第三十話 奇襲!? 突然の登場を誰が予想したというのか!?
ヨハネスとの会談を終え、満足する言質を取れたアスプリクは上機嫌の内に王都へと戻った。
外はすでに日が沈み、ひんやりとした心地よい風を受けながら、〈飛行〉の術式で空を飛び、一直線に王都ウージェを目指した。
眼下の街道は証明が照らされており、さながら不夜城の活況を呈していた。
“星聖祭”の期間中は、聖山の夜間拝観も認められているため、昼間とは違った雰囲気を味わえるのも醍醐味であり、夜を選んで参拝する者も多い。
それを見越して、王都と聖山を繋ぐ街道は夜には照明の松明や灯篭が照らされ、また城下町、街道などでも夜通し開けている店も多く、飲食にも困る事はない。
山の上から見る風景もまた絶景で、眠らない七日間の内は王都と聖山が、輝く街道を通じて繋がっているようにも見えるため、それもまた夜の拝観の人気を呼んでいた。
「上機嫌ね、アスプリク」
すぐ横を同じく飛んでいる叔母のアスティコスが話しかけてきた。
「そりゃもう。ヒーサに頼まれていた仕事の半分が、上首尾に終わったんだしね。余裕が出る手もんよ」
かつては大神官として忙しく職務に勤しんでいたこともあり、のんびりと夜景を楽しむ事すらできなかったが、今は自由に飛び回れており、それを何より楽しんでいるのがアスプリク自身であった。
新法王ヨハネスと好感触な会談を終えたこともあって、鼻歌でも口ずさみたくなるほどに上機嫌だ。
「それは良かったわね。次はお兄さんとの仲直り、か」
「……別に、仲直りするとは決めてないよ」
やはりどこか兄ジェイクへの態度を決めかねているアスプリクであった。
理性的な判断をするのであれば、ヒーサとジェイクの関係をより良いものにしておいた方がいいのは分かり切っていた。
戦時下に置いては、国内有数の実力者同士が結束し、外敵に当たるのは当然と言えば当然なのだ。
だが、その間を塞いでいる壁となっているのが、他でもない自分自身だと、アスプリクは自覚していた。
(ヒーサはジェイク兄から、僕との関係修復の仲立ちを依頼され、しかもその件を理由に謀反すらちらつかせた。まずは、妹に対してかつての出来事の謝罪が先だ、と。手順としては正しいし、それを理解すればこそ、ジェイク兄も譲歩の姿勢を見せている。結局は、僕のわがままで話が進んでないだけか)
先程、聖山の様子を見て来て、あの腐臭漂う悪の巣窟も、換気が良くなって変わりつつあるのを実感できた。
だが、根本で変わってないのは、よもや自分自身だけだと言うのも、改めて思い知らされた。
(確かに、僕は変わった。重苦しい法衣を脱ぎ捨て、今は一人の農夫、あるいは技術者として、のびのびと暮らせている。でも、性根の部分は変わっていない)
結局、生活様式は変わっても、他者に対してどこか壁を作ってしまっている自分がいるのを、ここ最近特に思い知らされていた。
かつての嫌な思いでしかない王都と聖山、久しぶりに訪問してみると、かつてに比べて住みやすくなりつつあるのを感じた。
変わる必要がある、そう感じた者達が奮起し、頭の固い守旧派を排除することでそれを達成しつつあるのだ。
(でも、僕は変わらない。他者とはいつも一歩引いて付き合っている。形式的には握手を交わしても、心からの付き合いと言うものはできないでいる。ほんの少し、一歩でも前に勧めれば、簡単に片付く問題だと言うのに……)
そうした自覚がありつつも、他者との付き合い方に思い悩む面があった。
シガラ公爵領に移り住んでからも、それには変わりがなかった。
公爵領においては術の才能を利用して、様々な事業に取り組んできた。
行く先々で称賛され、それでいて危険の少ないものであり、かつての戦場での苦労が嘘のような楽な仕事だ。
実に快適で、居心地のいい場所となった。
利用されている、と言う点では変わりないが、頭ごなしの命令なっではなく、自分から進んで仕事に向き合えると言う点が最大の相違点だ。
だからもっと自分を出して、近付いていけばよりよい環境になるはずなのであるが、決定的に他者と交わることに臆病であり、それが今なお続いていた。
ヒーサの一押しが無ければ、こうして外交官の真似事すらできないでいたであろう。
そうこう思案している内にシガラ公爵家の上屋敷に到着した。
玄関前で着地して、門番に挨拶をし、二人は中へと入っていった。
***
二人が屋敷の中に入ると、屋敷を統括しているゼクトがすぐに寄って来た。
「お帰りなさいませ、アスプリク様。お顔を見ますに、首尾は上々なご様子でなによりでございます」
「ええ。まずは仕事の半分が片付いた、ってとこかな」
実際、アスプリクは上機嫌ではあったが、普段とは違う慣れぬ仕事をこなしてきただけに、疲労感が思ったより出ていた。
しかし、ゼクトはそんな少女の疲れを知りつつも、お構いなしに耳打ちしてきた。
「すぐにこちらへお越しください」
妙に焦っている雰囲気に、アスプリクもただならぬ気配を察知した。
(まあ、そこらを飛び回ってたんだし、僕目当ての……、急な来客でもあったかな? そうなると、ジェイク兄が直接乗り込んできた……!?)
