2.新しい試み/精霊たちと
ギルドの依頼に必要なだけ薬草を採取した後は、スリングショットの練習を行った。
風の精霊の助力を得ながら、木の実の中をくりぬいてハバネロの粉を入れたものを朽ち木めがけて撃つ。拡散される粉末が不自然に見えない絶妙な動き方で朽ち木に纏いつく。
『なかなか良いのでは?』
シアンが止めていた息をつきながら構えていたスリングショットを降ろすと、風の精霊が首を傾げて言う。
「十分だよ。すごいね、英知」
純粋な称賛に風の精霊は軽く胸に広げた掌を当てて微笑む。まろやかな曲線を描く頬がほんのり色づく。
『シアン、折角だから小ぶりの魔獣を生け捕りにしてくる』
実地で試してみようというティオにシアンは尻込みした。生き物に向けて攻撃するということに、忌避感を抱かずにはいられなかったのだ。
他のプレイヤーからしてみれば、なぜこのVRMMOゲームを始めたのだ、と言われかねない考え方だ。しかし、シアンとしては異世界旅行を楽しむつもりでプレイを始めた。強くならなくても十分に満足なのだ。シアンはこの世界でも滅多に会うことがない精霊たちから加護を得ることによって、上位存在となっていたが、そのことに関して自覚は薄い。
シアンが断る間もなく、ティオはふわりと大きな翼を広げ飛び立った。
その際起きた風に額の髪をさらわれながら戸惑って見送った。かと思いきや、すぐさま戻って来る。前足はしっかりと魔獣を掴んでいる。必死で逃れようともがいているが、ティオはものともしない。
シアンから少し離れた場所で高度を落とし、解放する。そのまま、シアンとは逆側に陣取り、魔獣が逃げ出さないように見張っている。高位幻獣であるグリフォンに向かっていく蛮勇はなく、ティオの思惑通り、シアンの方へと逃げてくる。
『シアン、来たよ!』
リムに促されて、シアンはスリングショットを構える。
暗赤褐色の背中、腹は白い毛に覆われているウシ科の動物に似た魔獣だ。
駆けてくる速度を考慮して放つと、魔獣の目の前の地面で木の実が着弾し、衝撃で軽く貼り合わせた殻が弾ける。
果たして、ハバネロ粉末は風の精霊が起こした風で舞い上がり、魔獣の顔へ直撃する。
『うん、ちょうどよい場所を狙い撃ちできたね。多少逸れても軌道修正をするから、今後、安心して撃っていくと良いよ』
ハバネロが目や鼻、口から体内に入り、粘膜を強く刺激したようで、魔獣がその場で飛び跳ねんばかりにもがき苦しんでいる。それを冷静に見定めながら、風の精霊が言う。
「殻が割れても、あんなに粉末が飛び散らないよね? 英知が風を操ったの?」
『いや、打ちだされた木の実の勢いがついているから、飛び散るよ。風で巻き上げはしたけれどね』
『辛~い』
離れていてもハバネロの粉末の影響を受けるのか、五感が鋭すぎるのも厄介な点がある。リムがシアンの傍らで顎を引いて鼻を両前足で抑える。目が潤んでいる。
「リム、大丈夫? 顔を洗う?」
『除去しよう』
風の精霊はすぐさまハバネロ粉末を取り除いてくれたようで、リムが顔を上げてシアンの肩に移動してくる。
「リムやティオは少量でも感知してしまうから、やっぱり拡散しないよう、英知に対象に固定するようにしてもらった方が良さそうだね」
リムの頬や首を撫でながら言うと、風の精霊に賛成される。
ティオも近寄ってくる。軽く地を蹴り、引き締まった筋肉が躍動感を持って波打つ。翼は畳まずに少し羽ばたかせているのはバランスを取る為か。滑らかな動きは音を立てない。
『シアン、上手くいったね』
「うん、ティオがこっちに追いやってくれたからだよ」
シアンの腹に頬をこすり付けてくる首を撫でる。
「ティオはハバネロの影響は受けていないの?」
『うん、ちょっと辛いけれど大丈夫だよ』
「少し早いけれど、ここで昼食にしようか?」
ティオたちが狩りに行っている間、シアンはこの原っぱで調理の準備を行うと言うと一斉に反対された。
