第十話 邂逅! 標的の聖女と義姉からの刺客!
華々しい戦果と共に、聖女ヒサコ凱旋す!
そのように喧伝され、ヒサコは人々から歓呼の嵐を以て出迎えられた。
敵対するジルゴ帝国において、皇帝が即位したとの報告を受け、その即位祝いとばかりに帝国領に逆侵攻をかけたのが、ヒサコであった。
当初は誰もが無謀だと考えており、付き従った三名の将軍、サーム、アルベール、コルネスも色々と不安の尽きない緊迫した日々を過ごした。
だが、ヒサコの巧みな計略の数々がピシャリとはまり、次々と襲い掛かる帝国軍を撃破。数の差を物ともせず、敵軍の死体の山を築いた。
付き従う将兵のみならず、王国内においては童ですら知っているほどの、押しも押されぬ大英雄として再び国土を踏むこととなった。
「やれやれ、やっと戻って来れたわね~。みんな、よく頑張ってくれたわ!」
国境を固めるために築いた砦を抜け、戻って来れたという安堵感の中、ヒサコが行進する兵士らに声をかけると、ヒサコを讃える歓声が何度も上がった。
「聖女ヒサコ万歳! 王国に栄光あれ!」
「皇帝の即位式を盛大に祝ってやったんですし、今度はこちらに招き寄せて潰してやりましょう!」
「おお、いくらでも相手になってやるぜ!」
数カ月に及ぶ遠征からの帰還ではあったが、兵士達の士気はなお高い。
勝ち戦であるし、褒賞もヒサコが確約してくれているので、それが楽しみなのだ。
もちろん、最大の悦びは生きて帰った事であり、愛する家族との再会だ。
現に、アーソの住人に至っては国境近くにまで出迎える列を作っており、夫や息子の帰還を喜び、あるいは英雄ヒサコを一目見ようと駆けつけてくれた。
「出迎えありがとう! と言いつつ、本音を言えばちょっと疲れたわね。久しぶりにクッションの聞いた寝台に飛び込みたい気分よ」
歓声に冗談交じりの文言で応えながらも、ヒサコは少し疲れた雰囲気を出していた。
それもそのはず。ヒサコの腹は膨らんでおり、その中には子供がいるからだ。
遠征をを開始してから程なくして、アイクとの子供ができたことが発覚。されど、そのまま遠征を続け、数多の激戦を身重の状態で潜り抜けるという、伝説的な活躍を見せた。
そのアイクは異端宗派《六星派》の魔の手にかかり、すでに墓の中にて安らかな眠りについていた。
ヒサコとアイクが夫婦であったのは、一月にも満たない時間であったが、二人が生み出したものはこの地に芽吹いて、次の春を待っている状態だ。
二人の生み出したものと言えば、やはり“芸術”だ。
短歌を流行らせたことにより、文芸作家がこぞって作品を生み出していき、いずれは勅撰歌集をとの声まで上がっていた。
ヒサコはこれを聞くなり大いに歓迎し、戦が一段落をついた後に、歌詠みの席を設けようと方々に呼びかけを始めた。
また、陶磁器作りも順調に進んでいた。
ケイカ村のみならず、アーソにも窯場を設け、陶磁器の生産が進められていた。
今は戦時と言う事で生産自体は下火となり、ブーム到来はお預けとなっているが、さっさと戦争を片付けて、茶栽培に合わせて茶碗と、茶文化を広めれるよう手は打っておいた。
(ああ、素晴らしきかな! 歌を詠み、茶を飲んで、芸術を愛でる。これぞ理想の生活! すべてを手にし、全てを楽しむ! そんな生活が見えてきたわね)
戦争は有利に進み、国内も法王選挙の決着により、安定化に向けた動きがみられるようになってきた。
だが、下剋上の好機は逃すつもりはなく、そちらも着実に計画が進みつつあった。
異世界に転生してきた戦国の梟雄が、かつての世界で叶う事のなかった素晴らしき理想の生活、それがもうそこまでやって来ている。
そう思うと、疲れも一気に吹き飛ぶと言うものだ。
(ま、なにより、これは擬態だしね~)
ヒサコは馬でゆっくり進みつつ、人々の声援に笑顔を向けたり、あるいは手を振ったりと愛想よく振る舞いつつ、そっと膨らんだ腹を撫でた。
だが、それは詰め物であって、中身は空っぽだ。腹の中に赤ん坊はいない。
アイクとの子供など、どこにも存在しないのだ。
(でも、この子がいないと困り者なのよね。そう、他所から貰って、あたしの子供にするの。そう、ティースの子供をね)
産み月はティースの出産に合わせるように擬態しており、あとは奪い取るだけだ。
ヒーサとティースの間に生まれた子供となれば、兄妹である以上、赤の他人よりも顔立ちは似てくるであろうし、誤魔化すには丁度いい。
