第十九話 再婚!? こうして夫婦は元の鞘に戻った!
逃げ道も、分かれ道も、何もかもが無い。
ティースにはもう、ヒーサの用意した道を進む以外の選択肢がなかった。
後世、外道と誹られるかもしれない。なにしろ、赤ん坊を差し出して、栄達を図ろうとしているのだ。
人としても母としても、間違いなく失格だ。
だが、分かっていても、避けては通れぬ未来がある事も、ティースは理解していた。
「……ヒーサ、一つ聞いてもいい?」
「なんなりと」
「今の提案の良し悪しは別にして、ナルを殺す必要はあったの?」
「あった。だから殺した」
もはや隠すことすらせず、堂々と殺したと言い放った。
ティース以上に側に控えていたマークの方から殺気が飛んできたが、ヒーサはそれをあえて無視し、ティースを見つめ続けた。
「なら、その理由は?」
「ナルは優秀過ぎた。それだけに、敵に回った際の怖さが分かる。そして、先程の提案をナルがいる状態で話しても、お前は受け入れはすまい。必死で抵抗し、私かヒサコを殺しにかかるであろう。それだけは避けたかった」
「あくまで自衛のため?」
「作戦遂行のために邪魔になるのであれば、排除するのは当たり前ではないか。私としては、復讐を忘れてもらった方が良かったのだが、お前はそれをきっぱりと拒絶したからな。ならば“わからせて”やるのが一番と言うわけだ」
「だからと言って……!」
あくまでもナルの殺害を正当化するヒーサが、ティースは許すことができなかった。
このまま相手の喉を噛み千切りたい衝動が膨らんでいったが、それでは自分のために戦ってくれたナルの意志を無駄にしてしまう。
公爵殺し、夫殺し、そして、自分は火刑台へ直行となるだろう。
ナルが目指した伯爵家再興は、そこで潰える事は確実だ。
「ナルの願いを、半分だけでも叶えるためには……」
「そう考えるのであれば、お前の腹の中にいる子供を差し出すことだな。それが最善の道となり、カウラ伯爵家の栄達を約束することになるだろう。何しろ、その子が次の王様になり、私が摂政大公として大権を振るうのだ。何人が阻めると言うのか。伯爵家の一つや二つ、浮き沈みは思いのままだ」
「……約束はしてくれるのよね?」
「無論、誓おう。私、ヒサコ、ティースの間には、決して外部に漏らせぬ秘密を共有することになるのだ。バラせば、お互い身の破滅だ。ゆえに裏切れない。それを以て契約とする。まあ、アスプリクだけは例外とするがな」
「あの娘を?」
ティースもアスプリクの存在は気になるところであった。
ヒーサとは並々ならぬ関係にあり、裏に表に繋がっていることは知っていた。
極端な話、アスプリクを次の伴侶とすることで、そこから王位継承にイチャモンを付けると言うやり方すらあるのだ。
庶子とは言え、アスプリクには現国王の血が流れており、やめたとは言え火の大神官としての実力もあるのだ。
そう言う意味においても、相当に深い信頼があり、また利用価値も高く、あるいは秘密を共有して裏切れない状態にあるのかもしれないとティースは感じ取った。
「偽装工作に必須なのだ。お前の出産は私が医者として立ち会えるが、ヒサコの方の産婆を誰にするかと言う問題がある。なにしろ、ヒサコの腹は空っぽであるから、出産すると言う形だけを取って、分娩室では何もしないからな。そんなもの、他の連中に見せられると思うか?」
「それはそうですが、アスプリクで大丈夫なのですか?」
「ああ。アスプリクがいれば、アスティコスも一緒にいるからな。素性の分からぬ旅のエルフであるし、適当に産婆経験が豊富とでも触れ込んでおけばいい。アスプリクも元々は神官であるから、出産に立ち会っても問題はないしな。アスティコスはアスプリクと一緒にいること以外に一切興味がないから、アスプリクから一言釘を刺しておけば、秘密が漏れ出る事もあるまい」
貴人の出産の場合、万一の事態に備えて、医師や産婆の他に術士を立会人として、分娩室に同席させることが多かった。術による強化や回復で、妊婦を助けるためだ。
