月主は鈴を鳴らしたい
現代如月月主は第124代 名は<甫歳> 齢35、在位10年である。
当代の元号は「履端」
若い頃、欧邦を歴訪するなどして立憲君主としての素地を積む。
口癖は「そうなの」
月主の家系に特徴的な眉と顎をそのままに、こけた頬と細い目の風貌
先代月主の酣春が奇矯な性格であったためか、甫歳の持つ、万事「普通」に見える性格、立居振舞、言動その全てが世間に対し無難な印象を与え、安心されていた。
しかし甫歳には暗い一面があった。
「今日こそ論破してやる。」
小暮破数次郎は今日もトイッターにログインする。
トイッターとは如月で最もユーザーの多いSNSで、他に数多あるサービスの中でも最も活発なやりとりが行われている。
小暮破は都内の大学2年生で政治サークルに所属している。
地方から上都してきた田舎者であったが、都で暮らすうちに根っからの都人のように振舞えるようになっていった。
サークルの親しい数人以外に友人はいない。彼の友人のほとんどはネット上にいる。
もちろん本当の顔や名前はしらない。
その中の一人、友人とは言えないが、小暮破はトイッターで知り合った夬月を名乗るアカウントにこの上なく腹が立っていた。
夬月と接触したのは先月だ。
小暮破のトイッターログに夬月のぼやきが流れてきたのだが、その内容が小暮破の倫理感に大きく触れた。
「なんてこと言うんだ、こいつは!」
夬月のその投稿には批判のリプライが連なっていたが、夬月はお構いなしのようであった。
ここで小暮破が反論や批判を書き込んだところで夬月はその他のリプライ同様スルーするだろうことは予想できたのだが・・・
しかし小暮破は許せなかった。
すぐに批判のリプライを投稿した。
どうせ無視するんだろう。そして明日も明後日も反社会的で身勝手な投稿を繰り返す。
こいつの過去の投稿はみなそうだ。
如月を無暗に批判し、いや、批判ではない。中傷だ。
真面目に頑張っている大勢の市民を侮蔑する。
<夬月>はこれからもずっとずっとこうやってトイッターで毒を吐いて・・・
小暮破のトイッターに返信の知らせがあった。
目を疑う。<夬月>からだ。
小暮破はしばらく様子を見た。しかし他の無数の批判リプライへの返答はない。
心臓がばくばくしてきた。
なんで俺に・・・?もう一度読み返そう。<夬月>の投稿は確かに非倫理的だ。
俺が批判した内容は客観的に妥当・・・なはずだ。
そして俺と同趣旨の批判は他にも多数ある。
そして<夬月>はなんと返答を・・・
小暮破は何度も何度も読み返した。
<夬月>は小暮破に礼を述べていたのだ。
簡素な返答だった。
なんで俺に礼を???
そこから小暮破と<夬月>の交流が始まる。
そして幾度となく小暮破と<夬月>はぶつかった。小暮破が何かを批判すれば<夬月>は擁護する。
小暮破が何かを褒めれば<夬月>は批判する。
<夬月>はかならず小暮破の反対をするのだ。そしてそれは理が通っていると言えば通っている。
少なからぬ不愉快さ。
やりとりを繰り返すうちに<夬月>が女性であること、若いことがわかってきた。
若い女性。いったん意識し始めると小暮破はいつしか<夬月>のことばかり考えるようになっていた。
怒りは簡単に興味にその感情の装いを変える。
小暮破の悶々とする日々が始まる。
今日は何を言ってやろう。何をくさしてやろうか。たまには褒めてみるか。
ああ、夬月、夬月、夬月
どんな人なのだろうか。夬月は確かにおかしなことを投稿している。しかしその底に、うまく言い表せないが知性と良識が潜んでいるのを感じる。
夬月は都内に住んでいるらしい。都と言っても広いが、多分、電車に20分も乗れば会いに行ける距離であることは想像に難くない。
そう、小暮破は恋をしていた。
ネットがこれだけ普及した現代如月で決して珍しいことではないのだが、まさか自分がこんな恋愛感情を持つことになるとは思っても見なかった。
ある日、小暮破は意を決してダイレクトメールを夬月に送る。
飾らない、自分の心境をメールに込めた。しかし返答が来ない。
いつもなら半日の内には必ず返答が返ってくるのだが・・・
小暮破は下宿の布団にもぐりこんで嗚咽をこらえる。
早まったのか、早まってしまったのか!
過去のやり取りのログを見返す。トイッターのログは過去にさかのぼって閲覧するのが難しいので、小暮破は自分でアプリを作って「小暮破・夬月」の応酬を記録していた。
ここは言いすぎたか、ここは俺が正しい、ここは俺が間違っていたかな。
そして送ったダイレクトメールの文面にたどりつく。
その時、返信が来た。
しかしダイレクトメールには文章はなく、音声ファイルが添付されているのみであった。
いや、文章はあった。文章とは言えない短い、短い言葉が。
音声ファイルの名前が「ごめんなさい」だったのだ。
「猊下、国会召集のお時間です。」
侍従長が月主を迎えに来る。
パソコンにむかったまま月主甫歳は簡単に答える。
「このファイル送付が終わったら立ち上がる。」
「どちらへ何の送付でしょうか。」
「信義の問題だ。これだけは送付せねばならぬ。許せ。」
「僭越ながら・・・存じ上げております。おたわむれがすぎるようで。」
月主甫歳は独り言ちた。
「わるいことをした。ゆるせ。」
小暮破のスマホから金色の月主鈴が鳴った。
かりーん かりーん