第三十一話 濃厚接触! そして少女は恋に目覚め、色に狂う!
王都にあるシガラ公爵家の上屋敷、その一室にて、思いも寄らぬ状況がアスプリクに襲い掛かっていた。
ヒーサの依頼で王都や聖山での情報収集にあたっていたのだが、それがどういうわけかヒーサが現れ、あろうことか二人きりになれる状況を作り、口付けまでしてきたのだ。
突然のことにアスプリクも驚いたが、こうなりたいと心に秘めていたため、拒むことなくヒーサの口付けと抱擁を受け入れた。
我慢に我慢を重ねていただけに、アスプリクの思慕も奔流となって飛び出し、しがみ付くようにヒーサに抱き付き、貪るように舌を絡めた。
息の続く限りそれは続き、口が離れた後もアスプリクは空気よりも、目の前の男との情事をこそ求めるように喘ぐ有様であった。
それからヒーサはギュッとアスプリクを抱き寄せ、アスプリクもまたその胸板に顔を埋めた。
(ヒーサの体、温かい……)
久しく、と言うより、人間の体温をこれほどまでに感じたことなど、今の今までなかった。
男に抱かれたことはあるが、それは無理やりであり、求めたものではない。“修行”だなんだと言われては、いかがわしい行為に及ぶなど、かつては良くある話であった。
それがあるからこそ、他人には常に壁を作り、寄せ付けない、あるいは近寄らないようにしてきた。
ただ一人、目の前の心優しい“大悪党”を除いては。
「もう……、ヒーサ、急にこんなことを」
「なに、勇気の出るおまじないだ。少しはやる気が出てきたか?」
「ティースに怒られても知らないよ」
嬉しくもあるが、心配でもあった。
ヒーサは既婚者であるし、それに横恋慕をしている自覚がアスプリクにはあった。
同時に、ティースには嫉妬もしていた。こんな“素敵な旦那様”に恵まれたのであるから、どうにもこうにも羨ましかった。
対抗意識はあるが、如何せん肉体的な魅力が無さすぎる上に、性格もひねくれすぎている。
どう足掻いても女としてティースに勝てる要素がなく、ティースに会う度に自己嫌悪に陥り、多少の悪戯で憂さ晴らしをするのがせいぜいであった。
そんな自覚があるからこそ、一歩引いて付き合ってきたのだ。
恋仲になりたいと思いつつ、友情止まり。それが精いっぱいの状態だ。
しかし今、とうとう口付けをしてしまった。“親愛”の印としての頬への口付けなどではなく、唇同士を重ね合う“情愛”としてのそれだ。
抑えていた感情が爆発し、しがみ付いてこれを逃がすまいとしていた。
そんなアスプリクを、ヒーサは優しく頭を撫でた。
「なに、ティースの事は半ば諦めている。少々きつめに当たっただけで、心が砕けてしまったからな。今を堪えたとしても、いずれは耐えきれまいて」
「まあ、加担した僕が言うのもなんだけど、生まれたばかりの赤ん坊を奪われたら、そりゃね~」
「ふむ……。そうなのかもしれんが、やはり何事にも動じない強靭な精神力でなくてはならん。私の花嫁たらんとするのであればな。そういう意味ではアスプリク、お前の方が相応しい」
「え……?」
心臓が再び高鳴りを覚え、周囲の音が聞こえなくなるほどに打ち鳴らされた。
自分の方がいい、ティースよりも、そうはっきりと聞こえたのである。
埋めた顔を起こし、ヒーサの顔を見つめると、嘘や冗談を口にしている雰囲気ではなかった。
ティースには悪いが、本当に嬉しいと感じてしまった。
「これから先、更なる困難が待ち受けているだろう。だからこそ、今現在の状況で足踏みしている者は不要だ。兵卒であれば鞭で引っぱたけばよいかもしれんが、私の隣に立つのであれば、何よりも強靭な精神力。これが必要だ」
「……僕には、それがあると?」
「あるとも、アスプリク。お前にはティースにはない力がある。ああ、今回の仕事を任せて確信したよ。私に必要なのは、私の隣に立つべきは、ティースではなく、アスプリクだとな」
「エヘヘェ~♪」
ついついアスプリクも頬を緩め、笑ってしまった。
想い人に必要とされている。これに勝る労いの言葉はなく、ただただ純粋に嬉しく思うのであった。
ティースには悪いと思いつつも、一度溢れ出てしまった感情の波は抑えが効かなくなってきた。
アスプリクはヒーサ程でないにせよ、ティースの事を好いていた。同情と言う意味合いも強いであろうが、義憤に駆られて公衆の面前で枢機卿をボコボコにするなど、常人には到底不可能な行いをしたからだ。
その件は、驚きであり、同時に嬉しくもあった。
ヒーサも非常識と言うか、行動がぶっ飛んでいるのだが、その奥さんもまた常軌を逸した行動力を持っていると知り、ヒーサへの恋慕はより複雑になった。
ヒーサは好きだし、ティースも好感の持てる相手である。その板挟みに、アスプリクは積極的に踏み込めないでいた。
(お似合いだ。この二人に、僕が割って入れる余地などない)
そう考えたからこそ、あれ以降、ヒーサへの露骨なアピールは控えていた。
ただ、それでも諦めきれない自分がいるのも知っており、ヒーサの役に立ちたい、それで気を引きたいと考え、数々の改革や技術革新にも奮起し、今回も仕事を引き受けたのだ。
