第十二話 饗宴! 宴もたけなわ、毒もたけなわ!
そして、宴は始まった。
その場の主役は、もちろんヒサコだ。
誰もが危うしと思っていたジルゴ帝国の皇帝即位と、それに続く帝国軍の侵攻作戦。まさに王国側の危機であった。
それに対し、ヒサコは相手の体制が整わぬうちに逆侵攻をかけ、出鼻を挫くという大胆な作戦に出た。
結果から言えば、これは見事に大成功を収めた。数にものを言わせる王国への攻撃のはずが、蓋を開ければまとまりのない烏合の衆であり、その統一感の脆弱さを突いたヒサコの作戦勝ちとなった。
築き上げた帝国軍の死体の山(実は過半数は非武装の民衆)は十万を超え、まともな集計を途中から放棄したくなったほどだ。
一方、王国側の戦死者はおよそ二千。負傷者はその倍といったところだ。
途中で兵員の補充があったとは言え、よくその程度の損失で済んだなというのが、参加した将兵の偽らざる本音であった。
それもこれも、ヒサコは末端の兵士に至るまで無理な戦いはしないようにと意識を徹底させ、撤収、誘因、合流を繰り返し、敵方に損害を与え続けた結果であった。
逆に帝国側は統一された指揮系統のなさからか、戦力の逐次投入という愚策に終始した。
(まあ、そうするように仕向けたんだけどね~)
ヒサコのやり方は実に徹底していた。
帝国軍を相手にせず、終始帝国の“民間人”だけを襲撃するようにしていたのだ。
町や村は防備が乏しく、食料の補充までできるため、まさに王国側からすれば格好の獲物であった。
普通ならば気が引ける者もいるであろうが、どうせ相手は帝国人、すなわち“亜人”である。元々相容れない存在として認識があった上に、何度も刃を交えてきた敵国の住人であるし、情けも容赦もなく、老若男女を問わずに殺戮を欲しいままにし、死体を増産し続けた。
結果として、これらを助けねばと帝国軍が動き、それを刈り取るという作業ばかりになり、一対五十という信じられない程の圧倒的な損害比率を叩き出す結果を生んだ。
そうした表面的な数字のみが意図的に喧伝されたため、ヒサコの指揮で五十倍の敵を倒した、との誤認が生まれ、それを否定することなく“ヒーサ”が流布し続けた。
結果、聖女ヒサコ、大英雄ヒサコの名は不動の地位を得るに至った。
だが、ヒサコはこれに対し、実に控えめな態度で応じた。
「此度の戦における功労者は、サーム、アルベール、コルネス、この三将の働きによるもの。彼らこそ真に讃えられるべき英雄です。また、前線と後方を有機的に結合させ、補給を切らせなかったポードの働きも見事としか言うべき台詞を持ち合わせておりません」
宴の席において、自身の考えを披露すると、ヒサコを讃える声はより一層強くなった。
いたずらに武勇を誇らず謙虚にして、部下の功績を声を大きくして述べる様に、より一層の畏敬の念が将兵より生じたのだ。
特に、ポードの事にまで言及したのは、衝撃を以て受け取られた。
基本的に戦における功績は、倒した敵の数や落とした城や砦の数で競うものであり、補給を担う兵站はとかく軽視されがちであった。
しかし、今回は今までとは状況が違い、“完全な敵地”の奥深くにまで軍を進めてこれを撃滅するというものだった。王国内で貴族同士が紛争を起こす、帝国の国境付近を攻撃する、などという行軍距離の短いものではなく、兵站なくして成し得ない軍事行動であったのだ。
食料は略奪によってある程度は賄えたが、武器、特に火薬の調達ができないため、それを絶やすことなく補充できた功績は大きいと、ヒサコはポードの働きぶりを三将軍以上に絶賛したのだ。
「さすがはヒサコ様。常人とは目の付け所が違いますな」
「いや、本当にその通りだ。銃が使い放題だったのは頼もしかった」
「攻めるにせよ、守るにせよ、矢弾が尽きないのは大きかった」
三人の将軍もまた、前線で戦い続けたからこそ、物資の補給の重要性は認知しており、ヒサコの評価を正当なものだと受け入れた。
戦場での槍働きもないのに文官がしゃしゃり出るな、と思わない辺りがヒサコの差配にすっかり心酔している証拠であり、ヒサコの評判をますます上げる事にもなった。
「なるほどなるほど。そのようにして、敵を討ち破ったのですか!」
「大砲と言うものは凄まじいですな。それを野戦で用いようなど、思いも寄りませなんだ」
マリュー、スーラの両大臣も談笑しながらヒサコの話を聞き入り、素直に感心していた。
大砲は攻城用に使う兵器だとばかり思っていたら、待ち伏せして敵を射線上に誘い込み、軍列に向かってぶっ放してこれを撃滅したのは、驚きを以て受け取られた。
