1.7 決意
ガァァアンと耳を貫くような衝撃音。しかし、身体に残る感覚はなにもない。目を開けば、置いてきたはずの桜がそこにはいた。
「先輩、助太刀します!」
「どうして……」
「どうしてってこっちの台詞です! 言い訳は後で聞くので、今はこの男の相手を!」
「あ、ああ」
桜は受け止めた槌をそのまま弾き飛ばした。男は先とは打って変わって、俊敏な動きで距離を取る。先のはブラフだったのか、まんまと騙されていたわけだ。
「まさか増援とはね。しかもそっちの子、なかなかやるみたいだな」
「……先輩には傷一つ付けさせません」
「おお怖い怖い」
わざとらしく怯えたような格好を取るが、その顔からは余裕が消えていない。二対一という不利な状況であるはずなのに、男からは心配の欠片一つすら見つけることはできなかった。
「さぁて、ここからが本番だ」
一歩、一歩、男が近づいてくる。歩みには隙がなく、迫力に満ちていて少し気圧される。何がここまで男を自信付けているのか。その答えを見つける前に、黒槌の横払いが迫っていた。その攻撃を桜が踏み出して受け止める。周りの空気すら震わすような衝撃にも体勢を崩すことなく、男の攻撃を確実に弾き返した。
「女だと思って多少侮ってたが、やっぱ随分やるみてぇだなあ」
「舐めていられるのも、いまのうちですよ」
そう桜は返していたが、続く男の攻めに対し、防戦一方だった。強打こそ受けていないものの、桜の体力は着実に削られ、徐々に後ろに引いた戦い方になっている。
理由は明白だった。
戦闘力の期待できない俺と、逃げずに物陰からこの戦闘を覗っている美幸先輩の存在。俺たちを守りながら、彼女は必死に戦っている。
今の俺は彼女の足手まといでしかない。俺はこのままずっと記憶を取り戻せないまま、こんな風に桜に守り続けられるのだろうか。彼女が傷ついていくさまを、苦しんでいくさまを後ろで傍観していくしかないのだろうか。
自分が持っていた力はこんなにもちっぽけで、守りたいと思う人一人すら助けることができないものなのか。目を背けたくなるような現実。どうしてこんな風になってしまったのか。いくら世界を恨もうが、この状況は改善しない。
――そして、またあの時の光景が脳裏に映し出される。
周りを取り囲む結晶獣。
右手には、凍てる氷剣。
全身には無数の傷。
傍にはへたりこんだ桜。
いつの記憶なのかは分からない。
ただ、彼女を、桜を身命を賭して守ると決めたその日の光景。
どうあろうが、やることは最初から決まっているじゃないか。
一際大きな打撃音とともに、吹き飛ばされた桜が転がり込んできた。肩で息をしながらも、すぐに体を起こし男へ向かおうとするのを制止する。
「先輩――?」
「桜、そこにいる美幸先輩を安全なところまで連れて行ってくれ。ここは俺が引き受けるから。どのみちこの狭い路地じゃ、一緒に戦うってのは難しいし」
これはただの建前でしかない。桜を納得させるために取って付けたような理由。
「それなら先輩が連れていけばっ」
そこで言葉を切らし、桜は咳き込んでいる。
「そんなんでこれ以上まともに動けないだろう。俺は幸いまだなんともないんだし」
「それでも――っ」
「心配はありがたく受け取っておくよ。ただこれは俺が決めたことなんだ」
そうだ、こんなところで逃げていては先に進めない。記憶が無いから、自分が弱いからという事実をいつまでも言い訳にしてはいられない。等身大の自分自身に向き合って、これから生きていかねばならないのだ。
この戦いは俺がこの世界での生き方を決めるためのものだ。桜を、美幸先輩を助けるためではなく、自身のエゴを貫くためのもの。
桜は少し悩んだような顔をしてから口を開いた。
「……失礼ですが、今の先輩に敵う相手ではないんです」
「分かってるよ、でも今のままではどうしようもないだろう」
「だからって先輩が戦う必要なんて……」
桜の焦るような物言いに被せて、ずるい言葉を俺は使った。
「桜少尉、命令だ。そこの女性を連れて、ここから退却しろ」
「――先輩! そんな言い方するなんて……」
「桜、俺は桐島中尉だ。上官の命令は絶対、じゃないのか?」
桜が素直に応じなければ、もとよりこうするつもりだった。こう言えば、彼女は従わざるを得ない。半人前の俺が使える精一杯の賢しさだった。
「……わかりました、中尉。ただこれだけは約束してください」
桜が俺の目をじっと見据える。その透き通るような美しさに、一瞬、我を忘れてしまった。
「絶対に生きて私の前に戻ってきてください」
そう言って俺のもとから離れる。桜が言い残した約束に返事をすることはできなかった。正直、ここで死んでしまう可能性の方が高いだろう。ただ不思議なことに不安はなかった。
「面白そうだから黙ってみてたが、お涙頂戴の自己犠牲ってやつか? で、今度はボウズが相手してくれるってわけか」
「……さっきみたいに簡単にはいかないからな」
「随分と自信ありげだな。ま、その命でせいぜい楽しませてくれや」
剣を構え、深呼吸をする。簡単に死ぬつもりなんてない。
この世界で生きる道筋を見つけるため、自分自身の未来を切り開くため――俺は硬い路地の石畳を蹴り出し地を駆った。