1.1 夢の続き
「……なるほど。そうなると、桐島君のこれからの身の振り方を考えねばならんな」
目の前に座る巨躯の男は今までの話を聞いて、少しばかり唸った後、その言葉を発した。そのなり、態度、口調、行動どれを見ても歴戦の戦士であることは伺えた。額には幾つかの傷跡が残り、お約束よろしく右目に眼帯をしている大男は国連軍極東地区第三基地司令、草加昭雄大佐その人に他ならない。――それも先ほど桜に教えてもらったからこそ分かるのだが。
桜と共に通された草加大佐の執務室は、大きな執務机に加え、応対用の豪勢で柔らかそうなソファと、少し年季が入ったように見えるが格調のある机が鎮座している。床は真紅の絨毯に覆われ、よりいっそう部屋の雰囲気を引き締めている。
そもそもなぜこのような場所にいるのか。未だ信じたくない自分がいるのだが、もうそろそろ現実として受け入れなけらばならない気はしている。
夢から覚めた先は、病室のベッドだった。現実は交通事故に遭った後だったのか、そう考えると夢での全身の痛みも合点がつかないわけではない。
横を向けばずっとついていてくれたのだろう、椅子に座り頭を揺らしながらうとうとしている桜の姿があった。しかし、その姿は記憶にある彼女より少し大人びていて――先の夢で感じた微妙な違和感というのはこれだったのだ。服装も着替えなおしてはいるが制服のようで、それはうちの学校の制服ではない。言うなれば軍服である。
「しかし綺麗になったもんだなぁ……」
つい感嘆してしまうほど桜の寝顔は美しく、まだ幼さの残る学生の彼女の顔を思い出す。これは夢の続きで俺の願望の世界なのだろうか。後輩の桜に恋心を抱いているつもりはないが――心の奥底ではそう思っているのかもしれない。
「……あれ、中尉? 私寝ちゃってました……?」
「おはよう、桜」
桜が目を覚ます。そして少し恥ずかしそうに両手で顔を覆う。
「おはようございます。お体の方は大丈夫ですか?」
「少しダルさは残ってるけど、ほら」
そう言って腕を回して元気であることをアピールする。あちこちが包帯でぐるぐる巻きにされていることもあって、動かしにくさはあるが痛みを感じることはない。
「その、中尉は一週間も眠ってたんですよ。だから私……」
「そのまま起きないんじゃないかって?」
桜が言うであろうその言葉を先読みする。彼女はどうも俺に関しては過剰なほど固執しているというか、心配し過ぎる節があるのだ。
「もう! 茶化さないでください! 中尉がいなくなったら私、どうすればいいか……」
頬を膨らませ怒る桜の目頭には、少し涙が溜まっているように見える。だがそれは寝起きだからか、それとも心配から来たものなのかは分からない。
一週間も起きなかったというのには驚きがあるが、生死の淵を彷徨った結果、こちら側に戻れたのだから、踏ん張った身体に感謝すべきなのだろう。人間、そう簡単には壊れないものだ。
「心配するなって、そんなにやわには……」
返答しようとして、言葉に詰まる。より正確に言えば、何か見落としていることに気づいて、つい口が止まってしまったのだった。
「ふふ、なんだか学生時代を思い出しますね」
桜は俺の逡巡には気づかない様子だった。そして遠くへ思いをはせるように笑う彼女からは少し哀愁を感じる。
――学生時代?
引っかかる言葉。
いや、この思考からは目を背け続けなければ。そう思うのだが、一度回りだした歯車はどうやら止まってはくれなさそうで――。
未だに続く『中尉』という呼ばれ方。
桜の成長、その服装。
右手に残る剣の柄の感触。
バラバラだったパズルのピースが嵌まっていく感覚。あと一つ、完成までには足りないが、それを埋める方法は割と簡単だ。ただその一歩を踏み出してしまったら、もう本当に後戻りすることはできない、そう何かが伝えている。このままもう一度目を閉じて眠りにつけば、あの楽しい平穏な日常へ帰れる――その機会を失ってしまっていいのか。
逃げることは負けではない。勇気をもってすることだ。別にここで命のやり取りをしているわけではないのだ。
「中尉? どうかしましたか……?」
――またあの一瞬が脳裏に浮かぶ。桜を守ると決めたあの日のことを。そこまでして何事からも逃げるなと俺に言うのか。
……なら確かめるしかない。大きく深呼吸をする。
そして言葉を紡ぐ。
今がいつであるのかを尋ねるために。
――その答えは、概ね予想できたものだった。
現在が自分の記憶から、数年後であること。
大災害という、世界各地で起きた大きな事件がこの世界を大きく変えてしまったこと。
その災害で、両親や多くの友達を失ったこと。
今は《制有者》という、いわゆる超能力者のような人間として軍隊で生きていること。
それ以外にも多くのことを、桜は丁寧に教えてくれた。
色も、匂いも、味も、触覚も鮮明なこの空間が、夢でないことは自明なはずなのだが、素直に受け入れることは出来なかった。
学生として、薔薇色とまではいかないが、楽しい生活を送っていたあの場所ではない。
巨躯の男と相対してる今の状況は、その理解を促すものの一つに間違いない。
『身の振り方』という、それこそ今後に関わる単語を口にしてから、またしばらく草加大佐は考え事をしていたようだが、何か閃いたようだった。その一瞬に、まるで何か楽しそうなものを見つけた少年のような表情が垣間見えたが、続いて彼の口から紡ぎ出された言詞は非常に重みをもつものだった。
「さて。身の振り方を考えてもらう上でも、興味深い報告を確かめる上でも、最善の手段があるのだが、私の提案に乗ってはくれんかね」
草加昭雄《大佐》には有無を言わせない迫力があった。今はただの学生気分が抜け落ちないということもあるし、その人物の胆力というのか、これが死地をくぐり抜けてきたものが持つ雰囲気なのかもしれない。
どのみち中尉と大佐というかけ離れた階級で、上官に逆らう理由など存在しないだろう。ただ彼が持ちかけた提案、もとい命令は気乗りするものではなく、隣に座る桜も形だけでも反対するものだと思っていた。
まさか素直に、それも身を乗り出すかのような勢いで賛成するとはこれっぽっちも思っていなかった。