第十話 親公認!? 同床異夢の若様とメイド!
診療所を出たヒーサは、シガラ公爵の邸宅へと戻っていた。すでに日も沈みかけているということで、屋敷はあちこちに照明が灯され、昼とは違った顔を見せていた。
「お帰りなさいませ、ヒーサお坊ちゃま」
「ああ、ただいま、ポード。往診の後、薬草採取に励んでいたら、すっかり遅くなってしまったよ」
「左様でございましたか。お食事のご用意をすぐにさせます」
ポードはこの屋敷の執事見習いで、ヒーサより少し年上の男だ。とある伯爵家の三男坊で、家督を継ぐ立場になかったので、執事として雇われたのだ。
ポードに限らず、貴族は長男が家督を継ぐことになっており、それ以外の者は、男であれば家に残って騎士や官吏として居残るか、女であれば嫁ぐかである。裕福な貴族であれば新たに家を創設したり、あるいは事業を始めて店を持つなどの手段もあったが、全員がそういうわけにはいかない。中にはそうしたことからあぶれてしまう者もいる。
しかし、あぶれ者であっても貴族の家で育っているため、平民よりも余程教育が行き届いており、礼儀作法も教養も身に着けている。それを他家が雇うことも貴族社会ではよくあることであった。
ポードもそんなあぶれた貴族の子弟であり、シガラ公爵家に雇われたのだ。
「いや、食事の前に父上に相談したいことがあるのだ。どこにいるだろうか?」
「旦那様でしたら、今は執務室におられるはずです。お坊ちゃまの婚儀に先立ち、カウラ伯爵がお越しになられますので、その歓迎の宴について、皆様方とお話し合いになっているはずです」
「おお、そうか。では、そちらに顔を出してから、食堂に行くよ」
ヒーサはポードに別れを告げ、執務室に向かって廊下を進んだ。
途中、屋敷で働く者達に何度もすれ違うが、その度に気さくに話しかけ、時には“名前”を呼んで話しかけた。
仕える者にとっては、名前を覚えられ、それで呼ばれることを何よりも喜ぶ。顎で使える立場の人間がそっと寄り添うのだ。無論、立場や地位というものがあるので砕けてはいけないが、それを崩さない程度で歩み寄るのは、相手の心を揺さぶるものだ。
それを理解しているからこそ、ヒーサは屋敷内で働く者数百人分の顔と名前を憶えており、明晰な頭脳と立場を気取らぬ振る舞いに、皆から称賛されていた。
それでいて、父や兄に対しても敬意を示し、“良からぬ企て”がないことをアピールしていた。
家中における評判は上々。医者として成功を収めれば、さらに遠方まで名が響くであろうことは疑いようがない。まさに盤石であった。
(もちろん、全部、嘘っぱちだがな)
笑顔を崩さず話しながらも、ヒーサは“良からぬ企て”を進めていた。
いずれ、この家のすべてを奪い取るつもりでいるので、誰を殺し、誰を生かし、誰を騙し、誰を誘うか、それを見極めねばならなかった。気さくに話しかけるのも、そうした情報などの判断材料を集めるためであった。
そんなこんなで目的の執務室の前までやって来た。扉の前に衛兵が立ち塞がっており、父親への面会を求めた。そして、すぐに中へと通された。
「父上、お話し中に失礼いたします」
「構わん構わん。どうせお前に関わることだからな」
シガラ公爵マイスは息子の来訪を歓迎し、そのまま自分の横へと座らせた。
そして、ヒーサが居並ぶ面々を見渡した。マイスを除けば、三人がいた。
まずは執事のエグス。何十年にわたって仕えてきた男で、主人であるマイスとは、主従を越えた友情で結ばれている。人目のないところでは、タメ口で話しているとすら噂されており、マイスからは全幅の信頼を寄せられている。執事として屋敷のことをすべて統括しており、その差配は隅々まで行き届いていた。真面目で実直な性格をしており、些細なミスも許さない性格で家中の者からは少し煙たがられているが、それ以上に自分に対しては完璧を求めており、他人に厳しく自分になお厳しく、これを貫いていた。
その横にいるのが侍女頭のアサ。こちらも長らく屋敷で仕えてきた者で、数多いる侍女の頭として屋敷のあちこちに指示を飛ばしていた。こちらも厳しい性格ではあるが、それは仕事中のことで、ひとたび職場を離れれば優しい初老の女性ということで通っていた。また、マイスとは若かりし頃、何かしらのロマンスがあり、それからずっと未婚を貫いていた。
そして、厨房頭のベント。厨房を預かる者であり、日々の食事も彼と彼が指揮する料理人達が手掛けた物であった。居並ぶ面々の中では二回り近く若かったが、料理の腕前は確かであり、誰もがその料理に称賛を惜しまぬほどであった。性格は軽く、礼儀が全然なっていないことをエグスにいつも窘められているが、一向に治る気配がないのが玉に瑕であった。
「この顔ぶれということは、宴の用意についてというわけですか」
