42. 囚われの幻獣4
グロテスクな表現を含みます。
ご注意ください。
※苦手な方は、中盤当たりの赤い玉を取り出した後、
30行程を読み飛ばしていただいた方が良いかもしれません。
重い扉の音を響かせてやって来たのは第二王子と従者、そしてもう一人の男だった。ギデオンより少し年上で白い肌がまるで血が通っていない風に思えるほどだった。高い鼻に薄い唇だけが赤い。黒髪を鼻梁に向けて流し、額の両端部分を短くしている。そのため、白い頬はよく見えるが、目元に影を作っている。直線状の眉は眉尻にかけて高く傾斜をつけ、目のカーブの頂点に当たりそうなほど近い。前髪と眉のせいか、暗い目をしている。
「どうだ、気分は? そう悪くない所であろう? 少なくとも静かな場所だ」
ギデオンが三日月の笑みをはりつけたまま親し気に声を掛けてくる。
シアンが無言で同行者の新しい人物を見ていると、ギデオンがそうだった、と大仰に頷く。
「こちらは初対面だな。紹介しよう、彼はマティアス。君の招待に成功したと言ったら、ぜひとも会いたいと願われてな」
「只今ご紹介に預かりました、マティアスです。以後、お見知りおきを」
優雅に一礼する。
「マティアスはね、随分君に会いたがっていたのだ」
「巷で噂の翼の冒険者たちにね。だが、中々手ごわくて。あのグリフォンはもちろん、小さい幻獣も随分気配に敏いから、距離を取っての監視すらできなくて困っていたんだよ」
マティアスは品の良い顔に笑顔を浮かべるが、うそ寒い気分になる。
「そんな時、小さな人型の異類の村を見つけてね。ちょうど非人型の異類に襲われているところだったんだ」
シアンは息を飲んだ。ゾエのことだ。そして、シアンの様子を観察していたマティアスは笑みを深くする。
「そうなんだよ。惨事だった。だから、立ち寄ったんだ。もっと大ごとになるよう微力を尽くそうと思ってね。そうしたら、村人から面白い話を聞けたんだ」
この眼の前の男が、エヴラールが言っていた異類をけしかけていた人型異類だ。
なんてことだ。幻獣のしもべ団新入団員の仇のうちの一人がここにいる。
「君は異界の眠りという縛りのある異類の一種なんだって?」
言いながら、マティアスは軽く曲げた人差し指の第二関節で眉をかく。
「なんだと? 人間ではなかったのか!」
ギデオンが異類と聞いて眉を顰める。その様子から、マティアスが異類であるということを知らないのではないかということが予想された。
ギデオンの様子を気にせず、マティアスが説明を続ける。
長時間睡眠や、眠っている間は何ものをも寄せ付けず、何があっても起きることはないということ。最近異界からやって来た異類で、もう少し後になったらゼナイドにも増えるということ。
「色々教えてもらえたよ。教えてくれた彼は残念ながら非人型異類に食べられて死んでしまったがね」
マティアスの何ものをも寄せ付けないという言葉に、心当たりのある一角獣が彼とシアンとを見比べる。
けれど、シアンには一角獣を気遣っている余裕はなかった。
村人から売られたと聞いて心が痛む。おそらく、目の前の異類の男は簡単にその村人に非人型異類をけしかけたのだろう。助かりたい一心で話した村人に感じたのは明確な怒りでも悲しみでもなかった。ただただ、やり切れなかった。彼は無残に殺されたのだから。
彼を伴った王子はこの事実をどこまで知っているのだろうか。
「たまたま立ち寄った辺鄙な村で、実に有用な情報を得ることができた。しかし、君にはおいそれと近づけない」
そこで言葉を切ってマティアスは楽し気にほくそ笑んだ。しかし、シアンは一向に同じく楽しい気持ちになることはできなかった。
「そこで、コラ近くまで行って、君と同じ異界の眠りを持つ異類を探して、彼らで代わりに実験をしたのさ!」
