第十二話 放出! 人質はお返しいたします!
それはまるで、決壊した堤防から押し寄せる濁流のようであった。
宿営地となっている陣地から、帝国軍が我先にと飛び出してきたのだ。
ある者はけたたましい叫びと共に怒りをあらわにし、あるいは涙と悲しみを胸に抱いて得物を手に取り、また別の者は暴れられる機会を得たと嬉々として、それぞれの想いを胸に突っ込んできた。
迎え撃つ王国軍はすでに布陣を終えており、万全の体勢で迎え撃つ態勢が整えられていた。
中央には銃兵と槍兵が列を成し、両翼には騎兵が待機し、中央後方には工兵と弩兵がいた。
「まだよ! 焦らないで! もう少し引き付けなさい!」
挑発に成功したヒサコは、素早く撤収して、銃兵の射線の邪魔にならないよう、中央後方から指揮を執っていた。
迫りくる敵の波に、待ち受ける側も緊張感が高まっていた。
闇雲な突撃とはいえ、数が数である。数千もの敵兵が真っすぐ向かって来ており、陣地からも次々と飛び出してきており、数の上では明らかに相手が勝っていた。
だが、ヒサコは慌てない。勝つための算段はすでに打ってあるからだ。
「今よ! 工兵! 『捕縛と解放』を開始しなさい!」
ヒサコの合図とともに、それは解き放たれた。
数百に達しようかと言うそれは、隊列を組む銃兵や槍兵の隙間を縫うように飛び出し、迫ってくる亜人の群れに駆け寄っていた。
王国軍側から飛び出したそれは、“亜人”であった。
正確には捕虜となり、強制労働させられていた、近隣の村々の住人であった。
基本的には戦意旺盛なアーソの兵士らによって、ほぼほぼ皆殺しになっていたが、一部は様々な労役に駆り出すために生け捕りにされ、強制労働に従事していた。
先程の挑発の材料にされた亜人達も、それの一部であった。
そして今、その残り全員が縄を解かれ、檻から飛び出し、向かってくる“家族”の方へと必死で駆けだしたのだ。
ようやく解放された安堵感か、あるいは圧政者に対する恐怖か、それらを混ぜ合わせた感情が、足をより一層早めていた。
なにしろ、死と隣り合わせの日々を、村が襲撃されたその日から過ごしてきたのだ。
過酷な荷物運びや、千切り取られた同胞の“左耳”を数えさせられ、ちょっとでもサボろうものなら容赦なく斬られ、何人の見知った顔が死に絶えたか。
それを思えばこそ、早く逃げたかった。
だが、その捕虜の解放こそ、さらなる混乱の呼び水となった。
現在、ヒサコの目の前には、自軍の四倍以上の数に達する帝国軍が存在する。
いくら装備に差があるとはいえ、これとまともにぶつかるのは得策とは言えない。
しかし、ヒサコの眼には、敵軍が大きく分けて、三種類に分類できるのが見て取れた。
「助ける者、暴れる者、見ている者、ね」
ヒサコはそう呟き、それこそ付け入る隙だと確信した。
まず、“捕虜の救出”ないし“同胞の復讐”のために動いている部隊だ。
皇帝や黒衣の司祭がいない以上、基本的には部族や種族単位で部隊が動いている。そのため、今し方殺された小鬼や豚人間の同種、あるいは同郷の者が捕虜を助けるために動いているのだ。
次に“暴れる事を目的とした者”の集団である。
帝国には法律がなく、力こそが唯一無二の掟であった。力を誇示することは己の存在意義を示すことであり、皇帝に破れて勢力に組み込まれたとはいえ、その本質に変わりはない。力を周囲に見せつけ、より高い地位や名誉を皇帝の旗の下で得ようとする者はいくらでもいた。
最後は“見ている者”だ。
突撃には参加せず、陣地に留まって、様子見に回っている者もかなりの数が存在していた。
