第二話 うれしはずかし初めての夜、期待に添うようなことはありませんぜ
俺たちはロボットの大軍から逃げていた。
目の前には断崖絶壁。怯む彼女の手を握る俺。
「ゆみゆみ、飛ぶぞ!」
「駄目よ、怖い!」
「俺を信じろ、いつだって一緒だ」
きらん、きらめく汗をこぼしながら、俺は彼女を抱き上げる。
目を瞑る彼女のおでこにキスすると
「大丈夫、俺にはゆみゆみという幸運の女神がついてる」
その声に目を閉じたままの彼女がかすかに笑った。
「信じる……無事に逃げ切れたら、続きを最後までして、ね」
その言葉に大きく頷きながら、俺は助走をつけて崖を飛び越える……足に感じたのは虚空ではなく、次の大地を踏みしめる力強い感触だ。
反対側でロボットたちが無念そうに、飛ぶどころか段差も飛び越えられない○ンタ○ク型のローラーを軋ませている。
「ゆみゆみ、行こう!」
俺は彼女の足を地面におろすと、その手をしっかり握って、朝日の方向に向かって駆け出した。
完、とか言ってる場合じゃないな。
一応断っておくが、ここまで全て俺の妄想である。
どうやらあのロボットは、そんなに利口ではないらしい。
人間の発する声や音を検知して追ってくるが、キャタピラ式の足はそれほど速度は速くなく、少し走れば簡単に逃げられる。
凶悪な飛び道具を持っているというわけでもないらしく、光線がびゅんびゅん後ろから飛んでくることもなかった。
そんなわけで、俺たちは容易に奴らを撒いて、また静かな町の片隅で、弾む息を落ち着けていた。
爆弾によって引き裂かれたコンクリートの壁が痛々しいが、それ以外は本当に音もなく静かだ。
初夏の空気を醸す風を感じながら、俺は改めてゆみゆみの顔を見つめた。
「なあ、あのロボットは一体なんなんだ? それと、ここはどういう場所なんだ? 頼むから教えてくれよ」
そこから俺たちは、さらに安全な場所を求めて歩いた。
途中で半壊したコンビニの建物を発見して、割れたガラスをゆみゆみが持っている木刀で散らしながら、店内へと入り込む。
そこで品物を物色する。棚は随分崩れていたが、冷蔵庫の中身は無事だったので、俺たちはひとまず飲み物を拝借した。
ゆみゆみは申し訳なさそうに、持っていたコインを床に飛散しているレジの上に置いていたが、俺は個人情報カード以外なにも持っていなかったので、ごめんねと手を合わせるだけにしておいた。
それから、店内に落ちていた観光案内のパンフらしきものを取り上げた。
その表紙には「ようこそ夢人島へ」と書かれていた。
とりあえず俺はそれをパラパラとめくってみる。
ゆみゆみは横で水のペットボトルをあけながら、透明の汗を散らしていた。
「んーなになに? ようこそ夢人島へ。この島は浦辺家初代当主、浦辺宇良紀代翁が作り上げた、夢の人工リゾートアイランドです。鉄戸内の静かな海に囲まれた、全長六百キロメートルに及ぶ広大な世界には、自然と科学が融合した施設が多数作られ、人口は十五万を突破……」
「すごいです……漢字読めるんだ」
お決まりの観光案内を流し読みしていると、ゆみゆみが突然信じられないようなことを言うので、俺は思わず顔を上げた。
「は? なんだよそれ。漢字読むのが特殊技能みたいに」
「十分特殊ですよ。うちのクラスで漢字読める人なんて、二人もいませんよ」
……うーん、どうなってんだ未来の日本。
そうか、道理で表紙やIDカードに、やけにでっかくルビが振ってあると思ったんだ。
それから、ついでにゆみゆみに関しても彼女から聞いた情報をまとめておこうと思う。
彼女の名前は弓友実。ゆみゆみではなく、これで「ゆみとも みのり」と読むらしい。
肩まで伸びた黒髪が美しい、顔つきもどこか古風な大和撫子を思い浮かべる少女である。
彼女は本土の高校生だったが、修学旅行で夢人島を訪れて、この災禍にあったらしい。
ちなみに彼女のスカートがぎざぎざミニになっているのは、ロボットから逃げている時に引っかけてやぶれたので、動きやすいように自分で裂いたためらしい。
彼女もまたロボットの襲来から逃げまどい、一人で困惑していた。
そしてあの段差のところで身を隠しながら、疲れて眠っていたところに、俺が降ってきたと。
はい、なんとか状況が繋がりました。
ロボットのことも聞いてみたが、彼女もあれがなんなのかはよくわからないらしい。
ただこの時代? 世界? では、生活サポートのロボットは一般的な存在らしい。
二十一世紀から来た俺としては、何年後の未来か知らないが、ドラ○もんが実用化しているのはちょっと感動的ではある。
まあ反重力で浮いているとか、ポケットから道具が出てくるとか、そんな仕様でないのは若干残念だが。
いやそんなだったら確実に負けていたから、それはありがたいというべきか。
町を襲っているロボットは、実際にはどっかの電話会社にいるデモンストレーションロボットとレベルはあまり変わらないようだ。
これなら俺たちでもなんとか逃げられる。
「これからどうなってしまうんでしょう、私たち……」
不安そうにつぶやくミノリに、俺は精一杯強がってみせた。
「とにかく無事な人を探そう。ほかに人を見かけなかったか?」
「いいえ、逃げている間に人がどんどんいなくなって……気づいたら一人だったんです。ゆっちゃん、けいちゃん……メールも通じないし」
友だちらしい名前を呼びながら、小さく身を竦める彼女が居たたまれない。
俺はそんな彼女をそっと抱きしめて、肌の温もりを……あーはいはい、妄想は一日一回にくらいにしとこうな俺。
まあでも、顔も体も若くなったんだし、これくらいは許されるか?