シアンは呆気に取られた。目の前の異類はプレイヤーを捕まえて被検者にしたのだと言う。
「異能というのは実際どういうものか目の当たりにしないと百聞は一見に如かずだからね。そこで知り得た情報も面白いものばかりだったよ。まず、他者を寄せ付けぬ異界の眠り、けれど、囚われていたらどうしようもない。たとえば、ここみたいな塔や館の一室に、ね。また、眠りから覚めて少しの間も干渉を受け付けない。肝心なのは、ずっとそうってわけじゃないということさ。これを知っていれば、後は簡単だね」
捕まえるのに苦労しなかった、と肩を竦める。
「そして、今、君はこうして捕えられたまま、だ」
にたりと笑う。
第二王子はその地位の高さの割りに、話の主導権をすっかりマティアスに渡しっぱなしだ。
「そこで、君には特別ゲストを用意したんだ」
言いながら、懐から緑色の丸い玉を取り出す。それを勢いよく床に叩きつける。軽い破裂音がして、中に入っていた粉末状のものが部屋中に拡散する。
咄嗟に息を止めた。
『大丈夫、人体に影響はない。何か呼び寄せる目的だろうね』
風の精霊が発する言葉にも顔色を保つ。呼吸のリズムをコントロールする。
「ゲスト?」
「そうだよ、もうじきやって来る。気を確かに持ってね。ちょっと見た目がアレだから」
ギデオンはそそくさと戸口と一角獣の中間位の位置に移動する。
シアンは不安になって風の精霊の方を向きたくなったが堪えた。マティアスはシアンを観察している。ちょっとした目の動きだけでも何かを悟られるだろう。話の内容による顔色の変化だけでなく、仕草や指の動きからだけでも、そこに何の意味があるか探られる。
一種の緊張状態が続いた。
『近づいて来るよ。非人間型の異類だな。成人の半分ほどの体長かな』
「来たようだよ」
マティアスの言葉にギデオンが身を震わせる。従者は身じろぎして身構える。
濡れた毛布か何かを引きずるような音がかすかにする。複数あるように思えた。
「ひっ」
ギデオンが短い悲鳴を上げる。
マティアスが戸口を広く開けるために壁際に寄る。ギデオンは体を壁に押し付け、少しでも入ってきたものと距離を置こうとした。従者も戸口から離れる。
流線型の厚みのある細長い体の半分を鎌首よろしく持ち上げ、残り半分を蠕動させて移動する。殻のない厚さが増したカタツムリのようだ。うねうねと蠢く軟体動物の体にはオレンジと黒の縞が頭の先から尾まで長々と続いている。それが数匹、次々に入ってくる。
体長は成人の半分ほど一メートル足らずで、その半分を床に引きずり、人の膝辺りに頭がある。
それほど大きくはないが、狭い部屋に入ってくると距離感が近い。
「彼らは大食漢でね。手あたり次第食べるんだ。一斉に対象に向かってくれたらいいんだけど、中々そうもいかなくてね」
マティアスは仕方がない、とばかりに肩を竦める。
「さあ、ショータイムだよ」
マティアスは再び懐から玉を取り出した。今度は赤い。床に投げつけた。破裂音の後、中の粉が部屋中に飛び散る。
『非人間型異類が急激に興奮している。食欲増進というところかな』
軟体動物の鈍重な体、顔の前が大きく膨らんだ。見る間に、半透明な青色の椀型の口が突き出される。中に歯がびっしり生えている。そして、共喰いが始まった。
「彼らは自分と同等かそれよりも大きい体つきの動物を食べる。一塊になっているとすぐ傍のもの、同族だろうと何だろうと食べるんだ。食いしん坊だろう?」
マティアスの呆れた表情が滑稽だ。
なぜなら、眼前の光景はそんな軽々しいものではなかったからだ。
体を∩字状に、大きな椀形の口を振り下ろすようにして獲物に食いつく。
