第七話 愚痴れる友! 密偵頭、主人に悩みを打ち明けられる!
久しぶりの実家だと言うのに、ティースの悩みは重くのしかかるばかりであった。今のソファーに身を預け、何気なしに窓の外の景色を眺めていた。
悩みは一つ。安楽な“公爵夫人”として今後を過ごすのか、それともいばらの道に等しい“伯爵家当主”として突き進むのか。
悩み、考え抜けど、未だに答えは出てこない。
そんな悩める女伯爵のところに、メイドが一人やって来た。
「こちらにおいででしたか、ティース様」
やって来たメイド、それはティースにとっては信頼できる数少ない家臣であり、気兼ねなく話せる友でもある、密偵頭のナルであった。
ナルもまた、この久方ぶりの里帰りに同行し、伯爵領の調査に当たっていた。
ティースにとっては久方ぶりの帰省ではあるが、ナルは時折戻ってかつての家臣団に指示を出したり、あるいは情報収集をしたりと、何度か足を運んでいた。
そして、訪れる度にカウラ伯爵領が変わっていき、かつての面影が薄れていく現実を、ある意味でも最も見てきた人物でもあった。
ティースがいきなり帰省すると言い出したのも、ナルの報告を聞いて、一度は自分の目で見ておかねばと言う思いが芽生えたからに他ならない。
「それで、今回の巡察はどうだった?」
「はっきり言って、順調そのもの。新しく入植してきた者との軋轢もなく、極めて平和裏な入植が成されています。懸念されていた物資不足も、ヒーサの完璧とも言える差配で、特に問題らしい問題も出ておりません。食料も、資材も、滞りなく回っていました」
「ほんと、ヒーサは凄いわね。何をどうやったら、あんなに正確にできるんだか」
はっきり言って、異常とも言える処理能力であった。
“算盤”と“複式簿記”という画期的な道具と技法を用い、行政効率が他所とは比較にできないレベルで向上させたその手腕は、ティースの目からは何かの魔術かと思ったほどだ。
おまけに、村やら工房やらを建築する際には、自分で図面を引いて、縄張りまでやってしまう始末。
妙に楽しそうであったし、本当に医者が本職なのか、と疑ってしまったほどだ。
「以前言ってたわよね、ナル。ヒーサの事を、“公爵の地位を持つ医者の仮面を被った暗殺者”だって。なんか今回の働きぶりを見てるとさ、それに商人や建築家まで加わりそうなんだけど!?」
「ええ、その通りです。底の知れない人です。と言うより、好きなことを好きなだけやる、と評した方がいいかもしれません」
「え、なに、放蕩者っぽい評価は」
「放蕩者、言い得て妙ですね。趣味に生きる、道楽こそ第一、その他の事は些事であり余興。心の中ではそう考えているのかもしれません」
「それでこれだけ働けるんなら、普通の人はたまったもんじゃないわね」
ヒーサの異常なまでの働きぶりや熱意は、趣味のための時間作りと考えると、それへの情熱はすさまじいものとなるであろうとティースは考えた。
なお、ティースの与り知らない事ではあるが、ヒーサは直近の出来事だけでも、茶の木を手に入れるためにエルフの里を一つ焼き払い、神に準ずる純エルフを暗殺し、その娘を口八丁で連れて帰ったりしていた。
すべては『喫茶文化推進計画』を完遂するためだけである。
「ああ、そういえば、マークはどうしたの?」
マークはティースの従者で、ナルの義弟でもある少年だ。
姉同様、密偵や暗殺者としての訓練を受け、しかも極めて優秀な術士であり、ヒーサが是非にも配下に欲しいと垂涎したほどであったが、ナル同様にティースへの忠誠を貫いていた。
「それが、人手が、と言うより、術士の頭数が欲しいと、新規開拓中の畑の開墾に駆り出されました」
「ああ、例の場所? ちょっと傾斜になっててあれだけど、前に『ようやく見つけたぁ!』ってアスプリクが絶叫してたやつ」
「はい、そちらの畑です。どうもヒーサが言っていた、“茶の木”を育てるのに、適した場所だそうです。急ぎで仕上げろと言って、公爵領に戻っていかれましたが」
「ヒーサがずっと探してたって言ってた場所だからね。あの子も必死なんでしょうよ」
ティースにとって、アスプリクへ抱く感情は複雑である。
出会った頃に抱いてきた感情は、危機感と嫉妬であった。
なにしろ、ヒーサに対してはまだ警戒していた頃の話であり、一歩踏み込めないでいた自分よりも、随分と距離を詰めていたからだ。
