22.ミウのモットー
俺が視線を向けると、魔王は脇腹を抑えながら今しがた立ち上がった様だった。
「いたたぁ~……。んもう! 死んだらどーすんのさ~!」
「あれを受けて無傷で立ち上がるような奴が言っていいセリフじゃねぇよ」
見た所魔王の身体に魔弾による表面的な外傷は入っていないみたいだが、それでもそれなりのダメージはあったのか、ここへきて初めて魔王が顔を歪ませていた。
しかし、魔獣の頭が吹き飛ぶ程の威力をあの至近距離で受けてこの程度か……。
防御力も化け物だな。
だが魔導砲が効くのなら、ある程度あいつの動きを牽制できる。
それに、ミウもいる今なら……。
消えかけていた勝機がここへきて一筋の光となったのを感じた。
それは細く頼りない物だが、それでも縋りつくには十分な太さがある様に思える。
「ちぇ~。全く。これでもあたしは王様だよ~? もうちっと丁寧に扱ってよね~」
「だったら、駆け出しの新人勇者を狙うなんてせっこい真似しねぇで、王様らしく城で待ってろよな!」
「うぐ……。痛いところを突くねぇ~、あんた」
一応こんな極悪猫魔王でも、自分がズルしてるっつう自覚ぐらいはあるらしいな。
「んで? どーすんだ? まだやんのか?」
「ニシシシシ。そんなの当ったり前じゃ~ん。さっきのであんた達の事、も~っと気に入っちゃったもんね~」
チッ。これで引いてくれればって、ちょっとだけ期待してたのによ。
だが、こうなっちまったら仕方ねぇ、きっちり決着つけて――
「お待ちください」
俺が聖剣を魔王に向けて構え、魔王も拳を構えたその時、突然ミウの凛とした声が俺たちの間に打ち込まれた。
なんだ?
「魔王様。残念ながら、もう勝負はついていますよ?」
俺と魔王が首を傾げていると、突然ミウがそんな事を言いだした。
「んえ~? それは何? あんたらが負けを認めてあたしのモノになるって事~?」
ミウの突然の決着宣言に不満そうな顔をした魔王がそんな事を訊ねるが、ミウは静かに首を横に振った。
「いいえ。魔王様。貴女はお兄様と勝負する前に『1発でも攻撃を入れられたら見逃す』とご自分で仰いましたよね?」
ん~? ……そう言えば確かにそんな事言ってたような、言って無かったような?
「うぎっ!?」
そしてそんな事をすっかり忘れてたのか、それとも意図的に忘れた事にしていたのか、魔王はその言葉を聞いてたじろいでいた。
……どうやら言っていたらしいな。
「まさか、世界の半分を治める魔王様ともあろうお方が、ご自分で仰った事を今更無かった事になんてされないですよね?」
ミウの顔はいつも通りにニコニコしているが、どことなくその笑顔に黒い何かを感じるのは気のせいだろうか。
そして魔王の方はそんなミウに対して何か言いたげな表情をしていたが、それを飲み込んだようにこんな事を言い出した。
「な、何の事かな~? そもそもあたしそんな事言った覚え無いけど~?」
「うわ、マジかよ。魔王の癖にちっさ!」
「い~い~の~! あたしは王様なんだかんね! あたしの言う事は絶対なの!」
俺がじっとりと視線を向けていたら、魔王は耐えきれなくなったのか、駄々っ子の様な事を言い出しやがった。
こいつ本当にさっきまで戦ってたのと同一人物か?
「うふふ。では、もう一度『絶対のお言葉』を聞いてみましょうか」
ミウはいつも通りの笑顔で言いながら、どこに隠していたのか、いつのまにか手に持っていた小さな魔道具のスイッチを押した。
『あんた達があたしに一発でも攻撃を入れられればあんた達の勝ち。今日の所は見逃してあげるよ~』
その魔道具から聞こえて来たのは間違いなく魔王自身の言葉だった。
どうやらあの魔道具はボイスレコーダーの様な物らしいな。
「うげっ!?」
ミウの突き出した音声に魔王はたじろぐ。
そして、未だに魔王の脇腹に残る聖剣のかすり傷、そして先ほどミウに魔導砲を受けた事は明らかに隠しようが無い事実だ。
ミウによって突き付けられた自分の敗北の動かぬ証拠に、とうとう魔王は口をあんぐりと開けたまま固まってしまった。
「……ふつうそこまでする?」
「はい。お兄様の為なら『出来る事はどんな些細な事でも』がミウのモットーですので!」
魔王の呆れた様な問いに満面の笑みで答えるミウ。どこか寒気がするのはきっと気のせいだろう。
「……で? どうするんだ?」
もうどう見ても勝負は決した。魔王は自身の慢心から俺達に敗れたのだ。
そしてそんな俺の問いに答えたのは意外な人物、もといケモノだった。
「諦めろリリー。今回ばかりはお前の負けだ」
まるで地を揺さぶる様なバリトンボイスが頭上から響き、顔を上げればそこには巨大な黒い狼の姿があった。
「どうやらこの国の軍隊がこちらに向かっている様だ。30人ちょっと。あと20分もすればここにやってくる。我らは只でさえ協定を犯し侵入している身。この場で争うと後々面倒な事になるぞ」
軍隊だと? 何で今更?
