イラの神託 〜アレクス侯爵過去視点〜1
ハーティがマクスウェルと婚約する直前の頃、グラファイト侯爵家王都邸にて・・・。
バァン!
「なに!?側姫殿下とマクスウェル殿下がオルデハイト侯爵領に向かっただと!?」
執事の言葉を聞いたアレクスが、手元にあったテーブルを激しく叩いた。
叩いた衝撃で純金製の高価なワイングラスは倒れ、中に注がれていた年代物のワインが溢れる。
そして、近くにいたメイドが慌ててそれを拭こうと床に這いつくばる。
「ちっ、邪魔だ!」
ゲシッ!
「ひゃう!」
十代後半と思われるその少女が床のワインを拭くために這いつくばったことにより突き出されることになった小振りの尻を、アレクスは荒々しく蹴飛ばした。
「く・・王室はこちらが動く前に第一王子を立太子する為の既成事実を作るつもりだな・・」
「王室典範の改訂を実現するために、賛同貴族を取り纏めているのに暇を食っていたのが裏目になったか!」
「おのれ!レイノスめ!ユリアーナの時じゃ飽き足らずまたしても私の邪魔をするか!」
「デビッド殿下が、もう少し年齢があればよかったものを!」
アレクスはユリアーナをめぐるレイノスとの決闘に敗れたことを強く根に持っていた。
それからというもの、アレクスはレイノスを筆頭としたオルデハイト侯爵家がグラファイト侯爵家より優位に立つことが我慢ならなかった。
だが、オルデハイト侯爵家は第一王子にレイノスの娘のハーティを婚約者に立てることで、第一王子を次期王太子に立てる為の後ろ盾という立場になろうとしていた。
それはもし、第一王子が立太子した後に成婚がなればレイノスの娘が未来の王妃となるわけで、オルデハイト侯爵家が王室の親族になり、絶対的な優位に立たれるということを意味していた。
アレクスとしては何としても、そのようなことになるのを防がなくてはいけなかった。
そこでアレクスは王妃の子である第二王子のデビッドの後ろ盾となって第二王子を立太子させることを画策した。
だが、グラファイト家がデビッドの後ろ盾となる為に婚約者として宛てがう子女が、アレクスの家には存在しなかった。
そこで、適当な下級貴族からデビッドと年齢が近い子女を養子に取り、それを宛てがおうとしたのだが、まだ6歳であるデビッドに歳が近い子女がなかなか見つからなかったり、見つかったとしても幼すぎて養子に出すのを出し渋られたりしたのだ。
そして虫の居所が悪くなったアレクスは、一人になるべく自室へ向かいズカズカと廊下を歩いていた。
すると、その廊下でアレクスは自分の息子と出会した。
アレクスの息子はグレンと言う名で、年齢はハーティと同じであり、その容姿は本来であればさほど悪くないはずであったが、甘やかされて育ったのかかなりの肥満児であり、不摂生とそれによる肥満でニキビだらけの脂ぎった顔がそれを台無しにしていた。
「お父上!どうなさいました?」
「グレンか、ふんっ!レイノスの所が自分の娘を第一王子の婚約者にする為に王室とコソコソ動き出したのだ!」
「え、ハーティ嬢が!?そんな!?」
グレンはアレクスに似たのか、ユリアーナの血を受け継いだハーティに対して恋心を抱いていた。
アレクス自身も、密かにグレンをハーティの伴侶として宛てがうことでユリアーナの娘であるハーティを手に入れられないかと思っていた。
ハーティは8歳の姿で見てもユリアーナに似て可愛らしく、10年後には間違いなく誰もが羨む美女になるはずである。
身内に置いておけば、たとえ将来グレンと結婚していたとしても、なにか弱みさえ握りさえすれば脅して寝とれるという下衆な企みも持っていた。
「とにかく、今私は非常に虫の居所が悪い!私は部屋に戻っておくからな」
「あと、私の執務室にいたあのメイド、あれが欲しかったと言っていたな」
「あれはもう飽きたし、おまえにやる」
アレクスは先ほど自分が蹴飛ばしたメイドを、まるで興味が無くなったとばかりにグレンに押し付けた。
アレクスは王国の上位貴族であるグラファイト家の財力で、半ば強引に領地経営が芳しくなく資金繰りに困っている伯爵家などに借金をさせていた。
そしてその担保がわりに、見目の良い子女などを行儀見習いとしてグラファイト侯爵家で働かせていた。
そして、その子女達に実家の借金のことをちらつかせては夜な夜な寝所に呼び出して弄んでいたのだった。
「一応担保なんだし、あまり壊すなよ」
「わかっていますよ、お父上」
そう言うとグレンは二チャっと、8歳とは思えないような粘着質の笑みを浮かべた。
グレンは幼いながらも、親からお下がりとしてもらった見目の良い子女を嬲るのが大好きという歪んだ性癖をもっていた。
言いたいことだけ言ってグレンを置いて歩き出したアレクスは、自室にもどるとベッド脇に置かれた高級ワインを無造作に開けてグラスに注ぐと一気に飲み干した。
アレクスはこの後、いつもだったら昼間に選んだメイドを何人か呼びつけるのだが、今はそんな気分にはならなかった。
そして、徐に部屋にある小さな祭壇に目をやる。
アレクスは人間としては下衆の部類に入っていたが、それでも王国貴族として『女神教』は深く信仰していた。
しかし、最近アレクスの周りでは自分にとってよくないことが続いていたので、その信仰についても心の底では揺らぎ始めていた。
アレクスは二杯目のワインを煽りながら祭壇にある小さなハーティルティア像を眺めていると、最近思い通りにならない王室の動きと、その王室が信仰している『女神教』そのものに対して何故か無性に腹が立ってきた。
「『女神』がなんだというのだ!結局『女神』はこの世界が生まれたときにはいなくなっているというではないか!だから、我々はこんなに不憫な思いをしているではないか!」
アレクスはついかっとなり、女神像に向かい勝手な言い分を叫びながら、手に持っていたワイングラスを投げつけた。
ガシャン!