あの時は本気で焦っていた。破産寸前の女伯爵と、王女にして国一番の術士、天秤にかけられたら勝負にすらならない。あの段階でヒーサに捨てられていたらと思うと、なかなかに恐ろしい想像であった。
必要以上に攻撃的になり、突き放していたが、それは表面的な情報しか掬っていなかったからであり、裏の事情も把握していたヒーサがアスプリクに甘い対応をしてきた件を誤解していた。
その裏の事情を知ることができてからは、ティースもアスプリクへの攻撃的な態度を改め、今では普通に話せるまでになっていた。
ゆえに今のティースがアスプリクに向けている感情は、夫にべったりしている娘への嫉妬という点もあるが、その苦難の道のりを知ってしまった者としての同情の方を強く抱いていた。
もう少し仲良くしたいと思いつつも、全ての肩書を捨てて自由気ままに過ごしている現在のアスプリクが、羨ましくも妬ましく、ほんの一歩の距離を埋められないでいた。
「でも、急がせているってことは、ヒサコがじきに戻ってくる前兆かもしれないわね」
「おそらくは。種が届き次第、すぐに栽培が始められるよう、畑の整備を急いでやらせているととれなくもないですね」
「あぁ~、またあの鬱陶しい顔を拝まなきゃダメなの~」
ティースは義妹を心底嫌っているので、戻ってきて欲しくはなかった。あれほど神に天罰を下してやってくださいと祈ったにも関わらず、効果はなかったようだ。
なんとも、祈り甲斐のない神様だと心の中で悪態ついた。
「アーソはともかく、他領域が不安な以上、こちらに戻ってくるかは微妙ですが。もし、私が教団側の幹部なら、呑気に旅をしているヒサコを襲い、ヒーサへの交渉材料にします」
「いっそのこと、そのまま聖女様を魔女として火炙りにしてほしいんだけど、そこまで期待するのは無理かな~」
「それをやってしまうと、教団は困ったことになります。王家との関係も、シガラ公爵家との関係も、完全に破綻することを意味しますから」
すでに、ヒサコと第一王子アイクとの婚儀の話は進んでいると、どちらも聞かされていた。そこにヒサコの処刑などという話になったら、王家と公爵家に同時に宣戦布告するような愚挙である。
人質ならばともかく、処刑では本当に破滅を招きかねないのだ。
「問題は今の教団上層部に、冷静な判断を下せる人が、いるかどうかなのよね。教団のメンツを潰したのは、間違いなくヒーサとヒサコなんだし、血が上ってつい、なんてことを私は期待しているわ」
「期待しないでください。帝国の動向が不安な時に、内戦なんてやっている場合ではありません。わざわざ隙を晒すようなものです」
「そうなんだけどさ、今の教団幹部にヨハネス枢機卿以外にまともなのがいると思う? ロドリゲス枢機卿に至っては、もはや発狂レベルの狂人よ。まあ、その引き金を引いたのは私だけど」
ロドリゲスがシガラに訪れた際、嘘の報告を行ってヒーサを激怒させたのだが、そのやり取りの際にアスプリクの抱えていた裏の事情を知るきっかけとなった。
ティースは即座にロドリゲスを締め上げようと、ナルとマークをけしかけ、アスプリクに対しての土下座を強要した。
そこからがヒーサの本領発揮であった。
ロドリゲスがアスプリクに“土下座”をしたのは、年端のいかぬ少女の純潔を奪い、手籠めにしたからだ、という話を流布させたのだ。
土下座をしたのは事実であるが、ロドリゲスがアスプリクを襲ったことはない。だが、別の幹部がアスプリクを辱めたのは事実であり、アスプリクもまた幹部から夜伽を強要されたことがあったと告白した。
問題は、それらのバラバラの事実が重なり合い、噂を流す過程で“ロドリゲスがアスプリクを辱めた”ということが事実として、世間では固定化されてしまったことだ。
これでロドリゲスは面目丸潰れとなり、シガラ公爵領への聖戦を呼びかけようとしたほどだ。
だが、これに待ったをかけたのが、ヨハネスであった。
聖戦の恣意的な発動など認められず、逆に近いうちに行われる可能性が高い法王選挙に出馬するとすら表明した。
ヨハネスの出馬表明の裏では、宰相のジェイクとヒーサに焚きつけられたと言う事情があった。
シガラ教区の独立と独自の法王の擁立、これはヨハネスの予想を超える出来事であったが、「あなたが法王になればいい。唯一話し合いでの解決が図れる道だ。全力で支持する」と二人から勧められ、出馬を決意したのだ。
なにより、今のロドリゲスの体たらくでは法王など任せられる気にもなれなかった。
