1.12 車窓
車窓から覗く風景からは、一部何者かに蹂躙されたような荒廃した自然が垣間見える。そんな中でも、植物たちの生命力はすさまじく低木やら蔓やらが生い茂り始めていて、時間の経過を感じさせるものであった。
「少し、この世界らしさを感じますか?」
外を物珍しそうに眺めていたせいか、向かい側に腰掛ける桜に尋ねられる。
「だんだん、自分の想像していたものに近づいている感じはあるな」
「この辺りは一度、結晶獣らに奪われてしまった土地ですからね」
物憂げな顔で、彼女は再生途中の自然に目線を落とす。
今まで自身が生活していた軍事基地は、国連軍極東地区第三基地などという仰々しい名前で――よく考えれば人類にとって相当に重要な拠点であったのだ。
その周辺は俗に言う「内地」と呼ばれているらしく、想像していたよりも世界が栄えていたように感じたのは、最も安全な場所であったからだ。
対して、揺れる鉄道が向かう先は前線方面。そうは言っても、現在の戦線と第三基地の中間地点に士官学校はあるらしい。よれば、俺も桜もその士官学校出身であり、スタート地点に立ち返るようなものである。
絶え間なくレールの継ぎ目から生み出されるガタンゴトンと規則正しい刻みに眠気を誘われる。いつだったか、こうした定期的な優しい揺れは眠りを誘いやすいだとか聞いたことがある。最近、何かと寝てばかりな気がするが、信じられない出来事ばかりの怒涛の日々だったことを考えれば仕方がないところもあるだろう。
こんな風に、ぼーっと外を眺めながら寝落ちした経験がたしかあった。
あれは確か梅雨が開けたばかりの、セミが夏の訪れを告げ始めた時期だっただろうか。日差しよりも湿度にやられ、じっとりとした汗がにじむような本格的な暑さの一歩手前だ。
部活を引退したはずの美幸先輩は、放課後ひょこっと部室に現れ、「ちょっと行きたいところがあるんだよね」などとのたまい、受験勉強はいいのか皆が聞いたが、「私、成績いいから」の一言でサクッと片付けられた。
その日は部員の個人的な用事が重なって、部活動への参加は自由となっていたこともあり、部室にいたのは俺、比嘉、九頭の三人だった。
「で、どこに行くんです?」
先輩の突拍子のない行動には慣れていないわけではないが、またこんな時期に出掛けようとはどこに行こうというのか。そんな俺達の疑問はよそに美幸先輩は、
「うーん、秘密!」
とちょっとしたポーズを取って、可愛らしく決めるのだった。
誰一人として断る理由を思いつく暇もなく、いや穏便に決まったのはたまたま桜がいなかったからだろう。部としてやることもたいしてなかったのと、先輩の久しぶりの来訪とあって、目的地のわからない放課後小旅行が決まったのだった。
都会の喧騒から離れ、電車で揺られ、田園風景溢れる隣町に降り立った。先輩の進むがままに、駅前の小さく栄えた商店街を通り抜け、網戸から漏れるにテレビの音を横目に住宅街を通過して、せせらぎと共に川沿いを進んでいく。
透明な小川から吹く風は、その清らかな流れを感じられるひんやりとした空気でなんとなく気持ちがいい。
しかしそんな気持ちとは裏腹に、美幸先輩の進む先はだんだんと人里離れ、家屋の数も心なしか減っているように思える。ともに歩くメンバーも何か疑念を持ち始めたのか、他愛もない話から質問を切り出したのは九頭だった。
「あのー、美幸先輩はどういう目的で……?」
「あ、そういえば言ってなかったねー。いやー、次の台本のネタは決まってるんだけどね。なんだかイメージが浮かばないから、現地に言ってみればなにか感じるものがあるかなーって」
ふむ。この人は受験の天王山とも呼ばれる夏を前にして、また新しく台本を書き始めようとしているのか。小さなふわふわとした容姿からは、想像もできないエネルギーがこの人には詰まっているようだ。
「ちなみにどういうお話なんですか?」
あまり気は進まなかったが、この質問を俺は続けた。そして悪い予感は大当たりする。
「実はね、ホラーを書こうと思って」
……ふむ。
その返事と同時に、比嘉の足がピタッと止まる。恐る恐る伺うようにその表情を覗くと、無理やり笑顔を作ったように口角が引きつっていた。そして思い出す。いつだったか、メイクの参考がてら皆でホラー映画を鑑賞した時のことを。
そう、それはきっとハロウィンの仮装のためだったか。残暑ももう終わろうかという、秋らしい気候が見え始めた日。映画を見るよ、美幸先輩にそれだけ伝えられ、なぜかご丁寧に部屋全体に暗幕を張り、どこからか拝借してきたプロジェクターで白塗りの漆喰壁に大画面に映されたのは題名こそ忘れてしまったが、超人的な殺人鬼に追い回されるスプラッター映画だった。
あの時の比嘉の慌てっぷりは忘れない。夜の明かりのない住宅、セリフがなく環境音で構成された始まり方で気づいていたのだろうが、彼女のプライドが許さなかったのか。余裕溢れる立ち振る舞いを見せていたが、だんだんとそのベールは剥がれていき、それこそ殺人鬼に追い詰められたシーンなんかでは恐怖に負け、外に飛び出そうとさえした。だが、分厚い暗幕で光を完全にシャットアウトした暗闇からは部屋の出口すら分からず、何かに足を取られ転けてしまった。
いつの間に抜け出していたのか、比嘉が顔を上げた目の前にいたのは、映画に出てくる殺人鬼に仮装した美幸先輩で……。
これから先の事を思い出すのはなんとなく可哀そうに思う。とにかく、比嘉はこの四人の中ではホラーとはどうしようもなく相容れない存在なのだ。
美幸先輩、ネタバレしたら絶対来ないから分かって何も言わなかったに違いない。
比嘉は接着剤で道路に貼り付けられてしまったかのように微動だにしない。今なら背中を押して四十五度ぐらいで傾けても倒れなさそうな気がして、つい手をかけてみたくなってしまう。
そんな俺の衝動をよそに、美幸先輩はしたり顔で比嘉のもとへ近づいていく。
「もしかして、怖いの?」
まるで幼子をあやすように問いかける。しかし傍から見れば、先輩の腹黒いオーラがこれでもかと言うほどよく見えるし、もはや弱いものイジメ以外の何ものでもない。これは桜といつもの内紛をしていない分のエネルギー発散なのだろうか。
「そ、そ、そんなわけ……」
いつもの勝気な物言いとは正反対で、人格が入れ替わったかのように弱々しく返答する。
「ふふーん。じゃあ大丈夫だよねー。早く行こっかー」
そう言って先ほどからその場を動こうとしない比嘉の腕を組んで無理やり歩みを進めさせる。ああ、これが現代に降臨した小悪魔なのだろうか。なんて大袈裟に思いながら天を仰ぐ。傾きつつある太陽も、もうこの時間からは俺は助けられないぜといった感じでうっすら雲に覆われている。
結局、この人は本当にネタ探しの為に俺たちを連れて来たのだろうか。真意は読めないが、もはや逃げ出す術はそこにない。先を歩く二人を横目に九頭と苦笑する。
それからどうなったのだっけ。少し逡巡すること束の間、背もたれに押し付けられるような加速度を感じ、夢想から現実へと引き戻された。