第三十八話 魔王登場!? いいえ、我が家の愛犬でございます♪
「命中、確認」
立て続けに矢を二回放ったヒサコは、黒犬の視界を借りて、遥か先にいるプロトスの胸と頭に命中したことを確認した。
一応、事前に近くの木で試し撃ちをしてみて、命中精度を確かめていたが、よもや聖域から里まで届くとは驚きの一言であった。
「うわ、その顔、マジで命中させたみたいね。ここから里まで直線でもニkmくらいはあるのに」
成し遂げた、と言わんばかりの顔を見て、テアは確信を持って言い放った。そして、呆れ返った。
自作の武器で、自分自身を殺されるとは思っても見なかったであろう里長に対して、僅かばかりの同情を覚えたが、これから起こるであろうことに想いを馳せると、まだまだ序の口であると、更に気を重くした。
「いや〜、この弓、本気で凄まじいわね。視界を確保していたら、どこまでも遠くに当てられるって事じゃない。黒犬と合わせれば、視界を共有して撃ち抜けるってことよね。まあ、今回は相手が魔力垂れ流しで、狙いをつけやすかったってのもあるけど」
「凶悪すぎるわよ! 使い魔放って目標を観測できたら、どこまでも飛んでいくなんて!」
「さすが、神に準じる純エルフ、その技工は本物ね」
今一度、プロトスの傑作である『風切の弓』を見つめ、そして、興味をなくしてポイッとテアに投げ渡した。
「でもさ、プロトスを暗殺するのに、彼自身の作り出したこの弓を使ったわけだけど、これがなかったらどうするつもりだったの?」
「もちろん、逃げの一手よ。まず、アスティコスの茶の木の種を拾わせる。で、黒犬を呼び戻す。《迷いの森》は《手懐ける者》で強引に突破させ、精神を上書きされないようにする。合流した後、犬と種を女神に持たせて、《入替》を発動」
「そのまま、ヒーサのところに私が《瞬間移動》して終了ってわけか」
スキル《入替》は本体と分身体の場所を入れ替えるスキルだ。
入れ替わった際には、本体の側に女神が移動する事になるため、強制的に《瞬間移動》が発動する事になっていた。
そして、女神が手で抱えられる程度の荷物ならば一緒に移動できることは、ケイカ温泉村での一件で実証済みだ。
「でも、それだとアスティコスとの約束は反故にならない?」
「ならないわよ。だって、アスティコスとアスプリク、叔母と姪の仲立ちは約束したけどさ、“いつ”なんて言う時間指定はしてないわよ」
「うわ……。こいつ、茶の木の種以外、本当にどうでもいいんだ」
「現状、失って困るものは、“鍋”と“黒犬”くらいだしね。あとは“種”。代えの利かない手札はなるべく失いたくないけど、他の事はわりとどうでもいい」
結局のところ、プロトスを倒す手段があったから倒した。
なければ、さっさととんずらする。
どっちに転んでも、“自分だけは助かる”ように動いていただけなのだ。
その後、仲違えしたプロトスとアスティコスがズタボロになった里で派手に噛み合おうが、知った事ではないのであった。
「でもさ、報復で攻め込んできた場合はどうするのよ!?」
「森の中でエルフと戦うのは圧倒的に不利。でも、攻め込んできて、森から出てくるのであればやり様はある。孫子の兵法“調虎離山”ね。調って虎を山から離す。相手に地の利が働く場所から動いてもらって、逆にこっちに有利な場所に誘い込む」
「つまり、自分の庭先で戦えば、今ほどの猛威を感じない、と」
アスティコスにも何度も言ったが、戦の際に重要な要素は“間合い”の読み合いである。
いかにして、自分の得意な間合いややり方を通せる状態を作り出すか、入念な準備があってこそだ。
「はい、正解♪ あとは、虚像には消えといてもらって、特に直接的な恨みのないヒーサを前面に出して口八丁よ~♪」
「そして、二人の前にアスプリクと言う“喧嘩の原因”を差し出す、と」
「お~。さすがは“共犯者”。離間の計のなんたるかを理解してきたわね。間隙があれば、それに乗じる。策を弄するための基本中の基本よ」
「理解したくなかった……」
どちらに転んでも、英雄(外道)の掌の上。実に抜け目のないことであった。
そして、そんな外道外法に染まって来た自分に、テアは自己嫌悪を覚え始めた。
本当になんでこんなクズをパートナーに選んでしまったのかと、少し前の自分を引っぱたいてやりたい気分になった。
「さて、目標も倒したし、次は“娘”の躾へと参りましょうかね」
「これ以上、何をする気よ!?」
