28.ちょっとだけワクワクしてきちゃいました
目を覚ますと、すっかり辺りは夕暮れの光に包まれていた。
いつのまにか寝ていたらしい俺は、フサフサとした毛皮の生えた自分の腕に顔を埋めた姿勢で目を開けた。
自分の腕ながら、なかなかにモフり心地の良い毛皮だ。
「ん~……。やべぇ、寝すぎたにゃ? ん……ぐぅ~……にゃ」
俺が体を起こす前に両手をベッドに突いたまま背筋を伸ばしていると、不意に背後に人の気配がある事に気がついた。
「んにゃ?」
「おはようございますお嬢様」
そう言ってにこやかに挨拶してきたのはメイドのリゼだった。
「にゃ? リゼ、どうしたにゃ? っていうか、何やってたにゃ?」
「お嬢様の愛らしい寝顔を見て……、コホン。お風呂の準備が出来ていますよ」
……どうやらずっと見られていたらしい。
まぁ、朝とかも俺が起きるのが遅いと目が覚めるまでずっと寝顔を見られていたりするので、もう慣れてはいるが。
「風呂か……。丁度いいし入らせてもらうにゃ」
そう答えると俺は眠さの残る体を引きずって、自室の隣にある浴室に向かった。
「はふぅ~。たまらんにゃ~……」
この世界では風呂は贅沢品で毎日入れる様な物ではない。
実際に旅に出て宿に泊まった時も、風呂付の宿なんてなかったからな。
精々井戸に行って濡らしたタオルで体を拭くぐらいだ。
「それを考えると、貴族に生まれてよかったにゃ……」
体の芯まで温まるお湯に浸かり、色々とあったせいでこんがらがっていた頭の中がゆるゆると解れていくのを感じる。
「ん~。おっ、そういえば、この世界にも温泉で有名な町があるって前にミウが言ってたにゃ。湯治……って訳じゃにゃいけど、ミウに言って修行の合間に寄ってみるかにゃ」
俺はここのところ溜まっていた疲れを湯に流す事にした。
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「お父様。調査の結果は如何でした?」
「……」
お兄様が自室に戻られてお休みになられたと聞いて、ミウはお父様の書斎へ向かいました。
リゼとお母様付きのメイドのシュヴィに話を聞いておおよその事情は把握しておりますが、何か新しい展開は無いかと思い訊ねたミウに、お父様は重々しい表情でひとまとめの書類の束を向けました。
「想像しうる最悪の事態だ。どうやら公国と帝国の貴族の一部の者に魔族と内通している者が居るらしい」
「あら、それについては初めから分かった上で偽情報をお流しになっていたのではなかったのですか?」
お父様があまりに当たり前の事を神妙なお顔でお話になったので、思わずミウはくすりと笑ってしまいました。
「ああ、だが問題はその裏切り者が誰かという話だ。思わぬ大物の名前が出て来た」
「帝国皇兄殿下……ですか」
「ああ。今回ばかりはフランクルの仕事を疑いたくなった」
お父様から受け取った資料に目を通しながら答えるミウに、お父様は頭を抱えて弱弱しい声を上げられます。
お気持ちは分かります。
何故なら帝国の皇兄殿下と言えば、お身体が弱い所為で現皇帝陛下に皇位をお譲りになりはしたものの、その兄弟関係は非常に良好で、卓越した頭脳で皇帝陛下の最も信の置ける家臣として辣腕を振るわれているお方です。
そんなお方が魔族と通じていたとなれば……。
「最悪の事態だ。この話が本当なら帝国そのものが敵である可能性も否定できない」
「うふふ~。お父様らしくありませんねぇ~」
少しばかり冷静さを失っているご様子のお父様に、ミウは少しだけお母様の口調を真似て諭します。熱を冷ますには丁度いい温度でしょう。
「それほど簡単に世界を“敵”と“味方”に分けられるなら、お父様のお仕事はもっと楽になる筈なのではないでしょうか?」
「……はぁ。言えているな。しかし、お前達の居場所が魔王に知られていた事も事実だ」
「そうですねぇ」
ミウはそれだけ零して空っぽの頭の中を巡らせます。
今回の修行の旅は、先代までの勇者様の多くが旅に出て1年と経たない内に魔王様やその配下の方々に襲撃を受け命を落されてきた事実から、ミウの中で綿密に計画を立て、お父様やお母様とも協力して導き出した『最も安全なプラン』の筈でした。
その為に魔族の方達が入り込みにくく、且つ帝国やその他の人族側の国家の影響も及びにくく、その上で聖教府の庇護下である中立国、ヘレニゼイン王国を目指す事にしていたのです。
そこに行くための過程にも気を配り、お父様に足の付きにくいルートを選んでもらったはずでした。
なのに結果はこの通りです。嫌になっちゃいますね。
まさか魔王様が単身で乗り込んでこられるとは、流石に“以前のミウ”も想定外だったでしょう。
そうなると今のミウではお手上げです。
ミウの記憶と知識は確かにミウの持つ『完全記憶』のおかげで無事でした。しかし、この身体にはそもそもまともに思考できるだけの脳ミソがありません。
なので、今のミウは以前のミウの記憶を以前のミウの感覚を頼りに繋ぎ合わせた以上の回答を出す事が出来ません。
分かり易く言えば頭の回転が以前の7割引きといった感じです。閉店大セールですね。
これは少しだけ不便です。
う~ん。以前のミウの脳ミソだけでも復元できればずいぶんと楽なのですが、脳ミソがどうやって物事を考えているのか、なんて最新の医学書にも載っていませんし、この世界の人でそんな事を知っている人も居ないでしょう。
はぁ。世界中の人がお兄様のように単純で愛らしい思考をされていたらこんな面倒な事に頭を悩ませる必要も無いのですけどねぇ。
ドゥフフ。世界中がお兄様に、ですか。それはもうこの世界が楽園になるも同義ですね。
と、回らない頭に嫌気がさしたミウが現実逃避気味に『世界お兄様化計画』の妄想を広げていたその時でした。
『まるでパソコンみたいだにゃ』
ふと、そんなお兄様の言葉を思い出しました。
パソコン……ですか。そう言えば、お兄様は『人工知能』なる物の存在も話されていました。
イエスかノー。その単純な解答の組み合わせから無数の答えを導き出す技術。
ふむ。
「これなら何とかなりそうですね……」
「む? 何か妙案でも思い付いたのか?」
「いいえ。お父様。残念ながら、まだ“妙案を思いつく方法”を思い付いたといったところですね」
「……ずいぶんと悠長な話だな。お前も、私も」
「ええ。ですが、お兄様もミウも、この身体に慣れるのにはもう少し時間が要ります。それまではもう少しだけお待ちください」
「……俺としては、出来る事ならお前たち2人には旅になど出ず、ずっとこの屋敷に居てもらいたい。そう願っているほどだ」
「うふふ。それは流石に無理です。だって、お兄様は勇者様ですし、それにミウはお兄様の妹ですから」
「まったく。これほど女神を疎ましく思った事は無いな」
「聞かなかった事にしておきます。ところでお父様? ミウの弟はまだですか?」
「……そちらの方も少しだけ待ってくれ」
「うふふ。早くしないとミウやお兄様だけではなく、お母様も居なくなってしまうかもしれませんよ?」
「善処する」
お父様の苦々しい返事に満足したミウは、お父様の書斎を出てミウの部屋へと向かいます。
道筋は立ちました。 あとは、どれだけ上手にできるか、でしょうか。
うふふ。ちょっとだけワクワクしてきちゃいました。




