第十話 調虎離山! 挑発は立派な兵法です!
帝国軍の宿営地は実に簡素なものであった。適当に天幕が張られ、一応雨露は凌げる様にはなっていたが、防御設備は皆無であった。
精々柵を設けて、区切りがなされている程度の、辛うじて陣地と呼べる程度の代物だ。
報告ではすでに二万に達する兵力が集結し、また目の前にあるもの以外にも、宿営地が設けられているとの情報もあるが、差し当たってここを殲滅することを目的とした。
ヒサコは持てる戦力をこの地には集結させ、これと対峙した。
その数は五千。銃兵、槍兵、騎兵の三種を主要兵科とし、弩兵、工兵が僅かにその姿を確認できた。
「さて、ただ単に雑魚寝させてるだけの、防御施設もない陣地。まとまりもなく、頭立つ者も不在と来た。んじゃあまあ、ぶっ潰してやりますか」
数の上で自軍は五千。対する相手は二万強。ゆうに四倍の兵力差であった。
平野部であり、周囲に遮蔽物になりそうな森や丘陵はなし。数の差がもろに出てしまう地形であった。
だが、それでもヒサコは余裕であった。
現在、王国軍側は横隊にて展開していた。両翼に騎兵を配し、中央に二十人一組の槍兵隊と銃兵隊を交互に並べて固めさせた。
陣を展開したというのに、帝国側はまだ陣から動こうともしない。完全に様子見であった。
(まあ、それはそれで正しい。指揮系統がはっきりしない烏合の衆ですし、取りあえず自分の持ち場だけでも維持すればいいか、というのも当然の思考。やはり皇帝も黒衣の司祭もいない)
敵方の反応を見て、改めて指揮官の不在を確認したヒサコは、次なる策に出た。
自分の乗る馬を前に進ませ、従者を一人伴って横陣の前に躍り出た。
ちなみに、従者の男は“通訳”であった。亜人の言葉はほとんど聞き取れないほどなまりのきつい言語であったが、幾人かはどうにか聞き取れる程度には習熟しており、この男もその中の一人だ。
そして、更にそれに続いたのは、縄で縛られた小鬼であった。
女体であるのか、乳房の膨らんでいる者、あるいはようやく歩ける程度になった子供など、非戦闘要員であることは明らかであった。
これは周辺の村々を襲撃した際に、捕虜となった者達だ。
兵士達に伴われた十数名の小鬼がずらりと並べられ、跪かされ、これらな何をされるのかと全員がガタガタ震え出した。
それを確認してからヒサコは馬を飛び降り、おもむろに剣を抜いた。
「ギャヒィ!」
「はいはい、動いちゃダメよ~。火傷するから」
鞘から剣が抜けると同時に、刃に炎が宿り、燃え盛った。
ヒーサの愛用の剣《松明丸》だ。今回の戦争に際し、術士を編成に加えない貧弱な火力を補うため、またヒサコをシガラ公爵の代理人であることを印象付けるため、遠征開始に先んじて送っておいたのだ。
元々はただの剣であったのだが、アーソでの動乱の際にアスプリクに魔力を付与してもらい、炎の燃え盛る剣となって戦い抜いた。
その後に炎の剣『松明丸』と名付け、さらにアスプリクに術式の常駐化の儀式を施してもらって、魔力源さえあれば魔力を帯びた炎を呼び出せる仕様になっていた。
なお、魔力源はテアが担っており、テアから本体へ、 本体から分身体へとリレーされており、枯渇の心配もなく、思う存分に炎の剣を振るうことができた。
「通訳さん、この小鬼達に、陣地に向かって助けを呼ぶように叫ばせて」
「ハッ! 畏まりました!」
通訳兵は聞き苦しい言葉を小鬼達に投げかけると、口々に何かを叫び出した。
ヒサコにはそれが何なのかは聞き取れなかったが、助けを呼ぶ声だということだけは分かった。
