第十四話 皆様、ご注意! 知らないキノコを迂闊に食べてはいけません!
シガラ公爵の邸宅の前では、来客を歓迎するために公爵家当主たるマイスや、その嫡子たるセインが着飾って門前に立っていた。他にも、執事や侍女達など、屋敷で働く者も手隙の者は全員並び、今日の来客を待っていた。
なにしろ、今から来るのは古くから付き合いのあるカウラ伯爵家当主ボースンであり、間もなく次男ヒーサに嫁いでくるティース嬢の実父でもある。
両家の繁栄と友好を願い、ヒーサとティースの婚儀についての最後の詰めを話し合うのが今回の訪問の目的で、家を上げて歓迎せねば、無作法と言うものであった。
なお、その肝心なヒーサは往診に出掛けたまま、まだ戻ってきていなかった。
「ヒーサ様より連絡がありまして、急患が入ったので少し帰りが遅くなります、とのことです」
ヒーサの専属侍女のリリンからそう聞かされたとき、マイスはやれやれとため息を吐いたものだ。医者の務めに励むのは良いにしても、よりにもよって未来の父がやって来る大事な日に出掛けて戻ってこないなど、礼を失するというものであった。
「まあ、それがあいつの性分ですからな。母を救えなかった分、他の誰も病で失いたくはないのでございましょう。真面目で優しい点は美徳でありますよ」
気を揉む父にセインはそう諭し、とりあえずは相手の機嫌を損ねないように努めねばならなかった。
と言っても、マイスとボースンは数十年の長きに渡り交流を続けてきた関係である。当然、その性格も知り尽くしている。
ヒーサの不在を知っても笑って流すだろうし、帰ってくるまでのんびり待ちましょう、と言ってくることだろうとマイスは考えた。
そうこうしていると、道の遥か向こうに騎馬の一団が現れたのを視認した。掲げている旗から、カウラ伯爵御一行だと、すぐに分かった。
「やれやれ。やはりヒーサは間に合わなんだか」
「やむを得ませんね。ひとまずは、父上と私でカウラ伯爵を歓待するといたしましょう」
いない人間のことを嘆いていても仕方がないので、二人は今一度服装の確認をした後、ボースンの到着を待った。
そして、ボースンらカウラ伯爵御一行は邸宅前に到着し、門前にて当主自ら出迎えてきたことに感激して馬を下りて小走りに近付いた。
「やあやあ、ボースン殿、来訪を心から歓迎するぞ」
「これはこれは、マイス殿、歓迎痛み入ります」
二人は固く握手を交わし、互いに相手への友好の意を示した。公爵と伯爵では前者の方が立場上は上なのであるが、公式な場ではないし、なによりこれから婚儀によって縁戚関係となるため、どちらも気兼ねなくいようという意思表示でもあった。
「セイン殿もお久しぶりですな」
「はい。わざわざの来訪、心より歓迎いたします」
次にボースンとセインも握手を交わし、これもまた長く付き合っていこうと意を示した。
そして、次にボースンは娘婿となる若者を探して視線を泳がせたが、どこにもいなかった。はて、どういうことなのかと、首を傾げ、マイスに視線を合わせた。
「いや、ボースン殿には申し訳ないことなのだが、息子は急患だと言って飛び出していって、まだ戻ってきておらんのだ」
「ああ、そういうことでございましたか。まあ、医者と言う身の上、なにかと忙しいのでしょう」
「本来なら、あやつこそこの場にて義父となる者をお出迎えせねばならぬというのに、とんだ失礼をしてしまって申し訳ない」
「いえいえ、むしろ好感を持てます。挨拶や吉事は多少先延ばしにしても問題ありませんが、消えかかる命の灯は消えてしまえばそれまででありましょう。医者としての本分に従い、行動なさっておいでなのだ。結構なことです」
ボースンはヒーサ不在を特に気にもしなかった。これにはさすがのマイスも胸を撫でおろした。
「そう言っていただけて助かります。ささ、食事でもしながら、話を詰めるといたしましょう」
「おお、そう致しましょうか。おおい、土産の品を下ろしてくれ」
