40. 囚われの幻獣2
風の精霊の警告からほどなくして足音が響く。
「自己紹介は済ませたか?」
姿を現したのは身なりの良いやや肉がたるんだ二十をいくつか越した男だ。人を使うことを普通のこととして身に着けている。扉を開けたのも御付きの地味な服装の男だ。後ろには下がらずに、シアンと一角獣と、仕える男の狭間に立っている。いざという時にすぐに動けるようにと、盾になれるように、という二重の意味でそうするのだろう。
「貴方が僕をここまで連れてこさせたんですか?」
「控えろっ! こちらを誰と心得る!」
若い方の男の言葉を無視してシアンが問いかけると、従者が激高する。
「誰なんですか?」
「ゼナイド国第二王子ギデオン殿下の御前なるぞ!」
聞けば易々と答えてくれる。生かして返す気はない、というやつかな、と呑気に考える。
「その第二王子が僕に何の御用でしょうか?」
「不遜なる物言い! 不敬と知れ!」
唾を飛ばして喚く従者に、そのまま事の顛末を喋ってくれないかな、と淡い期待を抱いたが叶わなかった。
「控えよ」
「はっ」
ギデオンが従者を止める。従者が後ろへ退き、王子が前へ出る。
「おぬしが巷で有名な翼の冒険者か。その活躍、私の耳にも届いておるぞ」
それほど悪い声質ではない。
なのに、何故だかシアンにはギデオンの物言いが不吉なものに感じられた。何かが引っかかる。
薄く笑みを浮かべる顔を注視する。
「おぬしとは一度会うてみたかったのだ。冒険者ギルドに再三呼び出すよう命じたにも関わらず、湖の水質調査の報告はギルドを通せと突っぱねた。不遜の輩どもの巣窟は言う事が違う」
喉を鳴らして笑うギデオンに、そういえば、エディスの冒険者ギルドからそんな風なことを聞かれたことがあるなと思い返す。すぐに引っ込め、それっきり何も言われなかったので、今の今まで失念していた。
「しかし、何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し、だよ」
『さっきの異類と同種が入っているね。気分が高揚して気が大きくなる植物の成分を大気へ放っておいたから、色々質問してみると良い』
風の精霊がそんなことを言う。
その声が届かないギデオンは自分が注目されていることを当然として受け止め、シアンの返事を待たずに続ける。
「フェルナン湖の浄化のような大きな案件は本来、国が行うべきであったのだ。国家事業を一介の冒険者にほいほい請け負わせるギルドもギルドだがな。そんな仕事を受ける冒険者も冒険者だ」
「国がしなかったことを代わって成し遂げたんです。感謝していただきたいものですね」
シアンにしては珍しく冷たく言い捨てる。
「国はしなかったのではないのだ」
にゅ、と首を伸ばして顔を近づける。妙に白いてらてらとした顔を。
「できなかったのだ!」
にやり、と笑う。
何が引っかかっていたのか、唐突に分かった。
三日月が二つ並んだ目にひっくり返った三日月の口。操られていたシリルの友人が浮かべた笑みと一緒だった。まるで仮面の笑み、版でも取ったみたいだ。
「それを、たかだか仕事を受けて数日で成し遂げてしまった! 今やおぬしはエディスの英雄だ! いや、ゼナイドの英雄と言っても過言でないかもしれぬ」
以前見かけた聖教司同様、妙に大げさで芝居がかっている。うさん臭さが拭えない。
「つまり、僕は国に取って邪魔な存在だと?」
アダレード国の冒険者ギルドと同じような言い分である。権力を持つとこうなるのか。
「そうとは言わぬさ。しかし、ここまで役に立ってくれたのだ。この先もそのつもりでいるのだろう?」
声が鎮まる。話の流れがつかめず、シアンは知らず眉を顰める。
「ぜひともゼナイドの役に立ってくれたまえ」
身体を起こすと、従者に視線をやって合図した。
従者は恭しく一礼し、シアンの腕を乱暴に取り、鉄環を嵌め、壁に埋め込まれた突起にひっかけ、施錠する。
ちょうど壁際に陣取る一角獣と向かい側の壁に左腕を完全に壁に張り付けられた。冷たく硬く重い感触が服を通して腕に伝わる。壁は冷えていてともすれば体温を奪われそうではあるが、一向に寒さは襲ってこない。これも精霊の加護のお陰か。
「不自由をかけて済まないが、しばらくの辛抱だよ」
『いつでもすぐに外せるから、心配ないよ』
ギデオンの言葉を風の精霊が否定する。事実、風の精霊はすぐに解放できると静観の構えである。
『どうしてその人間をここに閉じ込めるの?』
一連のやり取りを黙って眺めていた一角獣がギデオンに問う。
「この国を守るが故だ! 全てはそのため。私はゼナイドの数多の国民のためにこうやって身を粉にして働いているのだよ。おぬしやその者が閉じ込められることなど、大事の前の小事に過ぎないのだ」
その言葉には二通りの意味がある。大きなことの前の些末な犠牲、という意味と、大きなことをしようとする時には些細なことを軽んじてはならない、というものだ。そしてこの場合、彼は油断大敵の方を注視するべきだった。シアンはちっぽけな存在でも、最大の存在が控えているのだ。
その強大な存在の一柱が傍らで眉を顰めている。シアンが時々目で鎮めているが、勝手な言い分を不快に思っている様子が見て取れる。
