第九話 激白! 赤ちゃんが出来ちゃいました!(嘘)
「えっと、忙しいのに来てもらってごめんね。ちょっと急を要する事態なのよ」
ジルゴ帝国の領域に逆侵攻をかけたヒサコであったが、ここへ来て情勢の大きな変化に見舞われ、急いで諸将に招集をかけたのだ。
最前線に張っているコルネス将軍はさすがに呼び戻せなかったが、本営近くに布陣していたサーム、アルベールの両将軍は参集に応じ、ヒサコの所へ駆けつけていた。
「まず、非常に残念な事に、夫が暗殺されました。《六星派》の手によって!」
ヒサコは怒気を強め、机に拳を勢いよく振り下ろした。
雷でも落ちたのかと思うほどの轟音と怒声が響き、サームとアルベールは思わず肩をびくつかせたほどだ。
そして、その飛び出した言葉の内容の深刻さも、同時に理解した。
目の前の女性は普段は気丈に振る舞っているが、まだ二十歳にも満たないうら若き女性なのである。
その若い身寄りで、新婚生活も戦争によって打ち砕かれ、しかもその機会が永遠に失われてしまったことも定められてしまった。
運命とは、かくも過酷な試練を与えるのかと、神を呪いたくもなった。
その怒りも理解できるし、冷静にならねばと、二人ともすぐに硬直した思考を元に戻した。
「それで、ヒサコ様、どういたしましょうか? ただちに撤退いたしますか?」
この提案はサームよりなされた。
名義だけとはいえ、後方に控えていた総大将がいきなり暗殺されたのである。将兵や、あるいはアーソの住人を慰撫するためにも、ひとまずは辺境伯領に撤収するのが常道と言えた。
なにより、夫を失った妻の想いを慮っての事でもあった。
だが、ヒサコはどこまでも常軌を逸する思考をしていた。
「撤退など論外です。構わず戦争を続けます」
「え、あ、はい、ですが」
「気を遣ってもらわなくて結構よ、サーム。私は怒ってはいますが、冷静です。今すぐにでもあいつらを血の海に沈めようと考えるくらいには理知的です」
サームにはヒサコがとても冷静であるとは思えなかった。
名目上とは言え、総大将が死亡。私人の視点であれば、夫が暗殺。これで冷静でいろと言う方が無理であった。
やはり撤退すべきと考え、サームは今一度それを促そうとした。
だが、そのすぐ横に真逆を行く者がいた。
「その通りです! ここで下がっては、却って混乱します! 予定通り前進して敵拠点を叩き、その噴き上がる炎を以て篝火と成し、無念の内にお亡くなりになられたアイク殿下の、鎮魂を祈りましょうぞ!」
ますます血気盛んなアルベールは前進を訴えた。
アルベールにしろ、アーソ出身の将兵は全員が血に飢えていた。他でもない、かつての報復に燃えているのだ。
亜人狩りを最も熱心に行っているのが彼らであり、今なお燃え盛って衰えを見せない。
かつて、自分達の家や土地を焼かれた経験があるため、それをやり返しているだけなのだ。
また、失権した領主一家の返り咲きもまだ考えている者もおり、その一助にならんと武功を求める者もいた。
つまり、それらすべてを複合すると、アーソの人間に言わせれば、大戦果を挙げての凱旋以外は有り得ないのだ。
「待て待て、アルベール殿。逸る気持ちは分かるが、アイク殿下が亡くなられて、色々と問題が生じるのだぞ。前線はヒサコ様が指揮を執り、我らもそれを御支えしているゆえ良いが、問題は領地の方だ。アイク殿下と言う旗印を失い、領民が動揺する。それを捨て置くと言うのか!?」
「サーム殿、アーソの民はそんなヤワではありません。むしろ、武功を挙げずに帰って来たと知れば、それこそ文句が出かねません。戦果! 戦果! 大戦果! それこそ、アーソの民が求める者なのです! せめて手近の宿営地くらい焼き払わねば、前に出ている我らの名誉に関わります!」
慎重かつ手堅いサームに対し、血気盛んで武功を求めるアルベール。
冷静に比較すればサームを推すのがまともな人間のすることだろうが、ヒサコはどこまでもまともではなかった。
むしろ、前に出たい気持ちが強いため、アルベールの意見をこそ、飛び出すのを待っていたのだ。
「もちろんですとも、アルベール殿。漁の成果もなく、船が手ぶらで港に戻れるわけがありません」
「まさに! あと一万は首級を挙げねば、父の墓前に供える花がございません!」
アルベールは目をぎらつかせながら、ヒサコの意見に賛同した。
何より彼には下がれない理由があった。遠く離れて暮らす妹ルルや他の領民の待遇を良くするためにも、武功を挙げて存在感を示しておかねばならなかった。
何よりも、帝国の侵攻が迫ってきている以上、今回の逆侵攻によってできる限り損害を与えておかねば、領地領民に被害が及ぶのだ。
無論、たかだか五千程度で帝国軍を壊滅させれるとは考えてはいないが、それでも敵を一人でも多く屠れば、それだけアーソへの圧が下がることを意味する。
一人でも亜人の命を刈り取れ。それが強迫観念のように、頭の中で鳴り響いているのだ。
それを汲み取るからこそ、また自分にとって都合がいいからこそ、ヒサコはアルベールの戦意の高さに称賛を示すのであった。
そうなると、サームとしては戦闘継続に賛成せざるを得なかった。
