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天地無窮を、君たちと  作者: 天城幸
第一章
8/630

8.たまご

 

 ログインして間借りした部屋を出る。

 すぐにティオが気づいて寄ってくる。

「おはよう、ティオ。今日はまだフラッシュさんは来ていないんだね」

 腹に頬をこすり付けるティオの首のあたりを掻きながら挨拶する。

『お腹すいた! 狩りに行こうよ』


 フラッシュの家に下宿させてもらうことになって、シアンはすぐに冒険者ギルドでティオの登録を済ませた。テイムモンスターではない幻獣NPCを登録するということと、それがグリフォンであるというのはイレギュラーな事象で、すったもんだしたが、何とか登録することができた。

 グリフォンを認めたということなのだから、と直接フラッシュの家に飛んでくることも認めてもらった。巨大な獲物を掴んで飛ぶため、どのみち門をくぐっても飛ぶのだということを理解してもらい、フラッシュの家まで運んで来られるようになった。それ以外の場所へは門をくぐらなければならない。

 シアンと狩りに出かけた際には大体出先で捌いて調理するから問題はない。


 シアンのプレイ時間は少しずつ伸びていた。

 半日以上になれば、途中こちらで睡眠をとる形で、現実世界で生理現象の対処をしなければならない。

 また、シアンが不在の場合、ティオは独りで狩りに出ることもあり、その場で食事を終えて満腹になっても獲物が残っている場合は持ち帰る。一頭二頭ならば可能だが、前足は二本しかない。

 魔石を心から欲していたフラッシュはそんな勿体ないことを、とマジックバッグを貸与してくれた。

 小さな背嚢に見えるが、ゲームならではの便利アイテムで、見た目よりも多く入る。物によっては部屋いっぱいの容量があるものもある。高価で希少なもので、さすがにそれは、と固辞したが、自分は戦闘にも行かないし、有効活用される方が良いと渡された。

 きちんと対価として魔石を払うことを約束してありがたく借り受けた。

 フラッシュには頭が上がらないが、彼女にしてみても、SP切れが起こる前に食事ができ、品薄の魔石が手に入り、憧れの幻獣グリフォンと間近で接することができて良いこと尽くしだ。

 マジックバッグを借り受けたため、ティオは直接フラッシュ宅に飛んで来なくてもいいのだが、そこはまあ、便利なので特に冒険者ギルドに改めて訂正に行くことはしなかった。街中を頻繁に行き来することでティオに余計なストレスがかかるのも心配だ。


 シアンはティオに急かされて下宿先を出た。

 狩りのついでとばかりに冒険者ギルドで山での採取依頼を受けて、日帰り登山に出掛けた。

 戦闘能力はないが、冒険者であるせいか、特殊能力保持者であるためか、とにかく体力はある。食事さえしておけば山歩きを普段しないシアンでも登れるのだ。しかも、ティオが先を歩いてくれるので即席歩道ができている。

 長く伸びた犬歯がある猪を見かけ、逃がす間もなくティオが倒した。


 依頼のあった植物を手に入れ、開けた場所に行って食事を摂ろうと話していると、ティオが誰か人間が走っていると言う。

「どのくらいの距離にいる? 何人くらいか分かる?」

『三、四人かな? その後に何か大きなのが追いかけているみたいだから、逃げているんだと思う。こっちに来るよ』

 どうする、と聞かれてシアンは悩んだ。

「とりあえず、見られないようにしてやり過ごすことはできそう?」

『大丈夫だよ』

 ティオの指示通り岩場に隠れ、そっと辺りを窺う。

 乱れた足音がいくつもし、下生えが激しく揺すられる。

「やばい、やばい」

「追ってくるぞ、急げ」


 シアンの目の前でそれは起こった。

 ティオの言う通り、何か大きなものが羽ばたいて降りてくる。と思うやいなや、三人いた男が全て吹っ飛んだ。

 灰色っぽい影が威嚇のひび割れた叫びを発しながら、素早く動くにつれ、人間のうめき声や肉が裂け、骨が折れる音が聞こえてくる。木々がなぎ倒される。

身を潜めているため、全容が見えないというのもそうだが、影の動きが速すぎて目で追いきれないので、どんな姿をしているかわからない。おそらく、ティオよりも大きい。にもかかわらず、捉えることができない。

