1.2 模擬戦闘
体育館ほどの広さの空間には俺と桜の二人のみ。そこには張り詰めた空気が流れていて、口を開くのが憚られたが、確認を取らずにはいられなかった。
「本当にやらなきゃいけないのか……?」
数メートルの距離の先には桜。お互いの手に握るのは己の武器。対峙する彼女はその構えを解かずに答える。
「中尉の腕が落ちていないか確かめないといけませんからね」
学生時代の桜からは考えられない好戦的な返事。なぜそんなにも生き生きとしているのだろうか。草加大佐の提案は「桜と模擬戦闘をする」こと。記憶喪失による戦闘技能の低下を危惧され、俺はこういう形でその確認を取らされているわけだ。
「だとしても、こんな人目のあるところでやる必要は……」
そこそこ広めの長方形の空間は、それこそ一階はコンクリートの壁に覆われているが、二階部分はガラス張りで、目を凝らすまでもなく非常に多くの人影が見える。
「ここしかないんです……。それに、良くも悪くも中尉は有名ですから」
悪くも、とは過去の自分が何をしていたか気になるところではあるが、そんな場合ではない。
「その、万が一桜に怪我なんかさせたりしたら……」
「随分と余裕があるんですね、中尉。後で泣いても許してあげませんよ」
「はは、お手柔らかに頼むぜ……」
社会の荒波にもまれて、というやつなのだろうか。正直こんなに溌溂な彼女は少し新鮮であるのだが、どうやら説得は無意味のようだ。そんなことよりも自身の心配をせねばならない。
桜の武器は大剣、対して俺の武器は両手持ちで構えてはいるが片手剣といえる大きさだ。単純なぶつかり合いではこちらに不利があるだろう。体格差で言えばこちらに利がありそうだが、自身の身長に迫る大剣を獲物としていることを考えると余りそれも関係なさそうだ。
速さと手数で押していくしかない。容易な結論だが、そもそも対人戦の経験がない俺にはどうしようもない話だ。
「両者準備はいいですか?」
戦闘のイロハなんて分からない。模擬戦なんてやらなくてもいい、俺は戦えないと必死に訴えたかったのだが、有無を言えない状況にあった。さらには大佐に何を吹き込まれたのか、桜が信じられないほどに乗り気だったのだ。
心を決めて、剣の柄をぐっと握る。慣れない感覚だが、初めてというわけではない。ぐっと両目を開き、目線の先に桜を据える。
「――はじめッ!!」
防戦に徹するつもりはもとよりなかった。合図とともに低い姿勢をとって地を蹴る。一方、桜は動かない。様子見なのか? 間合いに入るがまだ桜は動かない。こちらから仕掛けるしかないのか。左に構えなおした剣を斜め上へと振り上げる。
キィインという軽い金属音。同時に、剣を弾かれた衝撃を腕に感じるが思ったほどではない。間髪入れずに、先程の軌跡をなぞるように斬り下げる。桜はほぼ体制を変えないまま、斬撃を弾き返す。
出方を伺っているのだろうか。彼女の表情は読めない。
同じような攻防がさらに数回続く。無機質な剣と剣のぶつかり合う音が残響し、俺は段々とその戦闘の雰囲気に飲まれ、すっと頭が冴えていく感覚をおぼえた。
――このままでは埒が明かないだろう。十数回目の攻撃の場面、今までとはタイミングをずらし、体重を乗せた回転斬りを放つ。桜の表情が揺れる、虚を突いたのかもしれない。
今までよりも重い衝撃――を予想したが、反して俺と剣は宙を切っただけだった。体が反動でそのまま後ろに反る。避けられた――?
刹那、視界の端に大剣を捉える。危ないと考えるよりも先に体が動く。残る振り上げの反動を利用し無理やり体をねじらせ、その一撃を剣で受け止める。
ぎいぃいん! と聞こえる、耳を貫くような激しい衝突音。息の詰まるようなその重い一撃を耐えきることは出来ず、俺は模擬戦闘場の壁に打ち付けられた。苦い鉄の味が口の中に広がる。
「……容赦ないな」
「色々、大事なことが懸かってますから」
ニヤリと口角を上げ笑う桜は徐々にその距離を詰めてくる。壁にぶつかった衝撃はひどいものだったが、あの夢の世界での戦闘ほどの痛みはない。立ち上がり正中へ剣を構えなおす。
ザッと地面を踏みしめる音、同時に大剣の薙ぎ払いが迫る。後ろは壁、横に避けるには時間が足りない。一か八か、やってみるしかない。
コンクリート造りの壁を蹴り、前方へ飛び込む。剣を少し斜めにし、薙ぎを受け止めるのではなく流す。それでも手にかかる負担は並大抵のものではなく、必死の力で何とか剣だけは離すまいと持ちこたえる。そのまま根元まで滑り込み、桜の懐へ潜り込んだ。
「やりますね、中尉」
少し驚いたような表情をしているが、その顔にはまだまだ余裕が見える。しかし有利はこちらにあるはずだ。大剣の振りの反動で二撃目は来ない。しゃがんだ体勢から今度こそ右に構えた剣を切り上げる。
「せあ――ッ!!」
「甘いですよ!!」
脇腹に衝撃を感じると同時、見事に回し蹴りを入れられたことを理解する。
「ン――ッッ」
肺から空気が押し出され、うめきは確かな声とはならず、勢いよく白土の上を転がった。
息の詰まる感覚、ふと先の夢が思い出される。
「残念ですが中尉、ここまでのようですね……」
二撃も有効打を受けた身体は、全身に重りをぶら下げているかの如く重い。幸いにも桜は瞬時に距離を詰めることはなく、ゆっくりと歩いて間合いを詰めてきている。それが情けなのか彼女の余裕の表れなのかは分からない。ただ少しでも時間があることはありがたい。
夢のような世界での戦闘を思い出せ。あの時、どんな風に奴らを殲滅した? 爪が手のひらに食い込むぐらい剣の柄をぐっと強く握る。深呼吸しながら目を閉じる。
そうだ、あの時のようにすべてを体に任せればいい。
桜がゆっくりと変わらない歩調で距離を詰めてきているのが分かる。
土を踏みしめる音。
桜の呼吸音。
一歩、一歩、その音は少しずつ大きくなっていく。
――この一撃に、賭ける。
ふっと息を吐きだし、眼前に桜を捉える。未来でも見ているかのように、自分の身体をあるべき空間に置きに行く。
大剣の間合いに入った。瞬時に右上段からの斬り下げが飛んでくる。そこからはスローモーションを見ている気分だった。
剣の軌跡を視界に捉えつつ、自身の剣の射程まで入り込み、桜の剣筋と対になるような渾身の上段斬りを放つ。互いの武器がぶつかり合い、目がくらむような火花を炸裂させる。骨の髄まで響きわたる激突。脳天を震わせる衝撃に一時、意識を飛ばしそうになるが状況はそれを許さなかった。
単純な力と力のぶつかり合い。そこに細かな技術の介入する余地はない。
「はあぁああァアアアアアアアア!!」
俺は絶叫する。自分の持てる限りのすべてを己の剣に乗せて。たったの少しだが、確かに押し込んでいる感触を得る。勝てる――脳裏にその二文字が浮かんだ瞬間。
体のすべての感覚がふっと消えた。急に宇宙にでも放り出されたかのように、ふわふわとした感覚が体を包む。捉えていたはずの大剣はそこにはなく、剣先が宙を斬っていくのが見える。何が起きたのか理解する間もなく、ゴツンと頭に鈍い衝撃が走り――俺は意識を失った。