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18.いやいや、おっぱいの大きさ以外分かんないよ

「あたしは魔王だよ。リリーって言うんだ。よろしくねぇ。ついでに、こっちのもふもふのイケメンがあたしの旦那のヴァンだよ」


 随分と軽い口調でそんな馬鹿げた事を言い出したのは、とても噂に聞いていた魔王とは似ても似つかない猫だった。

 ……っていうか、猫の夫が狼なのかよ……、どんな子供が生まれるんだ? 12人も!

 俺がリリーと名乗った自称魔王の言葉がいまいち信じられず、疑いの視線を向ける中、そんな事を気にも留めない猫は左右に体を曲げながら、2,3度身体を大きく伸ばすと、こんな事を言ってきた。


「うっし。ほんじゃあ勇者(ゆーしゃ)。おいしい干し肉のお礼にってわけじゃ~ないけどさ。特別ルールを付けたげるよ~」

「特別ルール?」


 ルールだと? 何を企んでるんだ?


「あんた達があたしに一発でも攻撃を入れられればあんた達の勝ち。今日の所は見逃してあげるよ~」

「へえ、随分と舐めたルールだな、そんだけ――むぐぅ!?」


 随分と上から目線な『特別ルール』とやらにイラっと来た俺が文句を言おうと口を開いたその時、突然背後からミウが俺の口を塞いできやがった。


「寛大なお言葉をありがとうございます、魔王様。では、そのルールに二言はございませんね?」

「おい、ミウ! ……ん?」


 俺の気持ちを遮っていつも通りににこやかな笑顔で自称魔王の猫にそんな事を訊ねるミウに、俺は抗議の声を上げるが、その時ふと俺を背後から抱きしめているミウの腕が微かに震えている事に気が付いた。

 もしかしてビビってんのか? この猫に!?

 いやいや……、いやいやいや。無いだろ。

 こんなゆるキャラ紛いの猫が魔王だなんてそんな……。

 そもそもここはまだ人間の国だぞ?

 俺が首を傾げていると、『ニシシシシ』と笑いながら猫が口を開いた。


「へぇ~。あんたなかなか冷静だねぇ。ふ~ん。ゆーしゃ、あんた良い“ねーちゃん”を持ったねぇ」

「ハァ!? おい待て猫! ミウは俺の妹だ!」

「ウェっ!? ……マジ? その身長でっ?」


 俺が反論すると、ムカつく事に猫の奴はそれまで半目だった大きなオッドアイを見開いて、本気で驚いた表情をしやがった。


「むきぃぃ!! 見りゃわかるだろうが!」

「いや、あんたちょっと鏡見てみ。絶対わかんないからね?」

「分かるだろうが! アレだ、オーラとかで」

「いやいや、おっぱいの大きさ以外分かんないよ」

「じゃあもうそれでもいいよ!」


 とにかく俺の方がにーちゃんだ!


「ニッシシシシシシ! いいねぇ~、あんたおもしろいね~、ゆーしゃ。あたしあんたのこと気に入ったよ~」

「俺は気に食わねぇよ!」

「ニシシシ。いーよ。あたしが気に入ったんだから。そういう事であんたらは今日から姉妹仲良くあたしのペットね。王様(おーさま)のめーれーは絶対だかんね~。」


 俺が怒り心頭で抗議していると、自称魔王の猫はそんなふざけた事を言ってニッカリと笑い、そして……。


 世界が凍り付いた。



「ぇ……」


 気が付けば、俺はその場にへたり込んでいた。

 立ち上がろうとするが、糸が切れてしまったように足に力が入らねぇ。


「ぁ……ヵ……」


 見ればとなりにいたミウは顔面を真っ青にして、胸元を抑えて蹲っていた。


「な……、お前、何を?」


 俺は訳も分からないまま、目の前で未だにニッカリと笑みを浮かべてこちらを見下ろしている猫を見つめた。


「ニッシシシシ。あれぇ~? どったのさ、ゆーしゃ? そんな怯え切った可愛い顔しちゃってさ~?」


 怯え……俺が?

 いや、そんな筈はない。

 そんな筈……ないのだが。しかし俺の体はまるで冷凍庫に数時間も入れられたかのように力が入らない。

 そんな体の中心で心臓だけがバクバクとうるさい程に振動を続けている。

 なんだ? 俺の体にいったい何が起こった!?


