7.懐かしい顔ぶれ3 ~白いマリモ~
その後、エディスの街へ続々とプレイヤーが訪れる。
概ね、街の人は彼らを暖かく迎え入れた。元々、冬に南下した冒険者たちが戻ってくる時節だ。何より、翼の冒険者と親しく声をかわす者がいるのだ。翼の冒険者に全幅の信頼を寄せるエディスの街の人からしてみれば、当然、優しい対応となる。
容姿を多少いじることができるゲームだったので、見目が良く、気前良く売り買いしてくれる存在は受け入れられやすいこともあった。
市場で客を呼び込む賑やか声、大道芸人、路上の絵描きや吟遊詩人たち、街は冬眠から目覚め、活気のある様子に様変わりしていった。
コラや街道で過酷な体験をしてきたプレイヤーたちは感激した。
シアンと言えば、体に良い食用植物から薬効成分のある植物へと採取をシフトしつつあった。ティオの機動力と、優秀なナビゲーションがついているお陰で集めやすいことから、しもべ団やフラッシュやザドクらパーティに渡す薬を作ろうと考えた。
この世界は過酷だ。
大怪我や死亡といった事象は、プレイヤーはペナルティを受ける程度だが、幻獣のしもべ団団員はそうもいかない。彼らがシアンを助けようと動いてくれるのであれば、シアンも彼らのためにできることをしたいと思ったのだ。以前、リムが酷い成長痛に苦しんで取り乱した際、天帝宮にいる幻獣が煎じてくれた薬が覿面に効果があったことも影響している。それほどの薬効を得られないにしても、シアンができる範囲で役に立てれば良い。
この世界では、医師は内科であり、外科医は床屋が兼ねた。内科医は大学で医学を修めた者が就く高級職のわりに、病人を外面から観察したのみで、薬の処方は薬屋が行っていた。外科でもある床屋は骨を接ぐといった医療行為の他、瀉血をも行った。それは悪い血を抜く、という考えの元、行われた。
風の精霊曰く、瀉血には医学的根拠はないとのことだった。
それに、動植物の知識を蓄えることによって、薬を作ることができるスキルが取得可能となったのだ。この世界の人間は日々研鑽を積んでいる。プレイヤースキルという異能は実に便利だ。狡いことをしている気がしてならない。
エディスで薬用として用いられている植物を、周辺の森や野原で探す。
その最中に、厚い葉が重なり合って花のような形をなした植物を見つける。
「ニーナさんの村では、雷避けや雪解けに効果があるこの植物を屋根に植えるんだって言っていたよ」
ニーナとはイレーヌ親子とともに以前、シアンたちが街道で魔物の襲撃から守った近隣の村の女性である。料理を習ったり野菜と肉を交換したりし、何かと世話になった。エディスへも時折収穫した野菜を売りに来ており、街の人への影響力もある。
『トマトのおばちゃんが?』
リムの好物であるから、とトマトを良くくれるので懐いている。
『これは火事や病を防ぐとも言われているね。葉には粘液質が含まれ、軽い火傷や虫刺されの薬にも用いられる』
風の精霊の説明に、ティオも一緒に覗き込む。
『このバラ科の落葉高木も雷避けとされる』
風の精霊が他に指し示したのは、緑の葉の上に赤い小さい実が幾つも鈴なりに成る植物だ。こんもりした濃い緑にくっきりと赤い色が映える。
『果実からは酒をつくり、樹皮を染料とする。樹液を下剤、膀胱炎に用いる』
『小さい赤いのがいっぱい!』
リムが実を捥ぎ、ティオが樹皮をはがす。シアンは樹液を集める。
他に、まっすぐ伸びた太い大きな茎から細長い葉が生え、頂上に下向きに咲く赤い花、その上から上向きに細い葉がいくつも生えた植物の地下に伸びる球根を採取する。
地面を掘ろうとするとぐぐぐ、と硬い大地が沈み込むように穴を開ける。大地の精霊が手伝ってくれているのだろう。
礼を言って球根を取り出す。
『ユリの仲間の薬草で万能の薬効があり、特に婦人病に効くと言われているね。主成分はフリチラリンなどのアルカロイドで、呼吸中枢を麻痺させる作用があり、咳を鎮め、痰を切る』
昔、死産を何度も経験した婦人がいた。不思議なことに毎回分娩直後に気を失ってしまう。この薬草を煎じて飲んだ後、ついに丈夫な子宝を授かったという伝説があると風の精霊が語る。
『婦人病にはこれも効く。成分はデンプン、タンパク質の他に、トリテルペノイドを含む。全草を薬用にし、「沢瀉」の名で賢炎、泌尿器系の結石、血尿に処方される。また、血圧降下作用も持ち、血中のコレステロール量も低下させる』
「ああ、それは激務やストレスで血尿、結石ができた人に処方したいところだね。過食に走った人とかにも」