本当に神の加護を受けた聖女なのか、そう思えるほどに目の前の女性を見つめたのは言うまでもない事であった。
そもそも、ヒサコは“庶子”という、神の恩寵を受けざる存在としてこの世に生を受けた。にも拘らず、神の奇跡がその身に舞い降りたとしか思えぬ働きぶりである。
元々信心に乏しい二人であり、教団の人間の言う事のなんと当てにならないことだと、嘲る態度がありありと出てしまった。
「神の恩寵を受けぬなど、ヒサコ殿の活躍ぶりを見れば、あやつらめ、なんと言い訳するのやら」
「まあ、新しい法王は宰相閣下の推す話の分かるヨハネス殿ですし、多少は風通しもよくなるでしょう」
兄弟はゲラゲラ笑いながら、何度も杯を重ね、上機嫌に言葉を交わし、周囲の人々もまた、そうだそうだと頷いて応じた。
アーソの地は教団の目を盗んで術士を隠匿していた場所であり、元々反教団の機運が強い場所だ。二人の話はそれに噛み合うものであり、すんなりと受け入れられる土壌があった。
アイクの突然の死によりどうなることかと思う場面もあったが、その妻であるヒサコの奮戦がすっかりそうした空気を吹き飛ばした。
あとは腹の中の子が無事生まれれば万事上手くいく、そう感じさせるほどであった。
もっとも、そのお腹の中に子供はいない。ヒサコも、その子供も、この世には存在していない虚構に過ぎないのだ。
だが、そんな偽りなどを覆い隠すように、宴の席は賑やかな雰囲気の中にあった。
とはいえ、両大臣の目聡さは光っていた。宴の列席者をよく見ると、何人かは“二本の木の棒”を使って食事をしているのが見て取れた。
「なあ、ヒサコ殿、あの棒切れはなんだ?」
マリューが物珍しそうに、初めて見る道具を見つめた。なお、当のヒサコもそれを用いており、二本の棒を器用に使い、手を汚すことなく料理を口に運んでいた。
「ああ、これは“箸”と呼ばれる道具で、森妖精族が用いていた道具なのです」
「おお、エルフの道具か。そう言えば、ヒーサ殿の依頼で、ヒサコ殿はネヴァ評議国に赴かれていたのでしたな」
スーラが思い出したかのように述べ、異国の道具かとマジマジとその箸と呼ばれる道具を見つめた。
「エルフはこれを用い、手を汚すことなく食事をしておりましたので、お兄様に話したところ、実に素晴らしいと絶賛され、公爵領で急速に普及しつつあるのです。物を食べるのに、一々手を汚さずに済む上に、木材の端材を削るだけで簡単に作成できますし」
「なるほど。それにその色艶は、今王都で流行の漆塗りでもありますな!」
「はい、箸を漆塗りにすることで、庶民と貴人の間にも差をつける事ができ、見栄えも良いとお兄様も喜んでおりました。ああ、お二方にもあとで取り扱いの説明書と、漆塗りの箸と箸置きをお贈りさせていただきますので、是非お試しください」
ヒサコは見せつけるように箸で料理を掴んでは口に運び、二人もまた素直に感心した。
カンバー王国では食事道具が未発達で、貴族も庶民も素手で食事をするのが当たり前であった。せいぜい、汁物を食す際にスプーンを用いる程度で、素手で掴んでは口に運び、手拭きでをこれを拭うのが当たり前の食事風景であった。
それに我慢ならなかった“松永久秀”が箸の普及を目論み、エルフ族から教わった、という体裁を整えてからこれを広めていった。
折しも、漆塗りがブームとなり、貴族の間で我先にと漆器を求める動きが生じると、これに便乗して漆塗りの箸も作成し、公爵領を中心に箸の普及に一役買っていた。
(この二人に託しておけば、王都の上流階級にも噂として広まっていくでしょう。フフッ、流行の火付け役は常にシガラが発信源になるのよ)
ヒーサ・ヒサコの中身である松永久秀は、日ノ本より持ち込んだ文化の普及に力を入れており、徐々にだがそれが浸透しつつあることに喜びを覚えていた。
とは言え、そのこだわりの結果、“箸の使い方”でティースにヒサコの正体を見破られたのは痛手であったが、それも災い転じて福を成すである。今背後にいるナルは、ヒサコの命を狙い、そして、毒を“盛った”のだ。
それはすでにヒサコの察するところであった。
なにしろ、ヒーサが最新の毒を作り出し、それを用いてヒサコを暗殺せよ、というのがナル来訪の最大の理由である。
暗殺を企てさせ、失敗させ、そして、殺す。
それが松永久秀の計画だ。
暗殺をしくじったのであれば、返り討ちにあって殺されても文句は言えない。
そして、ティースは片足をもぎ取られ、今後の行動の自由は損なわれる。
