41. 囚われの幻獣3
『本当に近づけないんだね。透明な弾力性のある壁みたいなのがあって、魔力も通らなかった』
ログインしてシアンが身じろぎすると、一角獣が声を掛けてきた。
「ごめんね。もう、壁はないから。自由に動いてくれて良いよ」
ただでさえ、こんなに狭い場所に閉じ込められているのだ。可動範囲が狭まって、狭苦しい思いをさせてしまった。
『君も閉じ込められたのには変わらないのに、お人よしなんだね』
鼻息交じりで言われる。馬鹿にしたのではなく、仕方ない人だね、というニュアンスを感じ取る。
『ここに閉じ込められているのは退屈だろうから、昔話を聞かせてあげるよ』
それは、ゼナイドの国境を越えた後、風の精霊がしてくれたお伽噺に似たものだった。
フェルナン湖の畔は寒い地方なだけあって、他の幻獣があまり立ち寄らないので気軽にやって来る穴場的場所だった。おまけに、痩せた土地で人や獣の姿も少ない。
一角獣は雄々しく勇敢で、それだけに時に猛々しい。だから、他の存在のいない息抜きをできる場所というのは貴重だった。
時折湖にやってきていた幻獣は人間の小さな女の子が湖に身を沈めようとしているのを見つけた。
口減らしかと考えた。
自ら湖に沈む少女を変なヤツと思った。
水中でもがき苦しみ、結局湖の上に浮いてきて、慌てて岸にたどり着いた。仰向けになって荒い息を吐きながら泣き出した姿を中空で観察していた。
息が整い、ようやく周囲が目に入ってきた少女は自分を見ている一角獣に気づいてぎょっとした。が、次いで笑顔になった。身を起こして居住まいを正す。
「さあ、この身を捧げます。食べてください。そして、この国の民を救ってください」
などと言いだした。
『嫌だよ、なんで救わないといけないの? 別に食べたくないし。第一、食べたとしてもそれは君が弱いから食べられるのであって、なんで我が救わなくちゃいけないの?』
そう言うと、蒼白になる。
「それはそうですけど、でも……、ああ、私はどうしてちゃんと湖に沈むことができなかったんでしょう。このままでは民が飢えて死んでしまうのに」
顔を手で覆ってさめざめ泣いた。今しがた散々濡れたのに、また水にまみれるのか、水が好きなのかな、と考えた。
その後にも、一角獣が自分を食べないと知った少女は再度、水に囚われようとした。初めは、自分の聖域と決めた場所で自決するなど、腹立たしくて、その速い足でもって近づき、強靭な歯で襟首をくわえ、驚いて硬直するのを良いことに、岸に放り投げた。
ぼすん、と水を吸って重くなった服がクッションになって草地に落ちた。呆然と濡れた前髪の隙間から自分を見上げていた表情を今でも覚えている。
『何だよ、随分痩せっぽっちだな。そんなだとすぐに風邪ひくぞ』
人間はちょっとしたことで病に掛かる、特に風邪は万病のもとだと自分とは種の違う一角獣が言っていた。そいつはおっとりしていて薬学に詳しい。自分とは性格が正反対だからか、楽に付き合えた。これがあの小うるさい鳥や妙になれなれしいが何を考えているか底知れない白いのだと大変だ。まあ、気が置けない付き合いができると言えなくともないのだけれど。
他所事を考えていると、自分を助けてくれたと思い違いをした人間の子供が、救助の礼を言って、自分の事情を話し始めた。
どうでも良かった。
自分の縄張りを汚されてほしくなかっただけだ。
生きるために戦い敗れることは何の瑕疵もない。自決は別だ。
あののんびり一角獣は他者を傷つけることすら厭うが、自分は猛々しい一角獣だ。戦いを憂いたりはしない。
ごちゃごちゃ言っていたが、自分はこの痩せた国の王女で、厳しい冬の災害が和らぐように、少しでも民が食べられるものが手に入るように、と願って命を投げ出したのだと語った。
間違った方向に努力して、しかも、他力本願である。自分の身を易々と投げ出して後は力のある存在によろしく、ってそんな都合の良いと告げると、ではどうすればと泣かれた。
泣きながらも、一角獣のすげない言葉にもめげず、そうか、そうですね、と自分の手で民を救うことを目指した。
他の人間のために根拠のないことをする王女を変なヤツと思っていた幻獣は少しずつ惹かれていった
なんだかんだ言いつつ、一角獣はそこに留まり、彼女と会話した。いつの間にか、彼女は成長して、少しずつ、ジャガイモの苗が育ち始めたと嬉しそうに報告した。一角獣が痩せた土地でも育つ苗を教えてくれたおかげだと礼を言われた。天の宮の幻獣たちに教わったことをそのまま伝えただけだから、一角獣の手柄ではないのだが、そこは黙っておいた。