風の精霊に教わりながら、薬効のある植物を採取する。と、その最中に棘が指に刺さってしまった。鋭い痛みを感じ、咄嗟に手を引っ込める。
「あっ」
指に血が丸く赤く盛り上がる。
「キュアァァァ」
リムが毛を逆立てて植物に唸る。
短い毛が静電気を起こしたように、丸みを帯びた体が全体的に膨らむ。触ると感電しそうな怒り具合に、シアンは戸惑った。過剰反応を見せるのは恐らくシアンが血を流したせいだ。
「リム、心配してくれてありがとう。でも、僕の不注意だから」
普段の様子に戻ったリムが飛んできて、シアンの怪我をしていない方の掌に頬をこすり付ける。
植物の種類は多く、どれだけスキルを上げても、ふとした拍子にこうしたことが起きる。シアンは血を拭いながら、自分の怪我を他人の方が心配してくれるくすぐったさと申し訳なさをこっそり噛み締めた。
薬作成に用いる植物を手に入れたシアンは他に必要なレシピや器具を手に入れるためにジャンの店やその他の店を調べて回ろうと街へ戻った。
「よう、やはりもう着いていたか」
スタンピードを共に食い止めたパーティのリーダーを務めるフィルがいた。
ザドクパーティに引き続き、フィルたちパーティもまた、エディスへ到着したようだ。
「お久しぶりです。フィルさんたちはいつエディスへ?」
「昨日着いたばかりだ。ザドクのところは一昨日だって?」
「はい。お会いしました。みなさん、元気そうでしたよ」
「アレンたちもそろそろやって来るよ」
フィルの後ろについて来た彼のパーティメンバーであり、回復役でもある女性オルガがそう教えてくれる。
「そうなんですね」
魔法職の女性ノーマと密偵で弓使いの女性マティがシアンの肩に注視している。そこには我関せずのリムがいる。そして、シアンの傍らにはティオが近づいて来るプレイヤーを睥睨している。
その他、名前も顔も知らない明るい茶髪、金髪赤毛、好き好きの髪色をした者たちがいた。それぞれが自分に似合う色合いを熟知している。服装も襟付き襟なし、丸首など様々で、上から纏った鎧は使い込まれている。多様に持つ武器も同じくだ。ゲームを楽しんでプレイしている様子だ。
フィルはなかなかの美男子で、金髪が似合っている。使い込まれた装備も堂に入る。
「リーダー、そいつが翼の冒険者とかいう名前で呼ばれているやつですか?」
「ああ、そうだ。お前、失礼だぞ。悪いな、シアン」
フィルとシアンの中間程の身長の痩せ気味の男が、不満そうな顔つきをする。痩せてはいないが、頬がこけている。太い眉が影を作っているせいか、やや暗い印象の顔立ちだ。
「こいつはうちのパーティメンバーでサブリーダーをやっているユアンだ」
「ここにいる全員がうちのメンバーよ」
オルガが示して見せるが、十人近くいる。
「多いですね」
「総人数の半分もいないけれどね」
そうだった。フィルの仲間はプレイヤー随一の数を誇っていた。
「それでも何とか、全員でエディスに来られた。予定の都合をつけるのが大変だったから、一気に減るのも当然だ」
パーティを組む際には現実世界と折り合いをつけるのが一番の問題だ。複数の人間のプレイ時間を合わせるのが最も難しいだろう。
「全員で? それは大変でしたね。確か、フラッシュさんやザドクさんのところのパーティと協力して国境の洞窟を越えたと聞きましたが」
「ああ、相当な人数での攻略になった。ザドクやアレンがいなければあの人数の管理することすら難しかっただろうよ」
「そんなことっ! リーダーがいれば大丈夫だったのに!」
フィルの言葉にユアンが反論する。
「まあまあ、うちのリーダーが優秀なのはみんな知っているから」
「そうそう、そんなに必死にならなくても」
「シアンは随分活躍しているようだな」
ノーマやマティがサブリーダーをいなす。褒められたフィルは露ほども誇る風情はない。
「すぐにそんなのうちが追い越しますよ」
評判になるのはうちのリーダーだと言うユアンに、オルガが肩を竦めて見せる。
サブリーダーを女性陣に任せてフィルはシアンとゼナイドの動植物やスキルについて話し始める。やはり、アダレードとは違う気候、景色、動植物に苦労することも多かった様子だ。
フィルたちパーティもまた、物慣れない旅人から巻き上げようと言う輩と遭遇したと言う。
繁華街で親し気に話しかけてくる者は女性とはいえ油断ができない。
装備を褒められたり、外国の話を聞かせてくれと言われ、相手のペースにはまっていく。長い時間を掛けて信頼させるケースも多いという。しかし、フィルたちプレイヤーは長い時をかけて信頼関係を築いている暇はない。
性急に他の友人にも紹介するからと酒場の一室に連れ込まれ、酒を飲まされ、ゲームで金品を巻き上げようとする。
