10.大胸筋矯正サポーターかよ!
それはいつも通りに家族で朝食を摂っていた時の事だった。
「お兄様」
「ん? どうした、ミウ」
俺がパンを口に入れながら訪ねると、ミウはどこか神妙な面持ちで俺を見つめていた。
え? なんだ? 俺、ミウを怒らせるような事でもしたか?
「お兄様のお胸は危険です!」
「ブッ!」
ミウの突然の爆弾発言に俺は危うくパンを吹き出すところだった。
見れば俺の向かいに座っていた父さんも、新聞を読みながら飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになって咽ていた。
「え、何!? なんでいきなり!?」
「お兄様、以前から思っていたのですが、お兄様のお胸は既にいろいろと危険な状態です」
「はぁ? いったい何が?」
俺は視線を下に向けると、テーブルの上にぽよんと乗っかる大きな脂肪の塊があった。
俺の背が低いので丁度乗っかる高さだという事もあるが、先日神から『天罰』とやらを受けて以来さらに大きくなってしまったせいで、こうしていないと肩が凝るのだ。
こうして見ると確かにでかいが、母さんよりは小さいし、危険という程 ではないと思うが?
そんな俺にミウは真顔のまま世にも恐ろしいセリフを投げかけてきた。
「お兄様、“垂れますよ”?」
「んなっ!?」
無論、この体に生まれ変わって15年も経てば、嫌が応にも『女性』についての知識も増える。その意味を俺が分からない筈はなかった。
「お兄様のお胸の靱帯はもう限界です。とてもその大きなお胸を支え切れる状態ではありません。お兄様、悪い事は言いません。ブラジャーを着けましょう」
「ウギっ!?」
た、確かにミウの言いたい事も分かる。
俺の胸は今現在も部屋着をぱっつんぱっつんに押し上げ、その下には大きな空間が空くほどになっている。
もはやこれは胸というよりスイカの域にあると言っても過言ではない。
そんな重量物をか弱い人体だけで支えているのだ、毎日の生活だけならいざ知らず、剣の稽古や鍛錬によるダメージの蓄積は計り知れないだろう。
しかし、だが、しかしだ!
「嫌だ! 男がブラするなんておかしいだろ! 大胸筋矯正サポーターかよ!」
今は見た目が少女とはいえ、中身は前世との合計で40歳のおっさんだぞ!?
40代のおっさんがブラしてたらそれはもう立派な事案だろ!
「しかしお兄様? 四の五の言っている暇はありませんよ? こうしている間にもお兄様のお胸は日に日に俯いて……」
「ヒギィ!?」
やだ! 怖い! 怖すぎる!
しかし何か、何か手はないのか!?
「そ、そうだ、父さん! 父さんなら分かって――」
俺は目の前に座っている父さんに視線を向け助けを求めた、が、いつの間にかそこに父さんの姿はなくなっており、代わりに母さんがこんなことを言ってきた。
「あらぁ~、ジャンならさっき書斎に戻るって言ってたわよぉ~?」
……にゃろう、逃げやがったな?
使用人を除けば我が家で唯一の同性であり、母さんとは違って俺を『息子』と認識してくれてはいる父さんだが、自分の立場が悪くなりそうになったり、答えに困りそうな質問が来そうになるとそれを察知していつの間にか居なくなる癖がある。
俺が父さんに恨みを募らせていると、未だにシリアスな顔をしたミウが最後の追い打ちを仕掛けてきた。
「お兄様? キャシーお婆さんの様になりたいですか?」
「グハッ!?」
キャシー婆さん。それは街で有名なお婆さんだった。
若い頃はそれはそれは美人で、ナイスバディを誇っていたらしいのだが、今やそのお胸は志村〇んのコントのレベルに垂れ下がっている。
嫌だ!
た、確かに俺は男だが、自分の胸が『ああ』なるのはさすがに……。
「ほら、想像してみてください。魔王様を倒して民衆の歓声の中をパレードするお兄様。しかしそのお胸は魔王様との激闘の末、自身の重さに耐えきれず服の下でお臍の辺りまで垂れ下がっている。それを見た観衆からは歓声に交じってクスクスと笑い声が……」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!?」
妹の口から異世界で一番怖い話が紡がれ、俺はたまらず悲鳴を上げた。
その時点でもう勝負はついていた。
「ノーブラ」と「健康な胸」。
そう、最初から戦うまでも無かったのだ。
「うぐぅ……、まいりました。ブラ着けます。いえ、着けさせてください」
俺は自分の胸に顔をうずめて涙を流した。
ズタズタになった俺の心にはその柔らかさがただ暖かかった。
「あらあらぁ~。タイラーちゃんもやぁっと大人の女の子になるのねぇ~!」
俺が机の上の胸に突っ伏していると、俺よりもさらに2回りほど巨大な胸をぶるんと弾ませて母さんが言った。
大人の女の子ってなんだよ。……そしてでけぇな。
「そういえばお母様はどうされているのですか? ミウはお兄様やお母様程ではないので、普通に仕立てたものですが」
「いや、ミウも普通にでかいからな? 俺や母さんと違って体がデカいから、そう見えないだけで」
「いえいえ。お兄様とミウのではバスト自体の大きさと重量、柔らかさと弾力、香りと風味が全然違います」
大きさと重量ねぇ。まぁ確かに俺や母さんのが『肉の球』だとしたら、ミウのは『円錐』という感じではある。
だが、柔らかさと弾力は分からないでもないが、いくらなんでも香りと風……ん?
「おい待てミウ。『味』ってどういう――」
「お母様のその美しいお胸の秘密はいったいどこに?」
俺がミウのセリフの違和感に気づいて発した言葉は、ほぼ同時にミウが母さんに投げ掛けた言葉に遮られた。
くそ、聞いちゃいねぇ。
でもまぁ確かに、母さんはもう今年で三十路に入ったはずだが、俺よりもさらに大きなその胸は未だに美しい形を保ったままだ。
メイドたちの噂する、『ボルデンハイン家の七不思議』の代表と言ってもいいだろう。
「お母さんはねぇ~、我が家の秘伝を使ってるのよぉ~」
いつも通りの間延びした声と柔らかな表情で母さんは何か怪しげなことを言い出した。
おそらくここで言う『我が家』ってのはボルデンハイン家ではなく、母さんの実家のハツァウェイ侯爵家の事だろうけど……、秘伝ってなんだよ?
「気になります!」
母さんの言った『我が家の秘伝』という言葉にミウが『何か面白いもの』を見つけた時のキラキラした瞳をして食いつくと、母さんはいつも優しそうに細めている青い瞳を開き、
「他の人に言っちゃ“メ”、なのよぉ~?」
などと言いながらウィンクをして見せた。
前世の『お袋』だったら殴っているところだが、三十路とはいえ10代の少女と言っても通じそうな『母さん』がやると、何故だか許せてしまう自分がいる。
まぁ一応お袋の名誉の為に言っておくと、お袋も五十路峠を下っているという実年齢に対し、四十代ぐらいには見られるほど若作りではあった。しかし、母さんとは違って、中身はテレビ見ながらせんべい齧って、時々平気で屁をこいたりする普通のオバハンだった。
信憑性は薄いが、親父は『若い頃は可愛かったんだがなぁ』と酒を飲むたびに言っていたが、果たしてどうやら……。
まぁ、母さんがお袋の様になる事など天地がひっくり返っても無いだろう。……ないよな?
大きなお胸様は大変。




