32.ゾエ村人型異類の異能
シアンはリムの不調時に動揺したまま訪ねた異類の村ゾエに、回復を知らせに行くというので、天帝宮へ行くと言って別れた。実際に向かったのはゼナイド王城だ。
『正面から容易に入れるやもしれぬな』
以前、街中で九尾の声を聴き分ける子供を連れた女性が言っていた犬のよう、ということを思い出す。そこで、犬の振りをして、ゼナイド王城へ入り込む。
九尾は魔法で幻影を生み出せる。しかし、どこでどういう相手が手ぐすね引いて待ち構えているとも限らない。気づいていないようならそれで良し、無用に警戒させる必要もない。
湖に沿って長く広がる城壁は周囲を掘りに囲まれている。湖から引いた水だ。湖と街に挟まれる城は、さしずめ敵から両側を守られているというところか。
『双方を盾にしているとも取れるが』
「お、お前、どこへ行っていたんだ?」
次々と運ばれる物資の荷馬車に混じって、跳ね橋を軽快に歩いていると、落とし格子の両脇で警戒する兵士の一人に声を掛けられる。
「城外に散歩に行っていたのか? あまり遠くへ行くなよ。帰ってこれなくなるぞ」
鳴き声は封印して、尾を振って見せる。
果たして、あっさり城門塔を抜け、郭の中へ入り込む。戦時には城外の者が逃げ込んでくる場所だが、平時が久しい今、年季の入った職人たちの工房が並んでいる。
『さて、犬とはいえ、公的室内には流石に入り込めまい。過去の文書ならば、大抵、城の地下に法廷文書などの文書保管所があろうが』
荷運びの為の牛や驢馬だけでなく、羊も飼っている。意外に牧歌的なのだ。それも一階までのことだ。二階から上は綺麗に掃除され、調度品も置かれ、貴族が気持ちよく過ごせるよう、静謐な雰囲気を醸している。
『人の営みに、綺麗なもの以外を排除するとは片腹痛い』
風の精霊は城から魔力が湖水へと漏れていると言っていた。
ならば、怪しむべきは地下だろう。
九尾は地下へ降りる階段を探した。犬は食堂へも出入りしておこぼれに預かる。色んな所へ出入りしても怪しまれない。地下でも迷い込んだと思われるくらいだろう。
流石に、文書保管庫は固く閉ざされていた。ここで力を使っても良いが、感知能力に長けた者がいた場合、何をしようとしていたか、容易に知れてしまう可能性も捨てきれない。
「あっ、お前! こらっ、こんな所にまで入り込みやがって!」
城内の兵士に見つかり、蹴りつける仕草を取られる。
非常に不本意ではあるものの、犬の振りをして難を逃れることにする。
「きゅうん」
それっぽい悲鳴を上げながら、一目散に地上へと駆けた。
『ふむ、地下二階へ続くような階段は見つからぬか』
見えないからといってないとは限らない。
先ほどの兵士が階段を上がってきた入り口で胡散臭そうに九尾を見ている。
『今日はこれまで、か』
シアンと別行動をしたため、トリスまで自前でもどらなければならない。流石に幻獣一頭で神殿へ行って転移陣を使うことはできない。
通行人に紛れて跳ね橋を渡り、外へ出て人目がないところ、大分離れた先で幻影を用いて移動する。天帝宮経由でトリスへと戻る。ティオ程の飛翔能力でもトリスとエディスを行き来するのに数日を要する。
いわゆるショートカットを利用してトリスへ戻るが、時間的にエディスへとんぼ返りになりそうだ。
『やれ、難儀なことよ』
九本の尾を実体化させ、力を体の隅々にまで行き渡らせる。一日二日と続けて目を離せば、どんなことに巻き込まれているか分からない。彼らに合流するために、九尾はいそいそと家路についた。
赤い三角屋根に橙色の壁、四角の扉の家々に花々が多く配された、可愛くて洒落た雰囲気の村だった。
しかし、ゾエは一変していた。
建物の多くは崩れ、瓦礫が散乱し、花壇は踏みつぶされ、桶や鍋、窯といった日用品の残骸があちこちに転がっている。よく分からないものもごちゃごちゃと散らばっている。
道には血を引きずった跡や地面に凝固した血が頻々と残っている。
リムが不調に陥った際、取り乱して訪ねてきたことを謝罪し、復調を伝えに来たシアンは村の惨状に息を飲んだ。
何があったのだろうか。
『シアン、下がっていて。警戒しているみたい』
村に入った途端、肌を刺す感を覚えた。言われた通り、ティオに先行してもらう。
「ああ、あんたか。シアンだっけか」
扉が蝶番ごとなくなった建物の中から誰かが現れた。
「ベルナルダンさん、何があったんですか?」
「非人型異類に襲われたんだ」
「異類に?」
ベルナルダンは目の下に隈を作っている。心なしか、頬もこけて、人相が激変している。グェンダルにお調子者と呼ばれていたが、今や見る影もない。
「シアンか。よく来たな、と言いたいところだが、今は立て込んでいてね」