「さようでございます、ヒーサお坊ちゃま。お越しになられますカウラ伯爵は、当家と長らく付き合いのある家で、しかもお坊ちゃまの花嫁をそちらからお迎えいたすのです。歓迎に粗相があっては公爵家の面子に関わりますゆえ、万全の用意をせねばなりません」
エグスとしては、他家の当主を出迎える一大行事であり、決して失敗は許されないものと、襟を正して臨む姿勢が出ていた。
「そうだな。精々歓迎して、いい印象を持ってもらわなくてはな。ベント、料理は美味で豪華なのをお出しするんだぞ。あと、酒類も最高級品を用意するのだ」
「あ~、それはダメなんですわ、若様」
ベントは両手を十字で交差して、ヒーサの要請を拒否した。
「なぜだ、ベントよ。旨い酒と料理を提供するのは、歓待の基本ではないか」
「まあ、それはそうなんですがね・・・」
そう言うと、ベントは視線をマイスの方に向けた。自分じゃ説明できないんでよろしくお願いします、という感じであった。
「そうか、お前には言っていなかったな。実はな、伯爵は酒が全然飲めないのだ」
「そうなのですか?」
「ああ、ひどい下戸でな。前にとある宴席で水と間違って蒸留酒を飲んでしまって、気を失ったことがあるのだ。だから、伯爵には酒類はご法度だ」
「なんと、それは難儀な体質ですな」
驚きながらも、その実、いい情報が手に入ったとヒーサは喝采を上げた。
(くくく・・・、よもや重度の下戸とはな。始末するなら、酒以外の飲み物に仕込めばいいということか。・・・ああ、いかんいかん。何を殺す気でいるのだ。殺すかどうかの判断もしておらぬというのに、殺害方法だけ先んじて論ずるのはいかんな)
取りあえず、情報はしっかりと頭の中に入れ、話を続けることにした。
「ヒーサよ、おぬしの医術薬学でどうにかならぬか?」
「無理ですね。そもそも、“病気”というものは、体内に住んでいる精霊が、何かしらの理由でいたずらするのが原因です。それを鎮めたり、あるいは活性化させたりするのが医者なのです。しかし、酒の精霊は根が深く、薬でどうこうするのが大変難しいのです」
火の精霊が暴れれば熱を出し、風の精霊が暴れれば咳やくしゃみをする。体内に入り込んでいる精霊の働きが体調に影響を及ぼし、それを薬や刺激によって気血栄衛を操作するのが医術だ。医者や薬師がおおよそそのような考えのもとで患者の体に治療を施していた。
「申し訳ありません、父上。医者とて万能ではございませぬゆえ、大した力になれず」
「なぁに、医者が万能であれば、病で亡くなる人間もいなくなるだろうて。それは重々承知している」
マイスもまた、自身の妻を病気で亡くしている。ヒーサが医者になったのも、そもそもは病弱な母のためであり、二人にとって病とは倒すことのできぬ巨大な敵であった。
「気落ちしたところで、死んだ人間が生き返らぬのもまた事実。生きておれば別れもありましょうが、今は新たなる縁について考えましょう。そう、お坊ちゃまの晴れやかな婚儀が迫っているのです」
そう言って、気落ちする二人をアサが元気づけてきた。それで二人の顔色も幾分か良くなり、気を持ち直した。
「で、ヒーサよ、話が逸れてしまったな。何か頼みごとがあってきたのであろう?」
「そうでしたそうでした。お願いしたいことがあって参った次第です」
「なにかな?」
「リリンを私の専属侍女としていただきたいのです。テアと同じく」
意外な頼み事であったのか、マイスを始め、その場の面々は目を丸くして驚いた。ベントに至っては口笛まで吹く始末だ。
「テアみたいな美人に加えて、追加でもう一人要求とは、若様も隅に置けませんな」
「ベント、口を慎め」
軽口を叩くベントをエグスが窘めるも、ベントはニヤニヤしながらヒーサを見つめた。
「まあ、理由はあるからな。父上、今日往診に出かけて思ったのですが、やはり“医者”としての従者が欲しいと思いまして、それはテアに任せようと思っております。ですが、それに加えて屋敷のことまで任せると、明らかに負担をかけ過ぎることとなりましょう。なので、屋敷内の内向きな仕事をやらせる者をもう一人、専属として欲しいというわけです」
「ああ、なるほど。そうゆう理由か」
これでマイスは息子の申し出の意味を理解した。医者がなにかと大変なのは理解しており、それを手助けして息子の仕事の役に立てるのであれば、侍女をもう一人くらい付けてやるのも問題はなかった。
「いいだろう。リリンはお前の専属とする。アサもそのつもりで」
「畏まりました」
リリンの上司たる侍女頭のアサは主人からの命を受け、それを承諾した。
「しかし、お坊ちゃま、確認しておきたいことがございます。リリンを“御手付き”なさいましたね?」
え、そうなの? と言わんばかりに男性三人の視線がヒーサに集中した。さすがに誤魔化しは利かないと判断したヒーサは、少し照れ臭そうに頭をかいた。
「いやはや、アサにはやっぱり分かるか。実際、その通りだ」
