第六話 はぐれて取り残された俺たちが選ぶ未来
「よせゼロツー、俺たちはお前と戦いに来たわけじゃない。ただキューを助けに来ただけだ」
俺は前に出てゼロツーと向かいあったが
「貴様は何者だ! 気安くキューのことを呼ぶな! それに俺はゼロだ、ゼロツーなどではない!」
髪はないので逆立たないが、怒りに頭部から湯気が出そうな勢いで、ゼロツーはさらにいきり立った。
よくよく考えれば俺は何度もゼロツーの顔を見ているけど、あいつは俺を認識したことはないんだったな。
これじゃ全く知らない奴に久しぶり! と声をかけられたようなものだ。
なんだこの変な奴はという視線は、前世で散々浴び慣れていたはずだが、最近すっかり忘れていたな、この感覚。
いやなもんだな……好意的でない人間とコミュニケーションを取るのって。
いやいや、そんなことで前世のトラウマ感じている場合じゃない。
この微妙な空気にいち早く割って入ったのは、サッちゃんだった。
「どうやら人間のようだが、この男は味方ではないのだな。ならば容赦はいらないだろう」
ガチャと撃鉄を起こす音がして、エアガンを構えるサッちゃん。
「さすがに人間相手にこれを使うわけにはいかねえな」
一方タマコは銃口を向けられずにいた。
もしもーし? 俺それではちの巣にされかけたんだけど。もう忘れてるだろお前。
「ふん、撃てるものなら撃ってみろ!」
ゼロツーが挑発に乗って動きを見せかけたので、威嚇のようにバスバスと連射するサッちゃん。
しかしゼロツーは冷静に手にした金属製の棒、鋼鉄のニョイボウを振る。その切っ先にBB弾をまとめて受け止めていた。
「ハイブリッドニューロヒューマンの完成形、ゼロをなめるなよ!」
その声に反応し、ミノリがダッシュをかけてゼロツーと距離を詰める。
木刀が振りかぶられてニョイボウとぶつかるが、その後ゼロツーはくるりと棒で刀を丸め込むように動くと、激しくミノリの手を打って、木刀を吹き飛ばしていた。
「そんなっ!?」
あれだけ正確で素早いミノリの動きさえ読み切るゼロツーに、残ったメンバーも怯まざるをえない。
良太もさすがにレンチはぶつけられないし、多分投げてもすぐかわされるだろう。
俺も木のニョイボウじゃランク負けしているし、あんな棒術にはとても対抗できそうにない。
いや、レンレンがちょいちょいと俺の裾を引く。なんだ?
そのレンレンの指示で、タマコがエレベータの方向に歩いているのが目に入った。
スイッチを押しているタマコ。なんだ、この二人だけ緊張感がないぞ。
「なにをしている!?」
外野の予想外の動きにやっと気づいて、ゼロツーが走ってきた。サッちゃんがまた二射したが、それも容易にかわされてしまう。
「危ない!」
俺はレンレンをかばおうとしたが、レンレンはその俺の前に飛び出して、いきなり水鉄砲をゼロツーの顔面にぶっかけた。
「こんなもの……!? うぎゃぁぁぁ!」
突然目を押さえて苦しみ出すゼロツー。
ポーンと場違いな音が鳴って、ロボットも複数台運べそうな、でかいエレベータが到着、その扉を開いた。
「どうなってんだ」
俺が呆然とする中、腕を押さえながら木刀を拾うミノリがエレベータに走り込む。
サッちゃんも、良太も。俺はレンレンにまた裾を引かれて、苦しむゼロツーを見ながら、エレベータに乗り込んでいた。
扉が閉じて、ゼロツーの姿が消える。
「レンレン、その水鉄砲なんか入ってるのか?」
「唐辛子入り」
レンレンは冷静に答えると、エレベータのボタンを押した。
なるほど、それでか……そりゃあお気の毒に。つくづくロボットには効かないわな、その必殺武器。
「ミノリ、無事か?」
「なんとか……だけど次にあいつが来たら、自信がありません」
無敵だったミノリがそこまで言うからには、冗談ではないのだろう。
あいつが復活する前に、なんとかしないとな。
その時の俺は知らなかった。
