第十七話 驚天動地! 謀られたカウラ伯爵家の人々!
カウラ伯爵の屋敷は騒然となっていた。昨日までの平穏な世界が、たった一日でひっくり返ったからだ。
カウラ伯爵当主ボースンがシガラ公爵領に向けて出発したのはつい先日のことだ。伯爵の長女ティースと、公爵の次男ヒーサは前々からの婚約話があり、その詰めの協議のため公爵領に訪問したのだ。
特に何の問題もなく数日のうちに婚儀の日取りなどを決めて、戻ってくるはずであったのだ。
ところが、護衛役として随伴していた騎士のカイが大慌てで伯爵領に舞い戻り、とんでもないことを告げてきたのだ。
曰く、自身の主君である伯爵ボースンが公爵マイス並びにその嫡男セインを毒殺した、と。
「いったい何がどうなっているのか!?」
カイの報告を聞いて叫んだのはボースンの息子で、留守を預かっていたキッシュだ。
キッシュが取り乱すのも無理はなかった。今回の公爵領への訪問は何の問題もなく、どころか両家の繁栄と結束を約束するはずのものであった。
ところが、あろうことか、両家の間に決定的な亀裂を生みだし、いつ戦争が始まってもおかしくないほどの状態に陥っていたのだ。
無論、キッシュだけではない。カウラ伯爵家に仕える主だった面々もまた、あまりに急すぎる事態の変化に、まだ頭が付いていけてない状態であった。
現場を見てきたカイから何度も説明を受けようとも、とても納得も理解もできる内容ではなかった。
「キノコ!? キノコの毒で死んだだと?」
「伯爵様は何をどうして、訳もわからぬキノコを美物に混ぜるようなことを」
「どこか別の貴族の罠ではないか!? カウラとシガラが引っ付くのを良しとしない輩なんぞ、いくつもあるぞ」
皆が皆、まとまりもなく言葉が飛び交った。本来、こういう場面では嫡男であるキッシュがまとめねばならないのであるが、キッシュ自身も混乱しており、どうしたものかと頭を抱えていたのだ。
屋敷の一室でそのような騒ぎが起こっている中、一人の女性が部屋に飛び込んできた。薄めの茶色の髪を無造作に後ろで束ね、気の強そうな表情は逆に闊達さを見せつけていた。有体に言ってしまえば、威勢のいいお転婆な娘、を地で行く立ち振る舞いをしていた。
「お兄様、遅くなって申し訳ありません」
「おお、ティース、戻ったか」
出かけていた妹が戻って来たことに安堵し、キッシュは胸を撫でおろした。なにしろ、現状、部下の意見では他の貴族の罠という意見に傾いていた。もし、そうであるならば、ティースまで狙われる危険があったため、とにかく無事な姿を確認出来て安心したのだ。
なお、ティースは狩衣に身を包んでおり、相変わらず馬で駆け回っているようであった。とても、嫁入り直前の娘御には見えず、その点ではこのお転婆娘の父も兄も頭を悩ませているほどであった。
取りあえず途中参加の妹に状況を説明し、キッシュは妹の反応を待った。
ティースは基本的に考えることはあまりせず、感情や直感を優先する傾向があった。普段はそれに周囲が振り回されることも多いのだが、何か厄介事が起こると即行動して事態の打開に動いてきた。
そして、その即断即決は意外なほどに精度が高く、勘の鋭さは誰もが驚くほどであった。
「……はっきり申しまして、完全に“嵌められ”ましたね」
「というと、誰かからの策謀であると?」
「そうでなければ、説明のつかない点が多すぎます。どこの誰かは知りませんが、間違いなくね。これは事故ではなく、故意に引き起こされた謀略でしょう」
ティースは断言した。この一件で両者の間に戦争でも起これば、それを喜ぶ輩などいくらでもいる。便乗参戦して、領地を掠め取ろうとする他の貴族はいくつも考え付くのだ。
「しかし、それは憶測の域を出ません。なにしろ、そんな策謀などない可能性もありますし、なにより証明する術がありません」
「だよな……。となると、平身低頭で、とにかく詫びを入れるしかないか」