それで周囲が、ヒサコとアイクの間に生まれた子供、と誤認してくれさえすればいいのだ。
(などと不埒な事を考えつつ、人前では貞淑な妻であることを出しとかないとね)
アーソ城に戻る前に、ヒサコは立ち寄る場所があった。
それはアーソ領内に作った窯場であり、近くには工房も作られている芸術村だ。
ケイカ村のそれをそっくり移築したかのように築かれ、陶磁器の第二の生産拠点となるべき場所であった。
今は職人達はほとんどがケイカ村に戻ってしまっているが、平和になればいずれ活気づくであろう重要な場所だ。
なぜ、そのような人気のいない場所に来たのかと言うと、その芸術村の片隅に、アイクの墓が作られていたからだ。
芸術に囲まれる生活を送ってきたアイクであるから、墓所もまた芸術に囲まれた場所がいいだろうと、ヒサコが遠征先でそのように指示を出していたのだ。
病弱ではあったが、こんなに早く死ぬはずではなかった。まだまだ芸術について語り合いたいと思っていた矢先に、暗殺などと言う思わぬ最後を遂げる事となった。
すっかり変わり果てた夫の姿に、ヒサコは墓前に立ち、そして、思わず涙を流した。
もうすっかり演技に演技を重ね、その技量は向上の一途であり、涙を流すことくらい造作もなくなっていた。
付き添っている周囲もヒサコの無念を感じてか、思わずもらい泣きする者まで出る始末だ。
(我ながら、ほんと救い難い演技派よね~)
誰も彼もが騙されており、自らの演技力に恐れ入るほどだ。
だが、それも終わりを告げる事となる。氷のごときひんやりとした気配をヒサコは敏感に感じ取り、さあ来たぞと身構えた。
「あら、いらっしゃい。あなたが来たのね?」
ヒサコが視線を向けるその先には、一人の侍女が立っていた。
濃い目の茶髪を後ろで結い、どう同じく茶色の眼はジッとヒサコを見つめていた。一部の油断も隙もなく、ヒサコを探っている感覚がありありと出ていた。
殺気こそ抑え込んではいるが、隠すまでもなく刺々しい警戒心を抱き、恭しく下げる頭もどこか白々しく感じた。
「お久しぶりでございます、ヒサコ様。ナルでございます。公爵夫妻が御多忙につき、名代として参りました」
「そう、ご苦労様。“待っていた”わよ、ナル」
「はい。こちらも“お会いしたい”思いで急ぎ駆けつけてまいりました」
ナルも、ヒサコも、笑みを浮かべるが、警戒心は一切解かない。どちらも互いを牽制し合っている状態であった。
なにしろ、ナルはティースの復讐を果たすため、目の前のヒサコを暗殺に来たのだ。
『シガラ公爵毒殺事件』の実行犯。毒キノコをティースの父ボースンに掴ませ、すべてを破壊した張本人が目の前にいる。
今すぐにでも、目の前のヒサコに飛び掛かりたい衝動に揺り動かされたが、今は我慢だとナルは必死に自分に言い聞かせた。
自分はあくまで公爵夫妻の名代であり、凱旋したヒサコに祝辞を述べるのが表向きの役目だ。
それがヒサコを暗殺したとなると、ティースに累が及ぶのは必至であり、秘密裏に犯人がバレることなく暗殺するのが絶対条件であった。
そのための毒薬はすでにヒーサから渡されていた。セットとなる特殊液と駆け合わせれば、毒の効果が発揮する時間をある程度操れる、なかなかに優れ物の毒だ。
その上、威力は一撃必殺と呼ぶに相応しい。なにしろ、三十人も人体実験を繰り返し、効力が出始めてからものの五分で全員がもがき苦しみながら絶命したほどだ。
盛る事さえできれば、その死は確定すると言ってもよい。
(……なぁ~んて考えているでしょうけど、残念な事にバレバレなのよね~)
何気なく刺客と話すヒサコであるが、暗殺を防ぐ手段はあり、返り討ちにする自信はあった。
ナルにとって不幸な事に暗殺を依頼してきたヒーサが、ヒサコと中身が同一人物であるということだ。
つまり、暗殺計画など、初めからバレバレであり、ナルの擬態も完全な徒労なのだ。
ナルにとって不幸な事に、暗殺を依頼してきたヒーサが、ヒサコと中身が同一人物であるということだ。
つまり、暗殺計画など、初めからバレバレであり、ナルの擬態も完全な徒労なのだ。
(ご愁傷様、ナル。あなたの失敗と死は、最初からの既定事項なの。でも、その死は消して無駄にはならないから、安心して死んでちょうだいね)
笑顔の下には、互いにどす黒い意志が見え隠れしているが、どちらも漏れ出ないようにと必死に取り繕っていた。
