第三十四話 和解成立! そして、兄と妹は握手を交わす!
(分かっていた事とは言え、緊張する)
それがアスプリクの今の心境であった。
兄ジェイクと和解し、以て過去のわだかまりを清算する。それこそ、この屋敷の訪れた目的であり、同時にヒーサからの依頼であった。
現在、シガラ公爵家は宰相ジェイクと協力関係にあり、これを今後とも続けていく必要がある。
(そう、王国への侵攻を企図している帝国と言う“外敵”が存在する以上、国内の取りまとめは必至。この協力体制をより強固にするためにも、僕とジェイク兄との仲直りは必要なんだ)
現在、アスプリクは実質ヒーサの庇護下にあり、なにかと面倒を見てもらっている状態だ。王都や聖山の情勢が分からなかったため、色々とやらかしたアスプリクを守れる存在が必要であったからだ。
だが、聖山も法王選挙を経て、新法王の下、風通しが良くなってきており、実質的には和解が成ったようなものだ。
あとは、アスプリクとジェイクの和解が成れば、全てが丸く収まり、三者の間に横たわるわだかまりが消えるというものだ。
(分かってはいる。これで何もかもが上手くいく。僕がジェイク兄と握手を交わせば、いい方向に持っていける。でも……)
部屋に現れたジェイクを見て、どこか一歩引いてしまう自分がいることに、今更ながらに気付いたアスプリクであった。
歩み寄れない理由は、かつての心的外傷が脳裏をよぎるからだ。
十歳の時に神殿に放り込まれ、その類まれた術の才能を引き出すために過酷な訓練を施された。そこまでならばまだよかった。
術士として一端になると、途端に戦場に放り込まれ、亜人や悪霊と戦い続けた。
一応、立場上は火の大神官という最高幹部の一人ではあるが、実際やっていることは使い走りと何も変わらない。ひたすら戦いに明け暮れる日々だ。
客寄せとして説法や祈祷を行うこともあれば、あるいは歪んだ欲情を抱く教団幹部に弄ばれ、心が歪む一方であった。
そして、そんな妹の状況を知りながら、何もしなかったのが目の前にいるジェイクだ。
教団には“不入の権”があるため、宰相と言えど下手に介入することはできず、結局は“城内平和”を優先し、沈黙を選択した。
それを知ったアスプリクはますます歪み、妹を見捨てた兄ジェイクを憎んだ。
(でも、今は違う。ヒーサが行くべき道を指し示してくれた)
今度は昨夜の出来事がアスプリクの頭に浮かんできた。
心的外傷に上書きされた、優しい貴公子の笑顔とその温もりが少女の心に光を刺し入れる。あれほど嫌だった男に抱かれるという行為も、昨夜の一件で反転した。
またもう一度抱き締めて欲しい、口付けを交わして欲しいと、少女は吐き出された生の感情を制御することができないでいた。
それでも必死に熱を抑え、今目の前のことに集中しようとしていた。
(これが終わって、上首尾に事が片付いたら、また僕を抱き締めてくれるかな)
十四歳の少女らしからぬ欲情丸出しの願望であったが、今のアスプリクにとってはそれが全てであった。
誰かを好きになり、あるいは逆に愛される。そんな“当たり前”すら許されなかった生活を、ヒーサが一変させてくれたのだ。
自由を、叔母上を、そして、愛することの悦びを、全部与え、教えてくれた。
だからこそ、ヒーサへの想いは誰よりも強く、恩返しをしたいと考えていた。
久しく出ていないが、戦場に出る事すら厭わないし、貧相な体で申し訳なく思いつつも、欲望のままに貪ってくれても構わないとさえ考えていた。
(大丈夫。上手くやれる。今日この日を以て、過去の自分を振り払うんだ!)
