第二十六話 降嫁!? ゼロ歳の花嫁!
寝入る娘のエレナを眺めつつ、ジェイクはふと思うのであった。
「……いっそのこと、エレナを嫁に出すか」
ぼそりと呟かれた夫の言葉に、クレミアはさすがに心臓が跳ね上がる衝撃を受けた。
いくら貴族社会では、婚約云々の話が早いとはいえ、乳飲み子の段階でそう言う話をするなど、いくらなんでも性急に過ぎるのだ。
「あなた……、エレナはまだ生まれて一年も経っておりませんよ。それを嫁入りだのと」
「ああ、すまん。兄上が急死された以上、アーソの不安定化が懸念されてな。本来の領主であるお前が行けない以上、結局はヒサコに任せざるを得ない」
「その点はすでにお任せしてあることなので、私があれこれ口を挟むべきではありませんが……」
アーソ辺境伯の称号は本来、カインの持つべきものであるが、アーソでの動乱の引責と言う形で隠居することとなった。
しかし、後を継ぐべき二人の息子はすでにこの世に無く、結果として娘のクレミアに相続される形になってしまった。
これが大いに問題となった。
クレミアが形式上は辺境伯に就任したとはいえ、彼女は宰相夫人であり、ゆくゆくは王妃になる身の上であるため、アーソのような国境近くの領地に赴任することなどできはしないのだ。
そのため、信頼のおける人物を代官として派遣し、統治を代行してもらうつもりでいた。
それがアイクであり、その妻であるヒサコに任せることが決まった。
「義兄上様がお亡くなりになられ、統治の正当性、そのあたりが宙に浮いた格好になりましたからね。このまま、ヒサコ殿にお任せしてもよろしいのでは?」
「それは当然だ。少なくとも、帝国の侵攻が終わるまでは、動かすことが出来ん。なにしろ、ヒサコはアーソの動乱以降、目覚ましい活躍を続けているしな。現地の将兵には、絶大な人気があるそうだ。これを下手に動かそうものなら、現場の士気に関わる」
ジェイクの下には、派遣している腹心の部下コルネスの報告も届いていた。
コルネスの報告によると、ヒサコはかなり強引なやり口ではあるが、それを補って余りある智謀の持ち主であり、しかも結果を伴っているのだと言う。
それはどうなのだろうか、という場面も多々あるが、結果として最良の結果を残しており、こちらも安心して指揮下に入り、手腕を奮えると誉めていた。
そうした話もあるため、ジェイクはヒサコをアーソに置いた点は、正解であったと自負している。
五千で十万に突っ込むのはどうかと思うが、結果として敵を蹴散らしているので、問題はなかったが、逆に名声が高まり過ぎることも危惧する葛藤もあった。
「そう言う意味で、将来の保証として、エレナを嫁に出すと言っているのだ」
「と、仰いますと?」
「これも報告で届いた情報なのだが、ヒサコがどうも兄上の子供を、孕んでいるようなのだ」
「な……!? では、身重の状態で、前線で指揮をなさっていると!?」
「信じがたい事に、報告ではそういうことになっている」
報告書を見たとき、さすがのジェイクもどういうことだと混乱したほどだ。
そもそも、女性が指揮官として軍勢の指揮統率にあたることすら稀である。例外があるとすれば、火の大神官として前線勤務に就いていた妹のアスプリクくらいだ。
ただ、アスプリクの指揮する数はせいぜい二、三百名がいいところであるが、ヒサコは五千名もの数を指揮しており、しかも相手は自分の十倍以上の数を有しているのだ。
にも拘らず、届く方は連戦連勝であり、とても妊婦に率いられた軍団とは思えないほどの活躍ぶりだ。
それほどまでに、ヒサコは例外中の例外、異才の中の天才であると評価しなくてはならなかった。
「つまり、ヒサコ様が無事にご出産なさった暁には、それが男児であった場合、メリアを嫁がせるということでしょうか?」
「うむ。義父には孫をアーソ辺境伯に返り咲かせる旨を約している。まあ、これはヒーサからの提案ではあるがな。私もそれに乗った口だ。アーソの安定化のためには、今やヒサコの存在が不可欠であり、その保険として兄上と引っ付けたわけだが、その正当性の担保が失われてしまった」
「そこで辺境伯の称号を継承できるエレナをヒサコ様の子に嫁がせ、その後見役となる道筋を作る、というわけですか」
「ヒサコを正当な理由でアーソの地を任せ、義父との約束を守ろうとした場合、これしかないというのが結論だ。もっとも、あくまで男児が生まれれば、という話であるが」
さすがに、腹の中にいる赤ん坊が、男か女かなど分かりようもない。
もし、ヒサコの赤子が娘であった場合は、別の算段を立てねばならないが、少なくともヒサコをアーソの地に固定化させることは、ジェイクの中ではすでに既定路線になっていた。
なお、その肝心のヒサコの腹の中身は空っぽであり、悩むだけ無駄ではあったが。
「もう一つの方策として、シガラ公爵家に嫁がせるという案もある。ヒーサの妻であるティースもまた、懐妊したそうなのでな」
ジェイクとしては、今後の事を考えるとシガラ公爵家の取り込みは必至であると考えていた。
三大諸侯などと銘打ってはいるが、“武”のセティ公爵家、“知”のウージェ公爵家が落ち目となり、逆に“財”のシガラ公爵家が伸びて、頭一つ抜き出た存在になってしまった。
しかも、当主はまだ二十歳前の若者であり、伸びしろもあるため、今後も勢力を拡大させる可能性が大いにあるのだ。
これと上手く付き合わねば、自分の統治が危うくなることすら考えられた。
ヒーサ・ヒサコ兄妹どちらの子になるかは分からないが、ジェイクは自分の娘を嫁がせ、以て同盟の強化を図ろうとおおよそ決めている状態なのだ。
「結局、シガラとの付き合いなくして、今後の安定は有り得ない、というわけですね」
「ああ。帝国との戦争、教団との折衝、各地の貴族の動静、これらすべてにシガラ公爵家が絡んでいる。私とヒーサの関係の破綻が、そのまま内乱にまで発展しかねない。それはダメだ。絶対に取り込んでおかねばならない」
ジェイクとしても、苦渋の決断であった。
まだ年端のいかぬ娘をダシににして、潜在的な“敵”を味方に引き入れようとしているのだ。なんとも情けない事を考えるものだとは思うが、そうせざるを得ないほどに国内が乱れているとも言えた。
今少し安定してくれていれば、他にやりようがあったであろうが、状況がそれを許してはくれない。
(思えば、全てヒーサの掌の上か! アーソでの動乱も、教団の分裂も、それに伴う改革の数々も、全てヒーサの、シガラ公爵家の利益になることばかりではないか! だが、同時に行動の正当性や支持の取り付けなど、準備に抜かりの無さを感じる。僅か十八歳の若者が、公爵位継承から一年も経過していない者が、こうも上手く立ち回れるものなのか!?)
