第二十二話 自立! 白無垢の聖女は動き出す!
ジェイクとの和解を求めるヒーサに対し、アスプリクはどこまでも及び腰であった。
かつて受けた仕打ちの数々が頭をよぎり、自分を見捨てた兄ジェイクや教団関係者と、雪解けの握手を交わすことを拒否していた。
(まあ、当然と言えば当然なのだが、これはしっかりと了承してもらわねばならん)
あくまで手前勝手な理由ではあるが、目の前の少女には今後のために“より便利な”手駒になってもらう必要があった。
ヒーサの説得にも熱が入ると言うものだ。
「私とて、お前のされた事には憤りを覚える。しかし……、しかしだ、であるからこそ教団の中身をメチャクチャにして、少しばかり風通しをよくしたのだ。アスプリクと宰相閣下のわだかまりの現況が、すっきり消えたとも言える」
「そりゃそうかもしれないけどさ……」
「そもそも私がこうして骨を折っているのも、宰相閣下の依頼があればこそだ。宰相閣下は以前のことについて、本当に申し訳なく思っているし、ちゃんと話しておきたいとも言っておられた。とはいえ、本人といきなり直接この話をするのが難しいと考え、私という仲立ちを用意したのだぞ」
グズるアスプリクの態度は、駄々をこねる幼児と何ら変わらないが、ジェイクも距離感を計りかねて足踏み状態のだ。
双方煮え切らぬな、とヒーサは心の中で笑った。
結局のところ、この兄妹はどちらも不器用なのだと、ヒーサは考えた。
兄も妹も頭の回転が速く、聡明である事は認めるが、どうにも家族としての付き合い方が良く分かっていないのではないかと、ヒーサは分析した。
仕事第一人間の兄と、徹底して壁を作る妹の、互いに距離感と言うものを掴めていないようだ。
(まあ、それを理解すればこそ、こちらを仲裁役に選んだのだろうがな)
なお、それを利用して不埒な事を考えており、妹の件をヒーサに任せたのは、ジェイクにとって痛恨の失策であったが、そのことには当人も気付いていない。
せいぜい、ちゃんとやってくれてはいるようだが、色々と面倒事が付いて来ている少々厄介な仲介人、くらいの反応だ。
「……ヒーサは、僕が仲直りした方がいいと思っているの?」
「無理にとは言わんが、できればそうして欲しいとは思っている。宰相閣下から依頼の仕事が一つ片付くし、不和の種が一つ解消するからな」
王国は現在、ジェイクの辣腕によって支えられている点が多いが、それでも騒動の種は尽きないものであった。
なにしろ、ヒーサ自身がせっせと騒動の種をばら撒いては、美味しい所を掻っ攫っては、後始末は他人任せという外道な振る舞いを続けてきた。
しかし、今は戦時下であるため、余計な火種は避けねばならず、相手に付け入る隙を与える余地は、一つでも消しておきたかった。
(そう、もし私が帝国側の参謀ならば、そうした人心の隙間を狙った離間の策を用いる。そう言う意味においては、アスプリクは非常に良い素材なのだ)
実のところ、アスプリクは誰の許可も取らず、火の大神官を辞したのである。これには他の幹部から非常に厳しい目で見られており、すぐにでも召致して詰問するべきだと言う者が後を絶たない。
ただでさえシガラ教区への下級の神官達が無断流出をして問題化しているのに、最高幹部たる火の大神官までそれに倣うと、教団の秩序も何もあったものではないというのだ。
ヨハネスが新法王に就き、その声はどうにか抑え込んでいるが、これに危機感を持つ者は多く、予断を許さぬ状況であった。
選挙結果も得票数はギリギリであり、新法王の立場も盤石とは言い難いのだ。
(それを解消する意味においても、また新法王の立場を強化し、こちらの役に立ってもらう意味においても、手柄を立てさせておかねばならん)
アスプリクの一件が片付き、同時に『教団大分裂』を解消したとなれば、ヨハネスの立場はグッと強くなる。
アスプリクを派遣するのは、そのわだかまりを解消するのが目的であり、王都と聖山にアスプリクを送り出せば、それを促進させることができる、という判断の上での行動であった。
(まずは国内勢力を糾合し、じきに始まる帝国からの侵攻に備える体勢を整えるのが先決だ。アスプリクには、まずもってその歪を消してもらわねばならん)
目の前の少女は切り札的戦力としてだけでなく、国内不和の解消の鍵も握っているのだ。
ヒーサもその扱いは慎重であり、機嫌を損ねぬように丁重に扱いながら、その気に持って行かねばならない微妙な状態であった。
「まあ、いいじゃない? アスプリク、人間の一生って短いからさ、仲直りできるうちに仲直りしておかないと、後悔することになるわよ。私も結局、姉さんとは和解もできずに死に別れてしまったからね」
いまいち決断しかねるアスプリクに対し、アスティコスの横槍が入った。
