第十五話 承諾! 最後の願いの“逆”を叶えてあげる!
決着はついた。
毒を盛り、追い詰めたと思ってたら、毒の効果がいまいち薄く、三度の銃撃による反撃を受けた。
だが、そのすべてをかわし、標的に肉薄するも、《瞬間移動》を使う工作員と、突如現れた黒い犬に阻まれ、今は床に転がり落ちていた。
(げ、限界か……)
片足をもがれ、最後の武器である短剣を投げつけても、それでもなお目の前の邪悪な聖女には届かなかった。
ナルとしては、暗殺が上手くいかず、無念な結果となった。
もはや、自分にできることは意識が断ち切られるまで、相手を睨みつけることしかできず、無様を晒すしかなかった。
「いやぁ~、残念だったわね、ナル。あと一手、届かなかったわね」
銃を持つ赤毛の従者と、齧り取った右足を咥えたままの黒犬を侍らせ、ヒサコは地べたを這うナルを、冷淡な瞳で見下ろした。
多少危ない場面もあったが、おおよそ予想していた結果に終わり、まずは一安心であった。
「銃撃で死んでくれたら、《瞬間移動》に頼ることなく倒せたんでしょうけど、まあ、そこはそれ。あなたの実力がこちらの予想を上回ってたって事で」
ヒサコはナルの回避術を素直に称賛したが、それは勝者の余裕の表れでしかない。
現に勝者は立って相手を見下し、敗者は血だまりの中を床に伏している。両者の差は歴然であり、動かし難い現実がそこにはあった。
ちなみに、このヒサコの寝室は事前の仕込みだ。
毒を食らってズタボロになったことを演出するため、あらかじめ寝台のシーツは血糊で汚しておき、いかにも血反吐を吐いたように見せかけた。
吐血も、またそれと同様だ。
また、短筒を三丁、腹と枕の下に仕込んでおき、油断したナルをこれで撃ち抜ければそれで完了であったのだが、ナルは三度の銃撃を見事にかわし切ってしまった。
そこでとっておきの切り札を切った。
(そう、《入替》をね。よもやの事態に備えておいて良かったわ)
準備を万全にしておいて正解だったと、ヒサコはニヤリと笑った。
スキル《入替》は、本体と分身体の中身を入れ替えるものだ。今回は本体と分身体を入れ替えたのだ。
外見が変わらないが、本体と分身体とでは雲泥の差がある。
まずは操作性だ。
あくまで分身体は本体が遠隔操作しているようなものであり、実際に体を動かすのとは勝手が違う。いざと言う時の機敏な動きが、思っているよりも鈍くなってしまう。
また、所持しているスキルは基本的に本体の方に適応されるため、分身体の方が遥かに弱い。
今回も《毒無効》を《スキル転写》で一時的に貸与したからこそ、毒を防いだのであって、素の状態の分身体であるならば、確実に毒殺されていた。
なにより、最大の違いは何と言っても、“女神”の存在だ。
女神は制約上、自分が導く英雄の側にいる必要があり、必ず側近くにいることが、世の理として定められていた。
本体と分身体が入れ替わると、勝手に《瞬間移動》が発動し、自然と追いかける仕様になっていた。
その際、女神が手に持てる程度の荷物であれば持ち運びできるため、今回はそれにかこつけて、銃と犬を移動させたのだ。
これがナルを大いに惑わせた。
いきなりの出現と、銃を構えた敵方の女。これはナルの判断が狂った原因だ。
実は、もしここでヒサコではなく、飛んできた女神と対峙していた場合、生き残る可能性があった。
ナルの死因は、女神を無視してヒサコに飛び掛かった際、女神の陰に隠れていた黒犬からの一撃を受けたことによるものだ。
背後からではなく、正面からの黒犬の一撃であれば、持ち前の身の軽さと咄嗟の判断力で回避できていた可能性が高い。
そして、そのまま逃亡という選択肢すらあったのだ。
もちろん、その際はお尋ね者となるのは確定であるが、死んだらそれまでのこの世において、無駄死にとなる現状よりかはマシと言えよう。
大胆な行動力と主人への忠誠心ゆえに、ナルは捨て身でヒサコに斬りかかり、そして、失敗したのだ。
ヒサコにとっての最大の切り札である黒犬の存在に気付けず、それに背中を晒してしまった時点で“死”が動かし難い現実となって襲い掛かった。
「さて、まだ意識があるうちに、お話でもしておきましょうか」
「…………」
すでにナルの意識は事切れかかっているが、それでもなお屈服や諦観に達していないのは、忠義ゆえの諦めの悪さであった。
一歩でも近づいてきたら、辛うじて動く口で噛みついてやろうか、その執念が意識を保たせていた。
もう助かる傷ではないと分かっている。なにしろ、片足をバックリ齧り切られて、そこから血が流れ出ているのだ。
痛みによるショック死は絶えれても、失血死だけはまず免れない。
それでも、ヒサコは油断なく、間に黒犬を挟み、対峙していた。
そして、死にゆく者に対して、口を開いた。
「ねえ、前にも言ったでしょう? 主人が暴走したら、それを止めろって。互いに不幸になるだけなんだし、復讐なんて止めて、平穏無事に過ごす生き方だってできたはずよ?」
ヒサコのその言葉を聞き、ナルはようやくにして気付いた。
ヒーサの提案が完全に茶番、どころかそれ以前からも“一人芝居”であったことに、である。
「ああ、ちくしょう……、なんで気付かなかったの。ヒサコなんてどこにもいなかった。全部ヒーサ、あなたの仕組んだことなのね!?」
絞り出した言葉に勢いはなくとも、それはナルにとっての最後の閃きであった。
