1.11 新たな船出
この部屋に来るのは初めてというわけではないが、やはり何とも地に足がつかない気分になる。自身の部屋があまりにも質素だということもあるし、それ以外過ごした場所といえば病室のベッドの上しかない。
既視感――この場合は追体験だから何と言えばいいのだろうか――を感じるような状況で、変わらず目の前にどっしりと構えるのは草加司令。そして桜はソファには座らず、少し後ろですっと綺麗な姿勢で控えている。
今回、呼ばれた理由はほぼ見当がついている。模擬戦の結果を踏まえた、さらには先の街中での騒動を含めて鑑みたこれからの俺の身の振られ方についてだ。
処分内容も決まらぬうちに、裏路地で起こした黒槌使いとの戦いは、自身の知らない未来の世界での生き方を賭けたものであった。辛くも勝利をつかみ取ったが、学生気分の正義感で首を突っ込んで起こした面倒事と捉えられても仕方がないし、実際そうであることは否めない。
そんな緊張感のある状況の中、静寂を切り開いたのは草加大佐だった。
「そう構えることはない。まあ、まずはこれを見てくれたまえ」
手元に差し出された書類の束。
その一番上に置かれた紙に目を向けると、「辞令」の二文字。
ぐっと唾を飲み込み、薄い白用紙に定められた運命を読むため、目線を下ろしていく。
「司令部直属、00小隊、隊長の任を命ずる……?」
他にもつらつらと細かい事項が綴られているが、飛び込んできたその事実にすっと肩の荷が下りた気分で、思わずはぁと息を吐いてしまった。
「先の戦闘で君の所属していた部隊は解体せざるを得ない。再編して君を中隊長にという案もあったが、状況が状況ということもある。そこでだ。君には学生としてもう一度士官学校に通いつつ、その周辺で起きている事件を調査してもらいたい」
「……事件、ですか」
「詳しい事はそこにまとめてあるが、簡単にこちらからも説明しておこう」
要約するとこういう話だった。
どうやらここ数週間、士官学校に通う学生の失踪事件が続いているらしい。対策を講じるにも制有者の貴重性や地位的問題で行動を制限することは難しく、事件の解決には未だ至らないらしい。
さらには同時期に制有者として覚醒できる、能力を更に高める事ができるという触れ込みで薬が出回っているらしく、それがこの事件とおそらく関連性があるという話だった。
もっと簡単に結論から考えたほうが良いだろう。
直接的に言われてはないが、学生となり軍人としての勉強をし直しつつ、薬の売人に接触し囮捜査もどきの事を行なえということだ。
大佐は「一石二鳥な話だろう?」と問うてきたが、それはそっちの話で、当の本人からしたら良いように使われているだけに感じざるを得なかった。
かと言って、所謂リストラをされなかったことに感謝せねばならない。最悪の話、除隊を覚悟していたのだから拍子抜けというか、考えてみれば好待遇なのかもしれない。
「ああそうだ。寮にはなるが、あちら側に自室も用意してある。より現場的な話は、担当者から聞いてくれ」
最後にそう伝えられ、司令室を後にした。何とも言えない気分で首をひねりながら、聞きそびれていた疑問を桜にぶつけてみた。
「除隊処分とかそういう方向性の処分の可能性ってあったのか……?」
「まさか。軍が制有者を手放したら、そこらのPMCに持っていかれてしまいますから。特に先輩だったら引っ張りだこですよ」
PMC――民間軍事会社。制有者という稀有な存在をお金で囲み来い、巷で言うところの傭兵業を営んでいる。軍部にとって、制有者を引き抜かれる要注意な団体であるとともに、大規模な作戦においては必要不可欠な戦力となる割り切れない関係性にある。
ただこの質問の本質はそこにない。もう一つ、司令室に向かう前から引っかかっていた違和感があった。俺が重い足取りで向かっていた手前、退出してからの桜は部屋に入る時と顔色一つ変わらない。より前にさかのぼってもいい。ここ最近の彼女はどうも機嫌がよかったのだ。
桜が俺の行く末を全く案じていないと考えれば当然の道理ではある。しかし、あれだけ俺の命を案じていた彼女が……と考えると腑に落ちない。
この疑問を解決することに、意味があるのかと問われればないと答えるしかない。が、聞かないと気が済まないのだ。
「なあ桜、もしかしてこうなること知っていたのか?」
俺の前を軽やかに歩く桜にもう一度声をかけた。彼女は楽しそうな笑顔で振り向いて、一枚の紙をちらっとこちらに見せるのだった。今度こそ正しく既視感を感じるたなびく紙を、じっと目を細めて眺めてみる。
「桜美琴中尉、司令部直属00小隊への異動を命ずる……?」
「ふふ、またこれからもよろしくお願いしますね、中尉」
そんなわけで、後輩とともに人生三度目となる学生生活の幕が開けることとなった。