「拙速で怪しすぎて、うちのメンバーは誰も引っかからなかったけれどな」
苦笑するが、質の悪い者に当たってしまえば、膨大な借金を背負わされて、人相の悪い屈強な男に囲まれ、凄まれ、ギルドに連れていかれて金銭を引き出すよう強制されることもあるのだとか。
「それに比べて、エディスは随分冒険者を暖かく迎えてくれるよ。これも翼の冒険者のお陰だな」
フィルの言葉に、サブリーダーの目が鋭くなる。
「確かに、異国であるが故の緊張や不安のなか、親し気に声を掛けてくる人間につい気を許してしまうことがあるかもしれませんね」
「ああ、他にも他国では高く売れると言われて、偽物の宝石や魔道具を買わされたり、店で押しと話術に負けて買わされた物が粗悪品だったりとかな」
シアンもトリスで外套を高い金額で売り付けられようとしたことがある。
そうやって話し込んでいると、女性の高い短い悲鳴が聞こえた。
「ひっ」
ティオがいつの間にかすぐ傍にやって来ていた女性とシアンの間に身を挟み、そちらへ視線を向けている。
「ティオ?」
『こいつがシアンを押し退けようとしたから』
阻止してくれたらしい。
「何かご用ですか?」
赤毛に近い金髪の女性に声をかけると、ティオに怯えていた女性がふんと鼻を鳴らす。可愛らしい顔立ちが台無しだ。
「貴方に用はないわ。こんにちは、フィルさん!」
「……こんにちは。俺は他の人と話の途中なんだ。用があるなら後にしてくれないか、サンドラ」
なかなかに気の強い強引な言動に、間を置いてフィルがはっきりと言い渡す。
「まあ、随分長い立ち話ね。喉が渇いたでしょう? 本当、気の利かない人ね。私と何か飲みに行きましょうよ」
ちらりとシアンに視線をやって、フィルの方に戻した顔は上気して優しい笑顔を浮かべている。
「あの子、昨日からずっとあの調子なの。リーダーを随分気に入ったみたい。サブリーダーがまたリーダーの活躍を熱く語ったから、すわ英雄か、って感じ」
サブリーダーをパーティの女性陣に任せたオルガがこっそりシアンの耳に囁く。リムの肩縄張りを犯さない思慮深さが見える。
力があり見目が良く、金払いが良いと揃えば、確かに女性の秋波を集めやすいかもしれない。昨日エディスに到着したばかりのフィルにこれほど積極的にアプローチしてくるのだから、パーティメンバーとしても戸惑いを隠せないのだろう。
「しかも、サブリーダーがシアンの悪口を吹き込んで二人で盛り上がっちゃったの。リーダーはあまりあの子のことを好ましく思っていないっぽいんだけれどね。ともかく、シアンのことを目の敵にしているのはうちの馬鹿のせいでもあるのよ。ごめんなさいね」
オルガの責任でもないのに謝罪する。どこの世も良識を持つ者が苦労させられる。
「あれでも、リーダーを補佐させれば右に出る者はいないのよ。うちのパーティでは、なんだけどね」
その自負があればこそ、アレンやザドクの補佐能力が発揮されると機嫌が悪くなる、とため息交じりでオルガが言う。
『シアン、あの黒いのの小さいのがこちらを見ているよ』
ティオの忠告に不自然にならないように周囲を見渡す。結構な人数で固まっているので、注目を集めている。もちろん、ティオの威容があるせいでもある。中には噂の冒険者だ、何事だと足を止める者もいる。その人ごみの中に、果たしてアリゼの姿を見つける。シアンと視線が合うと、すぐに踵を返して路地に入ってしまう。
『追いかける?』
「ううん、いいよ」
短く小さく言うと、ティオの頭を撫でる。ティオが喉を鳴らしながらシアンの腹に頬を擦りつける。
すると、サンドラが反射的に身をすくませる。そうさせられたことが業腹だとばかりに眉尻を吊り上げる。
「何よ、強い幻獣に頼ってばかりの軟弱者のくせに。フィルさんのように自分で剣を持って戦いもしない弱虫のくせに!」
「冒険者はパーティ間の厳密な役割分担でやっているんだ。知らない者が口を出すな」
すかさず、フィルが強い口調で諫める。けれど、それすらもサンドラからしてみれば、シアンのせいでフィルを怒らせたのだと言わんばかりだ。
「あんな言い方するなんて、リーダー、相当ストレス溜めているわね」
オルガが小さく呟く。相当に積極的な女性だ。フィルも持て余しているのだろう。
「対シアンにNPCを担ぎこむなんて、本当に、しょうのないサブリーダーね。リーダーに嫌われることばかりしちゃうんだから」
男の嫉妬はみっともないわ、と肩を竦める。
結局、その日は何かと時間を取られてしまい、ジャンの店へ行くことはできなかった。