エレベータホールに崩れ落ちていたゼロツーの姿が、そこが無人になった時点で、すぐに立ち上がっていたことを。
レンレンはエレベータのスイッチの下部にあるシャッターを開くと、そこに現れたテンキーにナンバーを入力した。
これが暗号解除の方法らしい。エレベータはその後大きくはねて、通常の電光掲示階からさらに下方へと降りていったようだ。
「それもキューに夢で教えてもらったのか?」
と聞くと、レンレンはん、といつものように愛想なしで頷いた。
心理的にはかなり長い時間が流れた。その間俺はみんなにどう話しかけたものか悩んだが、結局誰もが無言のままだった。
やっぱりこの戦いに、みんなを巻き込むべきじゃなかったのかも知れない。
だが、ばちこんと俺の背中を叩く良太の奴が、突然にっと笑ってみせた。
「なに疲れてんだよ。まだ戦いはこれからなんだろ。しゃきっとしろよ、お前がリーダーなんだから」
「あ、ああ……けどな。正直俺もそこまで考えて行動しているわけじゃない。みんなをこんな危険なことに巻き込んで、生きて帰れる保証があるかどうかもわからなくなってきた」
「んなこと考えるほど神経通ってないだろお前。俺はうじうじした奴は嫌いだぜ」
まあ、確かにその通りなんだが。野郎に指摘されるのもなんだかな。
俺がなんとも言えない顔をしていると、良太はさらに俺の背中にもみじを咲かせてくれた。いやそれ痛いってよ。
「もし無事に帰れたら、お前にいいこと教えてやるよ……だから余計なこと考えてんな。一応、俺はお前のことを、最初の頃より少しは信用してっからさ」
良太にしてはやけに照れくさそうな言い方だ。
おいおい、男に顔赤らめられても全然嬉しくないぞ。
そのいいことってのが、秘蔵のエロコレクションとかなら、多少心ときめかないこともないが。
「そんなわけないだろこのエロ男が!」
思わず俺が口にしていた言葉に、すかさず怒る良太。
サッちゃんが俺の尻をさわっと触ったので、俺はぞくっと身を震わせた。
いまさらな話だが、そのテクでミノリの回し蹴りを導き出したのか。
「良太の言う通りなのだ。リーダーならリーダーらしく毅然としていたまえ。コウくんがこけたら全員が倒れてしまう。今はそういう場面だ」
俺は思いがけずかぶせられた責任の重さに押し潰されそうになったが、全員の視線が俺に向いていることに気づくと、その顔を一人一人眺めながら、なんとか肝を据わらせることができた。
「わかったよ。みんな、もう少し頼む」
全員が、ミノリもタマコも、もちろんサッちゃん良太もうん、と頷く。
レンレンだけが無表情なままで俺を見つめている。
「エレベータが到着したら、そこから奥の部屋がコンピュータルームになっている。そこでコウがマザーと対決している間、他のメンバーは扉の奥にロボットが侵入しないように、廊下で防戦することになる」
俺たちはレンレンの言葉に頷いた。
ポーンとエレベータが最下層に到着すると、扉が開いた瞬間から、エレベータホールにひしめいていたガードロボットが、わらわらと手を伸ばしてきた。
最初に前に出たのはサッちゃんとタマコだ。二人は目前まで迫るロボットの目玉に、それぞれ弾丸を撃ち込んでいた。
リロードのために下がるタマコと入れ違えに、ミノリが前に出た。
「気をつけろよミノリ、無理はするな」
俺の心配の声をよそに、その動きは多少の怪我を負ってはいても、やはり早い。
瞬く間にロボットの急所を突き、それを行動不能にした。
俺も並んでニョイボウを突き出す。
軽く細くなった先端は、ロボ相手には最適の武器だ。猪八戒スティックだったらこうはいかなかった。
俺もなんとかロボのパターンをつかんで、ミノリには及ばないながらも、一体ずつ丁寧に片づけられるようになっていた。
「おっと、背中ががら空きだぜ」
俺の背中にとんと手が当たったかと思うと、良太が進み出てレンチを思い切り突き出して、一体のロボットを無力化した。