俺は彼女の肩に軽く手を置いた。
「大丈夫、みんなどこかに逃げているさ。とりあえず安全な場所を探して隠れよう」
歯を見せて笑う俺を、彼女は少しはにかみながら見つめて、小さく頷いた。
くそ、駄目だ自分のわざとらしさに、逆にこっちが笑い出しそうだ……。
まあとにかく、そんなわけで俺たちはロボットの追跡を避けるように、廃墟の中を歩いて、陽が落ちる少し前に今日の宿を定めた。
それはやはり半壊した二階建てビルの一画だ。
いや、二階までになっているビルというべきかも知れない。
そこから上はぽっきり折れて、少し離れた場所に転がっていた。
あまりに酷い状況ではあるが、砕けたコンクリ片が地面に散らばっているおかげで、キャタピラ式のロボットは入ってこれそうにない。
そして折れずに残った二階までの部分は思ったよりも綺麗で、水道も使えたのがこの場所に留まることになった理由だ。
重ねて言えば、砕けた壁の合間から、反対側に抜けられるようになっているというのもある。
これで片側からロボットが来ても、最悪閉じこめられる心配はない……多分。
俺たちはコンビニで手に入れた弁当とペットボトルを、少しほこりっぽい一階のテーブルに置いた。
そして小さなペンライトを点けて、まるでロウソクのように灯して光を作った。
もちろん電気なんかつかないし、仮についたとしても、ロボットに目印を与えないためにも派手な灯りは漏らせない。
床には棚から落ちたものが散乱していて、とても食事をするような雰囲気ではないのだが、さすがにこれだけの状況を綺麗に掃除する気にもなれない。
せいぜい自分の周囲にあるゴミを別のゴミ山に押し出して、空白のスペースを作るのがやっとだ。
布団を探してみたが、どうやら事務所だったらしいこの部屋には、生活用品らしきものはなにもなかった。
俺はめざとく異世界人視点でこの世界の文化を観察していたが、どうも思った以上に生活水準や技術レベルは変わらないようだ。
そもそも日本語がほぼそのまま通じている時点で、もうなんかおかしいわけだけど。
しかし書類を一枚覗き込んでも、やっぱりルビの多さには呆れてしまった。
これじゃまるで漫画雑誌だよ。
道具の類も、やっていることはほとんど変わらない。ガムテープやセロテープが、なんの変化もなく、現代の既製品そのままだったことに感心したくらいだ。
あーこのセロテープ、紙のロールからちょっとずれてテープの露出部分が乾いちゃってる。いまだにこんなミスしているんだな。
ただデザインが未来志向というか、逆におっさんの俺からしたら、センスが古いなーという感じのシャープなデザインだったりするから、ちょっと困惑したりもした。
歴史は繰り返し回っていくのが世の常なのか。
で、今ミノリはなにをしているかというと、奥にあるバスルームでシャワーを浴びている。
当然のようにガスは遮断されていてお湯はでなかったが、常夏のこの島では、それもあまり問題ではないらしい。
彼女は「覗かないでくださいよ!」と強烈に念押ししてから、奥の部屋に引っ込んだ。
俺もう三十五だぜ。そこまではっちゃけた高校生みたいなことしないよ。
いや……そんなうれしはずかしのシチュエーションなんか全然なかったなあ、俺が十代の頃は。
そもそも女子には毛虫を見るような蔑みの表情で見られるばかりで、現実の女の子とは手を繋ぐことすらなかった。
テレビCMで制服姿の高校生男女が、一糸乱れず全員が同じダンスを踊っている光景を見ては、
「ああ、あれは俺が通り過ぎることがなかった、青春という名の幻影だ。あれが美しいとか楽しいと思っている奴とは、一生わかりあえることはないのだろう」
と本気でため息をついていた。そんな俺である。
じゃあいいじゃん、少しくらい青春取り戻しても。
と思っていたら、カタッと音がして、俺が開ける前に奥の扉が開いた。
湯上がりで……いやいや湯はつかってないな、タオルを巻いただけの格好で濡れ髪のミノリは、片手でタオルを押さえながら、もう一方の手でなにかをつまんでいる。
