51 始まりの始まり(3)
クロアとアルバは森を抜け、見晴らしのよい丘の上に来ていた。
遠目にはレナトスの壁が見えている。
思えばずいぶんと前から、二人きりで話すことがなくなっていた。
「……父上は以前とは打って変わり、頻繁に戦場に向かわれているとか」
「ああ」
アルバの目線は壁のほうにあり、クロアには目を向けず短く答えた。その身は薄汚れ、血生臭いが漂うのをクロアは感じた。
……以前とは違う、縄張りを争う狼のようだ。
仲間からの情報では苛烈にレナトスの近郊で暴れまわり、その姿はまさに一騎当千。矢などに怯みもせず、人間達を蹂躙しているという。
アルバの内からひり出す、人間達に向けての感情をクロアは敏感に感じ取った。
それと同調するかのように他の仲間達も、人間と相対する時はアルバと同じように、少なくともクロアには伝わってきた。
……この怒り、恨み、父上は確かに変わった。ただ、この様子はもしかしたらいままでの俺にもあったんじゃないか…?
戦果を挙げる父に不満はなかった、ただ、以前のように普段は我儘で快活な人柄から変わり、いつも殺気じみている今の父の様子にクロアはもどかしさを感じた。
クロアは右手に持った勿忘草を見て、強く握りしめた。そして、アルバの正面に立った。
身長2mを優に超えるアルバに視線を合わせた。なんだという感じでアルバはクロアを見ると突然、
「父上‼ 失礼します‼」
「なん、ふぐぉあ‼」
父をなんとかしたい。その想いから、不意にクロアの強烈な右パンチがアルバの大きな腹に炸裂した。
「なんだ…クロ…?」
拳を退いて、クロアは顔を上げて父を見る。
「いやあ、よく父上も何かにつけて殴ってきたので、昔の仕返しというか。頭領にもなったことですのでその意趣返しですよ」
呼吸を落ちつけながら、しばらく拳を受けた腹を抑えながらアルバはやがて、手で頭を押さえて静かになった。
「父上……?」
「ハハ、ハハハハ、ハ――――――――ッハッハッハ‼」
アルバは静けさから一変、大声で笑い声をあげた。
「クロア、てめぇ、よくも親父様に向かって手が出せるようになったなぁ‼」
アルバはうれしいとばかりにクロアの肩をバンバンと叩き笑い続けた。
その様子は以前のアルバでクロアもそれを感じ取れた。
「ハハハハハ…、なんかすっきりした感じだぜ。おまえに殴られたところはチトいてぇがよ」
「父上」
アルバの笑いが収まると、彼は丘のちょうどいい大きさの石を見つけるとそれに腰をおろした。
「なんか、本当に久しぶりな感じだなクロア。おまえとはこうやって話すのはよ」
「ええ、そうですね。父上」
アルバは不意に、クロアの首元にある月の形をしたペンダントをじっと見つめた。
「クロアよ、その首のペンダントよぉ。思えばずっと着けてるよな」
クロアは自分のペンダントに手を伸ばした。
「ああ、これですか、懐かしいですよね。これは俺が子供の頃、最初に人間もどきと戦った時、殺した相手のものだと思います。取った覚えはないのですが、あの時は無我夢中で、気が付いたら懐に入っていました。……あの時父上が居なければ俺は敵に囲まれて危なかったかもしれませんね。それ以来、死人のものを着けるのはあまり趣味がいいとは自分でも思いませんが、お守りのように着けてるんですよ」
少し照れくさそうにクロアは呟いた。
「そういえばそうだったな。あの頃のおまえはまだまだひよっこで前しか見えていなかったもんな。あの時のスーパーヒーローな親父様の偉大な姿を目に焼き付けていたんだな。
……そうかそうか、おまえもあの頃から大きくなったもんだな。まあ、親父様にはまだまだ勝てんがな」
ガハハとアルバは嬉しそうに笑っていた。
少し間を置き、クロアはアルバに対しての疑問を問ういい機会と思い、切り出した。