しかし、今回は偽装が主たる目的であるため、秘密を共有でき、それでいて裏切る心配のない人選を優先させなくてはならなかった。
絶対に裏切らない。秘密は頑なに守る。それができる人材は、非常に少ないのだ。
「ティースの出産は、私とマークが引き受けよう。逆子で開腹手術を経験しているのだ。どんな難産でも対応できるぞ。で、ヒサコの出産(茶番)には、アスプリクとアスティコスに任せる。あとは偽装工作さえすればいい。こちらの出産は死産であったと言う事にして、そのままトウの《瞬間移動》でアーソに飛んでもらって、ヒサコが産んだと言う事にする。これで偽装は完璧だ」
策は披露した。そして、ヒーサはティースに手を差し出した。
それを掴めば、伯爵家の栄達への道は開かれる。
悪魔から示された策は、あまりにも外法に過ぎ、それ以上に甘美過ぎた。
「よくもそんなことを平然と吐ける!」
激高したのは、マークであった。
マークはとうとう我慢できなくなったのか、怒りを爆発させてヒーサに近付き、そして、その襟首を掴んで捻り上げた。
身長差があるため、ヒーサが座っていなければできない事であったが、従者が公爵相手にするには文句なしの無礼な行動だ。
知己のヒーサでなければ、即斬り捨てられてもおかしくない振る舞いであるが、そこまで頭が回らないほどにマークは怒り狂っていた。
「ほ~う、マークよ、お前はこちらの提案に反対かね?」
「賛成する理由がどこにあるというのですか!? ナル姉様を殺しておいて、よくもまあ、そんな図々しい提案ができるな!」
口調も貴人に対するそれではない。マークは怒りによって、被っていた少年従者の仮面を外し、ただ一人の男になっていた。
義姉の殺されて怒る、ただの一人の人間だ。
その怒りを理解できるからこそ、ヒーサは無礼を流した。
それどころか、マークにまでティースのように囁くのであった。
「図々しいと言うのは間違いだぞ。伯爵家に対しても、相応の報酬を約束しているのだ。王家乗っ取りによる払い戻し、決して悪い取引ではないはずだ。現に、ティースも悩んでいる」
「んな!?」
実際、ヒーサの言う通り、ティースは思案に耽っているのが見て取れた。
ティースにしてみれば、伯爵家の再興を当主としてまず考えねばならないのだ。
ナルを失うと言う大損害を被ったが、その代わりにヒーサが提案してきたのは再興の道を保証する魅力的な提案であった。
感情を抜きにすれば、この追い詰められた状況からの一発逆転を狙える、実に画期的な提案と言える。
しかも、ヒーサ、ヒサコともティースに対して、絶対に裏切れない秘密を互いに握るという、保険も利いている状態であった。
目の前の男は信用できないし、ナルの事を思うと、一発お見舞いしてやりたい気分であったが、激情に駆られて身を滅ぼすなどあってはならないことだ。
それこそナルの死が無駄に終わってしまうというものだ。
「ティース様、まさかお引き受けになるので?」
「……マーク、あなたの気持ちは痛いほど分かる。叶うのならば、今すぐにでも目の前の男をボコボコにしてやりたいわよ。でも、シガラ公爵家にかけられた呪縛を解こうとすれば、ヒーサとヒサコを同時に消さないと、残った方から反撃を受けてしまう状況なの。これをどうこうする手段は、ナルがいなくなった以上、もうないわ」
ティースには信用の置ける臣下は、ナルとマークのたった二人しかいなかった。
その片割れが落ちた以上、もう打てる手段がない。
ちなみに、ヒーサとヒサコは“一心異体”の存在で、どちらかを消せばもう片方も死んでしまうのだが、そこの情報封鎖はしっかりと成されており、ティースの想像の及ぶところではなかった。
結局のところ、ヒサコの正体、裏事情を暴かれた点はヒーサの失策であったが、最終的には入念な準備と情報の量でヒーサがティースを圧倒しており、相手を封じ込める事に成功した。
ティースへの提案も、圧倒的勝者による余裕の表れと言ってもよい。
そして、ヒーサは打ちひしがれるティースに更なる一撃を加えた。
「まあ、そう気落ちするな。ここにナルからの遺言もある。これを見てから判断するのだな」