その可能性に思い至った時、アスプリクの心臓がトンッと跳ね上がった。まだ兄と直接会談する心の準備ができていなかったからだ。
今夜はゆっくり眠って、明日の祭りを見学しつつ、どうしようかと考えようと思っていたのに、まさかの不意討ちである。
(そこまで前のめりにならなくてもいいじゃん! もう少し落ち着きなよ!)
そうは言っても、来訪して、しかも待っているのであれば会わざるを得ない。いくらなんでも宰相を追い返すわけにもいかないし、追い返したら場を設けたシガラ公爵家の面々に迷惑がかかる。
足を踏み出すごとに打ち鳴らされる早鐘のごとく、心臓はバクバク唸っていた。
そして、とある一室の前まで来ると、ゼクトは周囲を気にしながらサッと扉を開けた。
誰かが待っているのであれば、扉打もなしに無作法だなとアスプリクは感じたが、内密の来訪ならば周囲に気取られたくないと考え、その点は無視することにした。
アスプリクはドキドキしながら中に入ると、完全なる不意討ちが決まった。
「よう! アスプリク!」
「はぁぁぁ!? ひ、ヒーサ!?」
あろうことか、その部屋の中で待っていたのは、ヒーサであった。
最近はちょっと見なくなった爽やかな笑みを浮かべており、座っていたソファーから立ち上がると、手を広げて、アスプリクへの歓迎の意を示した。
あまりにも予想外な待ち人に、アスプリクも、アスティコスも目を丸くして驚いた。
「え、ちょ、え? なんでここにいるの!? ライタンと一緒に来るんじゃなかったの!?」
アスプリクも反応に困った。
ゼクトもそれには同様らしく、同情しますと言う無言の視線を向けていた。
「それについてはそうなのだが、大臣連中と事前に話し合いの場を設けておきたくてな。今後の事もあるし、一足先に潜入しておいた」
「あ~、そっか、マリュー、スーラには、色々と今後も動いてもらうことになるしね」
「あまり、公にできないことも含めてな」
「いやまあ、それも分かるけどさ。公爵自身が隠密行動ってどうなの、それ!?」
良い意味でも悪い意味でも予想を裏切るヒーサの行動力には、さすがのアスプリクも脱帽であった。
ヒサコもそうだが、“中の人”の行動の素早さは冠絶していると言ってもいい。グイグイ来たかと思えば、いつの間にか消えていることもあるし、さすがだと感心した。
「……その様子だと、首尾は上々のようだな」
「そりゃもうバッチリよ♪」
喜ばしい戦果報告ができるので、アスプリクも疲れと驚きの表情を放り投げ、満面の笑みをヒーサに向けた。
それには満足そうにヒーサも頷いて応じたが、途端に難色を示すような顔をゼクトに投げつけた。
察しの良いゼクトはその意をすぐに汲み取り、アスティコスの腕を掴んだ。
「アスティコス様、今宵は夜通しの祭りでございますので、月が大変奇麗な夜景を拝める場所がございまして、ご案内させていただければ幸いかと」
「うぇ!? あ、ちょっと、待って!」
アスティコスも状況を察したが、即行動に移すほど考えがまとまっていなかったため、強引に引っ張るゼクトの手早さには困惑した。
そう、“ヒーサとアスプリクを二人きり”にさせる、ということをである。
姪には甘々で、やりたいようにさせているし、ヒーサへ抱く感情も知ってはいたが、これから起こるであろう“行為”に全面的な同意をしているわけではなかった。
だが、ゼクトはそんなことなどお構いなしに、アスティコスを連れ出してしまった。
主人がそう望むのであればそうあるべし、ただその考えのみでの行動の結果であった。
バタンと扉が閉まり、そこでようやくアスプリクが気付いた。誰にも邪魔されない密室の内側に、ヒーサと二人きりになれた、と言うことにである。
大好きな人と他に誰もいない空間で二人きり。
それを認識した途端、アスプリクは気恥ずかしさと、それを上回る高揚感によって顔を赤らめ、どう行動するべきかを考え始めた。
だが、考えがまとまる前に、ヒーサが先に動いた。
先程まで座っていた横長のソファーに腰かけ、その横をポンポンと叩いた。
(ひ、ヒーサが誘ってる)