「翼の冒険者には済まないことだとは思う。しかし、そこの者にはもはや力がなくてな。新しい魔力源が必要なのだ。これもこの国を豊かにするためだ」
沈痛な面持ちで言うが、そもそも治世者が考えることで国民ですらない一冒険者に託されるものではない。
「苦渋の選択を迫られたというわけだ。仕方がない、彼はこれまで長くこの国を支えてくれていたのだ。責めてはいけない」
何故、シアンが一角獣を責めるいわれがあるのか。責められるべきは生贄に頼って国政を行ってきた側である。
ゼナイドに来て間もない時に見つけた、ジャガイモのソラニン中毒で死亡した子供の姿が脳裏に浮かぶ。
冒険者に頼り、一角獣に頼り、国は何をしているのか。国民から受けた税で何を行っているのか。
「彼は何故、この国にそこまでして力を与えているんですか?」
こんな場所に閉じ込められて強制的に力を奪われているのかと思いきや、本人は出たくないと言う。
「おや? その話は彼から聞かなかったのか?」
驚いた、という表情をするが、次の瞬間には愉悦を持って説明を始めた。
「この国にいた昔の王女とその幻獣の約束なのだ。ゼナイドはめっぽう寒くてな。王女が存命だった頃は土地も痩せていて農作物は実り少なく、牧草地もろくに草が育たなかったので、獣も少なかった」
今とは大違いである。冬は雪に閉ざされるが、豊かな土地で春には獣が北上してき、それを狙った魔獣が増えて冒険者が足らない状況だ。
「そこで心優しい王女が湖で一心に願ったのだ。どうか、この国に恵みを、と。その願いを聞き届けたのがそこの彼、一角獣だ!」
ギデオンは大きく腕を差し伸べ、憂いに満ちた表情から一転、笑顔を作る。
芝居がかった物言いに、自分に酔っている様子が垣間見える。その度に白けた気分にさせられる。
「一角獣は王女の美しい心根に打たれて、この地を肥沃なものにせんと、その魔力を放った。王女は父である国王に頼み、彼の住まいである塔を建てた。それがこの始まりの塔だ!」
中がくりぬかれているのは魔力を上へ向けて発射し、上空から広がっていくように、と設計されたものであるとギデオンは語る。
魔力はそんな風にして拡散するものなのかな、と疑問がないではない。
しかし、そんな疑念はすぐさま霧散した。ギデオンが例の三日月の笑顔を浮かべたからだ。嫌な予感に身構える。
「おお、心優しい王女と一角獣の出会い! それによって国は豊かになった。そして、王女は更にこの国に貢献するために、他の国の父親より年上の男に嫁がされることとなったのだ!」
一角獣が雷に打たれたかのごとく体を震わせる。
ギデオンの笑みが深くなる。
シアンは背筋に何かが這いまわるような感覚に襲われた。
「王女はその前に幻獣を解放しようとしたが、国がそれを許さなかった。それはそうだろう。生ける大量の魔力源をやすやすと手放すものか。王女も下手な知恵をつけて幻獣を逃がそうとしなければ、あんなヒヒ爺に嫁に行かずに済んだのに」
そう言って笑う。
『そんな、彼女は好きな人ができたって言っていた!』
言葉少なな一角獣が悲鳴混じりの声を上げる。
「昔のことだからどうだか分からぬがな、王女が他国の高齢な男に嫁いだのは史実だ」
城の書類保管庫にも記録が残っている、とギデオンが肩を竦める。
『彼女は湖に身を鎮め、厳しい冬の災害が和らぐように、少しでも民が食べられるものが手に入るように、と願って命を投げ出そうとしたのに。他の人間のために根拠のないことをする変なヤツと思っていたけれど、でも……』
戸惑って口ごもる一角獣にギデオンは笑い声を上げる。
「高邁な思想をお持ちの王女のことだ。本望だっただろう」
もはや、一角獣は黙して語らなかった。
「それでは、何のおもてなしもできないが、しばしの間、寛がれよ」
沈黙した一角獣を満足気に見やった後、シアンの方へ芝居がかった礼をして、鉄の扉を潜っていった。その後、重い音をたてて、扉は締まり、施錠された。
この頑丈な扉をどうやってシアンが開けることができたのか、疑問に思わなかったのだろうか、と首を捻りつつ、一角獣に声を掛ける。
「ねえ、君、一角獣さん、僕はしばらく眠らないといけないんだ」
応えはないが、そのまま続ける。
「呼んでも起きないし、近づくこともできない。そういう異能の持ち主なんだよ。君の部屋を狭くしてしまう。ごめんね」
ここを出てからログアウトするべきだ。しかし、意気消沈した一角獣と、すでに一角獣を用済みとみなしていたギデオンの姿に、ここを離れない方が良いと思った。シアンがいなくなれば、一角獣にどんな害を及ぼすか分からない。
愉悦を持って語っていたことから、既に用済みとなってようやく事の顛末を知らしめてやることができたとでも思っているのだろう。人の厚意を受け踏みにじる、まさしく恩を仇で返す人間だ。
王女がいなくなっても一心に彼女を思う姿に胸が痛んだ。他人ごとではない。シアンはどうしたって、ティオやリムと過ごす時間は彼らの長い生のうち、僅かでしかない。こんな風に二頭が自分への気持ちを利用されて閉じ込められたとしたら、と思うと居ても立っても居られない気持ちになる。
「できるだけ早く戻ってくるから」
答えは返ってこないが、シアンの現実世界の事情も逼迫している。そのまま、ログアウトを行った。