そう言って差し出された一枚の手紙。もちろん、これは嘘だ。
ナルからの遺言など、何もない。
それはティースに一つの方向性を示すものであり、それを期待してのヒーサの策だ。
受け取ったそれを恐る恐る広げるティースであったが、その手紙の内容は意外であり、信じられない内容であった。
「……ヒーサ、これを信じろと、そう言うのですか? ナルからの遺言である、と」
「信じる信じないかは、それはお前の自由だ。ナルの死を無駄にしたいのであれば、遺言状は破り捨ててしまえ。私は一向にかまわん。ヒサコの件は、私が内々に処理するし、お前は何も見なかった事にすればいい」
ヒーサはどこまでも冷たく、そして、突き放すような態度だ。
ティースにしても、こんな内容の遺言など、あり得ようはずはないと思ってしまうほどに、突飛なものであった。
しかし、“万が一”にもこの遺言が本物であり、ナルが命を賭して伝えてきたものだと考えてしまうと、破り捨ててしまうのは論外であるとも考えてしまった。
少なくとも、頭の片隅にでも、書き留めておかねばならない、と。
そして、意を決してマークの方に視線を向けた。
「マーク、こんなバカな主人を見限って出て行ってもらってもいいわ」
「何をバカな事を仰られますか! ティース様を放り出して出て行ったら、あの世でナル姉様に八つ裂きにされてしまいます!」
「ごめんなさい。あなた達にはいつも苦労をかけさせてしまうわね」
ティースはマークを宥め、改めてヒーサの方を振り向いた。
「分かりました、あなたの提案を受け入れます。この子は……、諦めます」
ティースにとっては苦渋の決断ではあったが、他にとるべき選択肢はなかった。
なにしろ、これを選択しなかった場合は、確実な“死”が待っているだけだ。
ヒーサには情に訴えかけると言う手段が一切通用しない。頭の中が利益と打算のみで埋め尽くされており、有益ならば確保を、害悪ならば身内であっても切り捨てる。そういう冷徹さが徹底していた。
協力を拒めば、子供を産んだ瞬間に奪われて殺されるし、それ以前に逃亡しようにも、身重では動きに制限があるからまず不可能だ。
しかも、助けてくれるのはマーク一人。これでは逃げたり、身を隠すのも不可能だ。
選択肢を奪った上で、選択を迫ってくるやり方に、ティースは憤りを覚えていたが、それでも目の前の男に抱かれなければ、一切の未来すら望めぬ状況だ。
人間として、母親として、外道に落ちる選択だと自覚していても、未来を繋ぐためにはこれ以外にない選択であると、ティースはヒーサを受け入れる事とした。
「うむ、理解してもらった上での協力感謝するぞ、ティース。これで私とティースは一蓮托生。本当の意味において、夫婦となったのかもしれんな」
「勘違いしないで。私は納得して、あなたと協力するのではないからね。他に手段がないから、やむを得ずそうするだけ。それだけは覚えておいて」
「そうなると、他に良い手段を見つけたときは、真っ先に私の首を取りに来ると言うわけか。おお、怖い怖い!」
ヒーサはわざとらしく肩をすくめた後、ティースの頬に手を添えた。
少し嫌そうな顔をしたが、明確な拒絶はしなかった。
その反応を確認した後、ヒーサはティースと口付けを交わした。
何の味もしない、実に冷たい接吻だ。
取りあえず引っ付いて、徐々に仲睦まじくなり、幸せを感じるようになるも、全てが演技だと知って絶望し、敵意剥き出しで殺しにかかるも跳ね返され、また引っ付くという、なんとも言い表し難い二人の歩みではあるが、一応これで収まりは付いた。
愛情など一欠片もない、完全に冷めきった夫婦ではあるが、これからはもう裏切られることはない。
我が子を生贄に捧げる、というとんでもない秘密を共有することにより、二人は再び夫婦となった。
それが幸か不幸かはこれからの状況次第ではあるが、ヒーサは大いに満足しており、口付けを交わしながらついつい笑みがこぼれるのであった。
~ 第二十話に続く ~
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