何か得体の知れない者に嵌められているような、そんな気がしてならないと、ジェイクは寒気を覚えていた。
しかし、あくまで疑惑であって、確たる証拠があるわけでもない。
ここで下手に潰そうものなら、確実に強烈な反撃が来るであろう。
帝国の侵攻が差し迫っている中にあって、そのような大規模内乱の危険がある行動は、絶対にやってはならないことであった。
そんなことをすれば、前線に張っているヒサコも反旗を翻すこととなるだろう。
前線の将兵にも人気の高いヒサコの反乱ともなると、もはや手が付けられないほどの混乱を呼び込むことになるのは明白であった。
最悪、帝国軍の水先案内人にすらなりかねない。
(つまり、シガラの面々とは、どう足掻こうとも、仲良くするという選択肢しかない。多少不利な案件を飲まされようが、形式的には降嫁ということになるが、娘の半ば人質に近い形で差し出し、以て両家の結束を図らねばならんか!)
なんとも情けなくなる気分であった。
いずれは王になろうという者が、こうも下手に出ねばならないのは、屈辱以外のなにものでもない。
しかし、それを飲まねばならないということも分かり切っていた。
「まあ、結局は私自身の不甲斐なさが招いたことだ。アスプリクの件も含めてな」
「アスプリク、ですか」
その名が出た途端、クレミアは露骨すぎるほどに嫌な顔をした。
「私とは当然だが、お前ともアスプリクの仲は良くなかったな」
「良くない、と言うよりかは、無視されている、と言った方がよろしいかと。何度か顔を会わせていますが、こちらが話しかけても、まともな返答があったためしがございません」
「まあ、気に入らない兄に嫁いできた嫌な女、くらいの感覚なのだろうな」
自分も嫌われているし、妻もまたそれに付随して嫌悪をしているのではと、ジェイクは考えていた。
結局は、これも自分自身の失策が招いた結果なのだ。
「……シガラ公爵領に潜らせている密偵からの報告なのだが、アスプリクはまるで憑き物が落ちたかのように、穏やかな顔をしてのびのびと暮らしているそうだ」
「あのアスプリクが、ですか!?」
「まあ、信じられんとは思うがな。だが、それが事実なのだ。結局、この件でも、ヒーサにまんまとやられてしまったよ。教団は最強の術士を失い、私は兄としての立ち位置を奪われ、ヒーサだけが得をしている状態だ。やり方は任せると言った手前、あまり文句も言えんがな」
この点では、ジェイクはヒーサを妬んでいた。
関係修復を考え、アスプリクへの接触を図るもことごとくが失敗し、その一方で仲介を頼んだヒーサはその甘い果実を独り占めしてしまった。
任せた相手が悪かった。とんだ盗人もいたものだと思ったが、すでに手遅れであった。
アスプリクは完全にヒーサに懐き、今までの生活を忘れ、辛い記憶を今の生活で上書きし、忘れようとしているのではとジェイクは報告からそう読み取った。
もう妹は自分の手元に戻ってくることはない。
少なくとも、ヒーサがその気にならない限りは、会う事すらままならなくなるだろう。
「だが、逆に言えば、ヒーサとの関係を維持できれば、会う事や、あるいは取り戻す機会も生じようというものだ」
「まあ、あの性格が丸くなったのであれば、本当の意味での関係改善が望めるやもしれませんが」
「私もそれに期待している。だが、今は目の前の帝国軍に集中しよう。その他の事は、とにかく後回しだ。魔王を称する皇帝を倒さぬ限り、明日はないのだからな」
そう言うと、ジェイクは席を立ち、クレミアの側に歩み寄ると、その手をクレミアの頬に沿え、もう片方の頬に軽く口付けをした。
「今日はもう休むとしよう。妻に心配をかけさせてばかりではいかんよな」
「あなた……」
「なぁに、私はお前や娘に苦労をかけさせるつもりはない。今は波風が吹き荒れているが、いずれは平和な世の中がやって来るだろう。お前達にそれを用意するのが、私の役目だ」
そう言いながら、ジェイクは静かに寝入る娘の顔を眺め、穏やかな笑みを浮かべた。
自分には守るべきものがある。
国、妻、娘、その他大勢、守るべきものがある。
そう考えると、ふつふつと力が湧いてくるというものだ。
そのためならば、あくどい事、狡すっからい事すらやってみせよう。
ジェイクは決意を新たにするのであった。
~ 二十七話に続く ~
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