 隣で身をかがめているティオもいつになく緊張した様子だ。すぐ近くにある体が小刻みな呼吸で振動している。

 と、目の前を丸い何かが横ざまに飛んだ。思わず視線が追う。

 白っぽい何かは柔らかい下草に着地したものの、勢い余って転がっていく。そのまま、見えなくなった。

 悲痛な鳴き声が長く続いた。

 灰色の影が白い丸い何かの後を辿る。

 辺りが静かになった。


『戻ってこなさそうだね』

 ティオに声を掛けられてようやく我に返った。

「な、なんだったの、あれ」

『多分、人間があの大きいのの卵を奪ったんじゃないかな』

「ああ、それで。でも、卵、転がって行ったんじゃない?」

『うん。あの大きいの、この辺では見ないな』

 ろくに見えていなくても三人の人間を一瞬で片づけたのだ。強大な力を持つことが分かる。そんなに強い動物がそうそう近くにいるとは思えない。

『もう行こうよ』

 ティオが岩場の陰から出て、身を伸ばしながら言った。

「うん、でも、このままでいいのかな?」

 シアンは惨劇を予想しておそるおそる岩場から顔をのぞかせる。

「あれ、プレイヤーだったんだ」

 転がった人影は徐々に光の粒になって消えていく。その地面間際にはセーフティエリアで見られるものと同じ類の紋章陣が敷かれていた。NPCであれば、肉片や血の海が広がっている筈だ。シアンとしては初めて見るプレイヤーの死亡である。

『異界の眠りで引き戻されるやつだね』

「引き戻される?」

『うん、死んでおしまいの人間とは違って、異界の眠りがある人間は死ぬとどこか違う場所で目覚めるんだ』

「ティオ、よく知っているね」

『人間が言っているのを聞いたことがある』

 言いつつ、シアンの腹に顔をこすりつけてきた。人間にほとんど興味を持たないティオだが、シアンが死んだ場合、どうなるのか気になってその話はよくよく聞いて覚えていたのだろう。しばらくティオの顔を抱きかかえて、首から背筋を撫でた。

 ティオが気を取り直して軽く羽根を動かしたのを機に、立ち上がる。

「じゃあ、行こうか」



 切り立った崖の傍を流れる河原にやって来た。

『あれも狩る』

 ティオが嘴で指し示す方角は崖の半ばだ。

「何も見えないよ」

『見ていて!』

 ティオが軽く助走をつけ、跳躍して高く飛び上がる。急降下して崖めがけて突っ込んだ。

 崖の半ばがもぞもぞと動いたかと思うと、猛スピードで断崖を駆け下りる。数匹の魔獣が、雨水が削り上げた急勾配というより垂直に近い山筋を下る。

褐色の長い毛並みに覆われ、天高く捩じりあがった二本の角を持ち、鼻筋の長いヤギに似た魔獣だ。褐色の毛が周囲の岩の保護色となり、崖半ばでムササビのように貼りついていたので、全く気が付かなかった。

 その群れをティオが羽ばたきと強靭な筋肉のバネで崖を蹴り、飛び跳ねることで急降下と急角度の襲撃を交えて狩っていく。一頭、二頭と崖を転げ落ちていく。

 逃げ惑いながらも、魔獣は足場が悪い場所を駆けても体幹がぶれない。崖を登ることができる蹄を持ち、本来ならああやって崖半ばで獲物を待ち伏せるのだろう。


 ティオが危なげなく狩りを行っているのを遠目に眺めていたが、水音に気が付いた。

 視線を下ろし、川の方に目を凝らすと、苔むした岩の上にトカゲに似た黒い肌に黄色い斑点のある魔獣がいた。

 尾が長く体と同じほどの長さがあり、全長でティオの体長と同等だ。四つ足は短く、胴はシアンが抱えきれない太さだ。もはや大きさは鰐だが、皮には凹凸なく、鱗で覆われている。腹も地面を引きずらない。