「でも、ヒーサ、こういうの、浮気って言うんだよ? ティースに怒られちゃうよ?」
「まあ、そうかもしれんが、今の私にとっては、アスプリク、お前が優先だよ」
そう言って、ヒーサはまたアスプリクと唇を重ねた。
積極的にヒーサに求められる。気の迷いか、あるいは本気か、どう判断するかは微妙であったが、アスプリクにとっては喜び以外の何ものでもなかった。
こうなって来ると、もうアスプリクも後ろめたさが無くなって来た。ティースには悪いと思いつつも、やはり自分の気持ちに正直になってしまった。
自分を救上げてくれた人、自分が初めて好きになった人、自分を必要としてくれる人、様々な感情が入り混じり、欲望を抑えきれなくなった。
再び絡み合う互い舌。口腔の中をまさぐるように這い、求めて止まない人の温かみがそこにはあった。
ダメだと理性が唱えても、本能の叫びがそれを打ち消し、情欲のままに行動となって表に出てしまう。
今、間違いなく自分自身は幸せだと、アスプリクは感じていた。
(ああ、ずっとこれを僕は求めていたんだ。誰かに優しくされ、温かく包まれたかったんだ)
アスプリクは生まれてこの方、誰からも愛されることなく育って来た。
父親からは妾の子として実子と認めてもらえず、他の兄弟との付き合いも希薄であった。王宮の人々も腫物を触るかのように扱われ、放り込まれた神殿でもろくなことはなかった。
力を利用されては絶望し、弄ばれては心を閉ざしてきた。
生まれて十四年の内、実に十三年はそんな有様だ。
だが、目の前の男の登場と共に、全てがひっくり返った。神殿から抜け出し、誰からも文句を言われず、自由にのびのびと暮らせるようになったのも、全てがヒーサのおかげであった。
無論、ヒーサも慈善事業として、そんな優しいことをしたわけではない。当人がきっぱりと言ったように、アスプリクの才能を欲しての事だ。
ただ、無理を強いる教団などとは違い、ヒーサはアスプリクを丁重に扱った上で、“依頼”という形でお願いしてきたのだ。
強制ではなく、依頼である。当然、アスプリクにも拒否権はあるが、ヒーサからの依頼を断ったことはない。嫌な仕事は嫌とも言うが、やはり恩人の頼みとなると断り辛いということもある。
だが、報酬はきっちり支払われるし、叔母上という本当の家族まで用意してくれた。
あれほどねじ曲がっていた自分が、人並みの心を取り戻せてきたのも、ヒーサの後押しがあればこそである。
だからこそ、頼られ、抱き締められてくれることに、無上の喜びを感じるアスプリクであった。
「で、元気は出たか? やる気は湧いてきたか?」
「うん、もちろん」
アスプリクはもう一度しがみ付き、ヒーサの体に抱き付いた。
誰かに抱き締めてもらうことがこんなにも温かな事とは知らなかった少女にとって、誰かに愛され、必要とされ、抱き締めてもらえることが何よりも嬉しかった。
そんなことを察してか、ヒーサもまた少女の頭を優しく撫でた。
「まあ、今日も色々とあって大変だったみたいだし、そろそろ休むとするか。こっちも色々とやるべきことが多くてな」
「何軒、挨拶回りする気だよ、ヒーサ」
「さてな、見当もつかん。お前は一軒で、しかも兄だけだからな。変わって欲しいくらいだよ」
「できれば、行きたくない一軒だけどね~」
冗談めかして拒否反応を示すが、すでに行く気にはなっていた。こんなにも頼られているのであるから、それを拒むなどと言う事はアスプリクにはできなかった。
「まあ、明日も早いし、今夜は横になるとしよう」
「うん……。でもさ、ヒーサ、その……、今夜くらいは一緒にいちゃダメ、かな?」
自分でも何を言っているのだと思いつつも、もうアスプリクは自身の感情を抑えきれないでいた。
かつて出会った頃に床入りするぞ、結婚するぞと冗談めかして言ったものだが、今は違う。
本気の本気で少女は男を求めた。
秘めたる想いの少女の恋は、焦がれるほどに燃え上がり、どうしようもない程の情欲と化し、目の前の想い人を欲するようになっていた。
伴侶がいる身の上だとは知っているし、かつての心的外傷も抱えている。
だが、それよりなにより、もう抑え込んでいた感情が表に出た以上、この火照りを抑え込むには、どうしようもない肉欲を満たすよりなかった。
もうティースへの配慮も何もかもが消え失せ、自分の感情や欲望のみに突き動かされた。
無論、結婚して添い遂げるなどはできはしないが、こうして人目を盗んで抱き締めてもらえるだけで今は十分であった。
とにかく火照りと感情をどうにかしたい。
ヒーサを見つめるアスプリクの瞳は赤く、情熱をそのまま宿したかのようであった。
そして、ヒーサは無言のうちに小柄な少女を抱え上げ、隣の寝室へと運んでいった。
優しく寝台の上に寝かせた後、少女の小さな体を抑えつけるかのように組み伏せ、再び口付けを交わした。
外はまだ不夜城の賑わいを見せる祭りの最中であり、二人はその賑わいが聞こえなくなるほどに互いを求め合い、完全に一線を超えた恋人としてまぐわうのであった。
~ 第三十二話に続く ~
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