「知ってる? 人間の体ってさ、急に強すぎる魔力をぶつけられちゃうとそうやって動かなくなっちゃうんだって。つまりさ~? これがあんたとあたしの力の差ってこと。分かった~?」


 嘘……だろ?

 確かに周囲に魔力感知を向ければ、あまりにも濃すぎて魔力だと気づけない程の瘴気が、俺たちのいる周囲全てを覆っている。

 それこそいつの間にか空気が全部鉛にすり替わったかのような感覚がするほどに。

 実際に勇者ですらないミウは呼吸すら難しいらしく、先ほどからか細く短い呼吸を繰り返すばかりでぐったりとしている。


「な……。じゃあお前、本当に魔王だってのか?」

「だからそ~言ってんじゃんか~」


 まだ“始まりの街”を出て2日だぞ?

 何でこんな所に“野生のラスボス”が出てきたんだよ!?


「くそっ……。反則だろ……そんなの」

「いやいや。普通に考えてあたしに勝てんのって勇者ぐらいじゃん? だったら、強くなっちゃう前に潰しとくのが普通じゃんか~」


 それにしたって限度があるわ!


「ニシシシシ。あたしは“楽する為なら全力で”って決めてんの。いや~。前の勇者の時は護衛がわんさかついてたから見つけやすかったけど、あんたと来たらたった2人、それも馬車に隠れてるんだもん。居場所を調べる為にネズミちゃんをたっくさん使う羽目になっちゃったよ」


 クソ。駆け出しの勇者を倒す為に全力出す魔王とか、恥ずかしくねぇのかよ!


「正直この道を通るかどうかも賭けって感じだったんだけど、あんた達から見つけてくれて助かったよ~。あんがとね」

「くそ! くたばりやがれ!」


 俺は震える膝に力を入れ、何とか体を起こす、が、やはり膝から下がまるで長い時間正座でもしていたかの様に感覚が無い。


「ニシシシシ。どったのさ~? 震えちゃってるよ~? そんなのであたしの攻撃を受け止められるの~? ゆーしゃ!」


 次の瞬間、目の前に居た筈の魔王の姿が消え、俺の視界がぐるぐると回り、あらぬ景色を映し出していた。


「アガっ!?」


 魔王に殴られて俺の体が吹き飛んだのだという事が分かったのは、俺の体が街道脇の森の木にぶつかり止まった時だった。

 背骨が折れそうなほどの衝撃が俺の体に走り、目の前が白黒として、遅れて止まっていた肺が動き出すが、つぶれてしまった肺がうまく空気を取り込めない。

 肺がようやく息の仕方を思い出すころには、俺の腹筋が破れてしまったかのような強烈な痛みがハラワタを締め上げ、俺は歯を食いしばってそれに耐えるが、その頃には俺の耳元に奴の声が聞こえた。


「ニッシシシシ。ほら、もういっちょだよ。猫ぱーんち!」


 やべぇっ!

 動かない体に無理やり魔力を流して体を反らすと、先ほどまで俺の体があった場所に大砲の様な拳が突き刺さった。

 大きな木の幹がその衝撃を受け、はじけ飛び、胴体に丸い孔を空けていた。


「んも~、なにさ~? 避けちゃったら終わんないじゃんか~」

「そんな殺人パンチ食らったら死ぬわ!」

「ダメだよ~、好き嫌いしちゃ~。ほら、もういっちょ。猫きーっく!」

「ぐふっ!?」


 魔王が軽い口調のままに繰り出した竜巻の様な回し蹴りが俺の脇腹を捉えた。

 メキメキと音がして、俺のアバラが確実に何本か逝かれた事が分かった。


「ガハっ!?」


 地面に2、3度体を打ち付け、やっと景色が止まったころには、俺の体は内部からバラバラになったように熱を持ち、視界はほんのりと赤く染まっていた。


「ほへぇ~? そんだけおっぱい大きいとよく弾むね~」


 魔王はそんな事を言いながら足音も無い歩みで俺のほうに近づいてくる。

 ヤバい! 逃げろ! 今すぐにここから逃げろ!

