたため、水分が吸われてしまい、より濃くなっていた。
そのため、より甘みが強くなってしまい、そのままでは甘すぎて飲むには適さず、葡萄酒は水で割って飲むのが当たり前だったのだ。
「酒を薄めずに飲むのは、蛮族の風習だったっけ? 麦酒が忌避されていた原因だよね」
「今では、どっちも飲むがな。旨いかどうか、あるいは酔えるかどうか、そこが一番の判断基準だな」
「そうだね。まあ、僕は雰囲気で酔える質だけど」
ちなみに、アスプリクは酒に弱い。体が小さいということもあるが、かつては宴の席が大嫌いであったので、気分的に酔ったように感じてしまうのだ。
シガラ公爵領での生活に慣れてしまい、酒も少しは飲めるようになった。
あれほど嫌だった“誰かと杯を交わす”という行為にも、今ではすっかり平気なっていた。
あくまで、気の合う知己とだけではあるが。
「まあ、苦手なのでしたら、やっぱり少し水で薄めましょう。水を取って参ります」
そう言うと、クレミアは席を立ち、部屋を出て行った。
ジェイクも席を立ち、部屋の隅にある棚から杯を取り出してきて、早速自分の杯に酒を注いだ。
「う~ん、やはりいい香りだな。味もさることながら、この香りもまたよい」
「葡萄の生産もね、術士を投入しようかって案も上がってるね。もっとも、酒の味が変わるんじゃないかって、酒造組合が難色示しているけど」
「まあ、麦とかの食べ物と違って、酒はかなり微妙な加減がいるからな。職人としては、慎重にならざるを得んだろう。一部の葡萄畑で試しにやってみる、くらいでいいのではなかろうか」
どのみち酒の醸造には時間がかかるし、結果が出るのはかなり先になるだろうとジェイクは考えた。
「何事も、いい味が出るまでは時間がかかるものさ」
「酒も、人間も、ね」
「その通りだ。改革に戸惑ている人間もまた、いずれは必要な措置であったと理解が進むことを願うばかりだよ」
そう言って、ジェイクは鼻を貫く香りに誘われ、ついつい杯に注がれた酒を飲み干してしまった。
「もう、ジェイク兄、そう言うのを抜け駆けっていうんだよ。自分だけ飲んじゃってさ」
四人で飲もうとしていた酒を先んじて飲まれたことに、アスプリクは苦笑いをした。
“カコンッ! ドサッ!”
それはあまりに突然の事であった。
酒を飲み干したジェイクが、急に崩れ落ちたのだ。
持っていた杯を床に落とし、それに続くかのように体も床に投げ出された。
「……え?」
あまりに突然のことに、アスプリクの頭が追い付いて来なかった。
倒れ込んでいる兄の姿を呆然と眺めた。何がどうなっているのか、止まっている頭が徐々に動き出し、目の前の光景が現実のものであると認識した。
「ジェイク兄……?」
口からは血が吐き出されており、重篤な状態である事は一目瞭然であった。
なぜそうなったのか、それはまだ理解が及んでいなかった。
ただ一つだけ確実な事がある。
それは“ヒーサが用意した酒”を飲んだ途端にこうなった、ということだ。
「ジェイク兄!」
アスプリクの悲鳴が響き渡るも、横たわるジェイクは何一つ反応を示さなかった。
慌てて駆け寄り、その体を起こしてみても、ピクリとも動かない。吹き出した血で、アスプリクが汚れるだけであった。
ジェイクの脈はすでに止まっており、完全に事切れていた。
~ 第三十六話に続く ~
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