粋と無粋な月
月が、綺麗だった。
この美しさを形容するために言葉を尽くすことが無粋の極みだと思えるほどに、綺麗だった。
頭上、月の近くを流れる雲を煌々と照らし、夜の黒に染め上げられているそれを、輪郭を縁取り怪しく浮かび上がらせる。
流れ流れていくそれらと月は、空に浮かんでいるというものの実際の距離というものは果てしなく遠い。それこそ、僕ら一般人はその距離を走ることは、決してありえない程に。
月の光にその姿を覆い尽くされているように薄く主張する星々もそうなのだろう。いや、星によってはあの月よりも、天文学的数字の距離を叩き出しているものも多い。
そんな、近くて、でも、どこまでも遠い。
そんな、空だった。
昔の人々はこれらが描く空模様に物語を造り、現代人は何かと恋愛を空の様子に当てはめたがる。
でも、やっぱり無粋だと思うのだ。
この空を、この月を、この星を、何かに例えるのは。
僕らはただ、これらを見上げて、心を震わせるだけでいいと思うのだ。
あぁ、綺麗だなって。あぁ、素敵だなって。
こんな景色を見ることができるなんて、どれほど幸せなんだろうって。
何かを何かに例うことは、本質を知らぬという陳腐な告白なのだ。
何かを何かに例うことは、真の姿を知っていると驕る叫びなのだ。
こんなにも僕らの眼前に堂々と立つ自然。
その姿はどこまでも峻烈で、いつまでも手に負えない。
だが、そういうものだ。そういうものでいい。そういうもので、然るべきだ。
僕らには、表現するという力がある。
でも、たまには。
あるがままをひたすらに感じてもいいと思う。
飾らずに、そのままに。
修飾しない方が、純粋で、よっぽど真摯に感情と向き合っている。
後付けの調味料なんかで、味を壊してはもったいない。
あぁ、このまま見上げ続けることが出来たなら……。
夜風が不意に僕の全身を叩いた。
くしゃみが僕の身体から飛び出す。
……永遠なんてないんだな。
それが人為的なものであろうとなかろうと、物事は、現象は、有限なのだ。
見上げていたい気持ちとは裏腹に体温は下がり、僕は家に帰ることを決意した。
その後姿を、月は、いつまでも。