『でも、ここはセーフティエリアじゃない』
『危ないよ、シアン』
『離れた場所にセーフティエリアがあるからそこへ行くと良い』
ティオとリムの他、風の精霊にまで促され、移動することにした。精霊の加護があるとはいえ、異類という異能や強力な攻撃手段を持つ存在が多くいる世界だ。気を抜いていた、と反省する。
離れた場所でもティオの背に乗れば、ひとっ飛びだ。
森の小さな切れ間に魔法陣が敷かれたセーフティエリアで人気はない。狩りに出かけようとするティオの傍らで、リムが中空で後ろ脚立ちして、前足を握りしめたり開いたりしながら、そっとシアンの顔を窺う。
「リム? どうかした? どこか痛むの?」
また体調が悪くなったのだろうか。リムは少し前、酷い体の痛みを訴えたことがある。二柱もの精霊の加護を得て体が早すぎる成長痛を味わうことになったのだ。シアンもまた、リムに対して過保護になっていた。
『ううん。あのね、ぼく、さっき言っていた焼きリンゴが食べたいの!』
「焼きリンゴ? 砂糖もバターもあるけど、オーブンがないからなあ」
アーモンドやくるみ、レーズン、シナモンすらある。材料は全て揃ってはいるが、いかんせん、バーベキューコンロで作れるだろうか。
「ダッチオーブンでできるかな?」
『俺も手伝う』
周辺の木漏れ日からまるで蛍のように光が舞い降りて集まってくる。一塊になった輝きはふわりと大きく拡散し、人型を取る。豪奢な黄金色の髪が首筋を覆う美丈夫が中空に浮かんでいる。襟付きのシャツを無造作に羽織り、太いベルトに細身のパンツ、膝まであるブーツを履いている。どこにでもある服装だが、細やかな金銀の縫い取りがされている。太い眉や大振りの唇が大らかな表情に似合っている。
『稀輝!』
姿を現した光の精霊に、リムが喜びの声を上げる。
「じゃあ、稀輝に手伝ってもらって、焼きリンゴ、作ってみるね」
『ありがとう、シアン! 稀輝!』
リムが満面の笑顔で礼を言う。
『ぼくは狩りに行ってくる』
『行ってらっしゃい!』
ティオにリムが前脚を上げて左右に振って見せる。
「あれ? リムは行かないの?」
『ぼくはシアンのお手伝い!』
「そう? 僕のことを心配してくれているんなら、大丈夫だよ? セーフティエリアだし、英知や稀輝たちもいるしね」
そう言ったものの、リムは譲らなかった。楽し気にリンゴの芯をくりぬいて細長く切ったバターや砂糖、レーズンやくるみ、アーモンドを詰め込んでいる。
シアンは早速手に入れたキャラウェイの種を風の精霊と光の精霊に頼んで乾燥してもらう。それをリムが準備したリンゴの中央部に加える。
「リンゴの表面に穴を開けておこうね」
「キュア?」
「そうそう、そんな感じ」
フォークの先端で軽く穴を開けていき、上から軽くシナモンの粉末を振り、ダッチオーブンで焼く。
その間にキャベツを一枚ずつはがし、鍋に湯を沸かして茹でる。リムがミンサーにかけた肉とみじん切りの玉ねぎを合わせてよく捏ねる。
この捏ねる作業をリムが手伝おうとしたので、シアンはふと思いついて風の精霊に頼む。
「英知、フェルナン湖の水の中に入った時のように、空気の膜でリムを覆うことはできる?」
『可能だよ』
「お願いしても良い? そうしたら、リムの体も汚れないし」
その後の言葉は呑み込んだ。シアンやティオは気にしないが、他者に供する料理にリムの体毛が入って入れば、具合が悪い。ドラゴンの毛一本が相当貴重な素材として取引されるとしてもだ。
ゆで上がったキャベツの内側に小麦粉を薄く振り、ひき肉を包み巻く。巻き終わりを下にして鍋に入れ、塩コショウ、西洋出汁、切ったトマトや作り置きのトマトケチャップを加えて煮詰める。煮込む間にティオが狩ってきた獲物を焼くための準備を整える。
テーブルの上にリムが食器を配置する。合間に光の精霊に焼きリンゴの焼き加減を尋ねる。