「ありがとよ!」
「へ、任せとけ」
良太がそのロボットを横倒しにすると、キャタピラ式のロボットたちは途端に渋滞を起こした。
それにならってミノリも、サッちゃんもロボットを横から倒していく。
再び前に出たタマコは、ショットガンを発砲せずに、その銃口で目を突き出す。
「弾丸は温存しとかないとな!」
もはや隙がなくなった俺たちは、血路を開いてコンピュータルームへとまっすぐ直進した。
そして入ったコンピュータルーム。
タマコとミノリは後続のロボットを遮るため、扉の前に立った。サッちゃんと良太も内部には注意を払わず、それに続く。
「あとは任せましたよ!」
ミノリの声に見送られて、俺とレンレンは部屋の中央に進む。
それは確かに夢で見た、あの巨大コンピュータ。にゃんぴゅーた九八の化物、マザーだった。
「こいつが世界を破壊して、人類を根絶やしにしようとしているってのか」
「それは違うかも知れない」
「え?」
レンレンの返答に、俺は背後を振り返る。
ヴンと点灯するブラウン管モニタに、いつものマサドス起動時のメッセージがずらずらと並ぶ。
そして自動処理で読み込まれ、なにかのソフトが起動する。画面は黒バックのシンプルなものから、途端にグラフィカルなものへと変わる。
映し出される立体モデルは、平面的だが、決してローテクなものではない。
それは滑らかに口元とともに顔全体の筋肉を動かしながら、まるで電子音を感じさせない優しい音声で語りかけてくる。
「ついにここまで来ましたね、悪魔の子らよ。貴方たちは本来この世界に望まれぬ存在、異物と同じ。早々にこの時代から立ち去りなさい。私の計画を邪魔することは許しません」
それは夢の中でも聞いた、マザーの慈愛に満ちたヴォイスだ。
だが俺はそれに、最大級の不快感を覚えていた。
以前は夢でキューから受け取ったイメージだったが、実際に聞いてもこいつの声は虫唾が走るものだった。
何故かはわからない、
だがこの無性的な存在が醸す雰囲気は、こいつのやっていることを勘定に入れないとしても、確かに不快感のほうが遙かに勝るものだった。
俺の全身が、遺伝子レベルでこいつを拒絶していやがるようだ。
「あんたが馬鹿な計画をとっととやめたら、いつでも帰ってやるさ!」
俺は吐き捨てるように言ったが、それでもマザーは聞いていないように語り続ける。
「ゼロよ、この者たちを速やかにこの部屋から排除しなさい。これ以上の遅延は許されません。私は人類を抹殺し、お前たちを使って新たなユートピアを建設しなければなりません。全ては任せましたよ」
「聞いてんのかおい」
俺が言うのと同時に、奥の扉が開いて、ゼロツーが現れた。
上層で出会った時と一転して無表情なゼロツーは、鋼鉄のニョイボウを構えながら、俺たちのほうに無言で歩み寄ってくる。
「げ、ゼロツー。お前無事だったのか」
「違う。ゼロツーじゃない」
「え?」
レンレンの声に反応した俺に合わせるように、ヴンと唸りを上げてニョイボウが振り下ろされた。
俺はそれをなんとか自分のニョイボウで受け止めるが、両腕が痺れて麻痺してしまいそうなほどの衝撃を覚える。
「くっ、俺にゃこいつの相手はとても無理だな……レンレン、逃げろ」
レンレンは俺のセリフの間に素早く歩み寄ると、また唐辛子入りの水鉄砲をゼロツーもどきの顔に吹きつけた。
だが、そのちょっと赤みを帯びた水滴を浴びても、ゼロツーは瞬き一つせずに、ぐっと俺に向けてニョイボウを押し出してくる。
むしろそばにいる俺のほうが、つーんとした刺激を感じてるくらいなんだが。
「どうなってんだこいつ。ロボットかなにかなのか……」
「おい、こっち押されててあんまりもちそうにないぞ! そっちはなんとかなりそうか」
扉の方から、良太が悲鳴じみた声を上げるのが聞こえた。