「ヒサコ様、遅れて申し訳ございません!」
緊迫する空気に、突如として割って入る声がした。
そちらを振り向くと、そこには闊達な青年が立っていた。
「あら、ポード、お久しぶり。長らくの留守居、ご苦労様でしたわ」
ヒサコは現れた青年に笑顔を向け、再会を祝した。
ポードは元々公爵家の執事見習いであり、ヒサコとは前々からの知己であった。
アーソにヒサコが赴任するに際し、執政官として同行していた。
また、ヒサコの遠征中はそのまま留守居組のまとめ役として残留し、何かと苦労の多いアーソの統治をそのまま行っていた。
統治の差配から、前線への兵員や物資の補充など、その行政手腕の高さをまざまざと見せつけており、ヒサコの中では前線で戦っていた三将に比する活躍であると考えていた。
「ヒサコ様も、よくぞご無事にお戻りになられました。身重の体でありながら、相も変わらぬ知略の冴えを見せていると報告にあり、内心ではヒヤヒヤしながらも、喝采の拍手を挙げていましたぞ」
「まあ、それはそれは。でも安心して。さすがに機敏に動けるほどの体ではなくなったから、産み月までは領内に留まらせていただくわ」
「そうしていただけると、こちらも肝を冷やさなくて済みます」
なにしろ、ヒサコの腹の中の子供は公爵家と王家を結ぶ、重要な橋渡しとなる存在なのである。父親はすでに墓の中に眠っているが、血は受け継がれていくのだ。
万が一にも流れるような事があれば一大事であり、ポードとしてはヒサコが大人しく城に留まってくれる方が安心できた。
「ああ、それとヒサコ様、凱旋に際して祝辞を述べるべく、マリュー、スーラ両大臣がアーソにやってくる旨の報告が入っております。明後日にはアーソに到着いたします」
「まあ、そうなのですか。ならば、王都の情報もきっちり手に入れておきたいし、色々と歓迎せねばなりませんね」
マリューとスーラは王都にあって大臣職に就いており、すでにヒーサに多額の賄賂で買収済みであった。色々と便宜を図ってくれたり、あるいは情報を流してもらったりとなかなかに優秀で、その度に賄賂を積み増しており、公爵家とは良好な関係にあった。
此度の来訪も情報交換の名を借りた、“誠意”の見せ所だと察する状況であった。
一応、密使を挟んで宰相ジェイクとやり取りをしているヒーサであったが、政府高官を公式に派遣してくるのは、『教団大分裂』以降では初となる。
アイクへの弔問と、ヒサコ凱旋の祝辞と、色々と理由はあるだろうが、最たるものはやはり帝国への対処と、今後の教団に対する擦り合わせが課題となるとヒサコは考えた。
(よしよし、これを利用しない手はないわね)
両大臣の来訪を待って、策を実行に移すべきだとヒサコは判断した。
そして、視線をナルに向けた。
「ナル、公爵領から色々と運んできているんでしょ?」
「はい。鵞鳥の肥大肝に公爵領の名酒『フクロウ』、色々と取り揃えてございます」
「そう。なら、それを大臣に振る舞って差し上げなさい。お兄様も、“公爵領”の鵞鳥の肥大肝を御馳走すると、以前に両大臣に仰ってましたから」
ニヤリと笑うヒサコであったが、これはナルへの挑発でもあった。
元々、鵞鳥の肥大肝の生産はカウラ伯爵家が手掛けていたものだ。一応、名義の上ではまだそうなのだが、その事業は公爵家に実質的に乗っ取られており、伯爵家ではなく、公爵家の特産品として世間に出回っていた。
“公爵領”の鵞鳥の肥大肝を振る舞うとは、伯爵家を公爵家が乗っ取りました、という事を喧伝する事を意味する。
そして、その事をやって来る両大臣が話を持ち帰り、口々に言いふらすのは目に見えていた。
ナルとしては苛立ちを隠せず、ヒサコからの挑発は殊更効いた。
それでも必死に表面上は取り繕い、ヒサコの言葉に従い、頭を下げた。
なにしろ、ナルとしても好機の到来であった。
ヒサコがこうして命を出した以上、厨房や酒蔵への出入りが認められたことを意味しており、毒を仕込み放題なのだ。
誰にも怪しまれず、誰かに押し付ける、絶好の機会がやって来たと言うわけだ。
いよいよ、暗殺計画の開始だ。
それぞれの思惑を胸に、見えざる暗闘が静かに始まる事となった。
~ 第十一話に続く ~
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