そもそも、皇帝は各部族を従属させるために己の力を示す必要があったため、それぞれの最強の戦士や指導者を屠り、力を誇示してきた。
それゆえに、指導的立場の者を失った部族も多く、まとめ役を欠いている有様であった。
力と恐怖で支配する皇帝がいれば、その指示一つで動くであろうが、そうした積極性を発揮する場面でもないため、動かない、あるいは動けない部族もかなりいるのだ。
助ける者、暴れる者、動かない者、これが帝国軍の現在置かれている状況だ。
皇帝も黒衣の司祭もなく、指揮統率に統一性が無い。ゆえに、動きはバラバラで、目的や動機、思惑もまとまりを持たない。
しかも、各部族の一番の使い手は、皇帝に挑みかかって破れて殺されている者が大半であり、そう言う意味においては弱体化していた。
部族を束ねる者すら不在で、ただなんとなしに言われた通りに宿営地に集っている。そういう集団もかなりの数に上っている。
そんな各々が好き放題動いている状態の中に、“捕虜の解放”が起こった時、どうなるであろうか。
答えは“支離滅裂”である。
助けに走った者は、当然捕虜の解放を見て喜び、戦意はそこで萎えて、見知った同胞との再会を喜ぶこととなった。
だが、“暴れる者”からすれば、折角敵陣に向かって斬り込んでいる最中だというのに、その進路を塞ぐ格好で現れた別種族の捕虜など、邪魔でしかないのだ。
邪魔ならば切り捨てる。それは帝国の住人ならば、ごくごく当然のやり方であった。
問題があるとすれば、切り捨てた解放された捕虜の身内が、すぐ側にいたということであろう。
「邪魔ダ、ノケ!」
「ギャ! 何ヲスル!?」
当然、助けに来た側からすれば、目の前で家族が殺されれば怒り狂うし、得物の向かう先は人間ではなく、家族を殺した友軍ということとなる。
たちまち同士討ちの発生だ。
「コノ野郎!? ソレハ俺ノ女房ダゾ!」
「ウルサイ! 邪魔ダ!」
敵陣に斬り込みたいからと、進路を妨害する解放捕虜を排除しようとする者、それをさせまいと家族を助けるために争う者、それぞれの立場で斬り合った。
烏合の衆、指揮官不在、明確でない目標、これらが重なり合って出来上がった混乱だ。
そこに“敵の銃口”が向いているということを失念した、大きな失策であった。
「放てぇ!」
ヒサコの合図と同時に、銃列が一斉に火を噴いた。
玉薬が爆ぜる轟音と共に、鉛玉が一斉に銃口から飛び出し、同士討ちによりごちゃごちゃになった敵部隊に襲い掛かった。
ろくな防具をもない亜人の部隊は銃弾に体を撃ち抜かれ、一斉射とともに百人以上が倒された。
だが、それだけではない。矢も同時に降り注いだ。
後方に控えていた弩兵が、味方部隊の頭上を曲射するように矢を放ったのだ。
筒の向いた方向にしか弾が飛ばない鉄砲に対し、弩や弓は曲射によって山なりに敵を狙撃することができた。
狙いを定めれないが、この際それは関係ない。なにしろ、敵は大量にいるため、前に向かって山なりに撃てば、ほぼ確実に命中させることができるからだ。
「愚かね~。敵を前にして仲間割れとか。いえ、仲間とすら思っていない寄り合い所帯だもの。無理もないか」
吐き捨てるようにヒサコは、目の前の馬鹿げた状況を言い放った。
亜人にしてみれば、解放された存在は家族である。助ける事が出来るのであれば、助ける事だろう。
しかし、ヒサコには、人間側には、そこに区別もないにもない。“敵”であるという一点だけで、死に値するのだ。
解放された捕虜も、容赦なく撃ち殺された。ようやく自由になり、家族と再会したその瞬間に後ろから銃撃され、諸共果てて大地に躯を晒すこととなった。
「前進! 構え! 放て!」