彼はほんの少し力を貸しただけだ。でも、そうやって少し、もう少しと貸すうちに、まあ手伝ってやってもいいかなと思うようになった。寒いといけないからと城の近くの地下に秘密基地を作ってそこで会った。一角獣はさほど寒さは感じなかったが、少女は寒さには弱いだろうから、と大人しくついて行った。
いつしかそこに、力を与えてくれる一角獣のためにと塔が建てられた。誰も住む必要がないので、部屋のない、でも、空が見える筒の塔だ。ここを通して、一角獣の力が吹きあがり、国中へと拡散される、と子供みたいに目を輝かせて王女が語った。もうその時は小さい子供ではなかった。
『あの子がいなくなっても、愛した国が豊かになればいいと思って、魔力を流し続けたんだ。なのに、我の力のせいで、望まぬ結婚を強いられていたなんて』
愕然とする一角獣は初見の者を威嚇する刺々しい気持ちが消え、意気消沈していた。
つらつら過去を語った後、でも、今まで頑張ってきたことが全て無駄だったとは、と嘆く。
「無駄などではないよ。だって、王女の望みをかなえたのだから。君はきっと彼女の希望だったよ」
『希望……、そうかな』
「そうだよ。自分が愛した祖国を君が守ってくれていると思ったからこそ、王女様は異国の地で頑張れたのではないかな」
断定せずに自分の考えとしてシアンと名乗った冒険者が語る。そんな考え方もあるのだな、と心の奥から暖かいものが沸き起こる。
あの第二王子という男が王女王女とうるさく連呼するのには辟易したが、目の前の易々と捉えられた冒険者というのが王女様と呼ぶのは何故だか心地よかった。
『君は翼の冒険者と呼ばれているの。翼はないみたいだけれど、どうしてそう呼ばれているの?』
久々に人間に関心を持った。彼女以来かもしれない。考えてみれば、一人の人間との出会いによって、その他大勢の人間のためにこうやってせせこましいところで日がな魔力を送っているのだ。自分は実は律儀なのかもしれない。
「僕も幻獣の友人がいるんだよ。グリフォンとドラゴンが。とても優しくて頭が良くてね。意思疎通もできるんだよ。そういえば、君の声は当初から聞こえていたね」
『そうだよ。彼女と話すために、人間と意思疎通できるようになったの』
小さく首を傾げて優しく笑う。一角獣と彼女のことを言っているのに、まるで自分のことのごとく嬉し気だ。その柔らかい空気が気に入った。
「君たちは本当に好きな人のために色々なことを身に着けるんだね」
『グリフォンとドラゴンも?』
「そうなんだよ。力も強いし色んなことができるよ。でも、僕が一番だと思うのは音楽をすることかな」
心の底から楽しそうに話す。その様子に興味をそそられた。幻獣の友人だということにも心の垣根が低くなる。
『音楽?』
「そうなんだよ。グリフォンはね、ティオと言うんだけれど、太鼓を叩くのが上手なんだよ」
『グリフォンが太鼓を叩くの? それ、本当?』
驚いて本当かと言ったものの、それが真実なのだと信じられた。すっかり、目の前の人間の言葉を信じる気持ちになっていた。だって、コイツは幻獣のことを話すのにこんなに優しい顔になる。
『本当だよ。彼の力でも傷つかない特別製の太鼓を貰ったからね。それと、ドラゴンは生まれたばかりでまだこんなに小さいんだ。タンバリンが上手で、滞空しながら踊るんだ。とてもとても楽しそうなんだよ』
ドラゴンの体を表すのに、戒められた腕ともう片方の腕を動かし、両方の掌を向かい合わせる。
そうしながらも、ドラゴンが躍る姿を思い描いているのか、話す当人こそが楽しそうだ。
彼の話を聞いているうちに、くるくると踊る彼女の姿を思い出した。ダンスはたしなみのために習ったが、踊る場面がないとちょっと悲しそうにしていたっけ。本当に貧乏な国なんだなあ、王女様がダンスを披露できるようになるくらい豊かな国にしてやろうと思った。
そう語ると、そうなんだ、と頷いた。人の思い出に何らかの評価じみた嘴を挟んでこないのも心地よい。
「僕がね、ちょっと事情があって音楽をうまくできない時があったんだ。でも、ティオと出会って一緒に音の調和を感じることや、リムが音楽が楽しい、って体全体で表しているのを見て、僕も思い出すことができたんだよ。音楽は楽しくて美しくて、僕が共に歩んでいきたいかけがえのないものなんだって」
『聴いてみたいな』
思わず漏れた言葉は小さくて、シアンに聞き返された。
『ううん、何でもない。それより、音楽をうまくできない時があったって、なんで?』
シアンは淡々と語った。罹病した妹に八つ当たりされ、勝手に行く末を決められたこと、両親も諫めるどころか、言うことを聞けと言わんばかりだったと話すと、一角獣は怒り心頭となった。
『何だよ、それ! 勝手なことばかり言って! 演奏するのはシアンなのに!』
怒りながら言う一角獣を呆気に取られて見ていたシアンがふと微笑んだ。