そのグェンダルも姿を現した。その後ろにはロラやリリトといった、宴会の準備を共に行った者や、アシルといった様々に話をした者もいた。
みな、似たり寄ったりでやつれている。怪我を負う者もおり、衣服が破れ汚しぼさぼさの髪を整える余裕もない様子だ。
「あれが家畜小屋に入り込んで、一晩で家畜を食い殺したのさ。朝になった後は俺たち村人もな」
ベルナルダンが指し示す先には以前、他の村で黒ローブの男が家畜小屋に放り込んだオタマジャクシに似た異類の死骸があった。
非人型異類の凶暴さをまざまざと見せつけられた。シリルとエディがゾエ村の人型異類たちの狩りをする姿は凄かったと言っていた。その彼らをしても、これほどまでに蹂躙される。
「まだあったのか。粗方燃やして処分したのに」
視界に入ることすら嫌そうに、グェンダルが眉をしかめる。
束の間、沈黙が降りた。
その中で居心地が悪そうに身じろぎする者がいた。
「俺、見たんだ。非人間型に混じって人型異類の姿があった」
長身の男性陣が多い中、やや小柄でともすればロラと同じくらいの背丈の男が、つっかえながら言う。
「エヴラール? それ、本当か?」
エヴラールと呼ばれた男の後ろに立っていた長身で引き締まった体に、髪を短く刈り上げて寡黙で穏やかな顔つきの男が驚いた。
「ああ。ガエルだって俺の目がいいのは知っているだろう? 直接攻撃を仕掛けてくることはなかったけど、非人型異類をけしかけている感じだった」
エヴラールは優れた感知能力の持ち主で、その力によって、異能を感じ取ったのだという。
「今まで何で黙っていたんだ」
グェンダルが眉を寄せる。
「そりゃあ、生き残るのに必死で、疲れ果てていたからさ。その後は片付けだの何だのあったし」
自分でも今更という思いがあるのか、ばつの悪い顔をする。
今でさえ周囲には様々なものが散乱している。見当たらないものといえば、村人の亡骸と異類の死体くらいだ。片付けというのは村人を埋葬し、異類の死体を焼いたということなのだろう。
エヴラールは唇を舐めて続けた。
「それに、こんなこと言ったって誰も信じてくれないかと思ってさ」
でも、見間違いなどでは決してない、と言う。
「まさか、人型異類が襲わせたのか?」
「理性はないのか? 知性があるのに、同じ人型異類を襲うなど。しかもこんな……」
村を破壊するとは、と続けようとして呑み込んだのだろう。
再び沈黙が場を支配する。
部外者が口をだして良いものかどうか、このタイミングで話しても良いか、迷わないではなかったが、シアンはそっと口を開いた。
「あの、人型異類だというのは分かるものなのですか?」
「ああ、同じ人型異類だとそうだよ。どんな特殊能力があるかはわからないけど、あるというのは分かる。人間は異能を使うところを見ないと異類かどうか見抜けない。しかし、異類同志はわかるんだよ」
感覚的なものだけれどね、とエヴラールは気さくに説明してくれる。
そうですか、と頷き、本題に入る。
「実は、この非人型異類を見たことがあります」
「本当か?!」
「どこで?」
色めき立つのをグェンダルが押さえてくれ、シアンに話の先を促した。
そこで、以前、村で見た出来事を語った。
「これとそっくりの異類でした。その異類は家畜を食い殺し、卵を産みつけ、その卵が孵ったら家主を食い殺すのだと聞いたことがあります。ですが、近くに人型異類の姿があったかどうかは分かりません」
うめき声が上がる。
「なんてこった。その異類だよ。皆、家畜小屋から飛び出てきたんだ」
アシルが呟く。ベルナルダンがその時のことを思い出したのか沈痛な表情で黙り込む。握りしめた拳が白い。ロラが口元を覆って短く嗚咽を漏らす。
「確かに、人間に紛れようと思えばできないこともないな」
グェンダルが顎を摩る。
「俺の所為だ」
ぽつりと声が落ちる。
「ガエル? 何を言うんだ?」
エヴラールが戸惑った表情でガエルの顔を見上げる。
「ほら、黒ローブって、エヴラールが見つけたやつのことだろう」
苦い表情でガエルが言うのに、エヴラールが懸命に記憶をたどる風を見せる。
「ああ、あの黒づくめ! 確かに頭からすっぽりかぶっていたなあ」
「俺があの時、きっちり捕まえておけば、こんなことにはならなかったんだ」
ガエルがその場に崩れ落ちるようにしゃがみこみ、頭を抱えた。
「この村の近くでも黒ローブの姿があったんですか?」
話した当のシアンも意外な発現に驚きを隠せなかった。まさか、ゾエにも関与しているのだろうか。
「そうだ。確か、あれはいつだっけかな」
ガエルの背中を摩っていたエヴラールが問いかけるシアンを見上げて首をひねる。
「襲撃の日の前日だ」
頭を抱えたまま答えたガエルの声は湿っていた。
何とも言えぬ雰囲気が漂う。