「現状では、それしか手がありません」
キッシュもティースもその他家臣も渋い顔にならざるを得なかった。
はっきり言って、状況は最低を通り越して最悪であった。
公爵とその跡取りを殺したという事実、さらに伯爵の身柄まで押さえられており、どこをどう切り抜けようにもすでに針の穴すら開いてない状況だ。
これをどうにかしようとすれば、公爵側にどれほどの和解金を支払わねばならないのか、それを考えただけでも頭の痛いことであった。
「相手は決定権のある人間を使者として出せと言っている以上、父の身柄を盾にどれほどの要求をしてくるか知れたものではないな。その場で無茶苦茶な要求を飲ませる気なのだろうな」
「ですが、こちらのやらかしを考えますと、やむを得ないかと。まあ、そのやらかし自体がまやかしなのではありますが」
「しかし、それを証明する手立てがない、と。くそ、私が行って直接父上をお救いするしかないか」
迷っている時間すらなかった。いつ公爵家側が激発して、ボースンを殺してしまうか分からない状況である以上、とにかく行動するよりなかった。
「あと、僅かな希望があるとすれば、ヒーサ殿の人柄だけか。聞いたところだと、激発しそうな家臣をとにかく宥め、最悪の事態だけは回避したのだとか」
キッシュが実際にその場面にいたカイに視線を向けると、その通りですと頷いて応じた。
ヒーサは性格が温厚かつ控えめで、学者肌の強い理知的な性格だと聞いていた。今回のことでも自身を焦がす激情を抑え、家臣も宥め、どうにか事態の収拾にあたったのだという。
父親を殺しておいて、その人柄に甘えるなど、虫のいい話ではあるが、それ以外に縋る者がないのも事実であった。
「兄上、そのことなのですが、もし可能であれば、私とヒーサ殿の婚姻の話、そのまま進めていただけませんか?」
「なんだと!?」
キッシュのみならず、その場の全員が驚いた。ご破算になったであろう結婚話を復活させろと言ってきたからだ。
「兄上、先程も申しましたが、これは間違いなく誰かの起こした謀略です。そして、ここまで巧妙に仕組んだ以上、外部の人間だけで事を起こすのはまず無理でしょう。ならば、公爵領内、もしかするとすでに屋敷にまで入れる位置に工作員を入り込ませているか、あるいは内通者を仕立てているのかもしれません」
「つまり、お前が予定通り公爵家に嫁ぎ、それを見つけてくると?」
「それ以外、我が家を救う手立てはありません。とにかく下手人を捕縛しないことには、公爵家からの誤解も解けず、我が伯爵家の名誉もボロボロのままになりましょう。危険を承知で行かせてください」
ティースの提案に、キッシュは悩んだ。妹の言い分も分かるのだが、そうなると身一つで敵地に送り込むようなものであるし、探すにしてもティース一人では手が足りなさすぎる。
また、“花嫁の生活費”名目で、無限に金をせびられることも考えられた。
なにより、相手が受けるかどうかという問題があった。ヒーサとティースが婚約していたのは事実であるが、今は状況が変わっている。ヒーサは医者を務める公爵家の次男坊であったが、今は公爵家の当主になっているはずだ。伯爵家の令嬢、というか親の仇の娘を娶る理由が何一つないのだ。
つまり、婚約解消と考えた方が自然であった。
「お悩みは分かりますが、父上の身代わりと考えてください。嫁ぐのはさすがに難しいかもしれませんが、この身を差し出して、もって父上の解放を要求してもらっても構いません」
「確かに、事態の決着前に父上の解放となると、代わりの人質でも置いて行けとなるやもしれんが、それではお前が……」
「やむを得ないでしょう。今、最もやってはならないのは、シガラ公爵と戦争状態に入ることなのですから。はっきり言って、勝ち目はありますか? ないでしょう」