 そのトカゲが水底から卵を引き上げた。

 シアンが一抱えもする大きさだ。

 つい先ほど見た、親から引き離されたであろう卵を思い出した。同じ卵かどうかわからない。でも、親は懸命に卵を救おうとしていた。

唐突に思う。

何とか助けられないだろうか。


『シアン、どうかした? あのトカゲが食べたいの?』

 美味しくないと思うけど、と音もなく飛翔してきたティオに、卵の存在を示す。

「あれ、さっきのかな」

『どうだろう。シアン、あの卵がほしいの?』

「うん……なんとかして助けられないかと思って。僕は最悪の場合でも、さっきの人間みたいに異界の眠りに入るだけだし」

 方法を考えているうちに、ティオが飛び立った。

 得意の急降下で、今まさに卵に向けて口を大きく開いたトカゲに襲い掛かる。

 トカゲは思いのほか俊敏に動き、大きく飛び退る。

 卵から離れたことに、シアンは安堵した。

 トカゲから鞭のようにしなる長い舌が伸びたかと思うと、その先から粘液が放射される。悠々とティオは避けたが、粘液の付着した石の表面が音をたてて溶ける。

 ティオが後ろから回り込もうとするも、尾が半円を描きしなって打ち付けてくる。

 シアンは邪魔にならないように木陰を遮蔽物にして様子を見ていたが、卵が巻き込まれないか気が気でなかった。

 戦闘の様子を見つつ、卵に近づく。水音がしないように慎重に行動した。

 卵を掴もうとするが、なめらかな楕円形で濡れているため、滑る。手に取っても取り落としそうになる。

 シアンがもたついている間にトカゲに気づかれた。しかし、ティオが容易にシアンに近づけさせない。

 ようよう卵を抱え上げ、水しぶきを上げるのをもはや構わず、崖とは反対側の林の中に駆け込んだ。

 そのまま、トカゲが追ってこないことを祈りつつ走り続けた。

 現実世界とは異なる動物が多く存在する世界だ。トカゲが俊敏に林の中を追ってきてもおかしくはない。

 息を切らせながら、卵を胸に抱いた腕に力を込める。

 もうこれ以上は走れないと思い、折り重なるようにして横たわる倒木の陰に座り込み、息を整える。

 荒い呼吸音だけが聞こえる。林は静まり返って不気味だった。


 ティオから離れてセーフティエリアでもない場所に一人いることに気づき、にわかに恐ろしくなる。

 ふと胸に抱えた卵の重みを感じた。

 生れ落ちて、卵の殻を破って誕生する前に親から引き離され、川に流され、魔獣の餌にされようとしていた生命の重みを感じた。

 胎児が外界の恐怖を感知することもあるように、卵の中の仔が大きなストレスにさらされている可能性が頭をよぎる。

 神を信ずる者は信仰を託して敬虔に歌を紡ぐ。自然への畏敬を込め、音楽は拙い文明と共に成長してきた。シアンも祈りを捧げるように音楽に多くを捧げた。

 切羽詰まった今、やはりシアンは卵の中の仔の平穏と安寧を込めて歌う。卵自身の安全はシアンが守るつもりだったが、これ以上怖い思いをしないように、この世界では精神の安定を司ると言われている光の精霊と闇の精霊に希う気持ちを込めて歌った。