特に問題なのは世間の評判が失墜している教団に、これまた少女略取の噂の立つ人物が法王になった場合どうなるか、想像するのに難くはなかった。
ヨハネスは出馬するつもりなどなかったのに、ジェイクやヒーサの言う通り、自分以外にはもはや誰が法王になっても破滅しかなく、それを回避するための出馬であった。
「教団は内部分裂、王家は荒れる国内の調停に奔走して身動きが取れない。渦のど真ん中に居ながら、なぜか順調なシガラ公爵家。この状況、ナルはどう見る?」
「ほぼ間違いなく、ヒーサの掌の上で、踊らされた結果かと。どう考えても、事態がシガラにとって都合のいい展開が続き過ぎています」
「だよね~。ヒーサもどんな手品を使ったら、こんな状況を作り出せるのか、聞きたいくらいよ」
「聞けば教えてくれるかもしれませんよ。なにしろ、ティース様はヒーサの奥方なのですから」
「それは皮肉? それとも本気?」
「どちらかと言いますと、後者です。出会った頃は随分と警戒され、あちらの行動も慎重でしたが、今は解れてきたと言って差し障りないかと」
なお、それは逆の立場でも当てはまっていた。ティースもまた、当初よりは柔軟性が生じ、ヒーサの事を多少なりとも信用するようになっていた。
ナルとしては、それはそれでよかったのである。
「伯爵家の繁栄と、ティース個人の幸せ、どちらかを選択しなければならないのだとすれば、どちらを選択するか?」
以前、ナルはヒーサからこう尋ねられた。
両立するのが最善であるが、選べと言われたら、間違いなく後者を選択すると答えたものだ。
そして、その考えは今も変わっていない。
このまま“公爵夫人”として過ごし、子供の内の一人が伯爵家を復活させる。現状考えることができる、最も穏便な道筋がこれであろう。
“伯爵家当主”として先代の復讐に狂い、身も心も焦がすような姿は、主人に仕える従者として、あるいは気心の知れた友人として、見たくはないのだ。
「率直にお尋ねしますが、ティース様、あなたはヒーサの事をどう見ておりますか?」
このナルの問いかけは、簡単に答えを出せるものでもなかった。含意が多すぎて、その答えが多岐にわたるためだ。
自分がどの立場でヒーサを見るか、これによっていくらでも回答が変わると言ってもいい。
少しの間、窓の外を眺めつつ考え、そして、口を開いた。
「愛しい人、かな。もうヒーサ抜きでの生活など、考えられないほどに」
「左様でございますか。そのようにお考えなのでしたらば、私もそのように振る舞います。心穏やかに過ごされた方が、お腹の御子にも障りがないでしょう」
いきなり投げつけられたナルの言葉に、ティースは目を丸くして驚いた。話していないはずの事を、見事に言い当てられたからだ。
「ナル、あなた、気付いていたの!?」
「こうして普段出かけられない伯爵領に戻るという感傷旅行。もしやと思ってかまをかけましたが、図星だったようでございますね」
「あら、これは失態。まんまと騙されたわ」
ティースは騙されたと言うのに、気分を害することなく笑顔で応じた。やはり長年付き従っている従者にして友人をごまかしきるには、自分の演技など高が知れているというわけだ。
「数日前からね、そうした兆候が感じられるようになったの。悪阻、だっけ? なんかこう、吐き気って言うか、妙な倦怠感って言うか」
「間違いなさそうでございますね。ティース様、ご懐妊、おめでとうございます」
ナルは公爵夫人への礼に則り、恭しく頭を下げた。
子供は未来の希望そのものだ。こうして一人目、次に二人目と産んでいき、未来を紡いでいくのだ。
そうなってこそ、穏当に伯爵家が甦る道筋が出来上がるのだ。
「それで、ヒーサにはいつお伝えになられますか?」
「もう少し待ってからにするわ。面白そうな場面で話して、ヒーサの顎が外れるのを見てみたい」
「そうですか、そうですか。ならば、いつ話すべきか、二人で考えましょうか」
「ええ、そうしましょう。今日はもう、日も傾きかけていますし、マークの耕しているという畑は、明日見学と言うことにしましょう」
どうやってあの頭の回る貴公子を驚かせてやろうか、二人は頭を悩ませると言う楽しいひとときを過ごすこととなった。
いかにしてヒーサを出し抜いてやろうか、いかに驚愕の表情を作り出してやろうか、気の通じ合う友人同士として果てのない議論を続けることとなった。
~ 第八話に続く ~
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