禍福得喪
秋も終わりに差し掛かり、いよいよ冬がやって来ようという時期だ。世間はクリスマスに向けて色々用意しているようだが、まあ僕には関係ない。それよりも、今直面している危機について考えるべきだろう。
僕は学生時代、無能以外の何物でもなかった。学力は終始底辺をうろうろし、運ダメダメ。当然ながら高校進学は出来ず、中卒で働かなければならなかった。でも、失敗続きで何度もクビにされた。唯一の家族である母親のおかげでなんとか食べていくことができた。ただ、さすがに頼りっぱなしなのもダメだろうと思い続けていた。そんな中、思いついたのが漫画だった。
どんなものでも碌に出来なかった僕が唯一出来たこと。それは漫画を書くことだった。学生時代はそれのお陰で沢山の友人が出来た。もしこれも無かったなら、もう僕は学校に行けなくなっていただろう。僕の人生を何度も救ってくれた漫画。今回もそれに賭けようと思った。
そして、僕はその賭けに勝った。
某出版社に応募すると、初参加で金賞に輝いた。その後、漫画家として正式にデビューした。以降7年間、漫画を書き続けた。怠惰な僕がそこまで続けられたのは、勿論漫画を書くのが楽しかったというのもあるが、何より母親の笑顔が僕を動かした。去年なんて、母親と二人で京都観光に行った。更に今年、友人の小説家の紹介で僕はお付き合いをすることにもなった。彼女とは何度かデートもした。自分や母親に余裕が生まれるだけの利益を、僕が稼いでいることに喜びを感じていた。まさに、幸せだった。
ところが、僕は今大問題に直面した。書き終わった原稿が消えてしまった。明日の朝に出すものを、だ。書き終わった後ココアを飲むと、急に眠たくなって寝てしまった。書いたのが過去最長の作品だったから、まあ疲れが溜まっていたんだろう。おおよそ2時間後に目を覚ましたら、前述の通り消えていた。1枚残らず、である。記憶を探ってみても、何処かに置いた覚えが無い。マズい。
過去最長の作品だけに、今から書いても当然間に合わない。編集者さんに頭を下げたとしても、おいそれと完成するものではない。そんなにかかっていたら、間違いなく切られるだろう。これまでも、そうやって切られてきた。どうしようか。
僕の脳裏には、とある方法が浮かんでいた。正に、最後の手段だ。僕は机の引き出しから薬を出した。睡眠薬である。一度自殺しようとした時に買って、そのまま放置していたものだ。これを使えば、死んで楽になれるだろう。そう思う。母親や恋人には悪いけれど、この絶望感や敗北感に、僕は耐えられなかった。
…さて。では、楽になろうかな。
薬を飲んだ途端、急に視界がぼんやりとし始めた。そして、抗えない力によって全身の力が緩んでいく。僕はその場に倒れた。段々と消えゆく意識の中、僕はドアが思いっきり開く音が聞いた。でも間もなく、僕は何も見えなくなり、何も聞こえなくなった。最期のその瞬間まで、僕は脱力感と幸福感に包まれていた。
☆
もう、助からない。そう思った。彼を助ける方法は無い、と。放送事故確定だ、と思った。
元々はただのドッキリ番組だった。2、3年前に始まったこの番組は中々の視聴率を誇り、今回初めて生放送を行っていた。今回のドッキリ。それが、文学家が自ら書いた作品を隠したら、どんな行動を取るか、というもの。一人目では大成功し、二人目として選んだのが僅か数年で漫画界のトップレースに躍り出た彼だった。彼もまた困惑し、結果的に視聴者達を笑いに包むだろうと思っていた。
しかし、まさか自殺を図るとは思って無かった。しかも、止められなかった。視聴者の目の前で、一人の人間が死んだのである。放送事故確定である。自分に何が出来るだろうと問い、何も出来ないだろうという返答を返した。
その時である。自分の体が動けなくなり、目の前の彼に覆いかぶさったのは。
動けなくなり続けている中、僕は頭に手をあて、続いてその手を見て驚愕した。そこには血がついていた。何故だ。何故僕は倒れた。何故僕は死にそうなんだ。何故僕は殺される。何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ…
☆
その日は朝からビッグニュースが飛び込んできた。昨夜、ドッキリ系番組の生放送中にドッキリを仕掛けられていた漫画家が睡眠薬で自殺、更にそこに駆け寄ったディレクターが背後から漫画家の母親に1000ページ越えの図鑑で頭部を強打され死亡、最期はその母親が首を吊って自殺するという事態となった。しかも、漫画家の自殺とディレクターの殺害は隠しカメラを通して全国に映し出されていた。各地で倒れる人が続出し、警察、消防、自治体などが総動員で当たる羽目となった。
原因となった番組は放送中止が確定し、放送社は謝罪会見を開くこととなった。社長を始め取締役が多数辞任し、その後先の見通しが立たなくなった放送社は間もなく倒産した。
その後も元社長らの殺人未遂事件が発生したり、漫画家の恋人が放送社の人間を相手取り裁判を起こすなど、最早収拾がつかなくなってしまった。
〜冗談は時として人生をも狂わせる〜