どう言う原理かまでは分からないが、ヒーサとヒサコが“同一人物”であることに、ここにきて気付いたのだ。
「ハイ、正解! ようやくたどり着いたわね。まあ、無意味な閃きだけど」
「ぐっ……!」
実際、無意味な閃きであった。
今からこの最重要な情報を、誰かに伝えることなどできないからだ。ティースやマークに伝える事が出来るのであれば最良であるが、この際他の誰でもいい。
ヒサコの存在自体がまやかしであり、すべてはヒーサの仕組んだ策謀の小道具に過ぎない。
これを伝えさえすれば、その野望を打ち砕くことができる。
だが、それがすでに不可能なのは、ナル自身が分かっていた。
もう手紙を書くことも、あるいは余さず誰かに話すことも、今の自分にはできそうもないからだ。
「さて、最後に何か言い残すことはある? あるいは、ティースへの遺言でもいいけど?」
これは慈悲ではなく嘲りであると、ナルは受け取った。
絶対的勝者の、完全敗北者への嘲笑だ。
なにより、遺言とやらがあったとしても、それをそっくりそのまま伝えると言う保証もなにもない。
完全になめられている。そうナルは感じた。
だがそれでも、残しておかねばならない言葉があった。
「ヒーサ……、あなたに頼みがある」
「聞きましょう」
もうヒサコとすら呼ばなくなった。
あの悪魔のごとき聖女は、夢幻であり、存在していない。
存在しない者になど、祈っても願っても無駄な事だ。そう思うからこそ、ヒーサの名を、主君の伴侶の名を呼んだのだ。
「私がかつて、あ……、あなたに伝えた願い、それを……、叶えて欲しい……。どうか、て、ティ……ス様を……、幸せ……、に……」
そこで言葉が途切れた。
最後まで言い終わらぬうちに、ナルはとうとう事切れてしまった。
足をもがれたにしては、よく持った方かと、ヒサコが感心するほどであった。
なにより、最後の最後まで主人への忠義を貫き、その未来を案じている姿勢には、ヒサコも称賛を惜しまぬ思いであった。
そして、動かなくなったナルにそっと手を添え、髪留めを外し、それを唯一の遺品とした。
「でも、ごめんなさいね、ナル。私は意地悪だから、あなたの願いの“逆”を叶えちゃうのよ。いや、ほんと、ごめんなさいね」
ヒサコは手にした髪留めを弄びながら、そう呟いた。
ナルの願いは二つある。かつてヒーサの耳で、それを聞いた。
曰く、“ティースの幸せ”と“カウラ伯爵家の復興”、この二つだ。
主人の幸せと没落した主家の再興、伯爵家に仕える者としては真っ当な回答と言える。
同時にヒーサはこう尋ねた。
「二つの願いが対立した時、どちらを選ぶか?」
これに対して、ナルは“ティースの幸せを選ぶ”と即答した。
あくまで重要なのは、“家”ではなく“人”である。そのようにナルは断じた。
だが、もうティース個人の幸せなど、望むべくもない。愛していた夫は偽りの仮面をかぶり、その下にはどす黒い野心と、自分を貶めた過去があった。
そんな男と一緒に過ごして、どうして幸せになると言うのか。
なにより今、許し難い罪状が一つ加わった。
かけがえのない大事な家臣を、情け容赦なく殺めた、ということだ。
理由は単純明快。そうした方が“自分”の利益になるからだ。
そこにティースの意志も望みも希望も何もない。ただただヒーサ、その中身である“松永久秀”の策の内である。
「黒犬、余すことなく食べちゃって」
「バァウ!」
黒犬はヒサコの指示に従い、まずは齧り取った右足を、次いでその動かなくなった体を、ムシャムシャと食べてしまった。
満足したと言いたげに、黒犬はグポォ~ッとゲップをして、出番は終わったものと認識し、ヒサコの影の中に溶け込んでいった。
「これでもう、何もかも証拠は隠滅。ナルの存在は消え去った」
「本当にやっちゃんたんだ~」
一部始終を見ていた女神も、取り返しを付かないことをしてしまったとの罪悪感を覚えつつ、もう引き返せないところにまで進んだのだと認識した。
ちなみにテアが赤毛のトウの姿を取っているのが、《瞬間移動》を使えるのがトウであると、一部の人々に伝えているからだ。
また、テアとトウが同一人物であるとバレてはいないため、場面場面で切り替え、正体のバレるリスクを回避するためである。
あくまでヒーサとヒサコ、テアとトウ、それぞれは別人であると認識してもらっていた方が、まだまだ都合のいい場面も多いのだ。
「それでこれからどうするの?」
「銃が数発発射されたから、じきに衛兵が来るわ。まあ、見ておきなさい。まだまだ大芝居は続く。そして、ナルが残した最後の願いを、“カウラ伯爵家の再興”を叶えてあげる。ティースの精神を犠牲にすることになるでしょうけど」
「あんた、どこまで外道なのよ!?」
「ん? 伯爵家の再興も、ナルの望みでもあるのよ? 毒を盛った暗殺者の最後の頼みを聞いてあげるなんて、あたしって奇特な性格しているわよね~」
「道徳心が危篤状態よ、まったく!」
顔馴染みの知己を抹殺したと言うのに、何一つ反省も後悔の色を見せないヒサコに、テアは呆れかえるよりなかった。
しかも、この状況をダシにして、更なる悪行を重ねると宣言したのだ。
これからどうなるのかと、陰鬱な気分に心が浸食されていくのを感じていた。
~ 第十六話に続く ~
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