何しろ、全員がただならぬ雰囲気を帯び、必死で叫んでいるからだ。
「ほらほら、帝国の皆さん、早く助けに来ないと、こいつら全員、殺しちゃいますよ〜♪」
物騒極まる合いの手を入れるヒサコだが、当然相手には伝わらない。あくまで剣をチラつかせて、雰囲気でそれを伝えた。
敵陣地の方からも何やら騒がしく叫んでくるが、ヒサコもそれが何なのか理解できなかった。
「通訳さん、あちらはなんと?」
「よく聞き取れないのですが、娘がどうとか、叫んでいるようです」
「おや、亜人であっても、親子の情と言うものはありますか。それは重畳」
するとヒサコは手近な小鬼の娘に向かって、剣を払った。表情一つ変えず、まるで草でも刈り取るかの如く、スパッと首を跳ね飛ばしてしまった。
ゴロリと歪な球体が前に転がり落ち主いいが静寂に包まれた。
血は吹き出さない。吹き出すより先に、『松明丸』より生じた炎が切り口を焼き、切断された血管を塞いでしまったからだ。
そして、助けを叫ぶ声は悲鳴の大合唱となり、陣地から飛び出す声も何やら一層騒がしい、怒りに満ち満ちた叫び声へと変じた。
そんな憤激と絶望の空間から逃れようとしたのか、子供の小鬼が縄から上手く逃れ、陣地に向かって泣き叫びながら駆け出した。
「誰が逃げていいなんて言ったかしら!」
ヒサコは足元に転がっていた石を掴み、それを逃げる小鬼の子供に投げつけた。
勢いよく飛ぶ石は狙い通りに逃げる小鬼の足に命中。走る勢いそのままに、盛大に前のめりで倒れてしまった。
必死で起き上がろうとするも、体力的な衰弱と足の負傷によって起き上がれず、そうこうしているうちに圧政者に追いつかれ、その小さな体を踏み付けた。
それでももがく小鬼の子供に、ヒサコは足で抑えながら、冷ややかな視線で見下ろした。
「ダメよ、坊や。大人の言う事と、“圧倒的強者”の言う事はちゃんと聞かないとダメだって、父御から教わらなかった? ああ、躾のなっていない子には、お仕置きが必要ですね」
そして、もがく小さな小鬼に向かって、剣を突き立てた。差し込み、左右に抉る念の入れようで、叫ぶ間もなく小さな(ゴブリン)は絶命した。
それをちゃんと確認してから剣を抜き、切っ先を捕虜に向けて威圧し、下手に逃げればどうなるかをこれでもかと見せつけた。
さらに、陣地に向かって笑顔を振り撒きつつ、動かぬ躯を踏み付けながら煽りに煽った。
「ほぉ~れ、どうしましたか!? そこで雁首揃えているのは、揃いも揃って腑抜けばかりでございましょうか!?」
ガシッガシッと死体を踏み付け、なお挑発した。
数か月後には一児の母となる女性の行動とは思えぬ苛烈さに、味方の兵すらドン引きしてしまう程であった。
***
「何やってくれてんのよ!?」
テアの絶叫が執務室に響いたが、ヒーサは特に変わった様子もなく、書類仕事を続けていた。
分身体の視界は本体に接続しており、それを介して女神もこれを眺めていたのだが、あまりのやり口についつい叫んでしまったのだ。
「女子供を人質にとって、相手を威嚇するとか正気!?」
「女子供でなくて、大人の男ならばよろしいという評価でいいのかな?」
「いや、そうじゃなくって! やり方自体がどうなのってことよ!」
目の前の男が外道であることは、すでに嫌と言うほど思い知らされていたが、ここまで徹底されると寒気すら覚えてしまうほどだ。
亜人は性格的には粗雑で乱暴ではあるのだが、親子の情はそれなりにある。それが分かった途端に、目の前で首切りだ。
とてもではないが、まともな人間のやり方ではない。