 赤子にするように、そっと卵を叩きながら音楽の旋律を思う。

 歌い終わると、卵に額を乗せて目を閉じた。

 かすかな振動を感じる。

 勢いよく顔を上げて抱えた卵を確認すると、ひびがはいっている。もうじき生まれるのに感慨を覚え、優しく撫でた。

「安心して生まれてきて」

 卵に掌を当てたまま、シアンの脳は旋律を辿る。


 と、かすかな音がする。

 卵の上部分が割れて大きく口を開いている。

 にょき、と白い頭が出てきた。

 すぐに引っ込む。

 また出てきた白い毛並みの頭に、殻の欠片が乗っている。

「可愛い」

 思わず頭の上の殻を取ろうとすると、また引っ込んだ。

「大丈夫だよ。何もしないから」

 言いつつ、割れた卵の淵を指でなぞる。

 中から鼻先を突き出して、シアンの指を嗅ぐ。

 せわしない動作にシアンは笑い声を漏らした。

 すると、また顔を出した動物がじっと見上げてくる。

 丸い耳の冬毛のオコジョのようだった。丸い顔に円らな黒い瞳、小さな鼻の下にへの字口が実に可愛らしい。


「キュア?」

 小さく鳴く声に我に返った。

「僕はシアンだよ。よろしくね」

「キュア!」

 ひと声高く鳴くと、するりと体を卵の上に持ち上げた。頭の欠片はその振動で落ちた。

 ただ、毛が濡れて体に張り付いている。ふるふると白い体を揺する。空気をはらんですぐに毛が乾いてくる。柔らかそうな毛並みは真っ白で、長い尻尾の先まで覆われている。口は意外と大きく開き、鋭い牙がある。前脚はオコジョよりも長く、後ろ脚は更に長い。跳躍力が高く、飛び跳ねている。

 動きは極めて敏捷で、高難度超高速もぐら叩きのもぐらのように傍らにあった岩場の隙間を出たり入ったりする。

 体長三十センチもなく、尾長は体長よりもやや短めだ。小さい四肢に鋭い爪がついている。

 そうこうするうちにすっかり体表は乾いていた。

「大丈夫? 落ち着かないみたいだけど」

「キュア!」

 ちょろちょろ、と機敏にシアンの前に出てくると、その背中が盛り上がった。ゆっくりと濡れた布が広がるように、折りたたまれた翼が音を立てて開く。

 蝙蝠のように骨組に沿って皮が張られた黒い翼が二枚ついている。

 様子見のように羽ばたいた後、すいと飛び上がり、シアンの目線の高さまでに至った。

 手を出してみると、あっさり抱き留めることができた。

 暖かい。

 前足にそっと触れてみる。小さいが鋭い爪を慎重になでる。その指をきゅっと握られ、ふと息を吐いて笑いながら、指を動かして掌をなでるようにすると、くすぐったそうに眼を細め小さく鳴いた。

「キュアー……」

 第一関節を掴んでいた爪は指を軽く曲げると第二関節に移動し、第一関節に小さな掌が当たる。ゆるゆると動かすと、さらに、きゅっと握ってくる。

「ふふ」とため息交じりの笑いが漏れる。柔らかい毛並みの頬を寄せてくる。

「キュア!」

 元気よく鳴くと、シアンの肩に前足をかけ、乗ろうとする。

「い、いたっ」

 そうだと思った爪はやはり鋭敏で、かつ、皮膜で覆われた翼も強靭だ。肌に触れると擦過傷ができた。

「キュア~」

 消沈した声を出しながらふわりと距離を取った。

 蝙蝠のそれに似た小さな羽を動かしながら、シアンの顔のすぐ横に浮いている。

「君、飛べるんだね」

 オコジョなのに、とは口には出さなかった。

 姿が似ているだけで、全く別の生き物なのだろう。

 首筋についた爪痕や鱗でできた擦過傷の痛みが吹き飛んだ。

 翼のついたオコジョは非常に愛らしく一種の感動を呼んだ。

 シアンが怒っていないことに安心したのか、翼のある動物は返事をするように勢いよく鳴いた。

 シアンが小さな体を壊れ物のように丁重に扱ったことを真似ることを覚えたのか、それとも柔らかい人肌をすぐにその脆弱さを学習したのか、両方なのか、すぐに翼のある動物に肩に乗られても痛みを感じないようになった。

(凄いな、AI。それとも、ティオと一緒でこの子も知能が高いのかな)



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