「……不意に聞くのですが父上、数か月前、なぜ俺に急に頭領の座を渡したのですか? 父上の力は全然衰えていないですし、仲間達からの信望も厚かったです。少しばかり怠け癖を除けば……急に降りることはなかったと俺は思います。 ……譲るにしても俺なんかまだしも他に能力が高い年長の者もいたはずです。頭領の証として頂いたこの勿忘草もいつも肌身離さず大事そうに持っていたのに。なぜなのですか」
クロアは右手に持っていた勿忘草をアルバに見せながら打ち明けた。
アルバの笑いは消え、静かにクロアの話を聞いていた。そして少し黙ると口を静かに開いた。
「……頭領の座か。……俺はうまく言葉にして話すのがニガテだからよ。おまえにうまく説明できるかわからねぇが」
アルバは何か言いにくそうな感じで頭をぽりぽり搔きながら話し始めた。
「まず、その刀《勿忘草》だがよ、これは俺様がまだ若けぇころ、人間もどきと戦ったとき、……勝った証としてブン取った戦利品よぉ。お前の首に下げているモンと大して変わらねぇものさ」
「戦利品?……ですか」
「頭領については。クロア、おまえは頭がいいから深く考えているようだが、そんなに大した理由はねぇんんだ。……俺は昔、ある男と一緒にある『約束』をした。約束、というより同じ願いを想っていた。それが叶う為には俺は俺達一族をまとめ上げる必要がある。その手段として頭領という地位を築き俺様がなったというわけよ」
「約束、とは?」
「すまんがお前にはそれは教えられねぇんだがよ。……とにかくだ、俺様はその約束の為に、それまではちりじりになっていた仲間を集めて纏め上げた。頭領にもなった」
「……しかしだ、いざ頭領にもなったんだがこの約束ってのはなかなかにムズかしくてよ」
父の言う約束は分からなかったが、頭領になったことで俺達の生活が安定してきたのは確かだ……
「頭領になり最近まで俺様なりに努力したんだが、成果はでなかった。……そんな時だ、ある情報から約束をした男が死んだって話を……。」
言葉を濁すってことはこの男にことも教えてはくれないだろう。約束をするということはそれなりに親密であろうから同族なのであろうか……?
「ただな」
アルバは改めてクロアを見つめた。
「……あいつが死んだことで、それで約束が果たされないわけじゃない。キッカケであって頭領を譲る理由は他にもある。おまえの就任式にも言ったが最近、人間もどきの中でもおまえくらいの若いツブが出てきている。これからは若いモンの時代だとな」
「お前はもう昔のような子供じゃあねぇ。お前は自分を過小評価しているようだが、俺はそうは思ってねぇ。俺と違って賢い。器としては十分だ」
周りに広がるレナトスの情景を二人は見る。
「人間もどきのやつらもなんとしても俺達を滅ぼそうとするだろう。俺達も昔、自分達のものだったこの目の前に広がる景色を取り返そうとしている」
アルバはクロアの右手に持っている勿忘草を指さした。
「お前は今、あいつら人間もどきをどう思っている?この絶えない争いをどう思っている?」
「俺は……」
答えが出なかった。
「お前の心はお前だけのものだ。クロア。今、心の中はすっきりしているだろう? 自分の心に問いかけ悩むだけ悩めばいい。誰かに相談するのもいい。そこから出た自分が納得する答えなら、それが正しいとか間違っているではない。それが頭領に意思だ。俺も、俺達もそれについていく」
アルバは重い腰を上げ、クロアに近寄った。
「この先どうなるかわからねぇが、仲間達をいい未来へ導いてくれると信じている。なんてったって俺の自慢の息子だからな‼」
「父上……」
アルバはいままで見せたことがなかった優しくほほ笑みながらクロアの胸に軽く拳を当てた。
それはクロアが見た父の最後の優しい姿であった。




