第十九話 契約! 結局、人と人を結ぶのは愛ではなく利害である!
「結局、誰も彼もがヒサコを殺すな、と言うわけですか!?」
ティースにとっては耐え難い事であった。
親の仇がようやく判明したと言うのに、状況が仇討ちを妨害する壁となり、誰も彼もがヒサコを殺すなと大合唱しているようにしか聞こえなかった。
今の今まで屈辱に耐えてきたのも、汚名を着せられた父の名誉を回復させ、伯爵家の復興を願っていたからに他ならない。
悲しむべきことに、現実は全てがティースの願いを退ける方向にばかり動いていた。
政略結婚とは言え、結婚した夫は優しくて聡明だった。だが、それは嘘。その優しさは真実に気付かせないための小道具であり、本当は狡猾極まりない悪辣な男であった。
その悪辣な男の妹が、親の仇なのだと言う。だが、殺してしまうと面倒事になるからと、止められた。
愛する人を見つけて、裏切られた。
仇を見つけて、仇討ちを止められた。
もう自分が何のために存在してるのかさえ、ティースには分からなくなっていた。
そんな打ちひしがれる妻に向け、ヒーサはとどめを入れた。
「ティースよ、復讐を果たしたいのであれば、今すぐナルとマークをヒサコにけしかけろ。結婚式に名代として派遣したとなれば、接近するのも容易いからな。殺すだけならすんなり成就するだろう。だが、その後は内乱と帝国に侵攻という災厄が同時に襲い掛かる。世界の破滅を願うのであれば、お前の復讐を果たすがいい。止めはしない」
ヒーサの発した言葉は沈黙を呼び込んだ。
ティースはどうすべきかを考え、従者の二人はその結論を待った。
二人はどんな結論であろうと、すでに受け入れる覚悟はできていた。ヒサコを殺せと命じられれば、すぐにでも駆け出して殺しに行くし、ヒーサを殺せと命じられれば、即座に飛び掛かるつもりでいた。
自分も二の次、世界も二の次、主人の命令こそ絶対であった。
そして、沈黙を破ったのはティースの、あまりに深く暗い感情を吐露した呼吸であった。
「ヒーサ、あなたは酷い人だわ。良心の呵責なんてないんでしょうね」
「そんなものはとっくの昔に捨てた。必要がないから、足枷になるから、跡形もなく煮潰してしまった」
「フフッ……、そんな人に愛されていたと勘違いして、私、バカみたいじゃない」
「気に入っているのは事実だぞ。優先順位としては高い方だ」
「愛する妻のことが、一番じゃないんだ、ふぅ~ん」
「ああ、一番可愛いのは“自分自身”だからな。人間誰しも優先順位を持っている。そして、私の持つ優先順位の最上位は、他でもない、“自分”だ」
あまりにも真っ直ぐすぎる発言に、ティースは失笑し、ヒーサも渇いた笑いが漏れてきた。
欲望に忠実だからこそ、口に出して言えた。それも自分の妻に対して。
どこまでも自分が可愛く、どこまでも欲深い、正直な戦国の梟雄の本音であった。
「だが、生き残るだけが優先ではないぞ。あくまで欲するのは、自分と言う存在であり、自分を曲げて醜く生き永らえることではない。矜持を捨て去って生きるくらいなら、私を死を選ぶ。そう、ド派手な華を添えてな」
「どこまでも欲望に忠実で、どこまでの自分本位なのね。そんな人を愛して、愛されていると勘違いして、楽しかった半年分の時間は夢幻と消えた」
「消えはしない。残り続ける。ティースが生きている限りな。苦いがあればこそ、甘いを感じることができるように、それもまた人生の糧となろう」
そう言うと、ヒーサは立ち上がり、机越しにティースの肩を掴んだ。
先程は触れられることを拒まれたが、今度は掴むことができた。すでに避けようと言う気力さえ、ティースから消え失せていたからだ。
「ティースよ、最後に確認しておきたい。ヒサコを殺して、仇討ちをしたいのだな?」
「でも、それを許してくれはしないのでしょう?」
「いいや、許可してもよい。あくまで現在の状況が悪いだけで、状況がそれを許せばヒサコは始末していい。と言うか、始末する。そして、その状況を一年以内には作ってみせよう」
「え……?」
あまりにも意外な言葉であった。色々と理由を作って止めるのかと思えば、殺してしまおうと提案してきたのだ。
泣き腫らしてしわくちゃになった顔を上げ、ティースは決意に固まった夫の顔を見つめた。
「何を呆けた顔をしている。ヒサコを始末することに私は賛成だと言っているのだ。今は状況が悪い、と言っているだけで、機会が来れば、いや、機会を作って始末するさ」
「え、ほ、本当ですか?」
「ああ。はっきり言うとな、ヒサコが怖いのだ。あれは天才ではない、一種の化物だ。どう言えばいいか……。そう、立っている舞台が大きくなれば大きくなるほど、自分をより昇華させてしまう、そういう類の存在だ。最初は捨て子、次に公爵令嬢、更に辺境伯と続いて、最後に国母摂政などというのはどうだろうか?」
「国母摂政、ですって? それじゃあ、アイク殿下と仲良さそうに振る舞っているのは!?」
「次なる舞台に立つための事前準備程度なのだろうよ。アイク殿下との間に子供を作り、その子を次か次の次あたりの国王にしてしまえば、国母と摂政を兼ねた王国乗っ取りが完了する。すべてを手にし、全てを支配する、下剋上の完成と言えるだろう」
実際、“松永久秀”はこれを狙っていた。
王家を乗っ取り、王国を支配し、下剋上を完遂する最短の道筋が、自分の完全制御下にある者を王位に就け、自分は摂政として実権を握る、と言うものであった。
そのための道として、“ヒサコの子供”か“アスプリク”を考えていた。