シアンは呆然と閉じられた青い椀の狭間から、飛び出た体の先がびちびちと跳ねるのを見つめていた。ぎーぎーと軋むような耳障りな音はこの生物の悲鳴か。柔らかい体が大きく小さく伸縮するのは同輩を噛み潰しているからか。
柔らかい肉がつぶれる音と水音がまじりあうぐちゃぐちゃという音がするだけで、周囲の者は身じろぎ一つしない。
それは恐怖も痛みも、断末魔も騒々しく鳴り響いている光景だった。
捕食者が次の瞬間には餌となり、椀形の口で襲い掛かるタイミングで生死が決まる。
とんだ殺戮ショーだ。
刻一刻と数を減らす。
最後に残った一匹が咀嚼するように体全体を伸縮させる。ふと食事を味わうのを止め、触角が何かを探す風情でせわしなく動く。黒い筋と同化していて気づかなかったが、触角があった。
つい、とシアンの方を向く。目はないが、その分、触角などで感知するのだろう。
獲物として目標設定された。
その大口がシアンに向けて開かれる。腕の内部にはびっしりと四重の円を描く細かく鋭い歯が生えていて、そこには先ほどの獲物の血や肉がこびりついていた。中にはまだやや大きい破片が残っている。椀の曲線から血が滑り、粘着質な液と混じって赤い筋となって下部分から滴り糸を引く。
強制ログアウトしそうだ。
普段、ティオやリムの狩りを見ているシアンですら、気の遠くなる光景だ。胃の奥から酸っぱいものがこみ上げてくる。
「君は殺さずに弱らせるだけだよ。彼ももうお腹もいっぱいになったしね。そのために複数用意したんだ」
共食いさせるために複数用意したという。感謝しろとでも言うのか。シアンのその表情を見てマティアスは笑い出す。
「そうだよ、この有様を見せつけるために複数用意したんだよ。だって、君たちは精神に大きく左右される異類のようだからね」
この共喰い殺戮ショーがシアンの心を折るためそのものだと告げる。
的を射ている。精神のみがこの世界へやって来ているのだから。しかし、それを知るためにどんなことをしたのか。怖気が走る。
「本当はもっと違う異類を使いたかったんだけど、仕方ないよね、君の同類で試したのがこいつだけなんだ。時間がなくて試行錯誤することができなくてさ。今度はもっと色々実験してみたいな」
目の前の非人型異類の口椀にこびりついた血肉が、プレイヤーのもののように錯覚した。吐き気がこみあげる。
「体の一部は食べられちゃうけど、大丈夫、そうでもしないと寄生虫を入れられないから。弱らせないと。君は随分強いみたいだから、干渉しにくいんだ。その分、痛い目に遭うんだから、力があるなんて、悲惨だよねえ」
そう言ってマティアスは更に笑う。
何を言っているのか意味が分からなかった。
「まあ、巻き添えを食らった君の同類の方が災難だったかな? 本来の目的は君だ。彼らはその足掛かりにしかすぎないからねえ」
シアンを意のままに操るために、他の者で新しい異類としての特殊能力を測ったというのか。罪悪感を植え付ける物言いに神経を逆撫でされる。
「でも、世の中そういうものじゃない? 踏み台によって支えられているんだよ」
昏い目をする。一貫して愉悦に満ちた、正しく実験成果を誇る研究員のような雰囲気が一変した。
「そして、君も踏みつけられるんだよ。助けに来るグリフォンと小さい幻獣が必要なんだからね。君はその餌になるのさ。一角獣はもはやいらない。グリフォンたちを今度は力の根源とするのさ。そうすることで国が豊かになる。本望だろう、翼の冒険者」
「貴方がゾエ村に異類を連れて来たんですか?」
聞きたいことはあり過ぎるほどにある。真っ先に確認したのは新しい幻獣のしもべ団団員の指針に係わることだった。
「たまたま襲われている場面に出会ったので、騒ぎをちょっと大きくしただけだよ」