ボースンは部下に命じて、持ってきた美物を下ろした。狩猟で仕留めた野鳥、領内の酒蔵から持ってきた酒、そして、出立前に採ったばかりの新鮮な野菜であった。
「おお、これは結構な品の数々、有難いことです」
貴族が別の貴族の家へ訪問する際には、“美物”すなわち自領内で取れた食べ物を贈るのが習慣となっていた。純粋に贈り物としての意味合いもあるが、同時に自領の豊かさを誇示する狙いもあるため、差し出す美物には絶対に手を抜かないのだ。
「では、これを肴に、お話を詰めるといたしましょうか」
「では御相伴にあずからせていただきます」
マイスはボースンを屋敷内に招き入れ、周囲の従者達もそれに続いた。
そして、運び込まれた贈り物の中には、例の“キノコ”も存在していた。
***
宴の間と化した応接室では、陽気な笑い声が飛び交っていた。互いの息子、あるいは娘の良い点を相手に強調し、話に華を咲かせていた。
「なるほどな。女だてらにかなりの武芸者だと伺っていたが、よもや一人で猪を倒されるとは」
「そうなのですよ。野山を走り回って、弓でグサッっとですね。いやはや、正直な話、嫁の貰い手があるのかどうか、心配していたのですよ。公爵がいつ破談など言い出さぬかと、ヒヤヒヤものでしたわ」
「いやいや、それほどの活発な娘であれば、我が家も明るくなるというものです。吉日を選んで、はやくこちらに来て欲しいくらいですな」
話の弾む中、食卓の上には次々と料理が並べられていった。公爵家が用意した食材もあるが、ボースンが持ち込んだ美物を使って作られた料理もあった。
「おお、これが伯爵家が最近力を入れられているという、鵞鳥の肥大肝ですか」
「ええ、その通りです。生産職人を南方より呼び寄せまして、ようやくお出しできる質にまで持っていくことができました。後は事業拡大をして、量を出せるようにしていきたいと」
「おお、それはそれは。どれどれ」
マイスはソテーにされたフォアグラを一切れ摘まみ上げ、それを口に運んだ。じっくり味わうかのように噛み締め、濃厚なる味わいを楽しんだ。
「おお、これはいい。本場である南方のそれと遜色ない。事業として仕上がったら、是非買い付けに人をやるとしよう」
「そう言っていただけて幸いでございます。ささ、他にも色々とお持ちしておりますので、我が領内の味を楽しんでください」
マイスもボースンも互いの領内で採れた肉や野菜を相手に勧め、その美味に酔いしれた。
「はて、伯爵、見慣れぬキノコが盛られておりますが?」
同じく席についていたセインが、深皿に盛られた茹でたキノコに視線を向けた。
「ああ、これは公爵領内を進んでいるときに、村娘から譲り受けた物だ。出来立てを食べさせてもらったのだが、これがなかなかの美味でしてな。世の中、知らぬ美味な食材の多いこと、山のごとくあるのでしょうな」
そう言って、毒見とばかりにボースンはそのキノコを摘まみ、そして、一飲みにしてしまった。
「うむ、やはり旨い。ささ、お二人ともどうぞ」
マイスとセインも勧められるままにキノコを口に運んだ。そして、驚いた。確かに、今まで食べていたどのキノコよりも美味であったからだ。
「おお、これは確かに旨い!」
「まさに! なるほど、村娘から貰ったということは、我が領内と言えど、まだまだ知られていない食材も眠っているということか」
山菜、キノコの類であれば、農園での生産には不向きであるが、美味であることには違いなく、巡察ついでに知られざる食材を見つけてみるのも面白そうだと、二人は感じた。
次から次へとキノコを食べ、気が付いた時には皿が空になっていた。
「うむ、美味であったな。また、その村で仕入れてみるとしますかな」
口直しに、マイスはグラスの水をグイっと飲みほした。
「はて、マイス殿、今日は酒を飲まれませんのか?」
ボースンは水を注ぎなおすマイスを見ながら首を傾げた。マイスはどちらかと言うと酒はかなり嗜む方であり、完全に下戸な自分と違ってよく飲む姿を目撃していたからだ。
「普段なら飲むのだが、ボースン殿と卓を囲んでいるので、こちらだけ楽しむのもどうかと思ってな」
