真斗の独白
鷹浪真斗は都内の病院で生まれ、そのまま都内にある家で育った。他の子供と比べて遅れて話し始めてり、歩き始めたわけではない。また他の子と比べて早かったわけではない。頭にも体にも異常はなく、どこにでもいる普通の子供だった。ただ僕は一つの物事に熱中しすぎるところがあった。幼稚園に入学する頃には図鑑片手に遅くまで草むらにいることは日常茶飯事だった。
その姿はさながら小さな研究者だ。もしかすると自分たちの子供は天才なのか、ならば成長を妨げないようになるべく自由に過ごさせようと真斗の両親に思わせるには十分なことだった。
「どこに行くのか伝えること。暗くなる前には必ず帰ること、だなんて身を守る最低限のいい聞かせをされただけで、必要以上に注意されることなく僕は育っていった」
話をそこでいったん区切る。長々と話すわけにはいかない。現実世界の僕の体が燃やされる前に本の世界に閉じ込められた原因を解明しなければならない。僕が語る自分の負の感情が原因追及の鍵になり得るのか確認の意もこめてワイスを見た。
ワイスは視線を正面にむけたまま話す。
「まだ判断のしようがない。恐れずに包み隠さずに話せ。私は長い本の世界の旅の過程で多くのキャラクターに触れてきた。触れざるを得なかったというべきか、どんな本にもキャラクターがいるからな。どいつもこいつも現実には絶対いないような破天荒な奴だった。だからお前がとんでもない性癖を暴露しても驚かないつもりだ」
おいおい、とあきれた声が出そうになったが話を遮らないように自重する。
なるべく時間のロスは避けたい。
「お前は幼少期の頃から話し始めた。そして二つのことを強調した。一つ目はお前が普通の子供であったこと。二つ目はお前が興味ある物事に熱中する性格であったこと。これらを強調したのはこの性分が現在のお前にも残っており、かつお前を大いに悩ませているからか?」
その通りだった。うなずく他ないほどの名推理だ。
「ならば続けろ。その性分が現在のお前をどう悩ませているのか」
「僕は―――」
小学生に上がった。自分の椅子があった。好きな場所にいていい幼稚園では存在しなかった自分だけの椅子。
それが僕を悩ませた。自分の椅子があるということは、他の子供の椅子もあるということ。決められた場所があるということ。自分の意思とは関係なく、椅子が近い子とのコミュニティがあるということ。机を隣合わせた『隣の子』がいるということだ。
休み時間に突然、隣の席に座る女の子が泣き出した。理解できなかった。さすがに隣で泣く女の子をほったらかしにすることはできない、けれどどうすれば泣き止んでくれるのか見当もつかなかった。
他の子供たちも同様のようで、友達と話していた子は話をやめ、椅子に座って絵本を読んでいた子は手を止めて泣いている女の子を見た。違う。いや違った。まるで僕も一緒に泣いているかのように、泣いている女の子と僕、二人セットであるかのように好奇の目を向けられた。
小学一年生の教室は泣いている女の子とすぐ近くの僕、そしてそれを好奇の目で見る他の子供たちに分かれていた。ここから離れてしまいたい、というような居心地の悪さ。言葉にすればあっさりとしているが、当時の僕からすれば未知の感情だった。どう言葉にしてもいいのか分からないような、人生で初めて覚えた感情だ。
すぐに先生が駆け寄ってきて、その気持ちから解放されるかのように思われた。
しかし泣いていた少女が先生に言った。
――真斗君が無視するの。
優しさに満ちていたはずの先生の目が僕に向いた。