おそらく、里の防衛は里長を失った動揺により崩れ始めている事だろう。プロトスの実力と頭領の討死という状況、これで戦線を維持できるはずなどなかった。
そして、それはこちらにも言える事でもあった。
プロトスが展開していた大結界《迷いの森》がその効力を失ったのだ。
「あ、そっか、プロトスが死んだから、結界が消えちゃうのか。て、マズイわよ! 小鬼達が!」
テアは結界が消えたことにより、周囲に足止めされていた有象無象の連中が、ワラワラと湧いてくる気配を感じ取り、悲鳴にも等しい声を上げた。
小鬼にしろ、犬頭人にしろ、結界に引っかかって迷走していたのである。
その結界が失われたということは、聖域内になだれ込んでくる事を意味していた。
それを察したアスティコスは、種拾いを中断し、慌てて二人に駆け寄ってきた。
「ちょっと! 種はだいたい拾い集めたけど、これ、マズイわよ!」
アスティコスが持ってきた鍋を差し出すと、その中身はほぼいっぱいになるまで、茶の木の種で満たされていた。
「お〜、上等上等。これを持ち帰れば、いよいよ茶栽培を始められるわ」
「呑気な事を言ってる場合じゃないわよ!」
「ああ、大丈夫よ、大丈夫。とにかく、下手に動かず、そのまま直立不動! やり過ごすわよ」
逃げないし、迎え撃つ素振りも見せない。それどころか、ヒサコは鍋に蓋をして厳重に封をし始めており、実に呑気な態度であった。
常軌を逸したヒサコの行動に、アスティコスも訳が分からなくなった。
そして、里の方から何かの遠吠えが森中に響き渡り、三人の耳にもそれが伝わってきた。
率直な感想を述べるのであれば、それはかなりイヤな音源であり、アスティコスは嫌悪感とも不快感とも取れるそれに眉をひそめた。
何度かそれが繰り返された後、いよいよ結界の消失とともに道が開かれたため、聖域内に醜悪な妖魔の群れが乱入してきた。
「ぐっ、流石にこの数は!」
つかみだけで、ゆうに千を超す妖魔の群れだ。いくらなんでも、相手にするには分が悪すぎた。
「いいから、動かないで。こっちから仕掛けたりしない限り、あちらはこちらに“興味”が湧かないから」
ヒサコはアスティコスの肩を掴み、その身動きを制した。
流石にすぐ側を駆けていく妖魔の群れに、アスティコスは焦りを覚えたが、どういうわけかヒサコの言う通り、まるで興味がないと言わんばかりに三人を無視して走り抜けていった。
その先には、エルフの里があり、先程の遠吠えの聞こえた方角であった。
「え、嘘、なんで!?」
アスティコスは妖魔の群れが、駆け抜けて行ったことに度肝を抜かれた。
知能の低い妖魔達は、臆病ではあるものの、数に任せて本能のままに襲いかかって来るものであった。
しかるに、今はこちらが三人であるのに対して、群れは軽く千匹は超えていた。普段の習性を考えるのであれば、襲いかかってきてもおかしくはなかった。
にも関わらず、ヒサコの言う通り、興味なく素通りしていった。
そして、アスティコスはプロトスの言葉を思い出した。
「あなた、やっぱり妖魔を操っていたのね!」
そうとしか考えられなかった。里や聖域への大規模襲撃など、里の歴史上、存在しなかった事象であり、あまりにも目の前の女にとって都合が良すぎる展開であった。
今の妖魔の行動もそうだが、明らかに操作や誘導が行われているとしか思えず、アスティコスはヒサコを睨んだ。
だが、ヒサコは笑顔で手を×字に交差させ、それを否定した。
「それはハズレで~す。あたしは怪物軍団の操作なんかやってません」
「じゃあ、今のはなんなのよ!?」
「それの答えはあちらです」
そう言うと、ヒサコは身を翻して指さした。
アスティコスもすぐにそちらを振り向き、何かが近付いてくるのを感じ取った。それもかなり危険な存在だとすぐに気付き、術式の準備まで始めた。
「あ、警戒しなくてもいいわよ。あれは私の従者だから」
「え?」
迫ってくる気配に反して、ヒサコはあまりにも落ち着き過ぎており、アスティコスはますます混乱した。そして、その混乱はそれが姿を見せた時に頂点に達した。
「ひ、ひゃぁ!」
黒い塊、そう評するより他ない存在が目の前に現れた。
そして、あまりの迫力に、アスティコスは尻もちをついた。
軍馬よりも更に二回りほど大きな体をした犬で、全身は黒い獣毛で覆われ、目は深紅に染まっていた。わずかに開いた口からは鋭い牙が覗き込み、あるいは禍々しい魔力が漏れ出ていた。
「悪霊黒犬! それも王侯級の!」