同じく手堅い用兵をするコルネスがいれば、おそらくは撤収を促すよう進言したであろうが、今は最前線で敵宿営地付近の警戒に当たっている。
もしこの場にいれば、積極攻勢派と撤収派が拮抗状態を作り、引き揚げさせるよう説得できるかもしれなかったが、いない人間をあてにすることはできなかった。
「分かりました。予定通り前進いたしましょう。ですが、あくまで今回の逆侵攻の主目的は、威力偵察であることをお忘れなきようにお願いします」
「分かっていますよ。深入りするつもりはありません。敵の反応が鈍いうちに叩けるだけ叩き、それから悠々と引き揚げますとも。ええ、首級を一万ほど挙げてからね」
ヒサコは先程のアルベールの言葉を拾い、闘志旺盛な態度をこれでもかと見せつけた。
それは実に頼もしい姿であり、慎重なサームでさえその勢いに呑まれてしまいそうになるほどだ。
だが、それもすぐに覆った。
「お二人とも、今一つ、伝えておかねばならないことがあります」
「なんでしょうか?」
「赤ちゃんができました」
ヒサコの前にいる二人は、揃って思考が停止した。ヒサコの発した言葉があまりにも斜め上を駆け抜けていったので、言葉の意味を理解できなかったのだ。
そんな困惑する二人の姿をよそに、ヒサコは自分の腹部を優しく撫で回した。
そこで、正気に戻った。
「え、あ、ひ、ヒサコ様、本当ですか!?」
「はい。間違いございません」
冗談を言っているようにも見えなかったので、サームは机に前のめりになりながら、ヒサコに向かって身を乗り出した。
「先程の言を即座に覆すことには気が引けますが、やはり言わせていただきます。撤収しましょう! お腹の御子のためにも!」
サームとしては当然の反応であった。古今、女性が指揮官となって帝国に攻め込んだ例はなく、それだけでも心配であったのだ。
もちろん、ヒサコの才覚を疑ってはいないのだが、それでも女性の指揮の下で戦うのは、何かと気を遣ってしまうものだ。
まして、その女性が孕んでいるともなると、尚更であった。
主家の御令嬢と、王子との間に儲けられた子供。もし、これに万が一の事があれば、責任の取りようがないため、サームとしてはさっさと下がってもらうよりないのだ。
ちらりと先程まで積極論を述べていたアルベールに視線を向けると、こちらも何を言うべきか迷うほどに困惑しているのが見て取れた。
いくらヒサコの才能を高く評価していると言っても、身重での指揮はさすがに無茶が過ぎた。
だが、ヒサコは困惑する二人のことなど意にも解さず、ニヤリと笑った。
「残念ですが、下がる気はありませんよ。予定通り、このまま前進です」
「し、しかし……!」
「良いですか、サーム。夫の復讐に燃えているというのもありますが、それよりもこの子の未来のために、揺るぎない武功が必要なのです」
ヒサコはゆっくりと椅子から立ち上がり、前のめりになっているサームに顔を寄せた。
サームは慌てて一歩下がって姿勢を正した。
「夫が暗殺されたのは、あたしの不手際です。よもやこちらを狙わず、後方の夫を暗殺するとは、考えもしていませんでした。失策です。ゆえに、それを挽回できる武功を挙げねばならないのです。汚名を払拭するためにも!」
ヒサコの鋭い視線が突き刺さり、二人は更に緊張の度合いを高めた。とても子供を身籠っているとは思えないほどの迫力であり、その知性や闘志が一切衰えていないことを示した。
「このまますごすご引き返したらば、ただ夫を無為に死なせた愚妻として、世間では言われる事でしょう。そうなれば私は“聖女”としての名声を失い、我が子の未来に影響します。しかし、赫々たる武勲を挙げて凱旋したらば、失点を補って余りある評価を受け、子も安泰というわけです」
「仰ることはわかりますが、それでも身重で指揮をなさり、それで万が一にもお体に障って、流れるようなことになったならば……」
「その時はその時です。流れてしまうような子であれば、神が子の誕生を望まなかったと言う事でございましょう。まあ、そうならないと信じればこそ、あたしは前に出るのです」
なお、これは完全にお芝居であり、腹の中は空っぽである。
いずれ掻っ攫ってくる赤ん坊を寝かせるための揺り籠を、事前に少しずつ形作って、時系列や振る舞いに違和感を感じさせないためだ。
「さあ、両将軍とも、今が踏ん張りどころです! 夫の仇討ちのため、こちらには下がるという選択肢はありません! 万の首を挙げ、初めて凱旋することができると心得なさい!」
「「ハッ!」」
強引に押し切られる形で、二人はヒサコの残留と指揮権を認める事となった。
本心で言えば、身重の女性に戦場をウロウロしてほしくはない。早く後方に下がって、ゆっくり安静にして欲しい。
だが、下がる気配を一向に魅せず、そのまま身重で指揮を奮うと言うのだ。
夫アイクの死が、そこまで彼女を狂わせたのだろうと、サームもアルベールも認識した。
それが壮大な計画のために必要な、巨大な劇場の芝居であるとは、この二人には全く感じる事が出来なかった。
戦争を続ける。ヒサコは望みが叶い、笑顔を見せながら腹を摩るのであった。
~ 第十話に続く ~
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