黒ローブが起こしただろう災難に乗っただけということだ。黒ローブのことは黙っておくことにする。そちらと手を結ばれたり興味を持って攻撃されたりしたら大ごとだ。シアンは彼らをぶつけ合うという手法を思いつきもしなかった。それで正解だ。得体のしれないもの同士、どういった動きを見せるか分からないものを下手にぶつけ合わせるのは予測不可能な危険を伴う。双方、手段を選ばない酷薄なものたちだ。
それにしても、目の前の異類は王子とどういった関係なのだろうか。マティアスが心からゼナイドのことを考えているとは思えない。他に何か行動原理があるのだろうか。
「貴方も王子殿下と同じくゼナイドのことを心から憂いているのですね」
シアンの言葉に鼻を鳴らす。その様子にギデオンが戸惑いを見せる。
「マティアス?」
「私はね、囚われの幻獣、その力が枯渇しているっていう話に興味を持ったんだよ。その代わりを探すっていうのにね。最高じゃない? 一国がたった一頭の幻獣の力で切り盛りしているなんて! なんて滑稽なんだろう! それで国王でござい、って大きな顔ができるんだよ!」
大きな身振りで両腕を広げ、頭を天井に向けて笑い出す。
「貴様っ。不敬だ、控えよ」
従者が声を発する。しかし、目の前の惨劇に長らく言葉を発していなかったので、かすれて迫力はなかった。
「そんな、まさか、隣国から私の評判を聞いてわざわざ訪ねて来たのではなかったのか」
ギデオンが戸惑う風に数歩後退してマティアスから距離を取る。マティアスが上向けていた顔をゆっくりと戻す。目が血走っていて、こめかみ辺りの皮膚の下に何かが蠢いていた。
シアンをここまで導いたシリルの友人と同じ反応だ。背中を何かが這いあがる感覚までもが蘇る。
「殿下の話を聞いてわざわざ他国からやってきたのは本当ですよ」
「では、何故そんなことを言うのだ!」
ギデオンが癇癪を起して喚く。こめかみが波打っている。
「私は元々、ゼナイドの片隅の小さな村に住んでいましてね。国のことを思って進言をした父を疎んだ国王によって、非人型異類をけしかけられ、私たちの住んでいた村を滅茶苦茶にされたんですよ。生きている者も、作り上げた物も、何もかもぐちゃぐちゃに壊されました」
昏い目がぎらりと光る。白い顔は青みがかっている。
「体が小さい子供だった私だけが狭い地下収納庫に身を潜めて隠れていることができました。でも、空気穴があった。だから、悲鳴も肉を噛み千切る音も血を啜る音も全て聞こえていた!」
ゾエと同じことを間近で聞いて感じていたと言う。黒ローブはゼナイドで昔あった出来事を再現して見せたのだろうか。それをこの人型異類が煽った。
「その時、思い知らされたんです。これが有効手段なのだと。どんなに高邁な思想もあの圧倒的な光景の前では塵あくたに等しいと。これこそが誰も避け得ない出来事なのだと。それを悟ったからこそ、私もその手法を取ることにしました。私は全て失った。その私が同じことをやって、誰に責められようか!」
芝居がかった仕草で腕を差し伸べて見せる。絶句するギデオンに鼻を鳴らし、シアンに向き直った。
「全て人任せのゼナイド王族は濁った魔力が湖に流されていることも気づかなかったんだよ。そこの一角獣が長年閉じ込められていた恨みをこじらせて魔力が捻じ曲がってしまった。それもそうだよね。こんな他力本願極まる願いをずっと叶えてやっていたのに何の対価も支払わずにのうのうと暮らしているんだ。それでも使い道があるなら、と一角獣を生かしていたけど、こんなものが釣れるとは」
と、シアンを見る。
血走った眼は正しく狂気に彩られていた。
多感な時期に目の当たりにした圧倒的な暴力によって、何かが大きく歪められたのだと、思わずにはいられなかった。