34.襲撃 ~ぴょいーん~
翌日は雲が厚く蓋をして薄暗い肌寒い日となった。
手に入れたスリングショットを早速試してみるべく、適当な場所を探す。まずは遮蔽物がないところで木の棒を突き刺すか岩場に印をつけて撃ってみることにする。
『わざわざ棒を探さなくとも、そこらじゅうに木が生えていますものを』
九尾が言うのに笑う。
「木も生きているからね。そこに小動物が住んでいることもあるだろうし」
『おや、麒麟のようなことを言う』
九尾の小さい呟きは、倒木を両前足に掴んでやってきたティオに気を取られたシアンには届かなかった。
朽ち木を地面に突き刺し、ひとまず狙いは太い幹のいずれか、と大まかな的を目指す。
シアンがマジックバッグから取り出したスリングショットを九尾がまじまじと見る。
「良い出来具合でしょう? 腕の良いクロスボウ職人が作ってくれたんだって」
『シアンちゃん、クロスボウ職人自体が他の職人よりも腕利きで、給料も高いのですよ』
「そうなの?」
そう返しつつも、発案するだけで思い描いた物を作り出してくれる手腕は確かに腕利きだと実感する。
『魔族の紹介ですし、職人だから新しい取り組みは気分転換や発想転換に大いに役立つでしょうから、そんなに難しく考えることはないですよ』
「使い手によって調整が必要だろうから、使い心地を教えてくれって言っていたそうだよ」
『それはそれは。一流らしい考え方ですな!』
「じゃあ、僕も使いこなせるように頑張らなくちゃね」
『シアン、頑張って!』
リムの応援を受け、シアンは小石を拾い上げて狙いを定めて撃った。紐の弾力性はまさしくゴムのようで、何の素材を使ったのか不明だが、打ってつけのものがよくもあったものだ。
指を離した途端、鋭い音を立て、幹の樹皮をかすめて飛んで行く。
「あんなに太いのにかすっただけなんて」
『まあまあ、初めはそんなものですよ。何度かやってみては?』
「うん、そうする。ティオたちは狩りに出る?」
宥める九尾に頷き、シアンのスリングショットを使う様子を眺めていたティオとリムに尋ねる。
『ううん、ここにいる』
「そうなの?」
狩りに出ないと言うティオを見やる。首をこちらへ向けてくるのでもはや癖になったようにその頭から首筋を撫でる。
リムはシアンの足元で小石を集めていた。
『シアン、このくらいでいい?』
小石の小山ができている。
「う、うん、ありがとう。そんなに沢山、撃てるかな」
『腕が攣りそうですな!』
しばらく続けていると、狙った箇所に当たるようになった。購入したスリングショット四つともを試し、その個性を覚える。
『すごいねえ、シアン。丸を付けたところにちゃんと当たっているよ』
朽ち木を覗き込むリムの言う通り、意外と適性があるみたいだ。
「ありがとう、リム。でも、危ないから撃つ時は離れていてね」
『風の精霊の力を借りて撃つのも試してみないとね』
スリングショットに関する構想内容をしっかり覚えていたティオに頷いた。
「そうだね。英知の力を借りて精度と速度を、傍目に分からない程度に上げる練習もしなくちゃね」
『あとは木の実の殻にハバネロの乾燥粉末を仕込む仕掛けづくりですかな』
「うん、それはそんなに凝った造りじゃなくても良いだろうから、自作しようと思っているんだ」
『フラッシュやディーノにお願いしないの?』
シアンの足元にせっせと小石を集めていたリムが首を傾げる。
「自分でできることはやってみないとね」
『ディーノは魔族ですから、情報を漏らしたりはしませんよ?』
暗に、フラッシュもだと言う九尾に笑う。
「もちろん、一番信用している人たちだよ。あ、でも、ディーノさんに関しては対価よりも多くをくれようとするところは信用ならないかな」
シアンに尽くしてくれようとするのが高じて、支払う金銭よりも大きなサービスを得ている気がする。スリングショットしかり、鉱石類の買取りしかり、だ。
『してあげられることが喜びなのです。有難く受け取っておくのも嬉しがらせる手ですよ』
その後、シアンはしばらくスリングショットの練習を行った。
ティオは横寝しながらシアンの様子を見守る。九尾は後ろ脚立ちし、両前脚を組みながら、頷いたり、意見を言ったりする。
リムはといえば、小石を集める手伝いを済ませ、的から離れて辺りを飛び跳ねた。色鮮やかな花に鼻を近づけ匂いを嗅ぎ、花弁を口に入れる。
「美味しい?」
『味しない』
ガッカリして言う。
すぐさま他に関心が移り地面に転がる小石を蹴ったり、興味がありそうなものに鼻先を突っ込んでいく。
リムが後ろ脚立ちし、前脚を下に向けて顔を持ち上げると首が長く見える。逆に前足を顔近くに持ってくると首が大分短く見える。稼働区域の違いだろうか。胴はしなやかで、丸めると前脚と後ろ脚がくっつきそうだ。
