第六話 里帰り! 公爵夫人は思い悩む!
“カウラ伯爵領”
そこはシガラ公爵領に隣接する場所で、カウラ伯爵トーガ家の領地だ。
トーガ家は古くから続く家系であるが、特にこれと言った目立った貴族でもなく、どこにでもいるような地方領主であった。
カウラとシガラは良好な関係にあり、それぞれの先代当主は自分達の子供を結婚させ、更なる懇意を深めようと考えた。シガラ公爵家からは次男のヒーサを、カウラ伯爵家からは長女のティースを、この二人で婚儀を結び、両家の結び付きを強めることになるだろうと期待された。
だが、その試みは悲劇によって崩壊した。
“野心溢れる”カウラ伯爵ボースンは、シガラ公爵家の乗っ取りを謀り、あろうことか異端宗派《六星派》と手を結び、毒を以てシガラ公爵マイスと嫡男セインを暗殺した。
しかし、暗殺現場に遅れて駆けつけたヒーサが、その“機転と本草学の知識”でボースンの野望を見破り、これを捕縛することに成功した。
“裏の事情”が露見することを恐れた《六星派》は、伯爵家の嫡男キッシュを事故に見せかけて殺し、ボースンももはやこれまでとばかりに幽閉先で首を吊った。
さらに内通者の口封じのために、公爵家の屋敷で働いていた侍女や周辺の荒くれ者も殺害した。
こうした事情もあって、両家はメチャクチャになったが、新しく公爵家当主になったヒーサがガタついた家中を見事に立て直し、同時にカウラ伯爵家の当主になったティースと婚儀を結んで、両家のわだかまりを解消しようと奔走し、現在はどうにか落ち着いた。
これが『シガラ公爵毒殺事件』の内容やその顛末であり、少なくとも世間ではそう思われていた。
だが、これに異を唱える者がいた。他でもない、事件の当事者でもある、カウラ伯爵家当主ティースだ。
ティースは父がそのような暴挙に出るなどとても信じられず、何者かによって濡れ衣を着せられていると考え、密かに事件の真相を探っていた。
当初は、夫となったヒーサの事を疑っていた。事件による最大の利益を受けたのがヒーサであり、利益を受けた者こそ犯人という考えから目星を付けたのだ。
だが、実際に会ってみたヒーサは極めて“誠実”であり、“人格者”であった。たまに抜けていたり、痛い冗談を飛ばしてきたり、スケベだったりするのだが、とても“人を貶めるような悪党”とは思えない優しい男であった。
なにより義妹のヒサコの方が問題で、そちらに意識が行ってしまうのだ。事ある毎に喧嘩を売って来て、それでいて追及は飄々とすり抜けてしまい、イライラだけが募っていた。
そうしたやり過ぎな点をとうとうヒーサに咎められ、屋敷から追い出された時は清々した気分を感じたほどだ。
優しい夫がいて、鬱陶しい義妹が消えた。そう言う意味では、今の生活はティースにとって、非常に望ましい状態と言えた。
(そう、何もかもが変わっていく。たった半年くらい前までは想像もできなかったほど、世界が変わっていってしまった)
久しぶりに戻って来た“自分”の領地は、すっかり“夫”の色に染め上げられていた。
時間にして半年。王都で結婚式を挙げ、最低限の荷物を取りに領地に戻り、それから公爵領に移り住んで、まだ半年程度なのだ。
移り住んでからというもの、領地の運営は残してきた家臣に任せきりなのだが、徐々に公爵家の人間が入り込んできて、あれこれ差配を始めた。
当主が公爵領に移り住んだため、実質的には人質に近く、伯爵家の家臣団も公爵家側に強くは出れず、面従腹背で応じる事となった。
だが、公爵家側の人間は極めて誠実かつ丁寧であった。ヒーサからは「妻の実家であり、財産だ。横柄な態度は慎み、住んでいる領民、城館に出仕する家臣らにも、失礼のない様に行動せよ」と強く念押しされていたためだ。
そのため、伯爵家側も軟化していった。
何より、その最大の理由は、ティース自身がヒーサの誠実さに絆され、夫に惹かれるようになったためだ。
今は苦しくとも、子が生まれれば、その世代には伯爵家は復活できる。そうティース自身に諭されては、伯爵家の家臣団もそれに従わざるを得なかった。
そんな状況が劇的に変化したのは、『アーソ辺境伯領の大逆事件』の後からだ。遥か遠方での反乱騒ぎではあるが、その後にヒーサが打ちだした数々の政策、具体的には“術士の管理運営の自由化”と“十分の一税の廃止”と“シガラ教区の教団独立と法王の擁立”、これらが状況を劇的に変化させた。
要するに、《五星教》の特権を廃し、さらには勝手に法王を立て、独自路線でやっていく、という宣言だ。
ここで重要なのは、教団からは独立するが、王国には残留する。これを徹底したことだ。
ヒーサは教団への上納金を停止する一方、王家への上納金は続けるどころか上乗せすらしていた。さらに中央の大臣以下、有力者には“誠意”を以て応え、繋がりを維持した。
元々、教団の事を快く思っていない者も多く、中には教団への排斥に舵を切ろうとした地方貴族もいたほどであった。
そうした騒動の中で、シガラ公爵領への人々の流入が激増したのだ。教団には“術士の管理運営”が専権事項とされており、術士の教育から運用まで、そのすべてを任されてきた。
そのため、教団に属さない術士は異端者として弾圧し、後ろ盾のない下級の神官は使い潰しに近い扱いで酷使されてきた。
そこに、ヒーサが打ち出した教団改革である。隠れ潜んでいた隠遁者の術士、あるいは待遇の悪かった神官がこぞって公爵領に流入したのだ。