個体としての大きさ、漂わせる魔力、どれもアスティコスの聞きかじった知識を凌駕する存在であった。
こんな最強格の怪物が付近に潜んでいたのに気付かなかったとは、いくらなんでも呆けすぎだと、アスティコスは絶望した。
何の準備もなしにこんな怪物と戦うなど出来はしない。そう考えると、恐怖で頭が満たされていった。
だが、ヒサコは恐れることもなく、その前に立った。
黒犬もまた襲い掛かるでもなく、大人しくその顔をヒサコに寄せると、ヒサコもまたその毛並みを優しく撫で回すのであった。
「よしよし、お疲れ様、黒犬。いっぱい走り回って疲れたでしょう。今回の作戦の勲功第一は、間違いなくあなたよ」
「グァォォン!」
恐らくは喜んでいるのだろうが、アスティコスには威圧の雄叫びにしか聞こえなかった。
だが、それでも必死で頭を働かせ、今現在の里の状況と、目の前の女と黒犬の関係を考え、最終的に一つの結論を得た。
アスティコスはゆっくりと立ち上がり、ヒサコと黒犬を睨み付けた。
「そうか、そうだったのね! ヒサコ、あなたは“魔王”を使役していたのね!」
「はい、正解!」
ヒサコは見事に正解を引き当てたアスティコスに拍手を贈り、すぐ横の黒犬もウンウンと頷いて見せた。
ちなみに、黒犬が大樹海に入ってから、一切姿を見せていなかったのはこのためである。樹海のジルゴ帝国方面に走り、エルフの里を襲撃するための戦力を“ある方法”を使って掻き集めていたのだ。
もちろん、ヒサコの考えていた策の一つであり、同時に最終手段でもあった。
あくまで優先されるのは、“交渉”である。取引によって茶の木が手に入るのであればそれに越したことはなく、黒犬を使った襲撃計画は徒労に終わるはずであった。
だが、プロトスの態度は頑なであり、何度も粘り強く行った交渉は、結局物別れに終わってしまった。
ゆえにヒサコは“襲撃”という最終手段に訴えることにしたのだ。茶の木を諦める、という選択肢は存在しないので、交渉に交渉を重ねて失敗し、妥協点を見出せなかったがためのやむを得ない措置として、エルフの里に対して怪物の大軍勢をけしかけたのだ。
今、エルフの里は燃えている。里長のプロトスもどさくさ紛れに“暗殺”した。指揮官を失った部隊など、統率が取れずに烏合の衆と化すことは明白であった。
そこへ、結界に引っかかって遅れていた小鬼や犬頭人の軍勢がなだれ込めばどうなるか、想像するのに難くない。
すべてはヒサコが、“松永久秀”が立てた計画に沿ったものだ。交渉という楽な方法でなく、襲撃と言う手の込んだ策を用いたことは面倒ではあったが、茶の木を手にする、という最大目標は達成しており、まず満足する結果と言えた。
「よくも、よくもこんな真似を!」
知恵が回るだけの人間かと思いきや、よもやの隠し玉である。アスティコスとしてはまんまとしてやられたという感じであったが、もはやどうにもならないことも理解していた。
目の前の黒犬は圧倒的な実力を持っており、とてもではないが太刀打ちはできない。どうやってこんな存在を使役できているのかは不明であるが、ヒサコがただの人間ではないことだけは嫌でも理解できた。
「まあまあ、そんなに力まないでいいわよ。あたしは心優しい誠実なお嬢様よ~。そう、“敵対しない限り”は、別に噛みついたりしないから」
なお、消したい相手は煽って敵対するように仕向けることもあるので、とんだ大噓付きでもあった。
そのとき、控えていた黒犬がゆっくりと進み出て、ペッと何かを吐き出した。それはアスティコスの方へと放り込まれ、何かを確認しないままに掴んでしまった。
そして、それは更なる絶望を呼び込んだ。
「あああああああああああああ!」
投げ込まれた“それ”を確認するなり、アスティコスはこれまでにない叫び声を発した。
恐怖と、絶望と、後悔が混じり合い、彼女を支配した。慌てて“それ”を放り投げ、再び尻もちをついた。
“それ”とは他でもない、プロトスの、アスティコスの父親の首であった。
「こら、黒犬! 娘さんに父親の首を届けるのはいいにしても、そんな粗雑に扱っちゃダメでしょ!」
「クゥ~ン」
主人からの叱責を受け、黒犬の耳は垂れ下がり、しょぼ~んとした表情になっていた。
「まったく、礼儀も作法もあったものじゃないわね」
ヒサコは転がり落ちたプロトスの首を拾い上げると、付着している血や泥を手拭いで丁寧に拭いて、奇麗にしていった。