(あとは腹の中にいる我が子を、嬰児交換の体で偽装すれば作戦完了。公爵夫妻の子供は死産、公爵令嬢と王子の子供は無事出産となる。血を分けた子供が、王家の血を引く子供に早変わり! フフフ……、国盗りは近い)
すでに頭の中では、国盗りの工程表が仕上がっており、あとは手順を間違えることなく進めていけばいい。
国盗り、そして、酒池肉林、その日が訪れるのは近い。
***
まさに意趣返しとも言うべき、毒の盛り方であった。
今、ナルの見える光景、すなわち盛り上がりを見せる宴会場は人でごった返していた。
三将軍を筆頭に、今回の遠征を武功を挙げた面々が居並び、酒や料理に舌鼓を打っていた。どちらも極上の品質の物で、皆を唸らせるのに十分であった。
そして、その中に受け取った例の毒を盛った。そう、公爵領名物と銘打っているが、その実カウラ伯爵領の特産品である“鵞鳥の肥大肝”にだ。
鵞鳥の肥大肝は特産品として出回ってからまだ日が浅く、料理人も少しばかり扱うのに不安があったため、「手慣れている私がやります」と、ナルが調理を買って出た。
そして、毒を仕込んだ。程よい大きさに切り分けてからソテーされ、それにかけられた同じく最近出回り始めた“味噌”をベースにしたタレ、その中に毒を入れたのだ。
仕込んだ毒はヒーサが作り出した強力極まる毒で、それこそ一滴の毒で成人男性の致死量を超える威力を持っていた。
さらに都合のいい事に、毒自体は普段は眠っており、別で用意された特殊液と体内で混ざることにより、本来の威力を発揮するという特別仕様。
暗殺するのに際して、無差別で毒を盛りながら、特定の人物にのみ効力を発揮する毒、というものを状況として作り出せるのだ。
(そして、それが成った!)
平静を装っているが、ナルはこの場の多くの人々に毒を盛ることに成功した。
鵞鳥の肥大肝にかけられた味噌味のソース、それに毒が入っており、それをムシャムシャ食べていた。
だが、騒ぎは起こらない。誰も毒で倒れないからだ。
肝心の毒を覚醒させる特殊液、それが含まれているのは、ナルが持っている金属製の水差し、その中の水に特殊液が混ぜ込まれていた。
(そう、最重要なのは、この水を飲むのが、ただの一人だということ!)
ナルの視線の飛び込む宴の喧騒は、皆が揃って杯を重ねて酒を次々と痛飲している光景だ。
なにしろ、何カ月もの遠征が続き、ろくに酒など飲めない生活が続いていた。
しかし、今は目の前に酒がある。それも公爵領名産の『フクロウ』を始め、良質な酒が大量に仕入れられているのだ。
これで飲むなと言う方が無理であり、揃いも揃って酒を飲み続けていた。
だが、ヒサコだけは酒を飲んでいない。その飲み物は水だ。
理由は簡単。“妊婦”に、それも出産が迫ってきている身重の体には、過度の飲酒はご法度であったからだ。
(演技でしょうけど、今度はそれが裏目に出たわね!)
ヒサコの演技は完璧だ。腹の中身は空っぽで、中には赤ん坊がいないにも拘らず、持ち前の演技力で周囲を誤魔化し、詰め物をしていかにも妊娠していますという状況を演出していた。
ゆえに、隙なく妊婦の姿を公共の場に晒すため、その演技は徹底されており、着替える姿は他人に見せず、詰め物の存在を見破らせなかった。
禁酒もそうした演技の一環であるが、今回はそれを逆手に取られた格好だ。
ナルがさりげなくヒサコの側に置いた水差し、そこに伯爵家の復讐の意志が溶け込んでいるのだ。
(皆が酒を飲む中、ヒサコだけは水を飲む。つまり、全員に毒を盛っても、ヒサコの水差しにだけ特殊液を混ぜておけば、ヒサコにだけ毒が効力を発揮する。上座のヒサコの側にある水差しなんて、他の将兵からしたら恐れ多くて、使うこともできない。築き上げた名声と、妊婦の演技が、あなたを殺すのよ!)
ナルはヒサコが水を飲む姿を見ながら、仕事の完遂を確信した。
あとは、ヒサコが倒れるその瞬間を目撃すればいいだけだ。
(先代様は、酒を飲めないことを逆手に取られて、毒キノコの件でハメられた。そして今、今度はその下手人であるヒサコが、酒を飲まなかったことにより死を迎える。いい気味だわ!)
意趣返しとしては、まさに完璧であった。
これでこそ、カウラ伯爵家が被った恨み辛みを返し、留飲を下げられるというものだ。
なんとかなった。ナルはヒサコが毒でのたうつ様を想像しながら、特殊液の濃度、ヒサコの飲んだ水の量からいつ倒れるかを計算し、その瞬間に備える事とした。
~ 第十三話に続く ~
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