仕事の話であるならば、面と向かって話すはずなのだが、すぐ横に座れと言う。であるならば、そう言う事なのだろうと考え、恥じらいながらもちょこんとヒーサの横に腰かけた。
間近に見るヒーサの顔はいつもより優しく感じられ、直視できぬほどの心臓が高鳴り、アスプリクはかける言葉が頭の中から吹っ飛んだ。
そんなアスプリクに対して、ヒーサは優しく頭を撫でた。
「それで、まずは事の次第を聞いておこうか?」
「え、あ、うん。き、教団はヒーサの言う通り、風通しはだいぶ良くなっていたよ。ヨハネスも話が通じるし、今後とも付き合っていけると思う。ただ、前のめりには改革を進めるつもりはなくて、徐々に進めていく感じかな。端的に言えば、友好的中立、これに尽きる」
「ふむ……。まあ、現状としては上出来だな。よくやった、アスプリク」
そう言って、ヒーサはまた撫でてきた。指を絡めて髪を梳き、尖った耳を優しく摘まんではくすぐったく感じる程度に弄んだ。
褒められることに喜びを感じつつ、複雑な感情を抱く殿方を過ごせることを嬉しく思うも、仕事の話が先だと、心を鎮めるのに必死になった。
「それともう一つの、ジェイク兄の方なんだけど……」
「ああ、そっちはどうだ?」
「こっちはまだなんだ。明日にでも行こう、とは思っている。あっちも仕事が忙しいだろうからね」
祭りの最中とは言え、宰相としての仕事は当然ある。また、この時期は地方の領主貴族が大量にやって来るため、その挨拶やら行事やらが目白押しなのだ。
いくら兄妹とは言え、すんなり会えると言うわけではない。
むしろ、先程のヨハネスとの会談ができただけでも、御の字なのだ。この忙しい時期に約を取り付けずに訪問して、門前払いにならないだけでも幸運であった。
「まあ、明日にでも使い番を出して、予定を空けてもらうようにするといい。お前との面会ならば、先方も無理をしてでも空けてくれよう。兄と妹、なのだからな」
「そう……、だね。そうだといいね」
こうして背中を押してもらえるわけだが、やはり踏ん切りのつかないアスプリクであった。
かつての心的外傷が頭をよぎり、それを黙認したジェイクを拒んでいた。
そうなる原因は教団側の責任であるし、一概にジェイクのせいでもないのだが、それでも政治的理由に妹を切り捨てたことには違いなく、今更関係修復なんて、と思うのがアスプリクの魂にこびり付いた心の闇であった。
いくらヒーサの後押しがあるとはいえ、やはり踏み込めない、壁を作る自分がいるのだ。
数多の怪物を屠って来た百戦錬磨の大神官と言えど、このときばかりは年相応の、心揺れ動くか弱い少女に過ぎない。
「やはり、兄との関係は難しいかね?」
「うん……。今更、というのが正直なところ。ヒーサの所が羨ましい、って、中身は一緒か」
「ハハッ、そうだな。ケンカはしようがないわな。まあ、演技でケンカしているっぽく見せる場合はあったが」
「こっちは、演技でもなく、本当のケンカだよ。まあ、ジェイク兄が全面的に非を認めて、謝ろうとしているんだから、僕がその差し出された手を握れば即解決なんだけどさ」
その一歩が難しい、そう思うアスプリクであった。
理性ではそうするべきだと分かっているのに、感情がそれを拒むのだ。
「なら、一歩を踏み出す勇気を与えるおまじないをしよう」
ヒーサは俯き加減であったアスプリクの顎を掴み、クイッとそれを上げさせて、自分と少女の唇を重ねた。頬への口付けではなく、唇同士が重なり合う、かなり“濃い目”の接吻を、である。
あまりの突然のことにアスプリクは目を丸くしたが、それもすぐに解れた。絡み合う舌が少女の心を溶かしてしまい、抑え込んでいたヒーサへの想いを、奔流に化けさせた。
アスプリクは目を閉じ、想い人の温もりを貪るように舌を絡め、手を相手の首に回し、さらなる熱い抱擁を求めた。
ヒーサもそれに応じて、アスプリクの背と頭に手を回し、しっかりと抱き締めながら、長い長い口付けを続けた。
~ 第三十一話に続く ~
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ヾ(*´∀`*)ノ




