第二十話 御初会! そして、悪役令嬢と色欲侍女は抱擁を交わす!
そこはシガラ公爵の邸宅の一室。冬着用の衣裳部屋であり、現在は人の出入りするような場所ではない。それゆえに、“密談”をするのにはちょうど良かった。
その薄暗い部屋の中に、二人の女性がいた。女性と言っても、一人は少女と言ってもいい若者で、ヒーサの専属侍女のリリンであり、もう一人はこれまた同じく専属侍女のテアであった。
「で、テア先輩、話ってなんですか?」
この部屋に呼び出したのはテアであり、ヒーサに関することで確認しておきたいことがあると、リリンを呼び寄せたのだ。
リリンは少しばかり機嫌が悪かった。というのも、この数日、ヒーサから夜のお誘いが一向にないからだ。
ヒーサは現在、多忙を極めていた。父と兄を同時に失い、公爵としての職務を代行している状態であるからだ。二人の葬儀の手配はもちろんのこと、領地の経営に、領民や商人からの陳情、財の管理、挙げていけばキリがないほど仕事が次から次へとやって来るのだ。
それをヒーサは処理していた。
しかし、家臣一同が驚いたのは、ヒーサの行政手腕が卓越していた点であった。医者、学者としての学識が優れている点は認めていたが、まさか行政に関しても優れた手腕を持っていたとは考えもしなかったのだ。まるで“手慣れている”かのように次々と案件を処理し、書記官も会計官も驚かずにはいられなかった。
そんな合間にも医者としての研鑽は積みたいようで、離れにある診療所には足しげく通い、どこまでも学問に対する凄い熱意だと、家臣一同ますますヒーサに対して畏敬の念を抱くようになった。
一方で、リリンは宙ぶらりんの状態であった。確かに、身の回りの世話を任されているので、着替えの用意や寝室等の私室の清掃など、やることはやっている。しかし、診療所への立ち入りは禁じられており、また疲れているからと夜伽に呼ばれることもなかった。
こちらから声をかけることは侍従頭のアサに禁じられており、禁を破ろうものならどんな説教が飛んでくるか知れたものではなかったので、ここ数日は我慢のしっぱなしである。
一方で、リリンの目の前にいるテアは、はっきり言えば別格扱いであった。医者としての従者という役目があるので、診療所への立ち入りはできるし、領地経営の手腕を振るうヒーサにも側近くに侍り、実質行政秘書官も兼ねている状態だ。
読み書き計算ならどうにかできる程度のリリンでは、到底及びもしない学識の持ち主であることを見せつけられており、テアに対しては敬意以上に嫉妬の念がわいてきている状態であった。
そして、今現在の対峙である。リリンは少し前までテアに対しての優越意識もあったが、今では完全に吹き飛んでいる状態であり、どうにかしてヒーサに自分を売り込まねばと焦っていた。
「話と言うのは、あなたに確認を取っておきたいことがあるのよ」
そう切り出したテアの表情も、今までにない神妙な面持ちであった。ただならぬことだとリリンも察し、ひとまずは蠢く感情を隅に追いやり、話に集中することにした。
「確認と言いますと?」
「このまま、ヒーサ様に仕えていくのかどうか、ということよ」
リリンにとっては根源的な質問であり、すでに決意している話でもあった。それはテアも認識しているであろうし、なぜあえて尋ねてくるのか、それが見えてこなかった。
「もちろん、どこまでもお仕えします。夜伽のお声掛かりがないのは寂しいですが」
「まあ、そういう返答にはなるでしょうね」
リリンの答えは当然ながらテアも予想しており、特にこれと言った反応を示さなかった。
「問題は、ヒーサ様の立場が、前より緩くはなくなったことよ。それは分かるでしょう?」
「そりゃあ、まあ、ねえ。公爵の次男坊から、公爵そのものになっちゃったんだしね。本来なら、兄のセイン様が家督を継ぐはずだったのに、あんなことになるなんてね」
マイスとセインが同時に亡くなってしまい、いまやヒーサが公爵家当主になってしまった。次男坊と言う緩めの立場が消え失せ、大貴族の当主になった。
これは当人のみならず、周囲を固める側近にも変化を求められることであった。