『稀輝、どう? ちゃんと焼けている?』
『ああ、大丈夫だぞ』
『うふふ、楽しみだね!』
浮き浮きと出来上がりを待つリムに、光の精霊が眩しい笑みを返す。
ティオが持ち帰ってきた獲物は羊に似た魔獣だ。
風の精霊が協力してくれ、ごく短時間で解体し終わる。切り分けた肉に、先ほど手に入れたヒソップことローズマリーや塩コショウ、そして効果の高いハーブ、ニンニクをおろして擦りこみ、両面を強火で焼く。
「ティオとリムが摘んでくれたハーブが良い香りがするね」
『美味しいね!』
リムが器用にカトラリーを操り、骨から肉を外す隣でティオが骨ごとかみ砕く。
『キャベツが甘いね』
『トマト味!』
ティオがロールキャベツを丸ごと嘴に収め、トマト好きのリムもご機嫌だ。
『トマトも挽肉もよく使うけれど、これはこれでまた変わった趣向で美味いな』
光の精霊も気に入った様子だ。半分に切り分けたロールキャベツを豪快に食べるが、何故か下品に見えない。そして、ティオと同じく熱い肉汁にも火傷しない様子だ。
『上にチーズをのせて焼いても美味しそうだね!』
『お、それも美味そうだな』
リムが言うのに光の精霊が賛成する。リムは教えられたものだけでなく、それを改良していくこともできるようになってきた。
風の精霊はと言えば、優雅な所作でカトラリーを操って食事をしている。傍らにワインがあっても似合ってしまいそうな風情だ。少年の姿をしていても、理知的で老成した雰囲気を醸しているからだろうか。
『キャベツが柔らかいの』
大地の精霊はフォークだけを用いて一口大に器用に切り分けて食べている。力加減もお手の物で、無用に汁を飛ばしたりすることはない。
「しっかり煮込んだからね」
『大地の精霊が頑張って育ててくれたカラムのところの畑のキャベツだよ』
ティオが狩りの獲物と引き換えに貰って来た野菜だ。トリス近郊の農場の主であるカラムはエディス近辺で狩った獲物を渡すと、珍しがって喜んでくれた。
ティオが誇らしげに言うのに、大地の精霊は目を細める。鋭い目つきは柔和に緩み、皺の多い顔を綻ばせる。濃い褐色の肌に硬そうな質の茶色の髪、身長はやや低めで、厚みのある体つきをしている。
なお、こうやって大地の精霊に精霊たちが助力してくれて嬉しいと告げるからこそ、精霊たちが進んでシアンやティオのために尽力するのだが、本人たちは気づいていない。
『焼きリンゴのリンゴもカラムがくれたんだよ!』
『そうなんだ。リンゴ、楽しみだね』
『うん!』
口元を汚しながらも、リムは満面の笑みで闇の精霊を振り仰ぐ。
慌てた風情で白い繊手を伸ばすが、触っても良いかどうか、と途中で迷わせる。太くもなく細くもない眉を下げる。
「深遠、これで拭いてあげてくれる?」
布を取り出して渡すと薄い唇を綻ばせる。リムもまた口元を拭いてもらい、嬉し気だ。闇の精霊と光の精霊に世話してもらうのも世話するのも好んでいる。
精霊たちが使用しているカトラリーはリムのものを購入した際、あまりにも見事な逸品だったので、大人が使用する大きさのものを四揃え購入できないかとディーノに相談して手に入れてもらったものだ。何となく、誰が使用するか察せられたようで、すぐさま用意してくれた。
「深遠、そのカトラリー、使いやすい?」
『うん。前のよりも扱いやすいよ』
『鉱物の扱いを熟知した職人の技だの』
闇の精霊の言葉に、大地の精霊も首肯する。
「良かった。魔族の商人にそれを注文したのだけれどね、たぶん、きっと、深遠が使うということに気づいていたんじゃないかなって思うんだ」
『闇のも気に入ったようだし、魔族も本望だろうね』
風の精霊の言葉に頷く。
「うん、きっと喜ぶと思うよ」
いつも良くしてくれると続けると闇の精霊もそれは良かった、と応じる。
『ぼくのもディーノのところで買ったんだよね!』
リムが前足で器用に掴んだカトラリーを前に突き出して見せつける。