もう臆さない。そう覚悟を決めて、アスプリクはジェイクと向き合った。
「ジェイク兄、久しぶり。前に会ったのは、アーソでのゴタゴタ以来かな?」
「そう、だな。あれからアスプリクはずっと公爵領だったからな」
ジェイクはアスプリクの変化があまりに露骨すぎて、却って肩透かしを食らっている状態であった。
嫌味もなしに話しかけて来るし、名前で呼んでも不機嫌な反応を見せない。以前会った時とは大違いだと、まずは妹が随分と落ち着いた雰囲気に変わっていることに安堵した。
「まあ、少々暗い話題で済まないのだが、父上がそろそろ危ういかもしれん。医師の見立てでは、半年もてばいい方だと」
「そう……、ですか」
アスプリクにしてみれば、反応に困る話題であった。
確かに血を分け与えられた親ではあるが、子として何かしてもらったわけではない。十歳まで王宮で育てられたのも、類稀な術の才能を有していたからであって、アスプリクを娘として扱ってくれたことなど一度もなかった。
死の床で話すことなど、ただの一言もないのだ。
「……会う気はないのか?」
「今更、です。会って話すこともないですし、あるとすれば十四年分の小遣い銭をよこせ、くらいしかないですよ」
「そうすればいいのでは?」
「いえ、もうヒーサから代わりに貰っちゃいましたから」
アスプリクは横に座っているアスティコスに視線を向けた。
ヒーサと初めて会った日に、エルフの里についての話が出て、生まれてからの小遣い銭をせびってやれ、などと冗談めかして語り合った。
そして、ヒサコが里に赴き、叔母であるアスティコスを強奪して、アスプリクに引き渡した。
里を丸焼きにした点は暴挙も暴挙であるが、アスティコスは気にかけていた姪に会う事が出来たし、アスプリクも初めて“家族”と呼べるほど親密な同居人を得て、今ではいつでも一緒に過ごしている。
十四年分の小遣い銭としては、これ以上に無い品であり、更なる追加など必要としない完璧な贈り物と言えよう。
これ以上欲張る必要もないし、無理して“父親”と呼ばれる男に会う必要も感じないアスプリクであった。
“家族”というものは、アスプリクをとかく困惑させる。
世間一般ではごくごくありふれた“最小の社会単位”ではあるが、アスプリクにとっては煩わしいな存在でしかない。
どうすれば“家族”と接する事が出来るのか、誰も教えてくれなかったからだ。
(思えば、予行演習だったのかもね)
アスプリクは家族とのまともな接し方を知らない。
知らなかったというべきか、今は知っている。
想い人が家族を用意してくれたからだ。
出会ってからずっと二人は一緒で、アスプリクはアスティコスが気に入ったし、アスティコスもまた姉の忘れ形見を愛おしく思っている。
「それを今度は目の前の兄に向ければいい」
遠回しなヒーサの囁きが、アスプリクには届いていた。
いつも最高の贈り物を用意してくれる貴公子に、無言の内に礼を述べた。
そのアスプリクにとっての最高の贈り物であるアスティコスに、ジェイクの視線が注がれた。
「そうか……。それにしても、そちらのエルフはアスペトラ殿によく似ているな。さすがは姉妹、といったところか」
ジェイクは父の話は切り上げ、今度はアスティコスに話題を振った。
まさか姉の話が出てくるとは思わず、アスティコスは目を丸くして驚いた。
「姉さんをご存じで?」
「ああ。王宮で何度か見かけたし、実に美しい女性であった。秀でた薬師であったと記憶している」
「そうなんですよ! 姉さんは薬師としてはまさに天才で、魔法薬を良く作っていました。この国に来てからもそうだったんですね~」
久しく聞いていなかった姉の話が聞け、アスティコスはいたく上機嫌になった。
将射んとすればまず馬より射よ。周囲の雰囲気を良くし、その上でアスプリクとの和やかな雰囲気にしようというジェイクの策であった。
「あ~、そう言えば、母の旅日記に、そんなことが書いてあったような。まあ、僕は薬師じゃないから、薬云々はちんぷんかんぷんだったけど」
「ふふ、今度教えてあげようか? 姉さん程じゃないけど、私の腕前も中々だと自負しているわ」
「そう? なら、今度教えてもらうことにするよ」
二人は笑みを交わし、場の雰囲気はすっかり良くなった。
策が成った事を確信し、ジェイクもまた上機嫌になった。
「そういえば……、姉さんが王宮に出入りした理由や発端はご存じでしょうか?」
「ああ、それも覚えているよ。まあ、あの件は完全に父上のやらかしではあるがな」
話すのが少し躊躇われるのか、ジェイクは苦笑いをしながら頭を掻きむしった。
「父上は真面目と言うか堅物でな。母上以外には女っ気のない生活をしてきた。だが、母上が無くなられた際に寂しさを紛らわすためか、今まで鳴りを潜めていた情欲が目覚めたのか、途端に女漁りをするようになってな」
「男って……」