「いい? 先頃の“暗殺”の件もあるし、ヒーサ様の護衛はきっちりしないといけない。側に侍る私達もその心構えがいる。いざとなったら、毒見を行ったり、あるいは身を挺して矢弾を止めないといけない場面に出くわすかもしれない。次男坊なら緩い立場だし、そういうこととは無縁でいられたけど、今はそうではないわ。誰かに狙われている、常にそう考えてないとダメ」
「いつでも身代わりになる覚悟でいろと?」
「はっきり言うと、そうなるかしらね」
テアの言わんとすることも、リリンには理解できた。暗殺騒ぎで皆が過敏になっているのだし、ヒーサにもしものことがあれば、それこそ公爵家が崩壊しかねない事態となる。侍女の一人二人盾にして、使い潰す場面も出てくる可能性もあるのだ。
いざと言う時の動きができるのか、それをテアは問いかけているのだ。
「テア先輩はその覚悟をお持ちなのですか?」
「覚悟と言うか、切っても切れない縁なのかしらね」
テアの何気ない言葉に、リリンは言い表せないほどの嫉妬を覚えた。
リリンは公爵家に仕えるようになってまだ日が浅い。ゆえに、ヒーサとテアがそれ以前にどういう繋がりがあったのかはよく知らなかった。だが、切っても切れない縁と言い張れるだけの何かがあることだけは確かであった。
そして、自分とヒーサの間にはそれだけの積み重ねも、それによる信頼も薄いということも思い知らされた。
ならば、答えは一つ。今から積み上げていくだけのことだ。
「それなら、私だってヒーサ様にお仕えする身の上として、身を挺してお役立ちしてみせます」
「・・・覚悟は固まった、という認識でいいかしら?」
「もちろんです!」
リリンは力強く頷き、テアもまたそれに応じてリリンの肩に手を置き、その覚悟を受け取った。
実際、この答弁はヒーサの指示によるものであった。いくつかの予想するパターンをテアにあらかじめ吹き込んでおき、受け答えさせていたのだ。
そして、リリンが選んだ選択肢もまた、ヒーサの予想する範囲内であった。
「いいわ。なら、付いて来てちょうだい。あなたに会わせたい人がいる」
テアは踵を返し、部屋を出ていくと、リリンもまたそれに続いて後を追った。
***
どこに案内されるのかとリリンは少しばかり不安になったが、着いたのは屋敷の離れにあるヒーサの診療所であった。
「え? ここ?」
まさかの診療所にリリンは驚いた。てっきり、どこか屋敷の隅の方で誰かと落ち合うものかと思っていたら、見慣れた診療所に案内されたからだ。
「そうよ。リリン、もう一度確認するけど、本当に覚悟はできているのね? あの診療所の中にいる人に会うと、本当に後戻りできなくなるわよ?」
やけに念入りに確認してくるテアに、リリンは僅かばかりの不信感を覚えた。できればこっちに来てほしくない、そう言いたげな雰囲気であった。
しかし、それをリリンは突っぱね、扉のドアノブに手をかけ、ササッと中へと入っていった。
中に入ると、そこには一人の女性が椅子に腰かけていた。長い金髪に澄んだ碧眼、そして、整った顔立ちをしているが、なにか陰が差している感じも漂わせていた。リリンは室内に視線を泳がせても他に人影もなく、ヒーサもいるものだと思っていたが、その女性一人だけであった。
「あら、あなたがリリンね。お兄様から色々と伺っているわ」
「ええっと・・・」
にこやかな笑みと共に話しかけられたが、要領を得られず、視線をテアに向けて助けを求めた。
「こちらの方はヒサコ様。ヒーサ様の妹君にあらせられます」
「ヒーサ様の・・・、妹ぉ!?」
説明に驚き、リリンはじっくりと目の前の女性を観察した。雰囲気はまったく別物であるが、顔立ちは確かにどことなく似ており、兄妹と言われればなるほどと納得してしまうほどであった。
「でも、セイン様以外に兄弟姉妹がいるなんて、全然聞いたことがないんですけど?」
「それは、ヒサコ様が双子だからですよ」
「ああ、それで」
テアの説明を聞き、リリンは納得した。
多産は畜生の証であり、特に相続の問題が絡む貴族は、双子と言う存在を嫌っていた。そのため、双子が生まれた場合は、その場で殺すか、捨てられるか、あるいは養子に出されるのが常である。
目の前のヒサコという女性もまた、どこかに養子に出されたのだろう。
「ヒーサ様の妹君とは知らず、ご無礼いたしました。ヒーサ様の専属侍女を仰せつかっておりますリリンと申します。以後お見知りおきを」
