7.妹の様子が何かおかしい様だ3
ミウはなぜ生まれてきたのでしょうか。
ミウ以外の人達がいつもどこか幸せそうに日々を過ごしている姿を横目で見ながら、ミウはいつしかそんな事を思う様になっていました。
いつ頃からでしょうか。
ミウが他人と違うという事に気づいてしまったのは。
ミウには生まれつき特別な力がありました。
固有才気・『完全記憶』。
ミウが感じ、考えた全てを完全に記憶し、いつでもその感覚をそのままに思い出す事が出来るという物です。
それはこの世界の人々が生まれ持つ“六感”と呼ばれる感覚器。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、魔覚だけに限った話ではありません。
ミウが肌で感じる温度、時間、色や形から来る共感等も完全に記憶しています。
そしてミウが温度計や時計という絶対的な尺度と記憶した感覚を『校正』する事で、それらを数字にする事が出来るという事に気付いたのは5歳の頃でした。
あとは単純な計算の世界。
我が家の経済、明日の天気、今夜の献立、目の前のメイドが今何を考えているのか。
どれもこれも“数字遊び”で計算できる単純な“情報”でしかありません。
ミウの経験は常に記憶と比較され、数字の羅列になり下がります。
7歳となった今、毎日の経験はほとんど『誤差の範囲』を出ません。
今日という日を生きればまた、明日を生きれば更に、ミウにとっては『新しい』が無くなっていくのです。
人間の脳にとっては『忘れる』という事も重要な役割の1つなのだと言います。
それが出来ないミウにとっては、毎日は『退屈』の繰り返しでしかないのです。
だからでしょうか、ミウは他の人達と同じ感覚、喜びや楽しさ、悲しみといったものを共有する事が出来ませんでした。
勉強と呼ばれる作業も、ミウにはただ記憶をなぞるだけ。ただそれだけなのに家庭教師の皆さんは『一度聞かせれば何もかもを完全に覚えてしまう。私はいったい何を教えればいいのですか?』等と言って、辞めていくばかり。
『常識を超えた天才』『人の姿をした知恵の実』、中には『化け物』と仰った方もいらっしゃいました。
ええ、きっとその通りなのでしょう。ミウは異端なのです。
しかしそんなミウにも同じ世界を分かち合える方が一人だけ居らっしゃいました。
彼女の名はタイラー・ボルデンハイン。
この世界の創造主、女神様から勇者様として力を与えられ、この世に生を受けた文字通りの聖女様で、ミウの実のお姉様でした。
ミウよりも余程特殊な力と立場を与えられている筈なのに彼女はいつも楽しそうでした。
キラキラと宝石の様に目を輝かせて、幼かったミウにまるで普通の子供の様に接してくれていました。
幼い頃のミウは、お姉様だけはミウと同じ世界を共有してくださる存在だと盲目的に信じていました。
だからミウは【勇者】という存在について、家中のあらゆる資料、そしてお父様に取り寄せてもらったそれ以上の資料からいろいろと調べました。
大好きなお姉様の事です。もっともっと知りたい。ただそんな純粋な気持ちでした。
そして、ミウは知ってしまいました。
――お姉様は、もうすぐ居なくなってしまうのだと。
【魔王】。
人族にとって不倶戴天の敵であり、この世界を生み出した女神様をも手に掛けようとする不届き者。……というのが、聖教府並びに教会の方々の認識です。
そして、お兄様、つまりは【勇者】の使命はその魔王を倒す事。
ですが、そんな事はあまりにも無謀と言わざるを得ません。
分かり易い数字を並べますと、今代の魔王は400年間無敗、返り討ちにした勇者の数は25人です。
魔王と勇者の力は同等であると云われてはいますが、この数字はどうでしょうか。
それに統治者としても非凡な才能をお持ちの方で、人族の国との大規模な戦争は1度も起こしていないというのに、魔族の領土を20%も拡大して、魔族の国の推定総生産もこの400年の間に100倍近くまで伸ばしています。100%ではありません。100倍、10000%です。まるで数字遊びの様ですね。
優秀な統治者というのは多くの人々を幸福にします。
実際に魔族の国、【魔界】ではかつてない名君だと讃える声も少なくないといいます。
私自身今代の魔王には尊敬の念すら抱かざるを得ません。魔王様万歳です。
しかしそれは味方だった場合の話です。
もしもその名君が敵国の王であればどうでしょうか。それも、私たち人族にとっての不倶戴天の敵であったなら。
魔王様お一人の力でも勇者に全勝できるだけの戦力をお持ちな上、戦争となった際に発揮される国力は人族の全国家を合わせた総数よりも20倍以上も大きいのです。
魔族がもしもその気になったら、人族最大の国家であるグリティア帝国だろうと1週間ともたず更地に還る事でしょう。
そう、今現在人族が平和に暮らしていられるのは女神様のご加護というよりも、『魔王様のご慈悲のお蔭』と言っても過言ではありません。