マイスもボースンが下戸であることは、付き合いも長いことから知っていた。それゆえに、気を遣って、卓の上には酒類を一切置いていなかったのだ。
「そんなわざわざ気を遣っていただかなくてもよいですぞ。折角の祝いの席に酒がないのは華やかさに欠ける。私には構わず、召し上がってください」
にこやかな笑みで酒を勧めてくるのであるから、マイスはこれを受け入れることにした。実際、飲みたかったのは事実であるし、給仕に命じて酒蔵から持ってくるように命じた。
それからも話は弾むが、やはり主役不在のため、そこまで興が乗らない三人であった。
「それにしても、ヒーサの奴め、何をやっているのだ。折角の料理が冷めてしまうし、義父に対して失礼であろうに」
「まあまあ、最前線で戦う勇者のことをどうこう言うべきではありませんぞ」
「ボースン殿がそう仰るのなら……。っと、ようやく酒の登場か」
マイスの視線の先には、酒瓶を持つ給仕の姿があった。早速、栓を開封し、マイスとセインの杯に白いワインを注がれていった。
「これは特別な逸品でな。ちょいと仕掛けがあるのじゃ」
そう言うと、マイスは酒瓶をボースンに渡した。なんであろうかと酒瓶を眺めていると、その意味をすぐに理解した。
「ああ、この瓶に刻まれている製造年、ヒーサ殿と我が娘と同じでございますな」
「そう。二人と同い年なのだよ、その酒は」
「記念に呑む分にはよいかと。しかしまあ、主役不在で開けられるとは、マイス殿もお人が悪い」
「帰りの遅いあやつめが悪い! まあ、実際のところ、もう一本あるのだがな」
などと笑いながら酒を飲み干し、セインもまたそれに続いて杯を空にした。
「うむ、酒蔵で寝かしておいたから熟成したかな? なんだか余計に美味しく感じるぞ」
「記念の一品を先んじて飲むという背徳感が、味を引き締めたのでは?」
「かもしれんな!」
マイスとセインが陽気に笑い出し、さっそく酒が回ってきていい気分になっていったようだ。
下戸であるボースンには分からぬ感覚であり、それを眺めていることしかできなかった。とはいえ、楽しい雰囲気はやはり好ましいことであるし、これから親類となっていく者達の笑顔を邪魔するのは無粋と言うものであった。
そんな笑い合う二人に、突如として異変が起きた。急に立ち上がり、頭を抱えたかと思うと、その場に崩れ落ちてしまったのだ。呻き声を上げ、ビクビクと痙攣まで始まってしまった。
「な、ど、どうなされましたお二人とも!」
ボースンも席を立って慌てて駆け寄り、また側に控えていた執事のエグスはマイスを、執事見習いのポードはセインをそれぞれ抱きかかえた。
「旦那様、しっかりなさってください!」
エグスの呼びかけにも、マイスはまともな反応が返ってこない。明らかに意識が混濁しているようで、まともな状態でないことは素人目にも分かった。
「これはいけない。医者! 医者を連れてこい!」
「は~い、医者が到着しました!」
ポードの叫びに連動して、まるで“計っていた”かのようにヒーサが姿を現した。
ヒーサとしては、何かの余興か冗談話にでも興じているのかと思い、意気揚々と部屋の扉を開けて入って来たのだが、それが勘違いであることはすぐに気が付いた。
なにしろ、父と兄が倒れ、執事に抱きかかえられている姿が飛び込んできたからだ。
冗談めかした笑顔もどこかへ吹き飛び、すぐに真剣な顔になって二人に駆け寄った。
「父上! 兄上! しっかりなさってください!」
ヒーサが呼びかけるも返事がない。すぐに体の各部や顔色、脈や体温を測り始めた。
「これは何らかの中毒症状がでているな。父上と兄上は何を口にされていたのだ!?」
「そ、その酒を口にされてから、急に倒れてしまわれました」
エグスの指さす先には、先程飲んでいた酒瓶があった。ヒーサはそれを手に取ると、まずは酒瓶の口に鼻を寄せ、匂いを吸引した。
特に変わった感じがしなかったので、少しだけ杯に酒を入れ、それを口に入れた。そして、すぐに吐き出し、水で口を漱いだ。