『ちょっと、君、なんでそんな風に笑っているの!』
「うん、前は全然笑えなかった。音楽が楽しいものだということすら忘れていたし、苦しかったし、怖かった」
笑顔に文句をつけると、あっさり肯定された。
「でも、君がそんなに怒ってくれるのが嬉しくて」
そう言われてしまえば何とも言えなくて、口の中で言葉にならないことをもぐもぐと呟く。
「それに、あのことがあったから、ティオやリムと出会えたし」
シアンにこれほど大切にされているグリフォンやドラゴンが羨ましかった。自分を大切にしてくれた人間はもはや遠い存在だ。
「こうやって君と出会えて、代わりに怒ってもらえたしね」
驚いて顔を見やると、特別なことを言ったという意識はなさそうな風情だ。あの時ほしかった言葉を言ってくれてありがとう、と微笑む。
室内はなぜかうっすらと明るくて、それが妙に気になった。魔法を使用した形跡は感じられないので、シアンが何らかの特殊能力を持っているのだろうかと思っていた。その僅かな光源の中でも眩しいくらいの笑顔だった。
そんなに酷い目にあったというのに、こんなに呑気なことを言うなんて、本当にぼんやりだ。その上、お人よしすぎるときている。こんな人間を放っておいては危ないと思った。自分が付いて行ってしっかり見張っておかなくては誰に酷いことをされて心を痛めないとも限らない。
「ティオとリムと湖の調査もしたんだよ。一角獣の君がいたら水の浄化も早かったかもしれないね」
一角獣は水を浄化するんでしょう、と無邪気に言われ、高ぶった気持ちが急にしぼんだ。
『うん、そうだよ。我は水の精霊の眷属だからね。力を与えられたんだ』
稀にしか会うことができない精霊と会い、水の属性を得たことは自分の誇りだった。しかし、永の虜囚はいつしか恨みの念が募り、魔力を濁らせた。一角獣の角は毒が混じった水さえも浄めることができる。誇り高い幻獣であることに自負を持っていた。だからこそ、自分の魔力が濁っていることに絶望した。そして、そのままなくしてしまおう、この濁った魔力ではこれ以上、人間の暮らしを豊かにできない、と湖に漏らしていた。
本来、一角獣は気性が荒く勇猛な気質だ。狭い場所に閉じ込められ、時折彼女の血族がやって来ては力が枯渇しつつあると言葉の毒を浴びせかけて来ることに、嫌気がさしていた。王族の言動から、そう遠くない未来に魔力を得ることができなくなる一角獣の衰弱死を待っていることを肌で感じ取っていたこともある。貢献してきた国に死を待たれている。たまらない気持ちになった。
第一、来るのは清い乙女とは全く異なる者たちばかりだ。
しかし、理由はどうであれ、そんなことをしでかした自分を、シアンが受け入れるとは到底思えなかった。
「どうかした? 具合でも悪い?」
急に黙った自分を心配して、シアンが思わず近寄ってこようとした。無意識の行動だったせいか、戒められた腕に肩が引っ張られる。
「大丈夫だよ」
思わず息を飲んだ自分を気遣ってかシアンが声を発する。その声が小さかったのが気になった。人間は弱い。シアンもまた弱ってきているのかもしれない。
『その戒めを取ってあげる』
言いつつ、立ち上がった。驚いて見上げてくるのがちょっと面白い。
「えっ? どうやって?」
『じっとしていて。魔力が枯れそうだから、この角で。大丈夫。突進は得意なんだ』
久々に行うが、的を外したことはない。
螺旋を描く立派な角を、シアンがまじまじと見た。こんなに立派な角は見たこともないだろう。グリフォンにはもちろんないし、ドラゴンは小さいと言っていた。まだ見ぬ幻獣たちにちょっと得意な気分になる。
「待って、大丈夫だから」
何故か、シアンは自分とは違う明後日の方向を見ながらそう言う。
『そんなに慌てなくても、的は外さないよ』
「お、落ち着いて」
あわあわと自由な方の手を差し伸ばす。
心配しないで、すぐにもう片方の腕も動かせるようにしてあげる。
久々にやる気を体中に漲らせて、その勢いのままに蹄で床を掻く。そうしてみると、中々気分が良い。何かを積極的にやろうなんて、そういえば、久々だ。気分が良いものなのだなということを思い出す。自分こそ、シアンにこんな気持ちを思い出させてもらった。
「あ、だ、誰か来たみたいだよ!」
焦って言うシアンに従って、気配を探ってみれば確かに、こちらに向かって来るのを感じる。
『よく分かったね。我でさえ気を研ぎ澄ましてようやく、という感じなのに』
「うん。だから、しばらくこのままでいるね。戒めがなければ怪しまれるから」
『そうだね、もっと酷いことをされたらいけないからね』
シアンはやはり見当違いの方を見ながらほっと息をついた。