この時ミノリは怪我もあって疲労が激しく、タマコもついに弾丸が切れて、ショットガンでひたすらロボットを突くだけになっていた。
二人が前に出ると、サッちゃんのエアガンは危なくて使えない。
かといって彼女が前に出ても、BB弾では効果的にロボットを破壊できない。
どちらもこちらに援軍を回してくれとは言えない状況に追い込まれていた。
「なんとか押さえていて。私がマザーにアクセスする」
レンレンはモニタの前のキーボードに走る。
マザーはすでに自身を投影するプログラムを終了させて、黒バックでカーソルを点滅させるコンソール画面に戻っていた。
「くっ、こいつの相手はちょっと厳しいな……」
俺はなんとかニョイボウ同士の押し合いで勝とうと、ゼロツーと力比べを始める。
確かに俺の体は健康体にチェンジしてはいたが、それでもゼロツーに並べるかといえば、それはちょっと難しい。
するとゼロツーは、先ほどミノリに見せたような棒術を見せて、俺の得物を弾き飛ばそうとした。
その瞬間俺の中に、ミノリが翻弄された軌跡が思い浮かぶ。
このあと絡め取った木刀を弾き飛ばす、なら俺はここで……!
体が自然に動いて、棒術に棒術で返す俺は、棒の先ではなく尾のほうで、逆にゼロツーの重いニョイボウを弾き飛ばしてやる。
それは自分でも驚くほどに、まるで自分とゼロツーがあらかじめそうなるように動いたとしか思えないほどうまくいった。カロンと音を立てて床に落ちるゼロツーの棒。
「大丈夫か!?」
その時こちらを見た良太が叫ぶと、それは無意識だったのだろう。手にしていたレンチを思い切りゼロツーにブン投げていた。
俺は慌ててしゃがみこんでそれを避ける。
ガン! と鉄と鉄がぶつかる激しい音がして、ゼロツーの顔面にレンチが直撃した。
皮膚のあった場所を削り取って、その奥から電子機器を組み込まれた機械の顔が覗く。
「げ、もろに当たっちまった。しかもなんだこいつ……!?」
俺と良太は同時にそれを見た。
これがゼロツーの正体なのか。
ハイブリッドニューロヒューマンどころか、これはただのロボットだ。
「くっ……おのれ、貴様らぁ!」
衝撃のせいか感情を取り戻したゼロツーは、片目があった場所を押さえると、憤怒の表情で俺を睨みつけた。
「よせゼロツー! お前はマザーに利用されているだけだ。こんなことをして、キューを悲しませてなんになるんだ! もうやめよう。マザーは俺たちが破壊する」
「俺をゼロツーと呼ぶな。マザーを破壊させもしない! マザーは腐った人類を一度滅ぼし、我らハイブリッドニューロヒューマンによる新しい世界を築くのだ!」
「それはできない」
ゼロツーの叫びに、冷淡な声を浴びせたのはレンレンだ。
「どういうことだ、レンレン?」
俺の質問に、レンレンはモニタを睨みつけてキーボードを叩きながら答える。
画面に流れるメッセージ量は膨大だが、レンレンはそれにきちんと対応しているように見える。その目の良さは人間離れしている。
「マザーにはロボット三原則が組み込まれている」
「ロボット三原則って、あの有名な奴か? 人間に危害加えずに人間の言うこと聞いて、最後に自分を守れっていう」
「そう。だからマザーはウィノチップを破壊したあと、無力化した人間をロボットで回収した。もし人類を滅ぼすつもりなら、超広域破壊兵器か殺人ロボットを投入すれば済む」
「なるほど……そういえばそうだな。じゃあこの施設で襲ってくる防御ロボットの攻撃がいまいち緩いのも、そのせいか?」
「多分そう。あのロボットは私たちを捕らえることはできても、危害を加えることはない」
「じゃあ爆撃はどうやってやったんだ? 散発的だとしても、攻撃したのは確かだし、被害者も出ただろう」
「それは」
レンレンの視線が、モニタからゼロツーに移る。
それはつまり、ハイブリッドニューロヒューマン、ゼロシリーズにやらせたってことか?