「あのー、これなんでしょう?」
しかし俺の視線は、提示されたものよりもタオルに隠された膨らむ胸のほうに向かってしまう。
制服の時も思ったが、ミノリの胸はちょっと成長しすぎである。
歩く度にぽよんぽよん揺れて気になるわ、今もタオルで隠してはいるものの谷間がかすかに覗いていて、中々扇情的である。
う、理性の奴が、ふっくらした感触の往復ビンタでノックダウンされそうだぜ。
いかん、これ以上は駄目だ。ミノリの質問に答えることにしよう。
で、ミノリが見せたものだが。
ピンと触覚が二本伸びて、個体が変わっても健在な独特のカラーリング。
特徴的な排気口と飛ぶこともできるが基本羽は収納されていて、ストーリー序盤や時代によっては飛行自体不可能な……ってそれガ○○ムや!
そう、彼女がバスタオル姿で見せた物体は、まさにGそのものだった。いやそっちじゃなくて。
ちょっとあり得ない、女の子が裸で平然とゴキブリをつかむレア光景に唖然とした俺の頭からは、幸せな妄想も、ミノリのおっぱいへの憧憬も全て吹っ飛んでしまった。
「ちょ、それゴキブリ……」
「ゴキブリってなんです? 初めて聞きました」
この世界じゃゴキブリもレアモンスター化しているというのか。
いやばっちいから捨てて。あ、今ここで捨てたら逃げて増殖する!
というわけでせっかくのサービスタイムは、ぐだぐだのまま終わりを告げた。
俺も一応シャワーを浴びたが、その水はひどく冷たい気がした。
未来世界? だというのに実にありきたりで、現代世界でつい昨日も食べたようなコンビニ弁当の夕食を終えると、俺は急に静かになったミノリと、オフィスの二人がけソファに並んで座り、クッションの中に身を沈める。
疲れてはいるが、精神的に張りつめていることもあって、今の俺は眠る気分にもなれず、ずっとミノリの肩が自分に当たり、時々重げな吐息が二の腕に触れるこの距離感に緊張していた。
こう、俺がもう少し経験豊富なにーちゃんなら、このままそっと押し倒したりもできるのかも知れないが、そんな経験は皆無なので、そんなにうまくはいかないものである。
まあ今は大変な時期だし、性欲丸出しにしている場合でもないから、俺でなくてもそんな変なことできなくても当たり前、と責任転嫁しておこう。
決して俺がチキンなせいではない、そうに違いない。
状況に押し潰されそうになりながらも気丈に過ごすミノリを思いやることくらいしか、今の俺にはできそうもない。
「……なにか音が聞こえませんか? あの、起きてください」
ゆさゆさと女の子の細指で起こされて、俺はいつの間にか眠っていたことに気づいた。
うーん、いい気分で寝ていたのにと思いながら、あと五分と言いかけた俺の体は、以前ならもっとまどろんでいたのかも知れないが、やけにぱっちりと目覚めてしまった。
どうもこの新しいボディは敏感すぎて参る。
ミノリが言っていたように、確かになにか音が聞こえる。
「様子を見に行ってみよう。けど、なんか随分遠いな」
「そうなんです……」
ビカっとペンライトが灯ると、俺の目は一気に眩しさに視界を真っ白にしてしまった。
「うわうちっ、駄目だよ灯りなんかつけたら。つか眩しいから……」
「でも暗いと」
「できるだけ遮蔽して、自分の手元や足元だけを照らしながら進むことにしよう。大事を取って、遠くを照らさないように」
腰を上げた俺の横で、ミノリもライトをちらちらしながら立ち上がる気配がした。
だがその時、俺が考えていたのは全然別のことだった。
うん、全然痛くない。起きあがる度に腰痛が来ないか構えていた、あの頃の俺はやはりもういない。
年取れば取るほど、体はぶっ壊れていくものなんだ。
しかもプログラマーなんてやって一日中椅子に座っていたもんだから、もう腰痛は持病になってしまった。
医者にも治りませんってさじを投げられたくらいだからな。
その挙げ句に背骨折って救急車で運ばれたこともあるんだけど、そんな話はほんとにどうでもいいな。