アスプリクの母であるアスペトラは人間の世界を旅すると言い出し、里を追放された過去があった。そのため、里の者達とは絶縁状態であり、アスティコスも再会を果たせぬままに、姉の死を知った。
和解が果たせなかった過去があるからこそ、アスティコスは姪であるアスプリクと過ごすようになってからは片時も離れず、ずっと一緒に過ごしてきた。
そんな過去があるからこそ、わだかまりのある兄妹の仲は、直せるときに直しておきなさいと、背中を押してやった。
「まあ、仲直りするかどうかは、実際に会ってから決めた方がいいだろう。言いたい事、聞きたい事は色々ありそうだし、二人で話し合ってから決めるのがいいと思う。話し合った結果、物別れに終わるかもしれんし、あるいは理解し合えるかもしれん。どうなるかはその時の二人次第だ」
あまり気負うな、とヒーサがもう一度アスプリクの頭を撫でると、その手をガシッと掴まれた。
そして、恐る恐る見上げる少女の赤い瞳は、ヒーサのそれと交わり、オドオドしながらも力強く頷いてみせた。
「うん、そうだね。ヒーサの言う通り、面と向かって話さないと、分からないこともあるよね。いつまでも子供じみたこともしていられないし、会うだけ会ってみるよ」
アスプリクは掴んでいたヒーサの手に頬を寄せた。その温かさを確かめるように頬ずりをして、なんとなしに勇気を貰った気分になった。
アスプリクはヒーサが好きだ。異性として意識する以上に、一人の人間として好ましく思っていた。
憧れ、とも呼べる感情を抱いていた。
自分の今までの人生は、何かに縛られ続ける人生で、疎まれ、あるいは利用され、自由など何もない灰色の十四年間を過ごしてきた。
しかし、ヒーサと出会って、それが一変した。
公爵と言う立場にありながら、その思考は極めて柔軟であり、行動も何ものにも囚われない自由さがあり、それをやり遂げる知性があった。
破天荒な行動や、面白そうな“裏事情”を知りつつも、やはり他人に対してはどこか壁を作ってしまうものの、ヒーサにだけは素直になれている自分に気付き、少しずつ雪解けが始まった。
この温かみのある手を持っていても、実はとんでもない大悪党で、良からぬことを企てる策士である事は知っている。
だが、自分の心の壁を溶かしてくれたのは、間違いなく今こうして手を掴んでいる男であった。
ならば、その恩返しに労を買って出るのも、人として間違ってはいないはずだと、何かが少女の背中を押した。
頑張ろう、そう決断できた。
「そうか。それならば安心だ。よろしく頼むぞ、アスプリク。我が心を通わせる、友よ」
友と呼ばれることに心のどこかで何かしらのモヤモヤがあるが、今はそれは些事として隅に置いておくべきだと、アスプリクは考えた。
今はヒーサの期待に応え、王都と聖山の橋渡し役を行い、協力体制を確かなものとするのが優先だと思い至った。
アスプリクのヒーサに抱く感情は複雑だ。
恋と呼べる気持ちを抱きつつも、既婚者であるからそれを抑え込み、度重なる恩義を受けながらも、それを返す機会もなくただただ甘え、生まれて初めての友達という関係に喜びつつも、それ以上になりたいというわがままもある。
揺れ動く感情を自覚しながらも、今は頼まれた仕事の事だけを考えようと、吹き出しそうな波打つ心を鎮め、手の温もりだけで我慢我慢と言い聞かせた。
そんなアスプリクに対して、ポンとアスティコスが手を肩に置いてきた。叔母の眩しい笑顔がそこにはあった。
「まあ、なるようになるわよ! 私もついて行くし、気に入らない事があったら、私がぶっ飛ばしてやるから、アスプリクは何も心配することはないわよ」
叔母から励ましに、アスプリクは嬉しく感じた。
今まで家族と言うものを疎ましく感じ、赤の他人以上に壁を作って来たが、ヒーサと出会い、そして、アスティコスと暮らすようになって、その考えに修正が加わりつつあった。
家族と過ごすのも悪くはない、と。
ならば、その家族とやらに対して、壁を作るのではなく、風通しを良くしてこそ、かつての清算がなされるのでは、虐げられてきた時間も取り戻せるのではと、アスプリクは考えるに至った。
「ありがとう、叔母上。ありがとう、ヒーサ。僕は蹲って殻に閉じこもるんじゃなくて、自分の足で立って歩くんだ。そして、今までの事を取り戻してみせる」
誰かと過ごすことの悦びを教えてくれた、目の前の二人のためにも、アスプリクはこれからの仕事をやり遂げてみせると、決意を新たにした。
(まあ、感動的な場面ではあるんでしょうけど、頼む仕事が言い換えれば、簒奪の前準備をよろしく、だもんね~。やっぱこいつクズだわ)
無言でじっと部屋の隅で見守って女神は、笑顔を浮かべる共犯者の顔を見て、水を差さないよう気を使いながら、小さくため息を吐くのであった。
~ 第二十三話に続く ~
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