敵対
20年前、如月が6歳になった時、彼が初めて受けることとなる魔法実験の日取りが決まった。
彼は闇斎家にとって最後の実験体だったので、魔法が使えるようになってから行うように計画されていたのだ。
この頃、「異例者」の元へ行くのは如月1人きりとなっていた。
1680号は実験の影響で寝たきりの日が多くなり、起きた日にはまた実験という風に、外に抜け出す機会も無くなっていたのだ。
そんな日々が続き、ついに如月が実験を受ける日の前日となり、彼の人生の大きな転機となる「ある事件」が起きた。
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草木も眠る丑三つ時。
静かな実験施設内に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
如月が音に驚き目覚めると、赤い非常灯が通路で光っていた。
「何が起こってるの?」
突然の事に動揺した如月は思わず呟いた。
部屋に付いている唯一の窓から外を見てみると、実験施設の本部棟から火の手があがっていた。
(あの火、もしかしてこっちまで燃え移ってくるんじゃないかな……)
危険を感じた彼は、眠っている1680号を起こそうと彼の肩を揺さぶった。
「ねえねえ! 起きて! ここは危ないよ!」
何度か揺さぶると、彼はゆっくりと目を開けた。
「何か変だよ! 火事が起きてるんだ! 早く誰かのところに行こう!」
1680号はその言葉を聞いた瞬間目を見開いたが、すぐに力なく目を閉じた。
「ご、ごめんね、最終実験体。僕は行けないみたいだよ……」
「そんな……どうして!」
「体が、動かないんだ……」
1680号は前日に実験を受けていて、その副作用により体の自由を奪われていたのだ。
話すことが精一杯で、指1本すら自分の意思では動かせない。
「それじゃあどうしたら……一緒に逃げないと……」
如月はしゃがみこんで頭を抱えた。
1680号と如月の体格差では、動けない1680号を持ち上げて歩くのは難しかったからだ。
「僕の事はいいから早く行って!」
「…… 待ってて、誰か呼んでくるから!」
如月はそう言い残して、人を探して部屋を出て走りだした。
彼は、薄暗い廊下を懸命に走った。
周囲に大人は見当たらない。
如月達に人体実験を行う研究者達は別棟で生活しており、実験体が生活するこの場所にいるはずだった警備員も自分の身を守るためか、既に避難を終えていた。
「誰もいない……でも、あの人なら……」
無人の廊下を走って向かうのは如月、そして1680号の唯一頼れる男、「異例者」のもとである。
彼が「異例者」のいるあの場所までもう一つ角を曲がれば到着するという所まで来た時、絶望的な光景を目の当たりにした。
あたりは火の海と化していたのだ。
「そんな……。『異例者』さんはここにいたのに……」
望みが絶たれた如月は、思わず膝から崩れ落ちた。
そんな彼はあまりにも周りが見えていなかった。
呆然としている間に火の手が回り、逃げ道が塞がれてしまっていたのだ。
「はっ! 火がこんなに!」
周りにの様子にようやく気付いた彼は、この状況を打破しようと考えを巡らせた。
「早く火を消さないと! 『水生成』!」
魔法を発動させようと突き出した右手からは、何も起こらなかった。
「何でできないの? いつもならできてるのに!」
彼の服には、特殊な細工が施されてある。
魔法の練習をする部屋に入った時にだけ、服が補助装置となるようになっていたのだ。
目の届かない場所で好き勝手に魔法を乱発させないための予防策だ。
未熟な彼では、補助装置なしでは魔法を発動させることはできない。
魔法を使える素質はあれど、彼はまだ無力な子供だった。
「くそ! 出て、出てよ!」
懸命に魔法を発動させようとする如月だったが、やはり何も起こらない。
そして、彼の頭上で物が軋むような大きな音が響いた。
「……」
彼は上を見たまま動けなかった。
天井に大きなひびが次々と入っていったのだ。
瞬きさえ許さず、次の瞬間天井が崩れて彼の上へと瓦礫が大量に落ちてきた。
それが彼の見た、実験施設内での最後の光景となった。
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「そして結城家に助けられ、引き取られる事になった、と。まぁ、あの事件は結城家が起こしたものだがな」
「どうして僕の事をそこまで……それよりも、あれは結城家が起こしたって本当ですか?」
唖然とした顔で如月は尋ねた。
「どこかで人体実験をしてる事を調べたんだろう。詳しくは知らないが」
男は続けて言った。
「お前と1680号だけは、こんな俺でも頼ってくれていたからな。ちゃんと逃げているか心配にもなる」
「『異例者』さん……」
「今日までお前だけでも生きのびてくれていてよかった」
「『お前だけ』? そんな、まさか1680号は……」
「全力で調べてみたが、俺の力ではわからかった。生きているとも死んでしまったともな」
男は力なく首を横に振った。
ここまで話したところで、如月はここへ来た目的を思い出した。
「1680号の事は残念ですが、なぜあなたがここにいるんですか? 何の為に?」
「……そうだな。あの闇斎家に復讐をするためだ」
「闇斎……」
「あの家を潰そうと思えば、今の日本の魔法情勢を変える必要がある。それくらい奴らの力は、『七元素』の一角を担う一族の力は大きい」
「……」
如月は黙って聞いていた。
共に闇斎家の実験体としての過去を持つ者同士、感じ合うものが確かにあった。
「だからお前にも手伝ってほしい。お前の力が必要なんだ」
「何を起こすつもりですか?」
如月は静かに、そして冷静に尋ねた。
「この国の魔法使いの基盤は、魔法高校、そして大学にある。まずはそこから潰す」
「潰すって……その中には闇斎家とは、無関係の人も……若い魔法使いだっていますよ」
「魔法に携わっている以上、そいつらも標的だ。社会を変える為に必要な犠牲となってもらう。目的のためなら手段は問えない。わかってくれ」
「そうですか……」
男の考えを聞き、俯いた如月だったが決心し言い放った。
「悪いですが、その話には乗れません。僕には無関係の人を傷つける事は出来ないし、恩ある主人を危険に晒すことも出来ません」
「そうか……それは残念だ。お前となら、より良い社会を導けると思ったんだがな」
「ぐふっ!」
如月は腹部に激しい痛みを感じ、倒れた。
彼が意識を失う前に見たのは、自分の腹を貫く黒い触手と薄ら笑いを浮かべる異例者の姿だった。