五里霧中
ブンっと空を切る音を立てながら振り切られた岳の脚は、蒼真の姿を通過して彼が身を隠していた木にめり込んだ。
同年代の学生と比べても大柄な体格である蒼真の体を十分に隠しきれるほどの太い幹を、蹴りで切り倒さんばかりの威力である。まともに受けていては、骨の1本や2本では済まなかっただろう。
「張り切って向かってきたところ、残念だったな。そいつはただの虚像だ」
そう言いながら現れた蒼真の姿も、また彼によって生み出された影の1つにすぎない。
青くぼやけた不明瞭な視界の中で1つ、2つと現れては消える「幻影」は、さらに岳の怒りをふつふつと募らせ、怒りのままにまるでモグラ叩きのように、彼は目の端に映ったものから薙ぎ払う。
「出てこいや……逃げ回っとらんと、早う出てこんかい! この臆病モンが!」
「出てこいと言われて、素直に出てくる能無しなら1回戦すら勝ち抜けられていない。それに、いつまでも頭に血が昇ったままだと、いくら『七元素』の魔法使いといえども勝てるはずの勝負を逃すことになるぞ」
「やかましいわ! 勝つのはオレや。その結果だけは決まっとるし、変わったらあかんのや! ぽっと出の無名がガタガタ抜かすな!」
さらに攻撃に勢いが増す岳であったが、蒼真の実体を捉えることはできない。
時折虚空から飛んでくる蒼真の魔法を受け流しては発生源に駆けつけ、受け流しては駆けつけを繰り返し、互いにダメージの通らない膠着状態が続いていた。
そんな状況に痺れを切らした岳は、次第に頭に血が昇り冷静な判断力を失って行く。警戒心が薄れ、攻撃が大雑把になり、自分の周囲の木を薙ぎ倒しながら蒼真を倒すべく進み続ける。
岳の冷静さを欠いた状態は、蒼真にとってチャンスともピンチともどちらにでも転がる可能性があった。単調な攻撃は修練を積んでいる蒼真にとっては簡単に避けることができるものではあったが、相手は「七元素」に名を連ねるほどの有望な魔法使いなだけあって、その攻撃に体が掠めるだけでも大ダメージとなりうる。
今、彼にできることは岳の攻撃を見極めながら自チームの勝利に向けて有効な一打をどこで叩き込めるか隙を伺うことであった。
蒼真と岳の一進一退の攻防が続く中、彼らの勝負の行方を見守るべく、邪魔にならないよう距離をとってついてきていた遥人は壁の外側で待機を余儀なくされていた。
「これじゃあ光阪さんの依頼は完遂できそうにないな……。まったく、僕とあろう者が不甲斐ないばかりだよ」
蒼真が生み出した霧の中では、ほとんどの者が方向感覚と魔力感知能力を狂わせてしまう。
遥人は試合が始まってから、蒼真の魔力を僅かに感じ取れるギリギリの距離を保ったままで追走していたのだが、普段よりも数段難易度が増している魔力感知に集中力のリソースを割いていたためか、岳の「城塞都市」の発動による巨壁の出現の確認に、蒼真よりも一歩出遅れてしまった。
壁によって視界は遮られ、魔力も感じ取ることができない。彼の眼前に囲まれた領域の内側で何が起こっているのか、彼には想像することしかできなかった。
「こうなってしまったのは僕の責任だ。頼むよ、結城君。できれば僕に何もさせないままで終わらせておくれ」
自分が見込んだ後輩に、国内でも指折りの実力者を倒せなどと難易度の高い依頼をした恵の願いは「七元素」が同学年の魔法使いに真っ向から敗れることで、その存在価値や信頼に揺らぎを与えること。
その考えが正しいかどうかなどは、遥人にとっては興味のないことだった。
試合が始まるまでは、蒼真に対して「七元素」に太刀打ちできるのかという疑問を抱えていたが、青い霧で敵を翻弄し、土壁による防御体勢までとらせている。予想外の彼の活躍に、もしかしてという思いを抑えきれなかった。
彼と同じように、試合に手出しのできないもどかしさと、蒼真への期待を胸に抱きながら戦況を見届けようとする魔法使いが観客席にいた。
中継映像を通して試合の様子を見守る恵。東京魔法高校の生徒会長として東京校の優勝を願うのではなく、今は日本の魔法使いの未来を見据える「七元素」の光阪恵としての姿があった。
観客席に設置されている大スクリーンには、競技場内の自動カメラが捉える映像が流れているが、その全てが霧で隠され、詳細な試合状況を知ることができないことに観客の中からは不満の声かわちらほらと聞こえてくる。
だが、恵をはじめとした一部の魔法使いはこの状況を生み出した1人の男に気がついていた。
「正直無茶だとわかっていながら勝ってって頼んだんだけど、まさかここまでしてくれるとはね。流石よ、蒼真君。試合を1人でコントロールしてる。……まるで支配者ね」
青白い画面に時折点滅する、魔法発動時に特有の光は競技場内の2箇所で繰り広げられている戦いの激しさを示していた。
だが、誰もこの行く末を今すぐに知ることはできず、歯痒い思いをすることとなった。未来を知る魔法は無いのだ。