「弁解の余地なしだな。で、その際に精力剤ということで、怪しげなキノコや正体の分からぬ卵やら色々な物を召し上がられてな。それのどれかがあたったのか、倒れられて生死の境をさまよったのだ」
「自業自得ですね」
「いやはや、まさにその通り」
言い訳のできない情けない状況であり、アスティコスのつっこみをジェイクは甘受せざるを得なかった。
「ヨハネスがいれば治せたかもしれんが、折り悪く前線に傷病兵の治癒に出掛けて不在で、他の術士や薬師では治せなかったのだ。だが、そんなときに王宮に顔を出したのが、アスペトラ殿だ。父の容体を見るなり直ちにそれに合わせた魔法薬を生成し、立ちどころに治してしまった」
「う~ん、さすが姉さん」
「で、目が覚めた父が最初に見たのが、看病をしていたアスペトラ殿で、『天女が来た』とか言って首ったけになった、というのが二人の馴れ初めだ」
「で、子供を仕込むまでの仲になったと」
「かなり強引に王宮に留めてしまった点は否めないがな。まあ、なんやかんやで恋仲とも友情とも言い難い、微妙な関係が続いたが、気付いたら孕んでいたってところだな。私としては、父上の女遊びがなくなったので、まあよかったかなと思ったくらいだ」
誰も話してくれなかった母の話に、アスプリクも真剣に聞き入った。
エルフが人間の王城に留まるなど余程の理由かと思っていたら、まさか女遊びのツケ払いが原因だったとは思ってもみなかったので、怒っていいのか泣いた方がいいのか、とにかく微妙な感覚に襲われた。
「そんな関係だったからこそ、出産時に僕の炎が母を、焼き殺してしまったことを恐怖したのか」
「ああ。焼け焦げたアスペトラ殿の遺体を見た時には、相当衝撃的だったらしく、数日寝込まれたからな。あれ以来、体調が微妙な日がちょくちょく出るようになった。まあ、凄腕の薬師と愛妾を同時に失ったわけだしな」
「結局、そこも僕のせいじゃないか……」
「お前を責めることはできんよ。自我を持たない赤ん坊を、母殺しで糾弾するわけにもいかんしな。むしろ、その場にいて即座に炎を鎮めれなかった、立会人の神官らにこそ責任はある」
貴人の出産には母子ともに安全であるよう、万が一に備えて術が使える神官が立会人になる場合がある。このときもそうであった。
だが、生まれたばかりのアスプリクの魔力が桁外れであったため、抑え込むのに時間がかかり、結果としてアスペトラを損なう結果となった。
これは立会人として、大きな失態と言えた。
「アスプリク、お前が気に病むことではない。お前に起きたことは、お前自身の責任よりも、お前を利用しようとしたり、あるいはちゃんと面倒を見てこなかった大人達が悪い。そして、私自身もそちら側に含まれる。為政者としてではなく、一人の兄として、お前を向き合ってやれなかった」
そして、ジェイクは妹に向かって頭を下げた。
非公式の場とは言え、宰相たる者が頭を垂れて謝罪する意味を分からないアスプリクではない。
「アスプリク、本当にすまなかった。教団内部でお前の受けた仕打ちは、決して許される事ではない。教団と事を構えてでも、私は連れ戻すべきだった。だが、妹の気持ちや境遇よりも、“城内平和”を優先し、黙認を決め込んでしまった。お前が怒るのも無理はない。黙認を決め込んだ私もまた、あの下衆共と同罪だ。今更何をと思うであろうが、あの件は己の臆病を恥じ入る次第だ。お前が受けた屈辱は何倍にもして償っていく。だから、どうか私を許してくれ。そして、これから本当の意味で、兄と妹の関係を築いていきたい」
邪念が一切ない真っ直ぐな瞳をジェイクはアスプリクに向け、手を差し出してきた。
この手を掴めば、全てが変わる。かつての自分であれば、容赦なく叩き落として喚き散らしていたであろうことは間違いない。
(でも、今は違う。今の僕には、勇気を与えてくれる叔母上と、想い人がいる。僕を変えてくれた人達のためにも、僕もまた変わらないといけない)
アスプリクはふと横を振り向くと、アスティコスが笑顔を向けてきた。この笑顔こそ勇気を与えてくれ、背中を押してくれるのだと実感できた。
もう恐れるべき何ものもない。
意を決して、少女は差し出された兄の手を掴んだ。
何年も続いた険悪な関係も、これにて清算と相成った。
これで変わる。変われる。兄妹として、互いにちゃんと向き合えるその瞬間がやって来た。
両者ともにしっかりと手を握り、何度も何度もそれを振って、確実に変わったと言う事を実感し合うのであった。
それを見守る叔母と義姉もまた、笑顔で二人の関係修復を喜んだ。
かくして、長らく続いた兄弟喧嘩もこれにて終わりを告げることとなり、新たな関係に構築に動き始めるのであった。
~ 第三十五話に続く ~
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