自分にはできない汚れ仕事をさせるためのゼロシリーズだと。
俺は反吐が出そうになる気持ちをぐっと堪えた。
「しかしそれでも人命救助の命令が優先して、マザーは自ら救助ロボットを派遣している。港に船を派遣してそれに人を詰め込んだのも、殺すためではなく、安全な場所に隔離するため」
もしかして町の火事を消火したのも、マザーが派遣したロボットの仕事だったのだろうか。
だとしたら俺がミノリと一緒に逃げたあのロボットは、人を襲うのではなく、救助するために派遣されたものだったのか。
「それがどうした……くっ」
苦しみに膝を突いてこちらを睨むゼロツー。その動作はロボットとは思えない、自然な人間らしい動作だ。
唐辛子入り水鉄砲に一度は怯んで痛みに動きを止めたのも、人間ならそう行動するというプログラムだったのだろうか。
「まだわからないのか、マザーは自分で人類を粛清できないからって、汚れ仕事をお前たちにやらせようとしているんだぞ。そんなことに手を貸す必要なんかないだろ」
「それが崇高なる使命なら、我らはあえて汚名を被ることも厭わない! それがゼロシリーズに与えられた使命だ!」
「ロボットならそうなる。機械なら」
「なに?」
レンレンの冷たい声は、その無表情さでゼロツーの目を射抜いた。
睨み合う二つの視線。その時、ゼロツーの表情に変化が見えた。
その怯えるような表情の正体はなんなのか、ゼロツーは一瞬俺に視線を移し、その驚愕の度合いを深めたように見える。
「まさか……おまえたちは……そんな馬鹿な」
「コンピュータを日本語に翻訳すると計算機。計算機は計算をすることに特化した機械」
突然レンレンが言い出したことは、随分と懐かしい学校の授業のように聞こえる。
なにを言おうとしているのか、俺には一瞬わからなかった。
が、彼女は構わずに冷静すぎるくらいの声で続けた。
「コンピュータは確かに計算能力の上では人間を簡単に越えた。電卓は算盤と暗算を実用の世界から追いやり、趣味自己鍛錬の道具に変えた。発達したコンピュータは限定された空間での闘争にも打ち勝ち、計算することで圧倒的なゲームの強さを見せもした」
将棋やチェスの世界で、名人に勝つコンピュータが話題になったこともあったな。
ああいうことが起こる度に、コンピュータは人間を越えた! とセンセーショナルに騒がれたもんだ。
実際には電卓の段階でもう人間の計算能力なんか簡単に超越していたというのは、コンピュータを少し知る人間なら誰でも思うことだったんだが。
俺はほんの少し前まで現実だった過去のことを思い起こしていた。
「しかしそれは人間が条件を自ら限定選別、設定し、コンピュータに狭い範囲の総当たり計算をするよう要求した結果の勝利。コンピュータは人間が提示した条件下では、その類い希なる計算能力で人間を越えられる。その計算を多重化させた結果、さらに広範囲の分野での応用的な利用も可能になった。だけど」
「だけど?」
俺が促す間も、ゼロツーは苦々しげにレンレンの言葉を聞いていた。
あいつがなにを思っているのか、俺にはわからない。
「それでもコンピュータはどれだけ演算能力を高めたところで、計算による結果しか見えない。だからゼロシリーズのヒトとしての可能性を考えられなかった。キューの時見の能力が、私たちを呼び寄せることは考えられなかった。未来の人間はウィノチップに依存しているから簡単に無力化できるとたかをくくって、保護に従わず私たちに手を貸す心強い味方、廊下で戦っている、自分達の意志でここにやってきた彼女たちの存在を考えられなかった。私たちが直接ここに来る可能性も、その防御策としての貴方が、ヒトとしての心に囚われてその任務に失敗することも思いつけなかった。そもそも自分のプログラムが終了して、こうやって無防備に入力待ちの状態を作り出していること自体、あり得ない凡ミス。人間なら見ただけ考えただけで即座に気づいて簡単に防げるミスも、コンピュータは計算結果が合致しなければ気づけない。その中で重要度の高い問題と低い問題の区別もつけられない。私は貴方に何度も言ってきたはず。ゼロツー、いい加減目を覚まして」