そーっと扉を開けて、外に出る。
常夏の夢人島とはいえ、夜はやはり少し冷える。
そういえば砂漠は昼は地獄の暑さだが、夜になると一気に冷え込んで寒暖差が激しいらしい。
「使えよ……」
俺は自分の上着を脱いでミノリに渡す。
頬を赤らめるミノリがそれを受け取り、そして着込む。
「コウさんの匂いがします……」
「いやか?」
「いいえ、安心します」
「じゃあいい、行ってみよう」
はい、ここまで俺の妄想。一度でいいからやってみたいもんだが、まずはそんな関係を女の子と築くほうが先だな。
実際はなにもないまま表に出た俺たちは、やや後方からついてくるミノリを先導する形で、月明かり以外なにもない暗闇の中を歩いた。
そして前方に広がる灯りを見た。
「あれは……」
「港のほうです」
ペンライトのおぼつかない灯りを消しながら追いついてくるミノリが、俺の横に立つ。
それは葬列と呼ぶにふさわしい光景だった。
ずらりと並ぶロボットと、それに連れ去られていく人の群れ。
港に停泊する巨大タンカーに流れていく人、人、ロボ、そして人。
そこだけ煌々と照らされた灯りを、俺たちは並んで眩しそうに見つめた。
「どうなるんでしょう、あの人たち……」
「わかんない」
「助けられないでしょうか」
「そりゃ無理だ。近づいたら俺たちも連れていかれてしまう」
「ですよね……」
どんどんテンションを落としていくミノリの声に、俺はどうするべきか、ない脳みそで考えてみたが、やはりいい案など浮かばない。
せっかく異世界に来たんだから、俺もすごい能力の一つも使えればいいのに、そんな能力の発動はどうやらなさそうだ。
今俺ができることは、一つしかない。
「ミノリ!」
「はい!?」
突然の俺の声に、ミノリが妙な声を上げた。
俺はすかさず暗闇の中でかすかに見えるミノリの手を取ると、ぎゅっとその手を握りしめた。
「あの……」
「大丈夫だ、キミのことは俺が守る。だから……」
「は、はい」
断っておくが、これは俺の妄想ではない。
俺はやけに大胆に行動を実行していた。
女の子の指は暖かくて綺麗で柔らかい。
ちょっとごつごつしたたこを感じなくもないが、それでもやっぱり小さくてしなやかな指を、俺はできるだけ柔らかくしかし逃そうとはせず、半全力で握りしめていた。
徐々に近寄っていく体。俺はミノリの顔に急接近していく。
彼女も目をこらして俺のほうに近づいてくる。
これはいけるぞ!
俺はそのまま唇を近づけていった……のだが。
「きゃぁぁぁ!」
絹を裂く悲鳴とともに、ミノリの回し蹴り……多分そうなんだろう、が俺のわき腹を思い切りえぐった。
そのまま地面に転がる俺。
「ぐは……な、なにするの」
「だってお尻いきなりさわるから!」
手を離して距離が遠ざかると、もうこの暗闇ではミノリの姿を確認することもできない。
「手、握ってたじゃん……お尻なんて触れるわけ、ない」
「あれ?」
「ほっほっほ……これは失礼したようなのだ。しかもお邪魔じゃったかな」
「誰!?」
突然聞こえた別の人間の声に、ミノリは完全に混乱していた。
俺はというと、その声が女の子の声なことにすぐ気づいていた。
言っていることはなんだかあれだが、これは若い女だ。どう考えても男はあり得ない。
と、いきなりぱっとライトが光って、ミノリの姿を暗闇に照らし出す。
俺は眩しさを堪えながら、そのライトが照らす光の向こうの人影を確認する。
視点がやけに低いその明かりの向こうにいたのは、小学生くらいの女の子だ。
頭につけたヘッドランプがこちらを向くと、俺の目を思い切り射抜いてくれたが、その瞬間にメガネをかけているらしいのが見てとれた。
「どうやらご同輩とお見受けするのだ。私は撮札册。ところで……」
「ところで?」
「なにか食べ物を持っていないだろうか? もう空腹で空腹で……」
「ああ……」
そんなわけで、俺たちは暗闇の中でサツと邂逅を果たした。
いやもうちょっと登場の仕方なんとかして欲しかったもんだ。