グラスが割れる音と共に、女神像が祭壇から倒れて床に落ちる。
床に落ちた女神像にはワインがかかり、それがまるで女神ハーティルティアが血を纏っているようになっていた。
すると突然、その女神像の落ちた場所の眼前の空間から黒い霧のようなものが発生した。
((そなたは女神ハーティルティア様にそのようなことを考えておるのか))
その黒い霧が発生した直後、アレクスの頭の中で突然男性のような声が響き渡った。
「だっ誰だ!?」
突然の出来事にアレクスは周りを見渡すが、黒い霧以外には何も無かった。
((我が名は『イラ』。今そなたの意識に直接語りかけている。我はかつて神界で神と言われたものの一柱だ))
それを聞いてアレクスは顔を青ざめさせた。
アレクスは女神像に対して罰当たりな事をしたので、神が神罰を下しにやってきたと思ったのだ。
そしてすかさずその黒い霧に向かって平伏した。
「申し訳ございません!少々私事で不快なことがありまして!女神像に不敬なことを!決して『女神様』に対して悪意を持ったわけではありません!何卒ご容赦を!」
アレクスは思わず額を地面に擦り付けた。
((よい。そなたの様子は前々から観ていたのでな。そなたの気持ちは理解している))
「イラ様のご慈悲感謝いたします!」
アレクスは自身に神罰が下ることはないと聞いて安堵し、同時に神から『気持ちがわかる』と言われて喜びに打ち震えた。
(我がそなたの前に顕現したのは他でもない。そなたの願いを考えるためであるのだ)
「私の・・・願い・・」
((そうだ、そなたはこの国のあり方に疑問を持って、自分の現況に満足でないでいる。そうであるな?))
「っ、はっはい!そうでございます!」
((確かに我々はこの国を見守ってきたが、近年我々の思惑とは違う道を歩もうとし始めている))
((だが、我々神々はもはや実体を持たない身であるが故、人々に直接関与できない))
((で、あるからして我々の思惑と近い考えを持ち、動きやすい立場の人間で更には信仰深いであろうそなたに我々の代わりに『神の使徒』として動いてもらいたいのだ))
「なんと勿体ないお言葉!!」
アレクスはイラの言葉を聞いて、感動に震えて涙を零した。
((我は思念体ゆえこのような身。ゆえにそなたの体に取り憑いてそなたに神託を授けよう))
((そなたにはその神託に従って動いて貰いたい。さすれば、自ずとそなたの願いも叶うであろう))
「ありがたきお言葉!このような身でよければどうぞ!依代にお使いください!」
((あいわかった))
その言葉と共に黒い霧がアレクスの口や鼻からアレクスの体内へと入っていく。
「ぐぅぅああああ!」
黒い霧がアレクスの体内に入ると彼は苦しそうな声を上げた。
しかし、じきにそれも治った。
((これでそなたと我は一心同体である。では早速そなたに最初の神託を授けよう))
(なんなりと)
イラがアレクスの体内に入ることで、アレクスもイラに声を出さなくても意思疎通できるようになった。
((まず我が示す場所で冒険者を雇って魔導結晶を採掘してもらいたい))
(魔導結晶、ですか?)
アレクスは神が何故魔導結晶などを欲しているか理解できなかったが、神から下る神託に不躾な質問はできないと思い、そのことを考えないようにした。
((そうだ。そこに太古より我々の力を蓄えた特別な魔導結晶がある))
((まずはその力を使って我々神々の力を取り戻さなければならないのだ))
(そうでありましたら、すぐに取り掛かります!)
アレクスはなる程と納得し、神であるイラからの神託を受けて喜びの絶頂を感じた。
神からの加護を受けて、自分の願いを達成できる。
そう思ったアレクスは『イラ』という名の神が下す神託に従って動き始めたのだった。