これに対して、ヒーサは術士を戦いではなく、産業の生産向上に当てた。開墾や農作物の生産に術の力を用い、あるいは特産品の作成に力を注ぐなど、農地に、工房に、商店に、職を斡旋して増えた人口の受け皿を次々と用意した。
そして、公爵領だけでは手狭になりつつあったため、伯爵領の開墾にも乗り出したのだ。
森は切り開かれ、次々と新しい農地が整備されていった。そこに家屋も立ち並び、農村としての機能が備わり、次々と入植者が領内に引っ越してきた。
現在、ティースが確認しているだけでも、入植者の数は二千に達していた。
つい先年、伯爵領の総人口が一万を超えたと皆で喜んだことを覚えていたため、実に二ヶ月ほどの短期間で、人口が二割も増えた計算になる。
人口急増で破綻しなかったのは、ヒーサが策定した入植計画が極めて精緻であり、同時に術士の管理を任されているアスプリクの差配も優秀だったからだ。
これでがらりと伯爵領の雰囲気が変わり、その手際の良さにすっかり呑まれてしまった状態だ。
「私が力量不足なのだろうか?」
誰もいなくなったがらんどうの屋敷の居間で、ソファーに身を投げてそう思うティースであった。
母は早くに亡くしたが、優しい父や兄がいた。
傅く家臣もいた。執事、侍女、庭師、調理師、厩舎番、多くの人々がこの屋敷にいた。
だが、今は誰もいなくなった。
手入れはされているが、すでに空っぽに等しい。住むべき主人は、他領に移り住み、ここに来ることは本当に稀なのだ。
手に入れたものもあるが、失ったものも多い。見慣れた顔は領内の各所に散り、今与えられているそれぞれの職務に就いている。
なお、その職を斡旋したのは、自分ではなく夫のヒーサだ。
名義しか残っていない伯爵家に仕えるよりも、開拓事業で活気のある現場に行った方が遥かにマシだろう。そういう心配りであった。
ヒーサは極めて優秀だと、ティースは側にいて強く感じていた。
自分はできる女だと言う自負はあった。武芸全般に通じ、読み書き計算もこなし、史書や兵法書にも目を通して、研鑽を重ねてきた。
だが、ヒーサはその上を行っていた。遥かな高みから、見下ろされているという自覚すらあった。
武芸はともかくにしても、知性、懐の深さ、人を惹きつけまとめ上げる力は本物であり、自分では届かない領域に到達していると言ってもいい。
頼もしくもあるが、同時に何もできない自分が情けなくもある。
無論、ヒーサはそんなことを一切、態度にも言葉にも出さない。それどころか、領主としての仕事中は秘書官として帯同しているティースに対して、よくやってくれていて感謝している、とすら述べていた。
そう、ティースにとって、今の生活は居心地が良すぎるのだ。果たすべき復讐があるというのに、それを横に追いやってしまいそうになる、自分自身に嫌気すら覚えていた。
だが、この屋敷に来て、久方ぶりの誰もいない実家に戻って来て、ようやくに思い出したのだ。
「そうだ。私にはやらねばならないことがある。父の汚名を晴らすため、なんとしても事件の裏に潜む真相に辿り着かねば!」
拳を天上に向かって突き上げ、気持ちを新たにするティースであった。
だが、その想いとは裏腹に、調査はまったく進展を迎えないまま半年が過ぎていた。
あの忌まわしい事件から半年、何の手掛かりも掴めていないのだ。
証拠は跡形もなく消され、証人もすでに故人になった人々ばかりだ。唯一の手掛かりは、父ボースンに毒キノコを渡したと言う“村娘”なのだが、それがどこにもいないのだ。
ほぼしらみつぶしに近い形で、公爵領内の若い女性に絞って捜査しているが、それらしい人物はいない。かすりもしない。
やはり他所からの工作員で、すでに逃亡済みか、と考えるのが自然と言えた。
“公爵夫人”としては順風満帆。されど、“伯爵家当主”としては何もできずに、無為に時間を浪費しているような状態だ。
先代の汚名を晴らしてこそ、真にカウラ伯爵の号を受け告げると考えているだけに、ティースにとっては苦痛でしかない事実であった。
なんとかしたいと考えつつも、どうにもならない不甲斐なさ。調べても調べても、何も出てこない焦燥感。それらが重しとなって、ティースを抑えつけていた。
あるいはこのまま、ヒーサの妻としてだけの時間を過ごした方がどれだけ楽なのだろうかと、考えてしまうこともあった。実際、今や若くして国内最大級の影響力を誇るまでになった大貴族の夫人であるし、それに乗っかる形でこのまま順風満帆に進んで行けば、悩みもなくなる事だろう。
それをせずに、敢えて苦難の道を選ぶのは、単なるわがままなのかもしれないと考えてしまうこともしばしばだ。
ナルやマーク、数こそ少ないが、そのわがままに付き合ってくれている家臣の苦労を思うと、安楽な道に足を踏み入れたくもなるというものだ。
公爵夫人か、伯爵家当主か、どちらを本道に据えて生きるべきか、ティースの悩みの答えはまだ出ていなかった。
夫に寄り添う安楽な道か、独立独歩を目指す苦難の道か、選ばねばならないとは分かってはいるものの、結論を出すには至っていない。
歴史ある伯爵家の当主として何と不甲斐ない事かと、ティースの口から重々しいため息が自然と漏れ出していた。
~ 第七話に続く ~
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