中央を指揮していた三将の一人コルネスの合図も的確であった。
銃兵隊は二十人一組となっていたが、これを五人四列に編成した。
銃撃が終わると、最後尾の者が前に出て銃を構えて、合図とともに撃つ。
再び最後列の者が前に出て、撃った者は次に最後列になる前に再装填を済ませておく。
あとはひたすらこれを繰り返していけば、敵との距離が狭まり、追い詰めていける。
無論、距離が近くなるということは、敵が斬り込んでくる危険もあるが、そのために、銃兵隊の横には槍兵が控えており、接近する敵兵があれば、即座に割って入って槍衾を形成できるように待ち構えていた。
「両翼! 突貫!」
ヒサコは更なる打撃を与えるため、両翼の騎兵にも合図を飛ばした。
待ってましたと言わんばかりに、両翼の騎兵が突撃を開始した。
ちなみに、左翼側がサームが指揮し、右翼側がアルベールが指揮していた。
まず、混乱する敵部隊を無視して、前線の部隊と敵陣とを遮断する動きを見せた。
隙間が生じた空間を塞ぐべく、陣屋に籠っていた部隊のいくつかが飛び出そうとしたが、そこに前線も混乱から逃れてきた部隊がぶつかり、渋滞になってしまった。
それを見てから、まるで示し合わせたかのように、両翼の騎兵が斬り込んだ。
まず、竜騎兵が馬上から銃撃を加えた。走りながらの射撃であるため、命中率はお察しであるが、その発射音は敵を慌てさせるのに十分であった。
銃撃が終わると得物を曲刀に持ち替え、さらに槍騎兵が加速をかけて、混乱する敵部隊に突入した。
迎撃態勢の整っていない歩兵の群れなど、速度の乗った騎兵の敵ではなく、あっさりと食い破られてズタズタにされ、サームとアルベールは逆方向にそれぞれ抜けていった。
残されたそこには無数の帝国軍兵士の死体が転がっていた。
なお、陣地からの弓矢による援護射撃はできなかった。敵味方の距離が近すぎて、誤射を恐れて撃てなったからだ。
その間も前線では兵士が次々と銃弾に倒れ、解放された捕虜共々甚大な被害を出していた。
逃げる事もできない。なにしろ、後ろは前へ出ようとする部隊がいて、押し合いへし合いとなり、大渋滞になっていたからだ。
ならばと横に逃れようとすると、走り抜けてきた騎兵がこれを屠った。チリヂリになった壊走する小部隊など、騎兵にとっては餌以外の何物でもなかった。
こうして、先程の捕虜の見せしめの惨劇を、規模を千倍にして繰り広げる事となり、帝国兵はなす術もなくヒサコの用意した術中にはまり、万余の屍を晒すこととなった。
~ 第十三話に続く ~
信長の鉄砲三段撃ちは根拠のない風説です。
実際はオラニエ公マウリッツの「カウンターマーチ」が、鉄砲の連続射撃の走りです。
何列か列を成し、撃った射手は列の最後尾に回り込み、自分が再び最前列になる前に再装填を済ませておきます。
が、これでは、敵から離れてしまいます。
これの逆をやったのが、薩摩隼人・島津家の「車撃ち」です。
撃った人間はその場で再装填を行い、列の最後尾が最前列に走って撃つ。
つまり、マウリッツの逆回転を島津はやってました。
相当な練度を要求されるやり方ですが、これをやれたのは島津が「鉄砲足軽」ではなく、「鉄砲武者」であったからです。
武者、すなわち徴兵ではなく、きっちり訓練を積んだ職業軍人だからこそ成し得た技です。
薩摩の人口比における武士の割合がメチャクチャ多いからこその必殺戦法です。
これを参考にして、今回は書きました。
(∩´∀`)∩
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ヾ(*´∀`*)ノ