 俺の体が警鐘を鳴らす。

 しかしダメージの大きすぎる俺の手足はビクビクと痙攣するばかりでまともに動きそうもない。


「ニッシシシシ。ほんじゃ、これでおしまいかな~?」


 地べたに這いつくばる俺の頭上で魔王がその拳を振り上げた。


「はは……嘘、だろ?」


 もうどうにもならなさ過ぎていつしか俺の口は笑っていた。


「ホントホント。これがあんたの実力だよ~。ま~安心しなよ~。これまでの勇者と比べたら頑丈な方だったよ。大抵は最初の一発でお腹に穴空いて死んじゃうし、2発目を避けたのはあんたを入れても3人ぐらいだよ。そんで、3発目を食らっても意識があったのはあんたが初めて」


 はは……そうか。

 なら少しは頑張ったのか? ……いや、


「まだ何にも頑張ってねぇだろ!!」


 俺は神経の狂いまくった体で魔力を暴走させ、無理やりに動かした脚で魔王の体を蹴り上げる。


「ぅおっと!? ほへぇ~!? あんたすごいね、体中バッキバキなのに、まだ起き上がっちゃうんだ」


 しかしそんな俺の渾身の蹴りすらも魔王は軽々と躱して見せる。くそ!

 体が燃えるように熱い、痛みが脳みそを突き破って今にも頭がはじけ飛びそうだ。

 目ん玉が膨張して視界がグラつくし、口の中に胃袋から血が上ってきて息が苦しい。

 でも――、


「こんなぐらいで負けられるか! 死んでたまるかぁ!」

「いやいや~、あんたもうやめときなよ~。別にあんたの事は殺しゃ~しないよ~? ゆっくり眠ってくれれば姉妹そろって首輪着けて飼ったげるからさ~?」

「お断りだ! そんなもん!」


 俺は霞む視界の中で『アイテム欄』を起動すると、聖剣を手元に呼び出した。


「うわ、何さ、そのエッグい剣は? まさかそれがあんたの聖剣なの?」

「そうだよ、なんか文句あんのか!?」

「いや、あんたより剣の方が断然デカいじゃん。見栄張り過ぎじゃない?」

「うっせぇだまれ!」


 俺は緊張感のない猫に聖剣を振り上げると切りかかったが、猫はそれをさらりと避けた上に、振り下ろした剣の峰を踏みつけやがった。


「あんたさ~、さすがにもう無理だって。そんなデカいだけでノロマな剣じゃ1000年かかってもあたしには当たんないよ? まだやんの?」

「あったりめぇだろうが!」


 挑発的にそんな事を聞いてくる魔王を乗せたまま、俺は聖剣を渾身の力で振り上げて魔王を空中に放り出した。


「うっひゃ!? あんたそんなちっちゃい体でどんな馬鹿力してんのさ!?」


 空中で姿勢を整えた魔王はそんな事を言ってくるが、俺はその隙を逃しはしねぇ。


「“焼き払え”! ―フレイムブレード!―」


 俺は聖剣に炎の魔力を込めると、その切っ先から魔法剣を発動し、炎の斬撃を空中で身動きの取れない魔王に放った。


「ニシシシシ。そんなしょぼい魔法剣当たるわけないじゃん」


 魔王は相変わらず軽い口調でそんな事を云ったが、このタイミングだ、避けられるわけがねぇ!

 俺がそう思って追撃の準備をしたその時、魔王は空中を蹴る様にその場から離脱して魔法剣を回避しやがった。


「んなっ!?」

「じゃ、次はこっちの魔法(まほー)も見せてあげるよ~」


 魔王がそう言って空中に左手を掲げた瞬間、周囲に漂っていたバカげた量の魔力が瞬時に魔王の手のひらに集まっていく。


「な……」


 収束した莫大な量の魔力が瞬時に練り上げられ、術式を宙に描き、幾何学的な模様を浮かび上がらせた。

 この模様は俺も見た事がある。初歩の雷魔法だ。だが、込められた魔力量があまりにも莫大過ぎてまるで別物の様に見える。

 はは、なんだこれ?


「ぃよ~っし、いっくよ~! 猫まほー、びりびりどっかーん!!」


 俺は反射的に聖剣を頭上に構え、ありったけの魔力を使って魔法障壁を張った。

 しかし、次の瞬間には障壁は蒸発し、聖剣も真っ二つに割れると、俺の体を焼き尽くすような電撃が襲い――。


「…ぁ……?」


 意識が飛んでいた。


お願い、死なないでタイラー!あんたが今ここで倒れたら、女神様やミウとの約束はどうなっちゃうの? ライフはまだ残ってる。ここを耐えれば、魔王に勝てるんだから!


次回、「タイラー死す」。デュエルスタンバイ!

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