そんな魔王様にたったお一人で挑まれる【勇者様】はまさに、ひのきの棒片手に世界の全てに戦いを挑む様な物です。
そうして実際に25人もの勇者様が旅に出たまま帰ってくることはありませんでした。
ミウは悟りました。
この世界は非情なのだと。
女神様は慈悲深い方だと仰います。
そしてそれと同時に平等な方なのだといいます。
そのご慈悲は人族だけでなく、自身を殺そうと公言している魔族にさえ平等に与えられるのです。
だから、女神様は勇者と魔王の戦いに自身が手出しをされる事は一切ありません。
これが女神という存在、絶対的な平等の慈悲です。
ミウ自身、これに異を唱えるつもりはありません。女神様は正しいです。
そもそも、今代の魔王様は明らかに戦争を望まない平和的な王様です。
そんな方を感情的な理由だけで亡き者としては、逆に現在の平和が脅かされる原因にもなってしまうでしょう。
理解できます。ミウは賢いですから……。
――そして、ミウはこの世界が嫌いになりました。
しかし、そんなミウの世界はお姉様がミウの『お兄様』になったあの日に一変する事になりました。
ミウはただの独りよがり、つまりは子供の我が儘で世界を嫌いになりました。
でも、お兄様はそんなミウに仰いました。
『良ければお前も一緒に俺と遊ばねぇか?』
『目的は何であれ、言っちまえば世界一周旅行だろ?』
『知らない世界、知らない土地に自分の足で出かけて、自分の目で見て、自分の手で触れるんだ。絶対に楽しいに決まってるだろ!』
絶望的な状況。いえ、死刑宣告にも近い使命を与えられながら、お兄様はそれでも尚、人生を楽しもうと、そう仰ったのです。
ミウは理解しました。
お兄様が聖女様と呼ばれる理由を。
ミウが非情だと絶望した世界を、当事者である筈のお兄様はそれでも愛していらっしゃったのです。
あれ以来お兄様を見ただけでミウの中で『尊い』という感情が沸き上がり、心拍数が上昇し、酷く興奮してしまうのです。
しかもこの感情はミウの能力を持ってしてもどんどんと上昇を続けていくのです。
毎日が記録更新のレコード勝ちです。
ミウはこの感情を知っています。本で読みました。
この感情の名は『恋』。
ミウは恋をしたのです。他の誰でもない、ミウのお兄様に。
ミウを肯定し、ミウを妹だと言って下さったお兄様。
ミウの事を気味悪がらず、可愛いと言って下さったお兄様。
天真爛漫で美しく、可憐で、とても愛らしいお兄様。
お兄様は半分異性ですが、社会的には同性です。
しかも何より、血の繋がった兄妹です。
でも、それが何だというのでしょうか?
ミウのちっぽけだった世界は一瞬にして色づきました。お兄様という色で。
であれば、ミウは突き進むだけです。ミウの中に生まれた“心”に従って。
お兄様のベッドに潜り込んで、お兄様の寝息に耳を傾けます。
お兄様はとても可愛らしいです。
その薄桃色の髪はまるで熟したイチゴを溶かしたミルクの様に甘く爽やかな口当たりです。
そのお肌は最近よく外で武芸のお稽古をなさるのでこんがりと日に焼けて、健康的な魅力でいっぱいです。
ミウはそんな日焼けした肌と本来の真珠のような白さを残したお肌の境目の風味の違いを楽しむのが好きです。
お兄様はどこもいい匂いがします。
お兄様の汗の匂いは甘酸っぱくて濃厚です。お兄様の吐息は頭がとろけるほどに甘いです。
お兄様は一度眠ると朝になるまで絶対に目を覚ましません。まるでミウに全てを預けてくれているかのようです。
くんかくんか、すーはーすーはー。ぺろぺろはむはむ。うん、でりしゃす。
ハッ!?
ミウは何をしているのでしょうか!
いけません。お兄様があまりにも魅力的なので、気を抜くとついつい欲望が溢れてしまいます。
ミウは反省しながら、肌蹴てしまったお兄様のモチモチのお肌が夜風で冷えてしまわない様に、自分の身体を密着させます。
ふう、これで一安心です。
お兄様がお腹を冷やされてしまっては大変ですからね。
こうしていれば触れ合った肌からお兄様成分を吸収する事も出来るので一石二鳥ですね。
はぁ、お兄様。お慕いしております。大好きです。
きっとこれからお兄様は様々な方と出会い、その方達と惹かれ合っていくのでしょう。
お兄様は女性ですが、同時に男性でもあります。相手がどちらかだけとも限りません。少し妬けてしまいます。まだ居もしない方に妬いてしまうというのも変ですが。
ですが、ミウが、ミウだけがお兄様の妹です。どれだけたくさんの恋人が出来たって、お兄様の妹なのはミウだけです。
なので、ミウは愛します。お兄様も、お兄様の恋人の方達も、お兄様が大切だと思う全てのものを愛します。そして守りましょう。
この世界の全てを敵にしてもお兄様だけは絶対にミウが守って見せますからね。
例え魔王様が相手でも、絶対に。
訳あって妹ちゃんは変態です。