「まあ、これはあれだ。孫子の兵法で言うところの“調虎離山”と言うやつだ。調って虎を山より離す、だ。相手に有利な位置取りを捨てさせ、逆にこちらが有利な地形に誘い込む、という立派な兵法だぞ」
「つまり、あれは挑発ってこと!?」
「いかにも」
ごくごく当たり前のことだぞ、そう言いたげな態度でヒーサは言い切った。
「防備が弱いと言えど、一応“陣”ではあるからな。柵を破壊するのも手間であるし、こちらが仕掛けては弓矢の餌食になるだけだ。ならばあちらから仕掛けさせ、しかも怒り任せに無秩序に突っ込んでもらった方が、こちらとしてもやり易い。すでに布陣はできているしな」
王国軍側はすでに横陣を布き、射撃戦ならば銃列が、接近戦であれば槍衾で、それぞれ応戦可能な状態になっていた。
整然と並ぶ槍と銃の前に闇雲に突っ込めばどうなるか、想像するのには難くない。
「う~む。何やら叫んでいるようだが、いまいち反応が鈍いな。よし、殺そう」
「え、あ、ちょっと!」
テアが制止する間もなく、遥か彼方にいるヒサコが動き出した。
燃え盛る炎の剣が一つ振るわれる度に首が飛び、命が散っていった。恐怖からの悲鳴が、あるいは命乞いの言葉が飛び交うが、ヒサコはお構いなしに斬り伏せて、たちまち人質は一人もいなくなった。
それを再び踏み付けて、切っ先を陣地に向けた。威嚇、挑発、さっさと出て行こと言わんばかりの態度であり、これが“聖女”の戦い方だと誇示した。
だが、これでも動かない。泣き叫ぶ声が響いてくるばかりだ。
「う~む。薄情な連中だな。目の前で同胞が命を散らしているというのに、助けにも動かんか。ある意味で感心する」
「こ、この外道め……!」
「やり方は一任されているはずだが?」
「今、それを思いっきり後悔しているわよ!」
テアは叫んだが、これが有効であることも同時に認めていた。
魔王は大軍勢を編成している最中である。それが集結し、怒涛の如く攻め寄せれば、まず勝ち目はない。集結前にこれを叩くのは、兵法的には有用と言わざるを得ない。
陣を捨てさせ、無秩序となった敵を叩き潰す。そういう意味では、この挑発はその前振りでしかない。
やり方はあれだが、この男はどこまでも合理的なのだ。
「まあ、私でも陣を捨てる真似はせんがな。子供の一人二人斬られた程度で心乱していては、戦国ではやっておれんてな」
「そういうあなたはどうなのよ!?」
「孫が目の前で切り捨てられたが、それがなにか?」
「んな!?」
意外な言葉に、テアは返答につまった。
「信長は酷い奴でな~。ちょっと謀反しただけで、人質にしていた孫の首を跳ね飛ばして晒し者にして、あげく『平蜘蛛茶釜を差し出せば許す』だぞ? まったく、人の命をなんだと思っているのやら。まだ十二歳の若い盛りであったのにな。普通、人質殺すと脅しながら、交渉するもんだろうが。先に人質殺してから交渉とか、とんでもない悪だぞ、あいつ」
「それをあんたが言うか!?」
嫌な思い出話を聞かされて、テアは頭を抱えた。
戦国日本に正気な奴はおらんのかと、本気で考えたほどだ。
松永久秀が特にひどいのかもしれないが。
「さて、まだ動きは見られんし、第二幕と行こうか」
「まだ続けるの!?」
「ああ。人質にはまだ“余裕”があるしな」
事も無げに言うヒーサに、テアはまだ続くのかと絶望に打ちひしがれた。
ただ早く終わってくれと願うばかりであった。
~ 第十一話に続く ~
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