「なんだ、そうだったんですか! 若様も意外と手が早い」
ベントは楽しそうに拍手をして、エグスがそれを睨みつけた。
「やれやれ、まったく。婚儀が近いというのに、手近な女に手を出すとは」
「ああ、それなのですよ、父上。婚儀が近いからなのです。リリン曰く、『他家より姫君を娶られるのでしたらば、床入りの際に粗相があっては大変でございます。私をお使いになって練習なさいませ』と」
少しばかり反応に困る話であった。わずかな沈黙の後、ベントが大笑いして、それが切っ掛けとなり、全員が笑い始めた。
「なんだよ、リリンの嬢ちゃん、可愛い顔して、やること過激だねぇ」
ベントは大笑いしながら拍手して、リリンの意外な一面に驚いていた。
「やれやれ、今朝から妙なことが、と思っておりましたが、よもやあの子がね。フフフ」
アサも堪えきれずに笑い出した。
「これは血筋ですな、どちらも」
エグスがマイスとアサを交互に見やると、二人はなぜか視線を逸らしてしまった。どうやら、今回と似たようなことがかつてあったのだなと、ヒーサは認識した。
「では、お坊ちゃまにリリンはお預けします。孫みたいなものですが、よろしくお願いいたします」
「え、そうなの?」
「ええ。と言っても、私はこの年まで未婚の身。子供はございませんが、あの子は親戚筋にあたるのでございます。あの子の両親が亡くなって、私が引き取り、ここで働かせている次第です」
ここでまた新情報が入った。リリンとアサが縁戚関係にあり、アサがリリンを孫のように認識していたということだ。
(これは使える。侍女頭を操るのには、いい材料だ)
使える情報が手に入り、ヒーサはにやりと笑ったが、照れ隠しとしか周囲には思われなかった。
「まあ、その、程々にな。あくまで、リリンとそういう関係を持ってよいのは、ティース嬢が我が家に輿入れするまでとする。それ以降はダメだからな?」
自身のことで身に覚えがあるのだろうか、少し腰の引けた言葉でマイスは息子に釘を刺した。
「はい、それまではしっかりと修練に努めさせていただきます」
ヒーサの一言に、再び場が笑い声に包まれた。真面目なお坊ちゃんかと思いきや、このような一面があろうとは、全員が考えていなかったようで、それゆえの笑いであった。
「では、了承が得られたということで、これにて失礼いたします」
ヒーサはまだ笑っている父に礼をしてから、部屋を出て行った。
残った顔ぶれもようやく笑いが収まった。
「やれやれ、真面目一辺倒かと思いきや、女に関しては手が早かったか」
「まあ、よいではありませんか? 亡き奥方様をお迎えして、大人しくなった公爵様のように」
アサの一言に、マイスはわざとらしく肩をすくめ、一同がまた笑った。
こうして楽しげな雰囲気のまま、息子、あるいは若様のための話し合いが続くのであった。
***
執務室を出たヒーサはその足で食堂に向かい、軽く食事を済ませた後、自室に戻っていった。
そして、自室の扉を開け、中に入ると一人の少女が立っていた。もちろんリリンである。
「ヒーサ様、お待ちしておりました」
リリンは恭しく主人に頭を下げ、これを出迎えた。蝋燭の明かりに浮かぶ少女は可憐であり、ついつい見惚れてしまう者もいるであろう。
「リリン、専属の件は父より了承を得てきたぞ」
「はい、ありがとうございます」
リリンは抱き着きたい気分を必死で抑え、主人から抱擁を待った。自分から抱き着きに行くのはやはり失礼であるし、はしたないと考えたからだ。
「そういえば、侍女頭から聞いたのだが、リリンは親戚筋なのだそうだな?」
「はい、そうです。両親が流行り病で揃って亡くなり、一人になったのを引き取っていただいたのです」
「そうかそうか。では、こんな可愛らしい者を招き入れてくれた侍女頭にも礼を言わねばな」
などと冗談めかして話しつつ、ヒーサはリリンを抱き寄せた。腰に手を回してしっかりと抱き寄せ、もう片方の手で後頭部を撫でた。
リリンもまた待ちに待った主人からの抱擁に感激し、幸せそうに顔を埋めた。
そのまま寝台の上に転がし、服をはぎ取り、そして、本日“二度目”の床合戦が始まった。
だが、床を同じくする主人と侍女の見る夢は違う。主人は目の前の“人形”の利用法を考えながら抱き、侍女は主人の寵を受けられる幸せを嚙み締めた。
こうして体は絡み合うが、心は一切噛み合わない二人の夜は更けていった。
なお、その隣室ではテアがまたしても、当てつけのごとくリリンの嬌声を聞かされることになり、それを子守歌にして眠りに就かざるを得なかったことは、翌朝になるまで二人に気付かれることはなかった。
「思い切り、壁を蹴っ飛ばしたくなった」
これが翌日、ヒーサに伝えたテアの言葉である。
~ 第十一話に続く ~
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