「違うな、これではない。傷んでいる様子も、毒が含まれている様子もない」
原因が分からないと、完璧な治療を施すことはできないが、中毒症状を起こしているのは明らかであった。まずは毒気を抜かねばならない、そうヒーサは判断した。
「リリン、リリンはいるか!?」
「あ、はい、こちらに!」
ヒーサは自身の専属侍女を呼ぶと、リリンは駆け足で主人の下へと駆け寄ってきた。
「すまないが、薬品庫から薬を取ってきてくれ。薬品庫に入ってすぐ左手の棚の一番上の段に、赤い札を張り付けている薬瓶がある。それを持ってきてくれ」
「分かりました!」
リリンは主人の命に従い、大急ぎで離れにある診療所へと駆けていった。
「だが、原因の究明が必要か。アサ、厨房に行って、今日出された料理や食材を全部持ってくるように伝えてくれ。その中に必ず原因があるはずだ」
「畏まりました」
侍女頭のアサはその命を受け、数名の侍女や召使とともに厨房へと駆けて行った。
その間、ヒーサは水を飲ませるなどして、胃を洗浄したりしたが、いまいち効果が出ず、二人の意識は朦朧としたままであった。
「頼む、死なないでくれ。私はこんな目に合うために医者になったんじゃないんですよ」
必死で二人に治療を施すヒーサ、その剣幕には普段の穏やかなヒーサの顔をしている面々には驚きをもって見られていた。それだけに危うい状態であることも、肌で感じていた。
しかし、そんな雰囲気の中、ただ一人、ヒーサに対して冷ややかな視線を向ける者がいた。専属侍女のテアである。
当然のことながら、テアはヒーサの従者としてこの仕組まれた“茶番”の裏を全部見せられており、必死な姿のヒーサがすべて“演技”であることも知っていたからだ。
(控えめに言っても、外道、クズだわ)
それがテアの偽らざる本音であった。
だからと言って、何かしようというわけではない。テアは女神が降臨した姿であり、地上における女神は観察者であって、奇跡の行使者ではないからだ。
毒キノコをあえて食べ、毒キノコを“安全”だと錯覚させた上で渡し、その毒キノコを父と兄に食べさせる。まともな人間の発想ではない。
テアが軽蔑の視線をヒーサに向けていると、そこへリリンとアサがほぼ同時に戻って来た。薬瓶、そして食材や料理の到着であった。
それらを机の上に並べられ、皆が固唾を呑んで見守る中、ヒーサは真剣にそれらを睨みつけた。
「どれが原因だ……」
ヒーサはすべての料理や食材に目を配り、二人が倒れた原因を探った。
見守る顔ぶれの中で、一番顔色が悪いのは厨房頭のベントだ。なにしろ、自分の作った料理で食中毒を出し、それで主人が危機的状況に陥ったのである。叱責で済むような軽い出来事ではなかった。
そして、ヒーサの視界の中に山菜の盛られた籠が目の留まった。その中にあったキノコを取り上げ、そして、絶叫した。
「この“毒キノコ”を用意したバカは誰だ!?」
屋敷中に響くほどの大絶叫に、全員が驚いた。なにより、その内容に驚いた。美味しい美味しいと食べていたキノコが、よりにもよって毒キノコであったと聞かされたからだ。
そして、居並ぶ面々の視線は一人の男に集中する。そう、このキノコを屋敷の持ち込んだのは他でもない、客人として招かれていたボースンその人であったからだ。
「伯爵、あなたか!」
「ま、待て! 誤解だ!」
凄まじい形相で近付くヒーサに、ボースンは抗する術を持たなかった。一歩一歩と迫られるたびに、後ろへ下がり、壁際まで追い詰められた。
その光景を皆が見守ったが、公爵家に仕える面々の感情は禍々しくも変化していった。困惑や戸惑いが、ボースンへの敵意や殺意に切り替わっていくのに、そう時間のかかることではなかった。
だが、これはまだこの日の騒動のほんの一幕に過ぎない。日は傾き、山の向こう側に消えた。この日の夜はまだ始まったばかり。皆にはことさら長く感じることとなるのであった。
~ 第十五話に続く ~
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