「そうだよね。リムの扱えそうな小さなカトラリーがあまりに見事なものだったから、深遠たちのものも新調したいなって思ったんだよ」
『では、魔族がリムに良くしてくれたおかげだね』
『ディーノのお店でね、ブラシも買ってもらったの! ティオとぼくのブラシ!』
マジックバッグを取りに行こうとする素振りを見せるリムを止める。
「リム、後で見せようね。ほら、もうすぐ焼きリンゴが出来上がるよ。ご飯を食べてしまって」
『そうだった、焼きリンゴ!』
楽しみを思い出したリムが慌てて目前の皿の攻略を再開する。
ダッチオーブンの蓋を開けると、ふわりと甘い香りが漂う。
『わあ、甘い匂い!』
切り分けて皿に盛り、配る。給仕を手伝うリムの長い尾がゆらゆらと揺れている。
焼きリンゴは甘さが増して食感が柔らかい。くるみやアーモンドで触感が変わって歯ごたえもある。
「リム、焼きリンゴはどう?」
カトラリーを操るのももどかしく、さっそく頬張り、せっせと咀嚼するリムの様子をしばらく眺めて尋ねる。
『柔らか~い』
食感の大きな変化に驚いて目を丸くするリムに、忌避感のなさを見取って気に入ってくれたのだと嬉しく思う。
『リンゴがもっと甘くなっているね』
ティオがこれは本当にリンゴなのか、という風情で一口食べた後、矯めつ眇めつする。
『何だか、ふにゃっとしているな』
『でも、くるみやアーモンドで噛み応えは十分だよ』
切り分けたものの、大きい一切れをそのまま口に放り込んだ光の精霊の感想に、闇の精霊が笑う。
『シナモンが良いアクセントになっているね』
『それもカラムがくれたんだよ! ね、ティオ』
風の精霊にリムが元気よく答え、ティオに同意を求める。ティオは誇らしげに頷く。
大地の精霊はそれを莞爾として眺めている。
すっかり食べ終わった後、カトラリーをテーブルに置いて、シアンは居住まいを正した。
「英知、雄大、稀輝、深遠」
精霊たちの名前を呼ぶ。みんな、シアンが付けた名だ。
それぞれ美しい輝きが宿る瞳がシアンに向けられる。
「一角獣を助けてくれるよう、水の精霊に頼んでくれてありがとう」
言って、頭を下げる。
思い返してみると、シアンから精霊四柱に同時に協力を求めたのは二度目のことだ。一度目はリムが苦しんでいた時だ。
『私たちは君の力になれることが喜びなんだよ』
『深遠の言う通りだな』
『お主はもうちっとわしらの力を頼っても良いのじゃよ』
シアンが顔を上げると、口々に言う。
『私たちは君が進む初めての視点をともに分かち合いたいと願っている。君となら研鑽を積んで英知を極めて行けると思っている』
心までもを見透かされそうな、万物を見通す理知的な眼差しを向けながら、風の精霊が静かに語る。
『わしもじゃよ。自分が果てしなく広がっているがために、そのことを忘れておったがの。雄大な景色を共に楽しんでおるのじゃよ』
風が木々を揺らす摩擦や落雷により生じた炎に、育んだものを奪われても、ただただ産み育て死にゆく生命のサイクルを助け、共に在る懐の深い大地の精霊がしみじみと言う。
『そうだ。シアンはただ、稀なほどに輝く眩しい途を行けばいい』
その輝きのごとく、刹那的で永遠である二律背反を抱く、鮮やかで潔い光の精霊が短くストレートに告げる。
『私は容易なほど理解ができない、深く遠い存在かもしれないけれど』
自信無さげに自らの性質を話しながら眉尻を下げる闇の精霊に、吐息交じりの笑いを漏らす。
「そうだね、新しい世界というのは簡単に理解できない遠い場所なのかもしれない。でも、だからこそ、どんなところなんだろうって、わくわくして心躍るね」
『ぼくも! ぼくもみんなと一緒に色々やってみたい!』
『ぼくも一緒にいたいな』
リムとティオも加わった。
彼らがいればどこまでも行くことができるように思う。無窮を越えてどこまでも。