時折、後ろ脚で地面を蹴りつけ、胴を地面と水平に長々と伸ばしてジャンプする。短い四つ足がちょろりと見えている。翼は背に畳まれているので、純粋な脚力のみの跳躍だが、滞空時間が長い。
『ぴょいーん』
九尾が変な声を上げる。
「それは何?」
『リムのジャンプの効果音です。ぴょいーんという感じがしませんか?』
返答は避けた。
『シアン、誰かが走っている。小さいの一つと大きいの三つ』
ティオが不意に首を捻る。何もない方向へ向けた視線は、シアンには見えないものを捉えているのだろう。
「どんな形態か分かる?」
『二足歩行している。誰かに追われているのではないけれど、人間にしては速い』
「近づいて来そう?」
『ううん、でも、布の音が大きい。多分、長い布をかぶっている』
その言い方とシアンに向けた視線でそれが言いたかったのだと分かる。そして、シアンの脳裡にも黒ローブの姿が浮かぶ。
「様子を見に行きたいのだけれど、どう思う?」
『いいんじゃない? 遠くから近づけば大丈夫だと思う』
『深遠に隠してもらおう!』
ティオの発言に近寄ってきたリムが言う。
「そうだね。深遠、力を貸してくれる?」
『いいよ』
リムの陰から声がする。
「英知、スリングショットの練習をしていた痕跡を消してくれる?」
『了解』
冷たい空気の中、頬を暖かい風が撫でていく。
シアンは精霊たちに礼を言い、起き上がり、シアンが乗りやすいようにひざを折ったティオの背に乗る。
『シアンちゃんも精霊の力の使いこなせるようになってきましたなあ』
ティオの背に跨りながら九尾が言う。
すかさず舞い上がったティオから振り落とされまいと、九尾は慌てて体制を整える。
『きゅっ! きゅうちゃんは精霊の加護がないのですから、急発進されると体が持ちません!』
九尾の苦情は知らぬ顔で、ティオは翼を広げ、風を掴むと大空を翔る。リムもその後を追った。
幌馬車や物資の上に防水遮光布が掛けられた荷車を複数走らせる遍歴商人のようだ。
森に沿って緩やかにカーブする先、木立に最も近くなる場所に、果たして黒ローブの姿があった。
シアンもティオたちに示唆されるまでは、気づかなった。
ティオは闇の精霊の隠ぺいの魔法が掛かっていることを良いことに、斜め上の上空に滞空している。目線を上げれば見つかるだろう位置だ。
黒いローブのうち、一人は白い手袋をしている。残りの三人は黒い手袋で、そのうちの一人が遠目にも小柄だ。身長は低く、ローブを着ていてもなお細いことが見て取れる。
車輪の音を響かせ、行商が近づいて来た。砂ぼこりが立つ。
御者台に座って馬を操る男はうっすらと褐色掛かった肌色、ウェーブがかかった黒い髪をしていた。
「魔族のように見えるね」
『おそらくそうでしょうね』
シアンの呟きを九尾が拾う。
「あの村にやって来た聖教司は、魔族に黒ローブのしでかしたことをなすりつけようとした」
『相当強引でしたなあ』
シアンと同じく、家畜小屋に黒ローブが異類を放り込んだ際のことを思い出したのか、すぐさま九尾が答える。
「黒ローブは魔族を敵対視している?」
『どうでしょうか。怪しいとはいえ、あの聖教司と黒づくめを繋げる証拠はありません。黒づくめたちは今回は絡め手は使いませんでしたね』
九尾の言う通り、黒ローブは二手に分かれて小さな商隊の前後に立ちふさがった。家畜小屋に異類を放り込んだ時も、ゾエの村に関与したとしても姿を隠していた。直接姿を晒すことにしたのはどういうわけなのか。
御者が手綱を引き、急停止した。馬がいなないて棹立ちになるのを懸命に制御しようとする。後ろの幌車が激しく揺れる。
突然現れた不審極まりない姿に、業者が動揺しながら誰何する。
「飛び道具は使わないのかな?」
『荷を奪う気なのでしょう。馬も重要な物資です』
馬に矢が当たれば使い物にならないということなのだろう。
黒ローブが懐に手を入れ、剣を取り出し、鞘から剣を抜き放った。金属が擦れる寒々しい音が、離れたシアンの耳にも届く。
「薄汚い魔族に粛清を!」
それまで一言も発しなかった黒ローブのうち、白い手袋が鋭く声を放った。
「助けよう」
黒ローブの勝手な言葉に、シアンの腹は決まった。
『急降下するよ。掴まっていて!』
すぐさま反応したティオが空を蹴って駆ける。大きな翼が優雅に羽ばたく。しかし、そのスピードは獰猛だった。精霊たちの加護を受けているシアンは空気が流れていくな、という感を受けただけだが、九尾は必死にティオの背にしがみつく。シアンも後ろからそれを支える。
「キュア!」
リムが先行し、商隊の後方から襲い掛かろうとしていた黒ローブ二人と荷車の間を区切るようにして飛び過ぎる。