「魔王様だと気付いてすぐに、フットマンに合図を送って援軍をお願いしておりました。どうやら間に合わなかったようですが」
「なるほど。流石はミウ」
俺がミウの抜け目の無さに感心していると、魔王は狼に向かって未だに駄々をこねていた。
「え~? 人間30人ぐらい、皆殺しにしちゃえばバレないじゃんか~」
「……目的は達成している。これ以上リスクを冒す必要も無い。違うか?」
俺達と魔王の戦いをずっと近くで見ていたにもかかわらず、ここに至るまで一切の手出しをしなかったその狼は、指の一本でも魔王の顔程もある巨大な前足で窘める様に魔王の頭をポンポンと撫でると、どこか気苦労の多そうな瞳で小さくため息を吐いていた。
っていうか、お前喋れたのかよ。しかも声渋いな!
「……むぅ~……うぐぎぃぃぃ! ……んにゃぁぁぁ!! もうっ、わかったよぉ~! ちぇ~っ! ミウっちってば、勇者と違ってちっとも可愛くないよね~!」
魔王はそんな悪態をつくと、プンスコと腹を立てていた。
子供かよ、お前は。
「ふ~んっだ! いいよ~、今日の所は見逃してあげる。でも、次に会ったらただじゃおかないからね~! 絶対今度こそギャフンと言わせてあたしのモノにしてやるかんね~!」
うわ、絵に描いた様な負け惜しみ……。
だが、おかげで俺は背負い続けていた巨大なプレッシャーから解放された。
「勇者。名はタイラーと言ったか? この数百年、リリーが敗れるところを見たのは久しぶりだ。今回はリリーとの約束に従い私は見守るだけだったが、貴様が力をつけ、再び相まみえる事があれば、次は私も相手となろう」
気が抜けてへたり込みそうな俺に、巨狼は魔王よりもよほど魔王らしいセリフを吐くと、どこか楽しそうに口角を釣り上げた。
「ああ。次は今日みたいにはいかねぇ! お前も魔王もボッコボコにしてやるからな!」
武人という奴なのだろうか。正直、こういう正々堂々とした奴は嫌いじゃない。
「リリー。潮時だ、そろそろ戻るぞ
「うぐぅ~……。わかったよ~。ちぇ~っ」
狼が未だに未練たらたらの魔王に言うと、魔王は渋々と言った顔で、その巨大な狼の背に飛び乗った。
ってことは、……終わったのか?
俺がそろそろ立っているのも辛くなってきた身体を支えながら魔王を見ていると、最後に振り返った魔王がこんな事を言ってきた。
「あ、そーだ、ゆーしゃ。あんたの言葉遣いはあんまり可愛くないから、『これからは猫っぽくしゃべってね~。ずっとだよ』」
「はぁ!? いきにゃり何を言ってるニャ? そんにゃ事するわけ……ニャ!?」
気付いた瞬間には俺の語尾が「にゃ」になっていた。
「てめぇ! にゃんて事しやがるニャ!」
「ニッシシシシ。い~ね、いかにも『あたしのモノ』って感じで。ますますあたし好みになったよ、ゆーしゃ。ほんじゃ、今度会ったら今日の続きをしよ~ね~」
魔王はそんな事を言い残すと、狼が地面を蹴った瞬間、一筋の突風を残してその姿が消えていた。なんだ? 空間移動の魔法とかか? まぁいいぜ、終わったんならな。
でも、あんにゃろう! 最後にとんでもにゃ……とんでもない事をしていきやがって!
俺が地味に最悪な嫌がらせに腹を立てていると、ミウがじっとこちらを見て、親指を静かに立てていた。
「……ミウ、その親指は何ニャ?」
「魔王様、グッジョブです」
……ちっくしょう! 覚えてやがれぇ!!!
<EXPを獲得しました。レベルが上昇しました。各種パラメータが上昇しました>