ただアスプリクは現段階では制御可能ではあるが、王国最強の術士であり、制御が外れてしまった際の怖さもあるので、実践を諦めていた。
一方、ヒサコとアイクの子供であれば、王家の血を引き、王位継承権が付与される可能性がある。子供を擁立すれば、それを補佐する摂政が必須であり、それにヒーサかヒサコ、どちらかを付ければ下剋上の完成だ。
「でも、アイク殿下って病弱ですから、床を同じくして子種を頂戴することなど」
「おいおい、自分の子供である必要はないのだぞ。そこら辺の子供を実子としてしまい、それをアイク殿下との子供だと言い張ればいい」
「そんなもの、《真実の耳》で看破されるのでは?」
「ああ、その通りだ。ヒサコのしてはお粗末な結果になるな。だが、あの性悪のことだ。それをすり抜ける何かを備えているのかもしれん。例えば、《真実の耳》を使った奴とつるんでいた、とかな」
いかにもあり得そうな話に、ティースは引き込まれた。
なにより許されざる暴挙に腸が煮えくり返っていた。自分の家をぶち壊したのみならず、今度は国すら乗っ取ろうとしているのである。
ヒサコを始末する正当な理由が、次々と積み重なってきていると感じ、決意をさらに固くした。
「ヒーサ、もう一度尋ねます。ヒサコを始末するのに賛成なのですね?」
「ああ。はっきり言って、ヒサコが怖い。もう制御ができないほどに大きくなりつつある。公爵家の興隆のために色々汚れ役をやってもらって、こちらも以前の事は黙して秘密にしていたが、もう意図せぬ拡大は止めねばならん。ティースにバレたのも、一つの契機なのかもしれん」
ヒーサとティースは互いに見つめ合い、視線と視線をぶつけた。互いに信頼などはない。まして愛情などもない。あるのは利益と打算による結託だけだ。
「いいでしょう。では、“契約成立”ということでいいですか?」
「そうだな。“契約”だな。こちらは一年以内にヒサコを始末する隙を探り、二人で協力してこれを始末する。ティースは毒殺事件の真相を一旦伏せておく。これでいいな?」
「いいでしょう。ですが、契約違反は死によって応じてもらいますよ」
「ああ、それは弁えている。ずっと後ろの二人が、こちらを睨んだままだからな」
実際、ナルもマークもヒーサを睨み付けたままであった。一言一句を疑い、一挙手一投足を見張り、いつでも殺すぞと言わんばかりの態度で、さすがのヒーサも冷や汗をかいていた。
「ときに、ティースよ、ヒサコの一件はどのようにして気付いた?」
「ピカピカの鍋と箸の使い方。これに金髪碧眼の娘ときて、三つの線上に存在するのが、ヒサコしかいなかったからです。動機も十分でしたしね」
「あ~、なるほど。意外と目聡いな、ティースは」
考えもしていなかった理由に、ヒーサは思わず笑ってしまった。
「ヒーサ、それともう一つ告げておきたい事があります」
「なにかな?」
「子供が出来ました」
「……え?」
あまりに突然の話に、ヒーサの思考が停止した。
どう答えていいのか分からず、沈黙のまま横に控えていたテアの方を振り向くと、テアもまた目を丸くして驚いていた。
そして、ヒーサが向き直ると、ティースがにっこりと微笑んでいた。
「一年なんて長すぎますから、この子が生まれてくるまでにしましょう。生まれ来る新しい命のために、世の中を少しでもきれいにしておきたいですからね」
「ぜ、善処します」
「善処ではダメ。必ず完遂してください」
「はい」
ヒーサは気圧されて、そう答えざるを得なかった。
ティースは不気味な笑みを浮かべているし、ナルとマークは睨むしで、とてもではないが下手な反論など許されない雰囲気であった。
そして、ヒーサの答えに満足したのか、ティースは身を翻して部屋を出ていき、従者二人もそれに続いて出ていき、扉がパタンと閉じた。
その場に残ったのは、ヒーサとテアの二人であり、ようやく過ぎ去った嵐に、どうにかこうにしのぎ切ったと安堵のため息を漏らした。
「あ~、心臓に悪いわ。どんだけ危うかったのよ、今回」
テアとしても完全に寝耳に水であった。
よもや“鍋”と“箸”から推理して、ここまで到達されるとは思ってもみなかったのだ。
毒殺事件のことなど、すでに過去の話として処理され、ようやく魔王との戦いに集中できるなと思った矢先にこれである。
妙な爆弾を掴まされた気分であった。
「うん、どうしよう、困ったぞ」
「何が?」
「ティースにバレるの、完全に想定外」
「はぁ!?」
まさかの暴露であった。
てっきり真相がバレてもいい様に準備をしていたのかと思ったら、そんなことはないとヒーサ自身の口から漏れ出したのだ。
「じゃ、じゃあ、さっきまでの冷静な対応の数々は!?」
「もちろん演技。と言うか、“あどりぶ”と言うやつだ。」
「即興!? あれが!?」
てっきりバレた時の事も考えて、事前に台本を書いていたのかと思えば、まさかのアドリブ宣言。
よもやの告白に、テアの視界はグラッと揺れた。
「いや、だって、想定外なんだし、そんな準備をしていない。情報の矛盾がない様に気を付けて喋りながら、誤魔化せそうなところは誤魔化して、どうにか凌いだだけだ」
「嘘でしょ……」
テアは脱力してその場に崩れ落ちた。
帝国との決戦が迫る中、よもやのとんでもない爆弾を抱えることとなってしまった。
~ 第二十話に続く ~
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