「な、なに?! っ……翼の冒険者!」
動揺して上がった高く若い声は女性のものだ。小柄な黒ローブから発せられた。
どうやら、シアンたちのことを知っているようだ。エディスを根城にしているのか、エディスで噂を聞きつけたのか。
「僕は冒険者のシアンです。盗賊に襲われているらしき商人の方、助勢しましょうか?」
先にひと声掛けておかないと、シアンも襲撃者と思われかねない。
「あ、ありがとうございます!」
商人の了承は得た。
シアンに剣先を向けた黒ローブに、ティオは怯む素振りも見せず、静かに睥睨している。気圧されて切っ先が揺らぐ。
「くっ」
忌々し気に声を漏らして黒ローブが大きく踏み込もうとした時、横から白い手袋が押し止める。
「こいつらには手を出すな」
止められた仲間の無言の抗議を受け、黒ローブが声を漏らす。
『おや、賢明な判断』
九尾が茶化す。
「何者ですか? なぜ、こんな盗賊の真似を?」
単なる盗賊とは思っていなかったが、初見だと思わせておく方が得策だと考えてそう問いかける。
「引くぞ」
答えずに、鋭く口笛を吹いて後方の二名に合図を送り、素早く身を翻して森の中へ駆けていった。
『追いかける?』
「ううん、いいよ」
ティオの問いに否と答える。何かを企んでいるのかは明白だが、なるべく関わりたくはない相手だ。
『でも、襲ってきたら倒してもいいよね?』
「それはもちろん。ティオが怪我しないでね」
「キュア!」
リムが滑るように滑らかな動きで飛んでくる。
「ありがとうございました。助かりました」
馬車の幌の隙間から数人の人が顔を出している。
「みなさん、ご無事ですか?」
急停止による打ち身や擦り傷程度で、馬車も車輪も馬も損傷はないという。
六、七人分の黒いつむじを見せてお辞儀され、ぜひとも謝礼を、と言われたが固辞した。
エディスへ向かうという一行と別れ、ティオの背に乗って飛び立つ。もうじき昼なので、狩場を探さなければならない。
「それにしても、あの黒ローブ、一体何者なんだろうね。僕たちのことを知っていたよね。噂でも聞いたのかな」
『あの黒いのの小さいやつはエディスでシアンに二回話しかけてきたよ』
「えっ?!」
何とはなしに呟いたシアンにティオが意外なことを言う。
「いつ、どこで?」
『野菜のおばちゃんや小さいのと話している時と、シアンが果物屋の近くで頭に布をかぶったのに色々言われた後、声を掛けてきた。痩せたやつだよ』
「ああ!」
確かに痩せた少女に声を何度か掛けられたことがある。その声と先ほど上がった短い声は同じだっただろうか。確かに女性の高い声だったが。
「あの子が、どうして……」
『何の組織なんでしょうね』
九尾も気になるらしい。
黒ローブの正体を見抜いたティオとリムは興味はないらしく、狩りのことを話している。
「貴光教と関係があるのかな」
『おそらくは』
「それにしても、ティオ、よく分かったね。やっぱり臭いとか?」
視覚も優れているが、嗅覚も相当なものだろう。
『うん、あとは魔力とか体つきとか色々』
『流石は空と地の王者!』
『ティオすごいものね!』
何がすごいのか分かっていなさそうだが、とにかくティオが褒められて嬉しいリムがうふふと笑う。
『また話しかけてきたらどうするつもりですか?』
「うん、そうだね。知らない振りをして普通に話すと思う」
『襲い掛かられたら反撃して良い?』
「あー、うん、それは仕方がない、かなあ」
痩せぎすでティオの鼻息だけで飛んで行きそうな少女だったが、自己責任だろう。
黒ローブはエディス周辺で起こった揉め事にところどころ顔を出す印象が悪い者たちだ。それが意外なところで既に出会っていたとは。
「でも、流石にもう向こうから話しかけてくることはないんじゃないかな? ティオ、他の黒ローブが別の服を着ていても、近寄って来たら分かる?」
『うん。闇の精霊のような魔力で隠ぺいされていなかったら』
それは誰にも分からない。
『何らかの薬品などで臭いを胡麻化していましたね』
「そう? 何も匂いを感じなかったけれど」
『うん、ちょっと何かの臭いがした』
九尾の言葉にリムも賛同する。幻獣だけが気づいたことがあったのか。
『あれは恐らく臭い消しのためでしょう。普段の体臭や生活空間で付着する臭いを気づかれないようにしているのでしょうな』
随分徹底している。
「こうなってくると、あの黒ローブも個々の特徴を隠すのに役立っているのかもしれないね」
『そうですな。珍妙な風体で気を取られやすいでしょうし。複数いても誰が誰なのかわからないです』
何が起こっているのか、自分たちにどう関わってくるのか、漠然とした不安が曇天のごとく重くのしかかってきた。