「実際に黒ローブが家畜小屋の中へ入って行くところを見た人はいますか?」
シアンの問いかけに、その場にいた全員が首を横に振る。
「他の村の者に聞いては見るが……」
グェンダルが言葉を途切らせる。非人型異類の襲撃後、後から後から出てくる事柄にどう判断していいか、脳の処理が追い付かないといった風情だ。確かに、この惨状からしてみれば、受けた衝撃は計り知れない。
「そんなの、決まりだろうさ」
気丈に顔を上げてロラが告げる。
「エヴラール、その人型異類の特徴を教えてくれるかい?」
「いいけど、どうしてだい? ロラ」
「もちろん、後を追うためさね」
やや不安げに眉根を寄せて尋ねるのに、ロラは何でもない事のように答える。
「復讐でもする気か?」
グェンダルがロラを見定めながら低く問う。
「当たり前だよ。ギーは私の夫であり、バディでもあったんだよ? そのギーを殺されたんだ。命を懸けて仇を討つのさ」
顔に煤をつけ唇も渇いてひび割れているが、目が燃え決意が宿る相貌はいっそ美しい。全く気負う風情はない。当たり前のことをするだけだ、という姿勢だ。
「俺も行く」
「ベルナルダン!」
悲鳴のような、咎めるような声音でアシルが止める。しかし、昏い光を瞳に宿したベルナルダンが静かに見つめ返すと口を噤んだ。
「カリーネがやられたんだ。殺されるのを、へぼな俺はむざむざ見ているしかなかった」
「お前はよく戦ったよ!」
今度は怯まず言い返した。
「でも、あの時、俺が外していなかったら! カリーネは今俺の隣にいたかもしれないんだぞ!」
握りしめた拳を震わせながら、激高する。ぜいぜいと肩で息をして顎を拭うと、苦笑した。
「済まない、大声を出しちまって。こんなだから、へぼだってんだよなあ」
「俺も行く」
自嘲するベルナルダンの言葉に、無表情になったアシルが告げる。
「お前は残れ」
「何言っているんだ。俺はお前のバディだぞ」
腹を決めたベルナルダンに、必死になっていた感情が抜け落ち、淡々とアシルが返す。
「お前は親が生き残ったんだ。ちゃんと面倒見てやれ」
「いいや、絶対行く。第一、誰がお前の目の代わりになるって言うんだ」
言い合うベルナルダンとアシルの傍で、頭を抱えていたガエルが立ち上がった。
「俺も行く」
「ガエル?」
「ベルナルダンがへぼなら俺は大へぼだ。特大だから、少しでも挽回したい。それに、村に残って安穏と暮らしてはいけない」
自分の失態と死んだ者を忘れ去って呑気に暮らすことはできない、と話す。ロラとベルナルダンが腹を据えたのに触発されたのだろう。
「ガエルは残りなよ。それこそ、クロティルドが可愛そうだよ。俺が行くからさ」
「エヴラールが?」
「俺は両親もいない一人暮らしだしさ」
目を丸くするガエルにエヴラールは肩を竦めて見せる。
「でも、ギーは俺の友達だったんだ」
軽く見える仕草をするが、表情には悔し気なものを滲ませる。
「じゃあ、やっぱり俺もだな。俺たちはバディなんだ。一人じゃ力が発揮できないからな」
「いいわ、私も行く!」
「クロティルド?! いつからそこに? 今の話を聞いていたのか? だが、付いてきたら危ないぞ」
威勢よく参戦した女性に、ガエルが今しがたよりも大きく目を見開く。事態について行けず、次々と言葉を重ねるが、女性はお構いなしだ。
「夫が行くのだもの。妻もついて行くわ。それに、ロラが痣持ちになったって。そうなったら、目が必要でしょう? 私がバディになる」
腰に両手を当てて、一気に言い放った。
「痣持ちに? ロラ、本当か?」
グェンダルが驚いて確認する。
「ええ、本当よ」
夫であり、バディであるギーを目の前で食い殺され、体の中がぽっかりと穴が開いた感覚に陥ると同時に、徐々に怒りの炎が熾た。灼けるような胸の痛みに同調するように、左の甲が痛んだ。火鏝を当てられているかのようで、失神しなかったのが不思議なくらいだった、とロラは語った。
「そうしたら、ほら、この通りよ」
言って、左手の甲を掲げて見せる。
「本当だ……」
女性にしては大振りの手の甲に痣がくっきりと刻まれていている。
「痣持ちは先天的なものなのに、こんなのは初めて聞く」
呆然と呟くグェンダルの近くではガエルとクロティルド夫妻が言い争っている。
「バディになるって、訓練を受けたことはないだろう?」
「これから、訓練するわ。いいわよね、ロラ」
「私は助かるけど」
「なら、これで決まりね!」
腰に手を当てたまま、胸を張り、ふふんと鼻を鳴らして笑う。
顔に掌を当てるガエルに慰めか宥めか、それとも諦めを促すためか、エヴラールがその肩を叩く。
その二人を面白くなさそうにクロティルドが睨む。
ゾエ村の人型異類の異能は強いものだと言っていた。それにまつわり、彼らには彼らの事情があるのだろう。