まさにその通りであった。完全な格上相手に戦をするのは馬鹿げているし、何よりあちらには“毒殺の報復”という大義名分が立っている。これでは周辺貴族の援護も期待できない状況だ。
戦になれば確実に負け、しかもいつ相手が仕掛けてきてもおかしくない状況だ。とにかく、迅速に動いて、戦になる口実を潰さねばならなかった。
「分かった。お前の案を採用しよう。では、こうしている時間も惜しいな。カイ、すぐに出立するぞ。道案内、任せた」
「ハッ!」
キッシュとカイは席から立ち上がり、急ぎ足で部屋から出ていった。
部屋に残った他の家臣達はまたあれやこれやと話し始めたが、ティースはそれには目もくれず、思考の海に意識を沈めた。
(まったく、面倒なことになったわね。どうにもならないお手上げ状態って、こういうことを言うのかしら。内向きな夫の尻を引っぱたいて、好き放題にしようと思ってたのに、この身を贄として差し出すことになるとはね)
ティースは自分の美貌に関してはかなり自信を持っていた。顔立ちこそまだ少々幼さは残っているが、体つきは筋肉質にならないギリギリのところまで鍛えており、精悍という言葉がしっくり当てはまるような体に仕上げていた。
もし、これを武器にヒーサを篭絡できれば幸いであるが、相手が自分の体に手を伸ばしてくるかという微妙な立ち位置でもあった。
それ以外のことも全部やっておかねばならない。ティースは思案の末に、そう結論付けた。
パンっと手を鳴らし、話をしている家臣らの注目を自分に集めた。
「みんな、まずはできる限りのことをしましょう。全員で手分けして、伯爵家内にある財貨を数えましょう。それと、すぐに現金化できる物もどの程度あるかも調べましょう。どのくらいの和解金を支払うことになるかは分かりませんが、当家にどの程度の支払い能力があるのかはしっかり把握しておかなければなりません」
ティースの発言に対して、皆が頷いて応じた。支払う金がなければ、土地なりなんなりを要求してくることも考えられるし、まずは金銭で済ませられれば御の字だと言わざるを得ない。
「それと、軍にも召集をかけておいてください」
「軍を!? いくらなんでも、それはやり過ぎでは?」
出席していた武官がティースの意見に疑義を申し立ててきた。
「まあ、武官殿の言いたいことも分かるわ。軍を招集してしまうと、公爵家にいらぬ疑念を抱かせ、あるいはそれが戦の呼び水になりかねない、と」
「はい、その通りでございます」
「でも、それでは遅すぎる。もし、復讐心に駆られて公爵軍が攻め込んできたら、一切の対処もできずに蹂躙されておしまいよ。そうなったら、伯爵家はすべてを奪われて消え去ってしまう。そのために軍を先んじて動かし、防備を固める。地の利のある伯爵家領内であれば、防衛戦なら時間を稼げる。そして、稼いだ時間を活かし、国王陛下に仲裁していただくわ」
恥を外部に晒したくなかったが、そうも言ってられない情勢でもあった。国王の仲裁であれば、公爵と言えど耳を傾けねばならず、そこから打開策を導き出すことも可能だ。
どのみち苦しい立場であることには変わりないが、打てる手はすべて打っておくと、ティースは皆に同意を求めた。
何度か意見が交わされたが、結局、ティースの案が通り、軍への招集と国王への仲裁依頼をすることとなった。
とにかく、打てる手はすべて打った。あとは神のお導き次第だとティースは事態の好転を神に祈った。
だが、無情にも神はその祈りを蹴っ飛ばすどころか、汚泥まで塗りたくってきた。
急ぎ公爵領に馬を駆って出かけたキッシュであったが、道中で“落石事故”に遭遇し、案内役のカイ共々岩の下敷きとなって命を散らせてしまったのだ。
こうして、ティースの願いも虚しく、事態はカウラ伯爵側にとって悪い方向にばかり傾いていくのであった。
~ 第十八話に続く ~
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