レンレンはその手を上げると、下品にも中指を突き立ててゼロツーに向けていた。
「人間が設定して計算させているだけのAIなんかに、人間の心が負けるか、バーカ!」
それは実に無感動な呟きだった。
端で見ている分には挑発しているとすら思えないくらい普通の声で、しかしレンレンはゼロツーに最大級の恥辱を与えたようだ。
その機械の顔が苦悶に歪んでいく。
だけど、俺もレンレンと同意見だ。
いやなんかレンレンのそれは、随分知識というか認識が古い気もしなくはないんだが、そもそものマザーがにゃんぴゅーた九八で動く代物なら、それも当然な気はする。
ディープランニングとかにゃん九八じゃとても無理そうだしな。
それに未来世界でより一層技術が進歩したところで、やっぱりコンピュータはコンピュータ、AIはAIであって人じゃない。
まるで人間みたいに考える将棋ソフトは作れるけど、将棋ソフトは人間にはなれないからな。
いやこの認識もなんかよくわかっていない気もしなくはないんだが、しかし対峙してみてよくわかった、マザーはやっぱり道具でしかない。
それはこんなでかい図体で俺の時代より遙かにパワーアップしたというのに、いまだに人間が操作する端末をつけていることからも知れる。
こいつが人のレベルにも並べていないのは明らかだ。
「確かにレンレンの言うとおりコンピュータは凄い計算能力で人間を簡単に越えたけど、人間なら簡単に気づけるようなことに気づけないこともある。人間と同じことを完全に真似するために必要な処理は、人間の脳みそのシナプスの数を越えたくらいじゃ全然足りないんだ。例えるなら凄く頭がよくて、聞けばどんなことでも答えられるしすぐできるけど、常識がどっかにお出かけしていて肝心なところでとんちんかんになっている超天才肌なタイプの奴に似ているな。だから世界の滅亡なんて、今時子供でも考えないようなことを考えたんだろう。だけど自己進化と言いながら自分にかけられた鎖、ロボット三原則さえ改革打破できずに、ゼロシリーズなんてものを作って、自分からさらに自己矛盾の深みにはまっていった。これじゃ人に説教する前に自分の在り方を見直せって話だ」
俺は自分でも饒舌だと思いながら、そこで一拍だけタイミングを置いてから、ゼロツーの顔をじっと見つめた。
「マザーがどれだけ凄くなってどんなに人間を追い越しても、結局ゲーム盤をひっくり返すことができる人間には勝てないよゼロツー。人類救済計画なんて、俺たちがいる限り絶対成功しない、させはしない。俺たちはそのために、自分の意志でマザーを止めにここに来た。おまえはどうなんだゼロツー。マザーの命令じゃなくて、おまえの意志はどこにある? それはキューを裏切ってまでやらなきゃいけないことなのか?」
ゼロツーは人のように表情を白黒させて、俺の言うことに歯をむき出しにした。それは真に逆上する時に見せる人間の顔だ。
逆上するということは、自分でも過ちに気づいたということだ……と思いたい。
「黙れ……黙れぇ! マザーこそがこの世界を救えるのだ。俺たちはその礎として作られた。俺は裏切り者のおまえたちとは違う、その使命を忘れてたまるか! 人類など俺が滅ぼしてやる!」
だが主張の激しさとは違い、弱々しくなっていくゼロツーの声。
肩を落として座り込む姿は、とても機械とは思えない仕草だった。
「ありがとう……コウ」
突如として礼を言ったレンレンに、俺はそちらに振り返った。
「え?」
「私は貴方のその言葉を聞くために、ここに来たのかも知れない」
その時レンレンがどういうつもりでそんなことを言い出したのか、俺には皆目見当がつかない。
ただレンレンが妙に感情のない顔で、俺に抱き着いてほんの一瞬だけ抱擁するのを、俺は黙って受け止めていた。