リリンは恭しく頭を下げ、ヒサコに対して拝礼した。普段は少々お調子者だが、礼儀作法に関してはアサの指導が行き届いており、この程度の立ち振る舞いなら普通にできた。
「でも、テア先輩が知ってたってことは、その、前々から面識があったと?」
「あたしが生まれた時からかな~」
「生まれた時から!?」
ヒサコからの意外過ぎる言葉に、リリンは目を丸くして驚いた。ヒーサと同い年であるならば、ヒサコは現在十七歳。その十七歳の女性を“生まれた時から”知っているとなると、テアはいったい何歳なのか、この疑問が生み出されたのだ。
ちなみに、ヒサコの言葉に嘘はない。女神テアニンの手によってこの世界に松永久秀が転生した姿がヒーサであり、スキル《性転換》を使って変身した姿がヒサコなのである。
つまり、ヒサコが生まれたのはごく最近であり、その元凶である女神が見知っているのは当然であった。
(ややこしい誤解を生む発言は控えてよ、ったく)
テアは心の中で悪態を付きながら平静を装い、イラっとした感情を抑え込んだ。
「質問、テア先輩、齢いくつ?」
「き、機密事項です」
さすがに女神の実年齢を言うわけにはいかず、口を閉ざした。
「まあまあ、そういう雑談は後回しにして、さっさと本題に入りましょうか」
ヒサコはゆっくりとした足取りでリリンに近付き、両腕をその首に回して顔に密着させてきた。口を開けば吐息がかかるほどの近距離だ。
何事かとリリンは驚き、顔を赤くしたが、ヒサコはそれを見てニヤリと笑った。
「私はね、リリン。いわゆる“裏仕事”に従事しているのよ。今回の騒動の裏を調べるために、私の身の上を知っていたお兄様が呼び寄せたの。で、あなたにはそのお手伝いをお願いしたい。だから、ここに呼んだというわけ」
言葉を発する度にヒサコの息が吹きかかり、リリンはますます顔を赤らめた。なんでこの人、こんなにグイグイ来るんだろうと、頭が混乱した。
なお、同一人物ともっとすごいことをしているのだが、それはさすがに気付けなかった。
「ひ、ヒサコ様、お手伝いとは具体的に……」
「私は表に出てこれないから、表にいるお兄様との繋ぎ役ね。あと、工作時に人手がいる時があるから、それの手伝いって感じになるかしらね」
「な、なるほど」
まだ離してもらえないので、息が再びかかった。リリンは少し体をモゾモゾさせて気恥ずかしさをアピールするが、ヒサコはお構いなしであった。
「そんなわけで、リリン、あなたには期待しているわよ。お兄様も期待していると言ってたわ。最近はあちこち忙しくて飛び回っているけど、騒動が一区切りついたら、また床を同じくしてもらおうか、だって! キャ~、このスケベメイドめ♪」
ヒサコは笑いながらリリンの頬を指で突き、大いに茶化した。
ちなみに、こういう際の対処法をリリンは身に着けていなかった。アサの指導も、さすがにこの状況は想定外も想定外であった。
とはいえ、当人の口からは聞けなかったが、平穏な日々が戻ってきさえすれば、また以前のように抱き締めてもらえると知って、リリンは幸せな気分になった。
「でもまあ、今この騒動が落ち着くまでは、お兄様も忙しいし、私も忙しい。だから、あなたにも頑張ってもらいたいの。いいわね?」
「もちろんでございます、ヒサコ様! なんでもお命じください!」
「そう、それじゃあ、これからの働きに期待させてもらうわね」
ヒサコはまだ指で小突き続け、リリンはくすぐったそうに笑っていた。
なお、それを側から見ているテアにとっては、どうしたものかと考えさせられる一幕であった。なにしろ、ヒサコの正体はヒーサで、ちょっと前まで毎晩繰り広げられた隣人泣かせの傍迷惑行為であり、さらに言うとヒーサの中身は七十の爺である。
正体知ったらどう思うだろうかな~、などと後輩の顔を憐れみながら眺めた。
(完全に騙されてるわね、リリン。ご愁傷様。まあ、取りあえずは元気になったのはいいにしても、こういうことを意味もなくするとは思えないんだけどな~)
テアはいまいち掴めぬ戦国の梟雄の本心に不穏な空気を感じつつも、今は生暖かく見守ろうかと考え、悪の御令嬢と色狂いの侍女の姿を眺めるのであった。
~ 第二十一話に続く ~
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ヾ(*´∀`*)ノ