その姿は神々しくも禍々しく、それを見上げるアスティコスは腰を抜かしたままであった。
「な、なんでよ。なんで父さんがそんな姿に!?」
「そりゃ死んだからでしょ。黒犬がやって、首だけは持ち帰った。それだけ」
平然と答えるヒサコであったが、自分が暗殺したことは伏せておいた。下手な反発を生むより、黒犬への恐怖心を増大させておいた方が得策と判断したためだ。
「嘘だ! 父さんが死ぬわけない。悠久の時代を生き続け、絶大な魔力を有する術士であり、優れた技巧を持つ技術者でもある。それが!」
「でも、首だけになって動き回れる生き物なんていないんだし、現実を受け入れなさいな」
奇麗になったプロトスの首をこれでもかと見せつけ、さらに黒犬がアスティコスに近寄り、その体躯に似合う大きな舌でペロリと小さな顔を嘗めた。
もはや悲鳴を上げることすらできず、ただただ震えてヒサコと黒犬を見上げることしかできなかった。
これは何かの悪い夢なのだろうか、そうとしか思えないほどの非現実な現実を突き付けられ、アスティコスは混乱した。
自然と涙が零れてきた。ほんの少し前までは、何十年、何百年、変わる事のない静かで平和なエルフの里がここには存在した。
だが、ほんのささやかな“異物”の侵入が、そのすべてを崩壊させた。
今、聖域より少し離れた里は、燃え上がっている。耳をすませば、住人の悲鳴や断末魔、あるいは怪物の叫び声が律義に耳へと届けられてくる。
噴き上がる煙は、さながら戦場の狼煙のようであった。
そして、エルフの叡智の結晶たる里長のプロトスは、哀れにも首だけの姿になって、娘に晒されている。それを握っている人間の女と、犬の姿をした魔王のなんと悍ましい事か。
アスティコスは失われつつあったなけなしの勇気を振り絞り、怒りと悲しみの感情任せに叫んだ。
「あなたが、あなたがここに来なければ! あなたが私の前に現れなければ!」
「でも、里にあたしをご招待したのは、あ・な・た。その点は忘れないようにね」
「あの場で殺しておけば良かったわよ!」
「ええ、里の事を思うのであれば、そうすべきだったと思うわ。怪しげ異物はさっさと排除。うん、実に正しい対応だわ。でも、それをしなかった。つまり、ああなったのはあなたのせい」
ヒサコの見つめる先には炎と煙が天高く舞い上がっており、里の惨状が目に浮かぶと言うものであった。
どことなく哀愁を漂わせているが、だからと言って罪悪感は一切ない。交渉に交渉を重ねた結果であるのだから、何も気に病むことなどないのだ。
「ヒサコ、あなたが、あなたが“魔王”なのね!」
「残念、それはハズレよ。“今日”の魔王はこっち、黒犬が魔王役なのよ。まあ、一日限定だけどね」
「ワォン!」
ヒサコは黒犬の頬を撫で回した。公爵令嬢とその愛犬の他愛無いひととき、そう思えなくもない光景だ。
少なくとも、黒犬の巨躯と、ヒサコが抱える生首がなければ、誰しもがそう思うであろう。
だが、目の前の現実は残酷であった。燃え盛る里、悲鳴を上げながら逃げ回るエルフの住人、首だけになった父親、すべてが現実なのだ。
それもこれも、たった一人の人間の女が成した。現実とは思えない悪夢のような現実を、たった一人で考え、準備し、形として成してしまった。
こんな理不尽を“神”が許しておくと言うのか!
「あなたは、あなたはいったい何者なの!?」
アスティコスの目には、ヒサコの姿は人間のそれにしか見えない。だが、明らかに何かが違う。別の何かがいる。そうとしか考えられなかった。
そんな怯えるアスティコスにヒサコはそっと歩み寄り、まだ尻もちをついている小柄なエルフの横に立膝を突いた。
左脇に生首を抱えつつ、そっと右手でアスティコスの頬を撫でた。
生首を掴んでいた手、“魔王”である黒犬を撫でていた手、それが今、自分の頬に添えられている。もう何も考えられないほど、恐怖と混乱が頭も体も縛り上げていた。
そして、ヒサコは口をつり上げ、ニヤリと笑った。
「私の名はヒサコ。ヒサコ=ディ=シガラ=ニンナ、カンバー王国所属の公爵家当主ヒーサの妹。お兄様の命により、悪のすべてを担う者。謀略と暗殺を司り、お兄様のためだけに作られた人の型を成した殺人人形。闇に生き、影と共にひた走り、悪であることを宿命づけられし者、すなわち“悪役令嬢”なり!」
~ 第三十九話に続く ~
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